弐拾捌 あなたもしかして



 着いたぞという運転席の先輩の声を聞いて、朔はひとりトラックの助手席から降りた。荷台にまわり、届ける荷物を抱える。大きさはそれなりにあるが重くはない。ひとりでも大丈夫だろう。まあ多少人間に持てないような重さだったとしても朔なら軽々だろうが。

 荷物を持って荷台から降り、届ける家の目の前へ。家の表札に書かれた文字は『工藤』だ。そうここは、あの阿笠博士の家の隣にある工藤邸である。
 今日の朔は宅配業者のアルバイトとしてこの家を訪れていた。

 毎度思うけど大きな家だよなあ。そんなことを頭の隅で考えつつ、朔はインターホンを鳴らす。数秒ほどして男の応答する声が聞こえた。

「すみません。宅配便です」
『わかりました。今行きます』

 朔は門をくぐって工藤邸へ足を踏み入れる。きょろきょろ辺りを見回して見事な庭に感心していると、玄関の扉が開いたのを目の端で捉えた。さっと視線をそこに向けると、そこに立っていたのは物腰柔らかそうな眼鏡をかけた長身の男である。朔は慌てて彼の元へ急いだ。

「すみません! 立派な庭だったもので、思わず」
「ああいえ、別に構いませんよ。それで、荷物というのは?」
「こちらです。送り主は……工藤有希子様からですね。あなたが沖矢昴さんですか?」
「ええそうです」
「じゃあここに受け取りのサインお願いします」
「わかりました」

 荷物と一緒にボールペンを手渡すと、男――沖矢は左手で受け取ってさらさらとサインを書き始めた。その姿を見て、左利きなのか、と朔はぼんやり思う。

 そこでふと、朔はある事に気付いた。
 この人……普通の日本人ならばまずあるはずのものがないのだ。だがそれと同時に疑問に思う。日本人である限り、"あれ"がいないなんてことはほとんどありえない事。それなのに、どうして。
 ……だとしたらこの人、もしかして。

「これで大丈夫ですか?」

 そんなことを考えている朔に、沖矢はボールペンを差し出す。慌てて我に返った朔はざっと伝票を確認した。特に不備が無いことを確かめると沖矢からボールペンを受け取り、業者控えの伝票を引き抜いた。

「はい。大丈夫です」
「そうですか。それじゃあ僕はこれで」
「……あの」

 荷物を受け取って家の中へ戻ろうとしていた沖矢を、思わず朔は呼び止めた。声をかけられるとは思っていなかった沖矢はきょとんとした表情を浮かべて朔を見やる。

「まだ何か?」
「ああ、いや、その……大したことじゃないし、間違ってたらアレなんですけど……」

 朔はしどろもどろにそう前置きし、沖矢に質問を投げかける。先ほど頭に思いついた考えの真偽を確かめるために。

「沖矢さんって、外国の人……ですか?」

 投げかけられたその質問に沖矢は少しだけ返事を躊躇ったような様子を見せた。だがそれも一瞬のことで、すぐに柔和な笑みでそれは隠されてしまう。

「……僕はれっきとした日本人ですが……どうしてそう、思うんです?」
「ああ、違ったらならいいんです。雰囲気とかがなんかそんな感じしたんで、そうなのかなーって思っただけなんで!」

 慌てたように取り繕って、それじゃあ失礼します!と頭を下げる。朔は沖矢に背を向け、工藤邸を後にした。

 ――背中に突き刺さる訝しげな視線には気づかないまま。


***


 トラックに戻る前に、朔はポケットから携帯を取り出して電話をかけ始める。かけた先は言わずもがなだ。

『はい?』
「文彦? 悪い。俺だけど」
『ああ朔! どうしたの? 今日は俺非番だから記録探すのは時間かかるけど……』
「いや、違うんだ。今日はそうじゃなくて」
『……何かあった?』

 不思議そうに聞いてくる文彦に、朔は先ほどの沖矢の姿を思い出しながら返答する。

「具象神がついてない現世の日本人がいたんだ」
『えっ! それ本当!?』

 スピーカーの向こうでガタガタと音がする。驚きのあまり勢いよく立ち上がったりしたのかもしれない。それほどに朔が告げた事実は衝撃的なものだったのだ。

 彼らの会話に出てきた具象神は、亡者の現世での行いを逐一記録する記録課所属の立派な獄卒だ。彼らは日本人ならば必ず傍についており、離れるのは基本的に睡眠中か死後のみとされている。
 それなのに先ほどの沖矢の傍には、いくら探しても具象神が見当たらなかった。睡眠中でも、ましてや亡くなっているわけでもないのに、である。

『本当に日本人? 外国人ってことは無いの?』
「そう思って俺も聞いたんだけど、本人は日本人だって言い張ってんだよ」
『そっか……』

 文彦は弱ったように声を尻すぼみにさせる。

 生きているのに具象神がいない場合に考えられる理由はただひとつ、それは『日本人で無かった場合』だ。だがグローバル化が進む現代で、外国の血が一切混ざっていない純粋な日本人なんてほとんど絶滅危惧種と言ってもいい。血縁関係だけで日本人かどうかを判断することは年々難しくなってきていた。

 そのため地獄では、現世での国籍に則って日本人か否かを判断している。国籍は自身で変更することも可能だが複数所有することは(戸籍を複数所有している場合はまた別だが)不可能であるため、数百年前に鬼灯がそのように決めたのだ。

 因みに戸籍を所有していない場合は生まれた場所や血縁関係を考慮したうえで記録課が日本人とするかどうかを判断する。その後鬼灯に最終確認を貰い、日本人だった場合は直ちに具象神を派遣するのだ。

 先ほど朔が沖矢に質問を投げかけたのはそのためである。外国人だというのならば日本地獄の管轄外。具象神がいなくても問題は無い。
 だが沖矢は「自分は日本人だ」と言ったのだ。やはり彼の傍に具象神がいないのはおかしいのである。

『わかった。こっちでも確認してみる。その人の名前わかる?』
「えっと……確か、沖矢昴って」

 受け取った伝票を見ながら朔は言う。すると文彦は「あー……」とどこか納得がいったような間延びした声を漏らした。

「知ってんのか?」
『まあ、ね。知ってるよ。あの人なら大丈夫』
「大丈夫?」

 眉を寄せて朔は文彦の言葉を繰り返す。すると文彦は実はね、と信じられないことを口にした。

『あの人、日本人じゃないんだ』
「……は?」

 朔は思わず聞き返す。日本人じゃない?

「けどさっきあの人、日本人だって……」
『まーそれは話が長くなるから置いておくとして。とにかく、その人なら大丈夫だよ。心配しないで』
「なら、いいけど……」
『話はそれだけ?』
「お、おう」
『そっか。なら切るね』
「おう……」

 なんだかもやもやとした気分を胸のあたりに感じながら、朔は電話を切る。そしてまだ自分がバイトの途中であることを思い出し、慌ててトラックに戻ったのであった。