参拾伍 絡む指先
朔が店内に入ると、哀もその後に続く。そしてぴたりと固まってしまった。
「夢で見たのと、同じ店……」
些細なつぶやきだったが、朔の耳にはばっちり聞こえている。夢の中で見た喫茶店に突然連れてこられたらまあ、驚くのも無理はないだろう。
朔は特に気にする様子も見せずに店の中を進み、迷うことなくテーブル席に腰かける。夢の中で明美が座っていた席だ。戸惑いながら哀も向かいの席へ座る。
「いらっしゃいませ〜 ご注文は?」
優しく微笑んだ女性店員にブレンドコーヒーを二杯注文する。女性店員は初めから用意していたかのように、ふたりぶんのブレンドコーヒーをテーブルに置いた。ふとその店員と哀の目が合い、そこでまた驚く。夢の中に出てきた女性店員とそっくりだったのだ。女性店員はにっこり微笑み、どうぞごゆっくり、と店の奥へ引っ込んでしまった。
「さて」
無意識に女性店員を目で追っていた哀は、ぽつりとつぶやいた朔の言葉を聞いてさっと視線を正面に戻す。朔は、そんな哀を見て優しく微笑みながら言った。
「何から聞きたい?」
朔の言葉に、哀はどこか戸惑いがちに視線を下げてまたたいた。沈黙がその場に落ちようとする。
「……そうだよね。急にそんなこと言われても、戸惑っちゃうよね」
哀の返事を待たずに、朔は少し困ったように笑って言う。哀は肯定するでも否定するでもなく、ただ黙って朔の方に視線を向けた。哀の視線が戻されたのがわかると朔は、警戒心を解きほぐすような、安心させるような声色でゆったりと続ける。
「じゃあ俺が勝手に喋るから、君はコーヒーでも飲みながら聞いててよ。お代は俺が出すから、気にしないで」
そしてまず先に自分がカップに口を付けてみせた。この方が彼女も手を付けやすいかと思ったためだ。一口飲み下し、カップを置くと一方的に喋り始める。
「俺さ、他の皆には黙ってたけど……実は霊感があるんだ」
その言葉に哀はぴくりと反応する。ほんの少しだけ目に力が入って、息を飲んだように動きを止めた。朔は様子を窺うような哀の視線に気付きつつも、特に言及することなく話を続ける。
「見えるのは勿論だけど、触れたりとか話せたりもするんだよね。だからそれを利用してちょっとした祓い屋みたいなことをしたりもしてるんだ」
実際は、胡散臭い祓い屋業務などではなく獄卒というれっきとした職に就いているのだが……真実を口にするわけにもいかず、朔は大人しく言葉を飲み込む。……全く、なんで俺がこんなこと、と内心ぼやいていた。
ほんの数時間前に同じ場所で行われた作戦会議が頭を過る。栞と鬼灯が(ノリノリで)発案した『これであの子もイチコロ! 哀ちゃんの信頼をゲットしよう大作戦』。真実に嘘を織り交ぜたその台本のワンシーンを思い出しながら、朔はひとつひとつ順を追って説明していった。
「君のお姉さん……明美さんとも、それをきっかけに会ったんだ」
不意に出た姉の名に、哀はわずかに驚きを顔に出す。
「明美さん、口を開けば君の心配ばっかりでさ。そのせいでずっと成仏出来ずにいたみたい」
成仏出来ずにいたという朔の言葉を聞いて、ずっと黙ったままだった哀は口を開く。おそるおそる、探るようにそっと。
「……本当なの? 成仏できなかった、って」
「うん。死んでから心配であの世に行けずに、ずっと君の傍に居たそうだよ」
「そう、なんだ……」
夢の中の出来事を思い出しているのだろう。顔は朔に向けられたままだが、目線が合わない。どこか上の空になっているのだろうか。朔はそっと話を続けた。
「でも浮遊霊である彼女がこのままこの世に留まり続けると、いずれ悪霊になる危険性がある。しかも、本人の意思に反してね」
「悪霊……」
「そんなの非現実的だって、賢い君は思うかもしれない。でも実は悪霊とかって、案外その辺に居るんだよ。みんなに見えてないだけで」
俺みたいに見えてる人もいるけどね。そう言って朔は自身の目をちょいちょいと指さして笑う。
「彼女も、悪霊になる前に俺が成仏させてあげることになったんだ。成仏するための儀式をする前……つまり昨日の夜だね。そこで俺が、最後に何かやりたいことはありますかって訊いたら、彼女はこう言った。『妹と会って話したい』って」
