肆 初仕事がこれとは



 取り合えずその荷物を何とかしましょうか、と鬼灯に言われ、ふたりはまず朔の新しい住まいへ向かうことにした。

「住むところ、ここから近いんですか?」
「ええ。歩いてすぐ近くですよ」

 鬼灯の言葉の通りその建物はあっさり見つかった。公園から少し歩いた所にある、ほぼ新築だろうという綺麗なマンション。階数はトータルで七階、そこまで高い方ではない。あまりこういう建物を地獄で見かけないため、朔は物珍しそうに見上げて思わずほうと息をつく。

 入り口をくぐると、ロックされた自動ドアの手前に部屋番号を打ち込むタッチパネルのようなものがあった。目的の部屋番号を打ち込んで相手にロックを解除してもらうか、部屋の鍵を差し込むかのどちらかで開くタイプのようである。
 鬼灯は鞄からシンプルな鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。ぐるりと回すと、がち、と手ごたえがあり、滑らかに自動ドアが開く。エントランスを抜け、エレベーターに乗り込み、四階へ上がる。

「ここが、今日から貴方の住む部屋です」

 四〇四号室。鬼灯は扉に備え付けられている鍵穴に先ほどと同じ鍵を差し込み、解錠する。

 部屋の内部は以前に人が住んだ形跡がほとんど無かった。白い壁紙、ひんやりとするフローリング、日差しの差し込む大きな窓。必要最低限の家具や電化製品はある程度備え付けられているタイプのようで、一人暮らしの朔には十分過ぎるほどだった。
 少しだけ空気が淀んでいるような感覚が気になるが、まあしばらく換気すれば気にならなくなるだろうと朔は室内を見回しながら考える。

「ここに住むのか……」
「気に入りました?」
「ええ、もちろん。ただ、今まで住んでた閻魔庁の寮が和室だったので、慣れるのにちょっとかかるかも」
「なるほど。そういうことでしたか」

 納得したように鬼灯がつぶやく。それにしても、と朔は部屋を見回しながら鬼灯に尋ねた。

「高かったんじゃないですか? こんな綺麗なマンション。新しい部屋ってそれなりの値段もするでしょ」
「あ、その辺は心配しなくて結構ですよ。格安でしたから、この部屋」
「格安?」

 こんな綺麗な部屋が?と眉を寄せた朔の頭に、ふとある考えが浮かぶ。まさか。

「鬼灯さんもしかして、この部屋……――!」
「朔さん、こちらへ」

 朔の話を遮り、鬼灯は手招きした。何となく嫌な予感がしたが、朔はそのあとに黙ってついていく。案内されたのは寝室である。シングルサイズのベッドに備え付けのクローゼット、大きな窓とそれを覆う遮光カーテン、木目調のサイドテーブル、シンプルなデザインのスタンドライト。一見すれば普通の寝室だ。

 ――天井から女性の亡者が首をつっていることを除けば。

「こちら、前の住人の麗子さんです」
「やっぱり!」

 声を荒げる朔。予想的中だ。

「事故物件だったんですねここ!」
「ええ。他にも、その前の住人、雄太さんは風呂場に。そのまた前の住人、美紗さんはキッチンに……とこんな具合で、このマンションが建てられてから今までの住人五人がこの部屋に居ます。死因は自殺二人、他殺三人ですね」
「その情報は別に知りたくなかった……」

 うげえ、とげんなりした顔をしながら朔はため息をついた。
 そんな話をふたりがしている間に、首吊り死体の亡者……麗子さんは、伏せられていた顔をぎりぎりとこちらへ向け、精気の無い瞳で黙って見つめていた。……おそらく生前はすごく美人だったのだろう。だが今はその青白く頬がこけた顔がひたすら不気味なだけだ。正直やめて欲しい。朔は麗子さんのひしひしとした何かを訴えるような視線から逃れるように、そろりと目を逸らした。

「さて、早速始めましょうか。除霊」
「ああ……はい……」

 鬼灯はどこからともなくさっとハサミを取り出す。これからすることを何となく察した朔は、ぐっとため息を堪えて返答した。

「米花町に来て初仕事がまさか、これから住むことになる部屋の先住人たちを追い払うことだとは……」
「ほら、ぼやいてないで手伝ってください」

 朔のぼやきを聞いて鬼灯は静かに窘める。大人しく返事をした朔は鬼灯の指示通りに麗子さんの身体を支えた。その隙に吊るされていたロープを鬼灯が切る。ぶつりと千切れる音がしてロープが外れた。

 当の本人である彼女は何も言わず、まばたきを忘れたように目を見開いたまま静かに固まってしまっていた。内心恐ろしく思いながらも彼女を支える手をそのままにしていると、新しいロープを持った鬼灯が近づいてきた。テキパキと作業を進める鬼灯に、朔は思っていた疑問をぶつける。

「それにしても、死にすぎじゃないですか? この部屋の住人」
「そうですね。築二年で住人五人全員死亡、ここ三ヶ月は住む人もいなかったようです。因みに、ここを借りる際に大家さんからは『呪われた部屋だからやめときな』と止められたんですが、気にせず借りました」
「大家さんが止めるって相当ですよね」
「鬼に呪いも何もありませんし」
「そりゃまあ、そうですけど……」

