参拾弐 彼の企み
鬼灯が静かに語るのは、第三者視点から見た明美の生前の記録だ。
両親とのささやかな日々。組織に縛られた生活。優秀な妹。最愛の人との出会い、別れ。……そして組織の裏切りと、最期。
なかなかに波乱万丈な内容ではあったが、鬼灯の落ち着いた声と淡々とした口調も相まって、思っていたよりもすんなりと内容が頭に入ってきた。
一通り語り終えた鬼灯が明美に視線を向ける。
「どこか間違っているところは?」
「……流石です。私もあやふやで正確に覚えていないようなところまで、とても正確でした」
明美が小さく微笑む。そのやり取りを見ていた朔が、少し言いにくそうに申し出た。
「あの……明美さんの生前の話はなんとなく理解できたんですけど、それが米花町に暮らすうえで知っておいた方がいいことと、どういう関係が?」
朔の質問を受けた鬼灯は、少しぬるくなったカップに口をつける。一口二口飲み込んで喉を潤すと、再び口を開いた。
「明美さんの妹さんの話、しましたよね」
「ええ。組織内でも名が知れた、とても優秀な科学者だっていう……」
「実は彼女、朔さんはもう既に出会っているんですよ」
「え?」
思いがけない鬼灯の言葉に、思わず朔は目を丸くする。頭の中でそれらしい人物を検索するが勿論ヒットしない。
だがふと思い出したのだ。明美に似ている印象を受けた、茶髪の少女の存在を。
「……まさか」
「そうです。阿笠邸に住んでいる少女……灰原哀さんですよ」
「ま、まじですか……!」
驚愕にひくひくと口の端を引きつらせる朔に、「まじです」と表情の分かりにくい顔で鬼灯は言った。
「で、でも! 明美さんの妹さんは確か今18歳だって」
「ええ、18歳ですよ。中身は」
「中身は、って……」
そこでようやく察したようだ。中途半端に言葉を途切れさせる朔を他所に、鬼灯はつらつらと言葉を並べる。
「彼女は組織が開発していた毒薬……『APTX4869』の研究に携わっていたひとりだったんですよ。ですが彼女は、組織が明美さんを裏切ったことをきっかけに反発。それをよく思わなかった組織は彼女を拘束した。その拘束から逃れるために薬の試作品を飲み、身体が縮んでしまったんです。それから名前を宮野志保から灰原哀へと変え、組織の追手から逃れながら小学一年生として生活している、というわけです」
鬼灯の言葉を聞いて、納得したように朔は独り言を呟く。
「そうか……だから明美さん、阿笠博士の所に居たんですね。妹さんを見守るために」
「ええ。本当はすぐにでもあの世に行くべきだったのかもしれないんですけど、どうしても心配になってしまって」
聞けば、死んでからずっと少女の傍にいたのだという。それこそ、薬を飲んで身体が縮んでしまったあの瞬間も実際に目の当たりにしたんだとか。コーヒーカップをそっと両手で包みながら明美はしみじみと言う。
「あの子、あんな風にすました顔して強い口調で話したりしているけど、本当はもっとずっと繊細な子なのよ。なんていうか、誰かに甘えるのが下手なのよね」
「それはなんか俺にもわかる気がします」
「でしょう?」
ほんと素直じゃないんだから、なんて困ったように明美は笑う。
「でも、しばらくあの子の傍にいてわかったの。私がいなくても大丈夫。"彼ら"がちゃんと傍にいてくれるってね」
「"彼ら"? それってもしかして、少年探偵団のみんなのことですか?」
「それも勿論だけど、一番は隣に住む彼ね」
「隣に住むって……なんでここで沖矢さんが出てくるんです」
明美の言葉を聞いて、不思議そうに尋ねる朔。見かねた鬼灯がたまらず口を挟んだ。
「……朔さん、ここまで来たら流石に何か察しません?」
「察するって何を」
本気で訳が分からないといった様子で朔は眉を寄せる。するといつの間にやらこちらの話を聞いていた栞とマリンまで会話に参加し始めた。
「朔くんってほんと、こういうことに対しては察しが悪いよね〜」
「鈍感すぎるのもどうかと思うよ兄ちゃん」
「おふたりまでそんなことを……」
昔っからこうなんだからぁ、こりゃ苦労するね、とふたりは再び女子トークを始めてしまう。なんなんだと怪訝そうな表情を浮かべる朔は置いてけぼりだ。明美はそんな状況を見て小さくクスクスと笑い、鬼灯はまるでチベットスナギツネのように目を細め、呆れたような眼差しを朔に送る。そしてやれやれと口を開いた。
