参拾壱 これなんてデジャヴ



 哀に一言挨拶をして阿笠邸を後にする。女性を連れてすぐさまトラックに戻れば、運転席に座る先輩に「随分遅かったな、待ちくたびれたぞ」となじられた。すみませんと謝りながら助手席に座り、次の家へと向かう。

 その間ずっと女性にはトラックの荷台に居てもらった。クール便でもないし、特に問題は無いだろうと判断したのだ。女性は逃げることなくずっと荷台の隅に座っていたようである。朔が荷物を取りに行くたびに楽しそうに小さく手を振っていた。

 二時間ほどで本日の業務がすべて終了し、先輩の運転で本社へ戻る。タイムカードを切って着替えると、そのまま退社した。会社を出たタイミングで、朔の後方にふわりとあの女性が現れる。

「待たせてごめんね」
「別にいいわ。あなた結構忙しいって栞さんに聞いてたから」
「勝手に何話してんだ栞さん……」

 ここに居ない彼女ののんびりとした笑顔を思い出しながら朔は乾いた笑みを零す。そこでふと思い出したかのように女性に尋ねた。

「そういえばあんたの名前、まだ聞いてなかったな」
「……明美。宮野明美よ」
「そっか。んじゃ明美さん、早速行こうか」
「行くって……どこに?」
「そりゃもちろん、あんたに俺のことを話したあの人の所さ」


***


 近くの駅から電車に乗り、会社を出てから一時間もしないうちにふたりは『胡蝶の夢』に到着していた。時刻はもうすっかり夜に差し掛かっており、店外には優しい色をしたランプがいくつか釣り下がっている。『OPEN』の札を確認し、店内へ足を踏み入れた。カロン、とドアベルが鳴った音で気が付いたのだろう。カウンターの向こうの彼女がこちらに視線を向けた。

「いらっしゃいませ〜 あら、朔くん。それに明美さん〜!」
「こんにちは栞さん」

 ふたりに気付くと、栞はふわりと頬を緩ませる。とりあえず座るように言われたため、栞の前のカウンター席にふたり並んで腰かけた。磨いていたグラスを置いて、栞は尋ねる。

「ふたり揃ってどうしたの〜?」
「実は彼女……明美さんが、栞さんを知っているようなことを言い出したんで、訳を聞こうと思って連れてきちゃいました」
「なるほどねえ」

 納得した様子でふんふんと頷く栞。

「この間、朔くんの先輩に悪霊が憑りついちゃった件で米花町まで行ったでしょぅ? それの帰りに彼女に会ったんだ〜」
「あれの帰りって……随分最近ですね」

 梓が悪霊に憑りつかれてしまったあの一件から、まだ一週間も経ってない。そんなに最近だったのかと朔は静かに驚く。栞はその時のことを思い出すように視点をぼんやりとさせながら言った。

「随分弱ってて、正直すぐに消えちゃうんじゃないかって思ったんだけど、なんとかその場での応急処置が上手くいってねぇ。それで店に連れ帰って、本格的に手当てしてあげたってわけさあ。二日くらいでなんとかある程度良くなったみたいだから、米花町まで送り届けてあげたんだ〜」
「本当に、あの時はありがとうございました。栞さんがいなかったらどうなっていたことか……」
「ふふ。いいよいいよ〜 困った子がいたら助けてあげるのが世の情けってやつだがらねぇ」

 頭を下げる明美に笑って謙遜する栞。
 すると、カロロンとドアベルが鳴った。もしや快斗くんや青子ちゃんだろうか、と朔が店の入り口に視線を向ける。だがそこに立っていたのは予想に反して、現世に溶け込む服をまとった上司と、いかにもといった風貌の老婆だった。

「鬼灯さん! と……マ、マリンさん!?」
「おや朔さん。こんなところで会うとは」

 驚きの余り思わずガタリと椅子から立ち上がる朔。相変わらず表情の読めない顔で鬼灯は何でもなさそうに言った。朔の隣に座る明美は不思議そうに栞に説明を求める。

「栞さん、あの方たちは……?」
「ああ、あの背の高い男の人が鬼灯様。地獄で働いている鬼神様で、閻魔大王の第一補佐官をしているんだ〜 まあ言ってしまえば、朔くんの上司だねぇ。んで隣のおばあさんが、イギリスのあの世にある『魔女の谷』で暮らしている魔女のマジカル・マリンさんだよ〜」
「閻魔大王の補佐官に、魔女……」

