参 上陸、米花町



 『あの世一の雑用係、お迎え課に配属』『現世滞在勤務』の噂は一日もしないうちにあの世中に広がった。それだけで朔があの世でどれほどの存在感を放っていたかは一目瞭然である。

 次の日、朔は現世行きの準備をするために、予定していた仕事の断りに各地をまわっていた。その時にあまりにもみんなが残念そうにしてるもんで、胸の中が申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 だがもう決まってしまったことは変えられない。現にこうして準備をしている間にも着々と、鬼灯が面倒な事務手続きを全て済ませてくれているのだ。その思いを無下には出来まい。

 午前中に仕事の断りを全て済ませ、午後には天国の高天原ショッピングモールで現世用の服やら生活用品やらをまとめて購入していた。そこでも口々に雑用係引退を嘆かれ「そんなに自分は頼りにされていたのか」と朔は改めて実感する。ほんの少し寂しさが沸いたが、「俺が居なくてもやっていけるか?」と軽口を叩きながら明るく振舞っていた。
 その内数人に軽く青ざめたような顔で「あの米花町に住むんだって……?」と心配された時に思わず無表情になってしまったのは不可抗力である。それを相手も察したのか、慰めるように無言で朔の肩をぽんぽんと叩いていた。

 さて、あっという間に現世行きの日。あの世とこの世の境の門の前にて。

 角と耳を隠す大きめのキャスケット、Tシャツにジーパンと現世視察スタイルの鬼灯は腕を組み、約束の人物を待っていた。
 ちらりと時計を見るともうすぐ九時二分前になろうとしていた。いつもならもう着いていてもおかしくない時間帯だが……もしかして、何かトラブルでもあったのだろうか。そんなことを考えながら鬼灯は目を細める。

 とりあえず連絡を取ろうと携帯電話を取り出すと「鬼灯さん!」と声が聞こえた。声のしたほうを見ると、約束の人物がすごい勢いでこちらに向かってくる。あっという間に距離を詰めた彼は、鬼灯の前に滑るようにギリギリで停止した。滑り込みセーフ、と小さくつぶやく。

「遅かったですね朔さん」
「すみません……もうちょっと余裕を持ってくる予定だったんですが……」

 軽く汗をかきながら、肩で大きく息をして呼吸を整えた。
 聞けば、道行く人達に次々話しかけられ、それに丁寧に対処していたら遅れそうになってきたから走ってきたとのこと。急いでいるのなら適当に対処すればいいだろうに、こういうところは本当に真面目な人だと鬼灯はしみじみ思う。そういう人柄が大勢に好かれる所以なのだろう。

「いえ、約束の九時には間に合ってますから大丈夫ですよ。早速行きましょうか」
「はい……あ、鬼灯さん、俺のこの服、ちゃんと現世の人っぽく見えます?」

 そう言ってくるりと回って見せる。
 頭部を隠す耳あて付きの黒いニット帽、少しだぼついた長袖パーカー、スキニージーンズ、ごつめのスニーカー。荷物を詰め込んだのであろう大きくて真っ赤なキャリーケース。くすんだ赤色のリュックサック。「現世の若者風をイメージした」というその服は、本人の整った顔立ちも相まってかなり似合っていた。

「大丈夫ですよ。私としては耳あての紐の部分がウエストあたりまで長いのが気になりますが」
「面白いでしょう。昨日買い物してたら見つけちゃって……なんとなく気に入って買っちゃったんですよねこの帽子。仕事の時邪魔になるかもと思って、ちゃんと紐無しの普通のやつも買いましたけどね」

 へへ、と照れたように笑う。朔なりに、現世の洋服選びを楽しんでいるようだ。

「それでは行きますか」

 鬼灯が言うと、朔は少し緊張したような顔をしてはい、と頷いた。


***


 現世に続く薄暗い道を歩きながら、鬼灯はそうそう、と口を開いた。

「あなたの苗字、決めておきましたよ」
「ああ、すみません。色々任せっぱなしになってしまって……それで、なんていうんです?」
「望月です。今日からあなたは望月朔」
「望月……」

