参拾 掴んだ左手



「こんにちは阿笠さん。お届け物に来ました」
『分かったわ。すぐ行くから少し待っていて』

 子どもとは思えないほど大人びた調子の返事を聞き、朔は荷物を持って阿笠邸の門をくぐる。
 少年探偵団の彼らに連れられて何度か阿笠邸に訪れたことはあったが、宅配のバイトとして訪れるのは初めてである。そわそわと落ち着かないようなむず痒いような、不思議な気持ちになりながら朔は玄関の扉が開くのを待つ。

 カシャリと静かな解錠の音がして扉が開く。そこにいたのは最近顔を合わせていなかった茶髪の少女の姿。

「てっきり博士が出てくると思ってたから、君の声がしてちょっとびっくりしたよ」
「博士ならぐっすり寝てるわ。昨日からずっと学会用の資料をまとめてたみたい」
「なるほどね。じゃあ代わりにここにサインをお願いしようかな」

 少女の身長に合わせて腰をかがめ、荷物とボールペンを差し出す。少女は素直にそれを受け取ると、さらさらと記入し始めた。

 そのわずかな時間に朔は哀の背後に見える玄関の奥へ視線を向けた。前から思ってはいたが、ふたりで暮らすには十分すぎるほど広い家である。研究室も兼ねているらしいが、それでもいくつか部屋が余っていそうだ。

 そんなことをぼんやり思っていると、ふとあるものを視界に捉える。
 廊下のあたりに漂う、足元が薄らと透けた、ひとりの女性の浮遊霊。黒髪ロングで大きな瞳を持ついかにも大和撫子といった雰囲気の彼女は、優し気に微笑みを浮かべながら哀のことを後ろからじっと見守っている。そのおかげで朔の視線には気づいていないようだった。

 そこで朔ははっと思い出した。この女性……小学校で探偵団をかばって消えたあの浮遊霊だ。
 消えたはずの彼女が何故こんなところに、と思っていると伝票を書き終えたらしい哀が訝し気に眉をひそめて朔に声をかけた。

「……何?」
「え? ああ、いや。なんでも」

 取り繕ったように笑みを浮かべ、眉を下げて笑った。やっぱりあんまりこの子に好かれてないよなあ。なんて思いながら朔は少女に、申し訳なさそうに頼みごとをひとつする。

「ごめん哀ちゃん。ちょっとお手洗い借りてもいいかな?」
「別にいいわよ」
「ごめんね、ありがとう」

 場所はわかるわよね、と言いながら家の中へ朔を招き入れる。哀はこのまま玄関で待っているつもりらしい。お邪魔します、と小さく呟いて朔はそっと玄関へ足を踏み入れた。
 廊下の奥へ進む朔を避けるように、女性の浮遊霊がすっと廊下の端に寄る。そのすれ違いざまに朔は左手で女性の手首を掴んだ。

「え?」

 まさか掴まれるとは思っていなかったのだろう。女性の困惑した声が漏れる。だが朔はそれに構うことなく、そのまま女性の腕を引いてずんずんと先へ進んでいった。朔の手を振り払うことのできない女性は、半ば引きずられるようについていく(地面から浮いているため身体へ負担はほとんど無いだろうが)。
 程なくしてお手洗いに到着し、朔は女性と共に室内へ入り内側から鍵をかけた。

「あの……」

 おずおずと女性が口を開く。その表情は不安や戸惑いが入り混じっていた。それもそうだろう。いきなりやってきた男に急に手首を掴まれ、振り払うことも出来ず個室でふたりきりになってしまえば、誰だってそうなる。
 だが一方の朔はといえば、やれやれといったようにため息をついただけであった。そのため息には少しばかり安堵と疲労が滲んでいる気配が感じられる。

「やっとみつけた」
「見つけた、って……あなた、私を探していたの?」
「まあ。ちょっと、ね」

 女性の手を離さずに朔は言う。

 小学校での一件以来、どことなく彼女の存在は気にかけていたのだ。本来地獄で裁きを受けるはずの亡者が、悪霊を受けとめたことで本当に消滅してしまっていたのなら大問題だからである。