「明美さんの話の中で諸星大という男が出てきたでしょう」
「実はFBIから組織に潜入してたスパイだっていう」
「それが沖矢さんの正体です」
「は?」
「変装しているんですよ。組織のある構成員によって死んだことになっている諸星大……もとい赤井秀一が、仮の姿として変装しているのが沖矢昴なんです。それで今は身分を偽りながら工藤邸に身を置き、隣に住む少女の警護に勤めているようです。」
「…………は??」
ぽかんと口を開けたまま、まばたきも忘れて静止する朔。その顔を見て明美はまた笑みを零す。
「そんなに驚いたかしら? 凄い顔よ、朔さん」
「え、あ、いや……その。なんというか……すみません」
「いいのよ。こんなこと急に言われたら誰だって驚くわよね」
微笑む明美に対し、朔はひとり、そうかだから沖矢さんの傍には具象神がいなかったのか、と納得していた。本当はアメリカ国籍だというのならば、具象神が派遣されるわけがない。口元の笑みを手で小さく隠しながら明美は言う。
「私だってびっくりしたもの。滅多に笑わなかった大くんが子どもたちと一緒に遊んでニコニコしてたり、あんなにぺらぺら喋ったり。料理にも挑戦してたわね。志保にお裾分けに行くたびに駄目出しされてるみたいだけど」
「それは私も見ていました。彼なりに色々と努力しているようですね、沖矢昴として生きるために」
「ふふ、そうですね」
鬼灯の言葉を聞いて、何かを思い出したように目を細める。
「この身体になってから一度だけ、工藤邸にいる大くんの様子を見に行ったことがあるの。志保が部屋で研究している最中にね。真剣な様子で作業する彼を見て思ったのよ。『この人がいるなら大丈夫だ』『きっと志保を任せられる』って」
少し照れたように頬を掻く明美。そんな明美を見て、栞は微笑ましそうにふわふわと微笑んでいた。
「……本当に今日はありがとうございました。色々話を聞いていただいて」
不意にそんなことを言って明美は深々と頭を下げる。
「いえ、私たちは何もしていませんよ。勝手にあなたのことについて私が話していただけです。お礼を言われるようなことは何も」
「話を聞いていただいただけでも十分ですよ。皆さんと色々共有できたようで、少しスッキリしました。……これで安心して成仏出来ます」
晴れ渡る青空のような笑顔を見せて、明美は言う。その言葉を聞いて、朔は再度確認するように明美に問いかけた。
「いいんですか」
「ええ、もう十分よ。あの子の姿を見ることも出来たし」
それに、と言って明美は自らの両手に目を落とした。
「……私にはもう時間があまり残されていないようだから」
わずかに声が震えている。
……その手を見ると、うっすらと向こう側のテーブルが透けて見えた。
慌てて朔がその手に触れると、手は元通りになる。どうやら周期的に半透明になったり戻ったりを繰り返しているようだ。栞が明美の手に触れながらふむふむと呟いた。
「栞さん、明美さんは……」
「あの悪霊に与えられたダメージが予想以上に大きかったんだろうねぇ。思った以上に霊力が落ちてきてる。緊急性はないから数日は大丈夫だけど、それ以上は保証できないなぁ」
「そんな」
「これは裁判の前に、まずあの世の病院に連れて行ったほうがよさそうだねぇ」
明美をあの世に運ぶために凩を呼ぼうと急いで携帯電話を取り出すと、ずっと黙っていた鬼灯が唐突に口を開く。
「マリンさん。先ほど見せていただいた"アレ"、使い方ご存知ですか」
「……勿論だとも。私を誰だと思ってるんだい」
「栞さん。"黒馬"の知識はおありですか」
「"黒馬"? ……あー、なるほど〜 ありますよぅ。西洋魔術は一通りかじってますので〜」
「……鬼灯さん? 一体、何を」
三人が目の前で行った会話の真意を図りかねている朔の言葉を聞き入れることもせず、鬼灯は何やら考えごとをしているようだ。
そして考え事がまとまったのか、ふと明美に視線を向けて思いもよらぬことを言い放つ。
「明美さん。あの世に行く前に一度、妹さんと話してみたくありませんか?」