 気分ってものが……。朔はロープで拘束される彼女を見ながら、もごもごと尻すぼみに言葉をこぼした。

 それから、鬼灯と共に残りの住人をひとりひとりロープで拘束していき、鬼灯が帰る際にあの世へ一緒に連れていけば実質除霊完了、というところで落ち着いた。

 元住人達は皆逃げたり暴れたりせず、縛られていく自身を黙って見つめていたのが逆に気味の悪いものであった。
 なんでこんなに大人しい亡者がこの世に留まっているんだ、と朔は先住民達を見ながら思う。彼らの服装があの世で支給される死装束でなく死んだ当時の服のままということは、あの世から逃げてきたのではなく、ずっとここに居たということ。それはつまり、お迎え課がここにきちんとお迎えに来なかったということだ。

 ……いや、仕事しろよお迎え課。多忙にしても、これは流石に言い訳がきかないレベルだぞ。朔はそう思いながら、黙々とロープで亡者を縛り上げていく。

 一先ず五人まとめてベランダへ追い出し、ロープの端をベランダの手すりに結んで、万が一逃げられないようにしっかりと固定した。心なしか部屋の空気が綺麗になった気さえする。澱んだ空気は彼らがいたせいだったのかもしれない。

 ひと段落したところで、備え付けの椅子にテーブルをはさんで向かい合わせに座り、鬼灯は持ってきた鞄の中から今後の生活に必要になるであろう物を取り出して、ひとつひとつ説明しながら渡していった。「望月朔」名義の身分証明書、「望月」の印鑑、お迎え課の給料が振り込まれる現世の通帳とカード、この部屋の鍵などである。

 そして一番重要な物、と前置きして鬼灯は鞄からある物を取り出した。
 それは手のひらに収まるくらいの小さな小瓶であった。栓になっている部分に人間の頭があしらわれた何とも気味が悪いデザインをしている。瓶の中には何やら怪しげな液体が入っていた。

「これは?」
「ホモサピエンス擬態薬です」
「!」

 思わず目を見開く朔。そしてまじまじと小瓶を見つめ直した。

「名前くらいは聞いたことあるでしょう?」
「ええ……一応は」

 ホモサピエンス擬態薬。
 一口飲めば、どんな化け物でも人間に擬態することが出来る、魔法の薬である。
 イギリスの地獄にある"魔女の谷"という場所で取り扱われる"魔女の医薬品"の一種で、輸出が厳しく制限されているため、中々手に入れるのが難しい品だ。……話しには聞いたことがあったが、実際に朔が手にするのはこれが初めてである。指でひょいとつまんで瓶を回しながら観察していると、鬼灯はくすりに関する注意事項を述べた。

「効果は一口につき一時間持続します。後、副作用で凄く眠気に襲われますので気を付けてください。因みに、一瓶につき三十ミリリットル入って三十万円というかなり高価な薬なので、使う時にはよく考えてくださいね。それと、もし追加で必要な場合は早めに連絡してください。魔女の谷から取り寄せるのに半月近くかかるので」
「わかりました」

 返事して、小瓶を割れぬようにそっとテーブルの上に置いた。
 それから部屋の使い方とこれから暮らすうえでの注意も丁寧に説明された。現世で暮らしていくうえで、人間関係は出来るだけ円滑に進んだほうがいい。隣人トラブルから様々な犯罪に発展していく様子も、朔は死後の裁判の手伝いをする際に見たことがあった。

「そうだ。数日くらいで地獄から荷物がたくさん届くと思いますが、驚かないでくださいね」
「荷物が?」

 これまたどうして、と朔が首を傾げると鬼灯がさらりと説明してくれる。

「『朔さんの引っ越し祝いに贈り物をしたいから住所を教えてくれ』と言う方が数人いらっしゃいましたので」
「あーなるほど……そういうことでしたか。お手数おかけしてすみません」
「いえ、この仕事を引き受けてもらったのはこちらですから。これくらい何ともありませんよ」

 鬼灯は涼しい顔で言う。朔はなんだか申し訳ない気持ちになりながら、再度小さく謝った。

「ちなみにこの際なので、思い切って現世の宅配便を利用しようかと思っているんですが」
「差し出し人の住所が『地獄』の時点で配達員に二度見されそうなんで、大人しくあの世の配送業者を使ってください」


***


 しばらく現世に関する話をしていると、遠くから微かに鐘の音が聞こえてきた。ふと会話を止め、朔はきょろきょろと周囲を見回しながら尋ねる。

「この音は……」
「学校のチャイムですよ。この近くには小学校がありますから」
「へえ、そうなんですか」
「今のは多分、お昼のチャイムですね」

 時計を確認しながら鬼灯は言う。気づけばすっかりお昼を過ぎているようだ。そろそろ昼食をとろうとふたりはマンションを後にした。前を進む鬼灯に並び、朔は問いかける。

「鬼灯さん、さっきからぐいぐい歩いてますけど……どこに向かってるんですか?」
「取り合えず、探索がてら一度近くのコンビニへ行きましょう。買いたいものがあるんです」

 買いたいもの、という鬼灯の言葉にどこか引っ掛かりを覚えたが、朔は特に気にしていないようだ。

「そこで昼食買うんですか?」
「それでもかまいませんが、初めて米花町に来たんですから、折角ですし外食にしましょう」
「……その口ぶりだと、どこかあてでもあるんですか?」
「ええ。軽食がとれる、おすすめの喫茶店があるんですよ」
「へえ……鬼灯さんおススメのお店かあ」

 彼が言うからには味は間違いないのだろうなと思いながら、朔はまだ見ぬ喫茶店に胸を弾ませた。