参拾肆 "黒馬"と、それから



 梓に早退の旨を伝え、帰り支度をして裏口から店外へ出る。そこで何も言わずに待っていた少女に話しかけた。

「遅くなってごめんね。君を連れて行きたいところがあるんだけど……いいかな?」

 朔の言葉にただ黙って頷く少女。その表情は不安と戸惑いと迷いとがごちゃ混ぜになって自分もどうしたらいいのかわからない、といった複雑なものだ。朔は優しく微笑んで、少し遠いけどついて来て、と言って歩き出す。少女は黙ったまま朔の左側を半歩ほど下がって歩き始めた。

 黙ったまま歩きながら朔は、昨晩の出来事をひとり思い出していた。


***


「明美さん。あの世に行く前に一度、妹さんと話してみたくありませんか?」

 その言葉に困惑したのは何も朔だけではない。言葉を投げかけられた当の本人……明美もまた、鬼灯の言葉の真意をくみ取れずにいた。

「えっと……話してみたいのは山々なんですけど、私の姿は志保には……」
「ええ、見えません。彼女自身霊感は多少あるみたいですが、はっきりと認識するのは難しいでしょうね」
「じゃあ一体どうやって……」
「マリンさん」

 鬼灯はさっとマリンに目配せする。マリンは懐から何かを取り出して、みんなに見えるようにテーブルの上に置いた。ちょこんと置かれたのは高さ五センチほどの小さな黒い馬のフィギュアである。

「『魔女の谷』で最近流行ってる魔法アイテム、"黒馬"だよ。鬼灯様に持って行け、ってリリスに頼まれてねえ。それで持ってきたというわけさ」
「"黒馬"……」

 小さな黒い馬をまじまじと朔は眺める。明美も同じようにそれを見つめていた。

「魔法アイテムって言ってましたけど、どういうグッズなんですかこれ」
「西洋の悪魔に、『ナイトメア』というのがいるでしょう」
「確か……悪夢を見せる悪魔でしたよね?」
「ええ。魔力によって人間に悪夢を見せるのが彼らの特技なんですが、最近その魔力を抽出する技術が開発されましてね。これはその抽出した魔力に改良を加え、馬の形にぎゅっと濃縮したものです」
「ぎゅっと濃縮」

 そこだけ聞くとなんだかサプリメントみたいだな、とぼんやり朔は思う。鬼灯はそんな朔に構うことなく話を続けた。

「まあ簡単に言うと、これを使えば『指定した人物に指定した夢をみせる』ことが可能なのです。その指定もかなり細かく設定できるため面白いと最近話題なんですよ」
「へえ、妙なもん作りますね西洋も……」
「悪かったね妙なもんで」
「実はこれ開発したのマリンさんなんですよ」
「まさかの開発者!!」

 むっとした表情を浮かべるマリンに朔は慌てて頭を下げる。そういうことは早く言ってくれればいいのに……と疲れ切った顔で朔はぼやいた。すると黙って見ていた明美がそうっと会話に参加し始める。

「あの……このグッズが、志保と話せることとどう関係するんですか?」
「ああ、そうでした。その点をまだ話してませんでしたね」

 鬼灯はコーヒーを一口飲み、カップをソーサーに置いた。

「この"黒馬"、ある裏技的な使い方がありましてね。非常に強い力が必要になりますが、その夢に誰かを直接入れることが出来るんですよ」
「……夢に誰かを入れる?」
「簡単に言えば、このアイテムを使うことで明美さんは妹さんの夢の中に直接入ることが出来る、ということです」
「!」

 鬼灯の言葉に明美は彼のやろうとしていることを察したようである。鬼灯は静かに続けた。

「場所や状況を細かく設定し中に直接入れば、話をすることは可能になります。夢の中ですから、彼女に直接触れることも可能です」

 その言葉に明美は大きく目を見開いた。そしてじわじわと安心したような笑みを浮かべる。直接話せてその上触れられると知り、その嬉しさを噛みしめているようだ。

「まあそれには栞さんのサポートも必要なんですが」
「私の魔力だけじゃ足りないかもしれんからね」
「そうか、だからさっき鬼灯さん、栞さんに使い方聞いてたんですね」
「そういうことです」