 栞の説明を受けて、譫言の様に繰り返し呟いては目をまたたかせる明美。一度に受ける情報量が多かったのだろう。そんな彼女を他所に朔は鬼灯に尋ねる。

「おふたりはどうしてこんなところに?」
「『魔女の谷』から届け物をしに閻魔庁へいらっしゃったマリンさんが『現世にいる栞さんに会いたい』と言い出したものですから、視察ついでに」
「なるほど……」

 鬼灯の返答に朔は素直に納得した。栞が立ち話もなんですし、と席に案内する。

「どうせなら一緒にテーブル席に座りませんか」

 そう提案したのは鬼灯だ。朔が明美にそれでも良いか聞けば素直に頷かれる。朔と明美、鬼灯とマリンがそれぞれ隣同士に座り、全員分のコーヒーを持ってきた栞が「お客さんもいないし、折角だから私も混ざっちゃおうかな〜」とカウンターから椅子を引いて来て、いわゆるお誕生日席に座った。
 なんだかおかしな面子だな、なんてぼんやり朔が思っていると、鬼灯が口を開く。

「それにしても知りませんでした。栞さんとマリンさんが知り合いだったとは」
「栞とは昔からメル友でね」
「メル友」
「せっかく日本まで来たんだから、久しぶりに会っていきたいと思ったわけさ」
「嬉しいなあ〜! 私も会いたかったよぅマリンさんっ!」

 百年ぶりくらいだもんねえ〜!と栞は嬉しそうにはしゃぐ。見た目年齢的にはマリンの方が何倍も年上に見えるが、実際はほとんど年が変わらないのだから驚きだろう。朔としては"メル友"という点の方が気になっていたりもするのだが決して口には出さない。

「私としてはあなたに会えたことの方が嬉しいですけどね、明美さん」
「え?」

 きゃっきゃと女子トークに勤しむ二人を他所に突然鬼灯に話を振られ、きょとんとした表情を浮かべる明美。それから少し考え込むような様子を見せると、おずおずと申し訳なさそうに鬼灯に言う。

「あの……もしかして、どこかでお会いしました?」
「いえ、初対面ですよ。私が貴方のことを一方的に知っているだけです」
「一方的に……?」

 一方的に知っている、という言葉に引っ掛かりを覚えたのだろう。小さく首を傾げながら鬼灯のその言葉を繰り返す。すると朔がそっと補足した。

「この人、閻魔大王の元であの世の裁判を補佐するのが主な仕事なんだ。だから仕事の関係上、いろんな人の生前の姿をあの世から見てるってわけ」
「それで私のことも」
「ええ。そういうことです。……生前は色々と、大変でしたね」

 鬼灯の言葉に一瞬目を見開くと、へにゃりと眉を八の字に下げた。困ったように微笑むその表情はどこか悲しみも含んでいて酷く儚げに見える。

「……本当に、知ってるんですね」
「ええ。あなたのことは勿論。妹さんやご両親、例の恋人のことも」
「そっか……」

 少し視線を下げ、しみじみとそう呟いた明美。状況を飲み込めていない朔だけがきょとんとしたままふたりの様子を見ている。……脳裏に思い起こされるのは、盗一と栞が朔を置いてけぼりに会話を繰り広げたあの日の出来事。

「……これなんてデジャヴ」
「どうしましたか、朔さん」
「いや、なんでもないです……」

 すっと会話から身を引こうとする朔の様子を見て鬼灯はああ、と納得したような声を出す。

「朔さんは、彼女のことを何も知らないんですか」
「ええ……つい数時間前に偶然再会したばかりなので」

 朔がそう答えると、鬼灯はふむと考え事をするように口元に手を添える。

「どうせなら朔さんも知っておいた方がいいかもしれませんね。米花町に住むのならば……"彼ら"と関わって暮らしていくのならば、必要な情報でしょう」
「え? でも……いいんですか」

 ちらりと明美に視線をやる。当の本人の目の前でその過去をべらべらと話していいものなのかと考えたのである。その視線に気づいた明美は小さく微笑んで言った。

「大丈夫ですよ。……今となってはもう全て、終わったことですし。それにあなたは、子どもたちを守ってくれるいい人ですから」

 いい人、という言葉を聞いて、朔はこの短期間で明美からの多大な信頼を得ていたことを知った。明美はすっと鬼灯のほうを見て尋ねる。

「私が自ら語るのではなく、鬼灯さん……が話していただけるんですよね?」
「明美さんがそれで良いのならば」
「ええ、それでいいです。……むしろその方が」
「……わかりました」

 明美の言葉を聞いて、鬼灯はそっと口を開いた。