 しかもただ消えただけではなく、現世に身を潜める悪霊に取り込まれでもしたら更に厄介だ。朔は内心そう考え、小学校での一件の後鬼灯に電話でこのことについて報告していたのだ。鬼灯はいつも通りの涼しい声で「発見次第、直ちに報告してくださいね」と言ったのみであったが。

 それから数日経っても後姿すら見かけなかったため、米花町から離れたか成仏したか、もしくは……と最悪の事態を考えていたりもしたのだ。
 だが思わぬところ……阿笠邸にて彼女を無事発見し、今に至るというわけである。

「小学校で会った時、探偵団たちに向けられた……アレを受け止めてそのまま消えたでしょう」
「小学校って……あなた、あの時あの子たちと一緒にいた警備員の」

 朔の言葉に、女性は思い出したかのようにつぶやいた。それを聞いて朔は改めて確信を得たようである。わずかに口の端を上げた。

「やっぱり、あなただったんですね」
「そうよ。……あの時は正直、あれしか方法が浮かばなかったの」

 少し寂しそうに彼女は笑う。その今にも消えてしまいそうな儚い表情は、どこか茶髪の少女の姿を彷彿とさせる。あの悪霊から守るために自らの身体を犠牲にするとは、余程彼らを守りたかったらしい。

「それにしてもなぜ、あなたがこんなところに? あの子との関係は……」
「それに答える前に私の質問にも答えてくれるかしら」

 朔の質問を彼女がさっと遮る。それを受けて朔は素直に口を閉じた。地面から数十センチ浮かび上がった半透明の彼女の足元がゆらりと揺れる。

「あの時、ずっと見てたのよ。あの子たちの周りに現れる霊を次々と退治していくあなたの姿をね。初めはただ霊感があるだけの普通の人なのかと思ってた。でも、どこか違う気配を感じるのよ。上手く言葉に言い表せないけれど……。それに、他の人と違って私の身体にも触れるみたいだし」

 彼女の視線が真っすぐ朔に向けられる。

「……あなた、一体何者なの?」

 戸惑いと疑念が入り混じったような、何とも形容しがたい複雑な表情を浮かべながら女性は朔に問いかける。その表情を朔は正面からじっと黙って見ていた。

「(浮遊霊相手だし、別にバラしてもいいか。……それに、いずれはわかる事だろうし)」

 朔はため息を吐きながら少しだけ目を細め、空いている方の手を帽子のつばにかけた。

「これを見れば、わかる?」

 さっと外される帽子。その下から現れたのは人外の証である、黒い二本角。女性の息を飲む音が聞こえた。恐らく人外である自分に恐怖しているのだろう、と朔はなんとなく検討を付ける。いくら浮遊霊だからといっても、元人間。人外である鬼を恐怖するものは少なからずいるだろう。

 だが次の瞬間、女性は朔の予想をあっさりと裏切った。

「金髪に黒い二本角……! もしかして、あなたが朔さんね!?」
「……え?」

 女性は顔を輝かせて、バッと朔に顔を寄せた。
 まさかそんな行動を起こすとは予測していなかった朔は、思わずぱちくりとまばたきを繰り返す。

「……知ってるのか?」
「ええ! 栞さんが言ってたのよ。最近米花町に住みはじめた知り合いが朔って名前だって」
「栞さん!? と、知り合いなのか……?」

 思わぬところから知人の名を聞き、思わず目を見開く。そしてその勢いのまま女性に問を投げかける。一瞬にして先ほどとは立場が逆転してしまったようだ。
 だが女性の返答を聞くよりも先にトイレの扉がノックされる。コンコン、という控えめな音に朔は大げさなほど肩を震わせた。

「ちょっと? 随分長いみたいだけど、大丈夫?」
「い、いや! 大丈夫! ごめんねすぐに出るから!」

 突然聞こえてきた少女の声に、朔は声を上ずらせながら返答する。哀は、そう、と言って扉から少し離れたようだ。外していた帽子をもう一度被りなおし、目の前の女性に視線を戻す。

「……色々聞きたいこともあるし、とりあえず俺について来て」

 小声でつぶやかれた朔の言葉に女性は素直に頷いた。