 朔は噛みしめるように自身の苗字を口にした。

「後で字も教えてくださいよ。いざって時書けなかったら困りますから」
「ええ勿論。それと現世での戸籍も作っておきました。取り合えず『田舎の高校を卒業後、上京して日々を過ごすフリーターの二十三歳』って事になってますから。そのつもりで」
「わかりました。……それにしても二十三歳って、そんなにサバ読んでいいんですか? 歳数えるのはずいぶん前にやめましたけど、俺確実に千年は生きてますよ?」
「人間として見た時の見た目予想年齢はそんなもんですよ、貴方」
「いやあ、まだまだ俺も若いなあ」

 あはは、と照れたように笑って頭を掻く。

「貴方が若くなかったら私は老いぼれですからね。若くいてもらわないと困ります」
「それもそうですね……あ、でも、学校の話とか聞かれたらどうしたらいいんです? 学校通ってたのなんて随分前だからあんまり覚えてないし、それにもしかしたら現世の学校と違うことしてるかも」
「一応記録上は高校まで通っていたことにしてありますから、そこは心配ですが……大丈夫だと思いますよ。学校なんて、大体どの時代もやってる事は変わりませんから」
「そんなもんですか」
「そんなもんですよ……あ、ほら。もうすぐ門が見えます」

 鬼灯が目の前を指さす。その先を見ると確かに、ぴったりと閉じられた両開きの大きな門が鎮座していた。

「これが、現世とあの世の境の門です」
「でっか……」

 鬼灯は淡々と言う。あんまり来る機会が無いためか、久しぶりに見た扉は本当に大きい。恐らく十メートル近く……もしかしたらそれ以上はあるかもしれない。朔がそんなことを考えていると、遠くの方から足音が近づいてくる。のしのしと、人間や鬼なんかよりは明らかに大きなその音の持ち主を、ふたりはよく知っていた。

「あらやだ! 鬼灯様に朔さんじゃなーい!」
「ふたりでいるなんて珍しいわねえ〜」
「牛頭さん、馬頭さん。お久しぶりです」

 ふたりが見上げた先にいたのは、二足歩行する巨大な牛と馬のふたり組だ。
 牛の方が牛頭、馬の方が馬頭といい、ふたりであの世とこの世の境の門番をしているのである。長い間門番をやっているふたりは、走ればそこらのサラブレッドより早く、水牛程度なら軽くひねりつぶせるほどの怪力の持ち主であるが、中身はどちらもれっきとした雌(レディ)だ。

「どうしたの? そんなに大荷物で」
「ああ! もしかして、これから現世に行くのかしらァ? 大変ねぇ、現世勤務」
「そうなんですよ。耳が早いですね」
「ウワサ話で聞いたのよォ〜」

 ねーっ、と牛頭馬頭はニコニコと笑って答える。相変わらず仲がいいようだ。すると鬼灯がちらりと時計を確認してからふたりに言う。

「すみませんが牛頭さん馬頭さん。門を開けていただいてもよろしいですか」
「いいわよォ〜! 馬頭!」
「ええ、牛頭! 危ないから、お二方はちょーっとだけ離れててくださいな!」

 ふたつ返事でふたりは門に手をかける。そして扉に力をこめ、ゆっくりと押し開いた。ぎぎぎと扉がこすれる音がする。外から差し込む光に、今まで薄暗い廊下を歩いていた朔は思わず目を細める。人が通れそうなくらい扉が開かれると、扉の動きが止まった。朔は扉に手をかけるふたりに改めてお礼を言う。

「ありがとうございます、ふたりとも」
「いえいえ、お安い御用よ〜」
「朔さんも、お仕事頑張ってくださいな」
「はい。ありがとうございます!」
「朔さん、こっちです」

 鬼灯に手招きされ、朔は再度牛頭馬頭に頭を下げる。ふたりは長いまつ毛を揺らしてぱちんとウインクを飛ばした。ふたりが押し開いた扉をくぐって外に出る。同様に鬼灯も外へ。

「う……わあ」

 門の外は澄み切った青空が広がっていて、足元を見ると白くて柔らかいことから雲の上であるらしかった。
 
 天国のようにも見えるが、もしここが天国だったのなら、桃と花の独特な甘い香りがするはずだ。すると多分、現世の上空だろうか。外の風景を見ながら朔はひとり思考を巡らせる。