 朔の言葉を肯定する鬼灯。栞はにっこりと微笑んだ。

「"黒馬"の使い方はマリンさんから聞いたことあったので、サポートくらいなら出来ますよぅ」
「頼もしいですね」
「お任せください〜!」

 ふふんと得意げな栞。するとその流れを見ていた明美がそっと口を開いた。

「あの……私が志保と話せるように力添えしていただけるのは嬉しいんですが、どうしてそこまでしてくださるんですか?」

 明美の言葉はどこか不安げだ。朔もその言葉を聞いて確かに、と考える。ただひとりの亡者にここまで手をかける鬼灯もなかなか珍しい。何か考えがあってのことなのだろうか。

「理由は二つあります。一つは、マリンさんの持つその"黒馬"の性能をこの目で確かめるため。先ほど地獄でお見せいただいた時は話を聞くに留まっていましたから、実際使用しているところが見られればと思っていたのです。まさかこんなにすぐにその機会に恵まれるとは私も思っていませんでしたが……」

 そして二つ目、と鬼灯は言葉を切る。

「朔さんが、妹さんからの信頼を得るためです」
「哀ちゃんからの信頼?」

 思わず首を傾げる朔。明美もあまりピンと来ていないような表情を浮かべている。鬼灯は静かに補足した。

「彼女からの信頼があった方が、朔さんのこれからの回収業務もやりやすくなるでしょう」
「いや、まあ、そうかもしれませんけど……」

 朔は歯切れの悪い言葉を零す。信頼を得ることは確かに大事だ。だが、それだけのためにここまでやる必要があるのだろうか。すると栞がふわふわと微笑みながら言う。

「鬼灯様〜」
「なんです?」
「その心は?」

 唐突に言ったその言葉の意味を朔が詳しく理解するよりも前に、鬼灯は口を開いた。

「未だ謎が多いにも関わらず彼女からの信頼を得ている朔さんをますます疑いの目で見る江戸川コナンもとい工藤新一とか超面白い」
「は?」
「そのついでに安室透と沖矢昴にも更に怪しまれることになれば尚良し」
「おいコラ鬼上司」

 感情の読めない能面のような顔で一息に言い切った鬼灯に朔は思い切り言葉をぶつける。栞はそんな鬼灯を見て「やっぱりね〜」と笑っていた。

「前々から思ってたけど、あんた俺の仕事のことテレビドラマか何かと勘違いしてないか!?」
「そんなわけないじゃないですか。私はただ純粋にそうなったらいいなと」
「それが問題なんだよ!」

 敬語を忘れて朔は声を荒げた。そうだった、彼はそういう男だったと朔は目の前の男を睨みつける。鬼灯は抑揚の無い声でははははと何とも不気味に笑った。

「こら、そろそろ始めないと時間が無くなるよ」

 マリンの言葉に、ふたりはようやく我に返った。咳払いをひとつして、鬼灯は改めて席に向き直る。

「すみません。では準備を始めましょうか」


***


 それから全員で細かい夢の設定とその後の流れを決め、準備をきちんと整えた状態で"黒馬"を発動。無事に成功し、夢での再会を終えた明美は朔によって呼び出された凩に連れられてあの世へと向かった。

「次に会えるのはお盆か正月ですね、明美さん」
「楽しみにしてますね〜」
「ええ、私も楽しみにしてます」

 そんな挨拶を交わして。
 それを見届けた鬼灯とマリンもあの世からの迎えが来たようで、颯爽と帰っていった。何やら天国の方で面倒な事があったらしく、それの後始末に行くんだとか。相変わらず忙しそうだなこの人は……と思わず朔は乾いた笑みを零す。
 それから朔は一度帰宅し、軽く身支度を整えた後でポアロへ出勤。今に至るというわけである。

 隣を歩く少女は、相変わらず口を開かない。歩いている間も、電車に揺られている間も、一度も声を発することなく目的地に到着してしまった。

「やっと着いた。ここだよ」

 目の前にあるのはすっかり見慣れた喫茶店『胡蝶の夢』。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開く。独特のドアベルが鼓膜を震わせる。

「(……全く、あの人は俺の力を過信しすぎだ)」

 これからの事を思いながら、朔は内心ため息をついた。