「感心してる場合じゃありませんよ」

 鬼灯に声をかけられ、朔は慌てて視線を景色から彼に引き戻す。引き戻したところで朔は目を疑った。
 鬼灯が乗っている、ほんのりと金色に色づいた、ひと際輝くその雲は……――

「鬼灯さん……もしかしてそれ、乗り物憧れランク殿堂入りの」
「ええ、筋斗雲です」

 さらりと言う鬼灯。驚きが隠せない朔。思わず大きな声が出た。

「乗れたんですか!?」
「乗れますよ失礼ですね」

 少しむっとした表情を浮かべる鬼灯。だが朔は驚きと戸惑いで軽くパニックである。

「いや、だって、筋斗雲って確か心がきれいな人じゃないと乗れないんじゃ……」
「いつの時代の話をしてるんですか。今は免許さえあれば誰でも乗れます」
「免許あるんだ!? なにそれ取りたい!! というか地獄に免許なんて概念あったんですか、知らなかった……」
「乗り物に自我がありますからね。でも最近は自分で運転するのがちょっとしたブームみたいですよ」
「そうなんだ……えっ、そういえば鬼灯さんいつの間に免許取ったんですか!? あんなに忙しいのに!!」
「いいから乗ってください。大人気の代物で二時間しか借りられなかったんですから」
「レンタル制!?」
「ほら早く。延滞料金高いんですから」
「延滞料金!?」

 なんだか夢が叶ったと同時に壊されたような、複雑な気持ちになりながら朔は鬼灯の後ろに乗り込む。
 
「ああ、乗り心地はふかふかで最高……」
「筋斗雲ですからね」

 とろけそうになりながら朔は言う。体重分だけゆったりと沈み込む筋斗雲に身を任せれば、表情まで緩んでしまいそうになる。
 行きますよ、と鬼灯が言うと、筋斗雲は音もなく発進した。風で帽子が飛ばされそうになるのをなんとか手で押さえる。筋斗雲の上に胡坐をかいている鬼灯を見て、朔が不思議そうに尋ねた。

「これどうやって操縦してるんです?」
「ほぼ重心の移動ですね。ちょっとコツがいるんですよ」
「へえ……」
「本当は自動運転の筋斗雲を借りられたらと思っていたのですが、流石に経費で落とすのも抵抗する値段だったので止めました」
「高級なんですね……流石、乗り物憧れランク殿堂入り……」
「自動運転でなくても割と値は張りますけどね」

 ははは、と乾いた笑いを零す朔。

「あ、そういえばこれ現世の人たちにはどう見えてるんですか?」
「普通に見えませんよ。この雲から降りない限り、私たちの存在は現世の人たちには気づかれません」
「なるほど」

 そうこうしてる間にも鬼灯が操縦する筋斗雲は進み、上から人が目視できるくらいの高さになった。ここが米花町ですよと鬼灯が告げると、朔は運転に支障がない範囲で身を乗り出し、眼下の町並みに思わず声をあげる。

「俺現世来るの久しぶりなんですよね……二百年ぶりくらいかなあ。その時は確か友人との旅行とかだったと思うんですけど……。それにしても、大分変わりましたね、町並みが。浄玻璃の鏡でたまに見てましたけど、実物を見るとやっぱ違うっていうか……。車も数えきれないくらい走ってるし、昔に比べて人がかなり多い」
「あんまり騒ぐと目立つので、降りたら控えてくださいね」
「わかってますよ。だから今騒いでるんです」

 あれはなんだ、あれはなんだと楽しそうに大きな独り言を言う朔に、鬼灯は小さくため息をついた。

「そういえば鬼灯さん。どのへんに降りるんです?」
「そうですね……あの辺りにしましょうか」

 鬼灯はするりと指をさした。その先にあるのは人気のない小さな公園。筋斗雲を公園の上まで運び、停止させる。せーの、と息を合わせて飛び降りた。ふたりで綺麗に着地。朔は荷物も忘れずに一緒に飛び降りたようだが、脚にそれほど負担はかかっていないようだった。身体の頑丈さと鍛え方が違う。

「遂に着きましたね、米花町」
「ええ。そうですね」

 さあ行きましょう、と鬼灯が言い、朔は返事をしてその後に続いた。