哀は黙って朔の話に耳を傾けている。落ち着いたコーヒーの香りが、ゆったりとした空間を支配している。
「だから俺は、彼女の願いを叶えてあげることにした。あるものを使ってね」
「あるもの?」
哀はきょとりとした表情のまま小さく首を傾げる。朔は優しく微笑んで、その答えを口にした。
「君、今朝夢を見なかった? お姉さんと一緒にコーヒーを飲みながら話をする夢」
「ええ……見た、けど」
戸惑いがちに哀は答える。朔はそれを聞くと、にっこりと微笑んだ。
「実はあれ、俺の仕業なんだ」
「!」
哀はわずかに目を開いて固まった。驚きと疑問がない交ぜになったような、複雑な表情である。
「……どういうこと?」
「俺が持ってる仕事道具を使って、君の夢の中に直接明美さんを入れてあげたの。方法とか、詳しくは企業秘密だから言えないけどね」
少しおちゃらけたように笑いながらしい、と口元に立てた人差し指を添える。まだ疑問を拭いきれていない様子の哀に、朔は落ち着いた様子で言葉を続けた。
「巷に出回ってる怪談とかでも結構夢が関係する話ってあるだろう? 幽霊って案外、簡単に人の夢に干渉できたりするんだよ。だから直接会って話をするっていうならこうするのが最適だろうって思ったわけさ。俺は一応その補助というか、サポートをしてたんだ。明美さん、ちょっと弱ってたから無事に成功するか不安だったんだけど……」
朔は穏やかな笑みを浮かべる。
「上手くいったみたいでよかったよ」
「じゃあ、夢の中で会ったお姉ちゃんは……」
「うん。正真正銘、本物の明美さんだよ」
それを聞いて、少女の瞳がじわじわと潤んでいく。そう、と言って小さく伏せた顔は嬉しさが隠しきれないほど緩んでいた。
「夢を見せた後、彼女は無事に成仏させた。今頃はちゃんとあの世に着いてるんじゃないかな」
俺に任せろって〜とへらへら笑う男の顔を思い出して若干不快になったが、なんとか顔には出さずに堪える。哀は何も言わずに俯いたままだ。その様子を見て、朔はちょっと不安そうに言葉を続ける。
「まあ……あんまり幽霊とか信じなさそうな君が、俺の言ったことを全て信じられないのも無理は無いけど――」
「そんなことない!」
朔の言葉を遮って、哀が思わず大きな声を上げる。自分でもそんな声が出るとは思わなかったのだろう。驚いた顔のふたりは思わず視線を交わらせる。だがすぐに、気まずそうに逸らしてしまった。
「全部信じないわけじゃ、ないわ」
たどたどしく尻すぼみに零す哀を見て、朔は少し驚いたように目を丸くした後、フッと笑みを漏らす。
朔自身は元より、信じてもらえるなんて全く思っちゃいなかったのだ。それこそ、優秀な科学者だという彼女が、霊感のある祓い屋を自称する朔の話なんて。だがそれでも、彼女は「信じないわけじゃない」と言ってくれた。
……それだけで十分、彼女からの信頼は得られているのではないだろうか。
「……そっか」
朔はそっとコーヒーカップを持ち上げる。だが口をつけるより前に、哀が話しかけてきた。
「朔さんは、どこまで知ってるの? ……お姉ちゃんと、その……私のこと」
瞳に真剣な色が帯びる。朔はそっとカップを置いて、少し考え込む仕草を見せてから言葉を選びつつ話し始めた。
「お姉さんの生い立ちと、それから死因。君については、"見た目よりも随分大人らしい"っていうことは聞いてたけど……それくらい。あんまり詳しくは聞いてないんだ。ずけずけ聞くのも不躾かと思ってさ」
「……そう」
どこか安心したような表情を浮かべて、吐息のような相槌を打つ。おそらく組織について知ってしまったかどうかとか、そんなことを危惧していたのだろうか。随分恐ろしい組織らしいしな、と数日前に聞いた話を思いだす。
まあ生憎、例のビルの一件で朔はもう組織の諸々について凩や白澤から聞いてしまっているのだが……それをこの子が知る由も無い。
「ああそうそう。明美さんから聞いたことを誰かに言いふらすつもりは勿論ないよ。幽霊から聞いたーなんて、言ったところで信じてもらえない事は明白だし」
それに、とちょっと困ったように笑う。
「霊感があるってこと、あんまりみんなに知られたくないんだ」
「……なぜ?」
「見えるだけならまだしも、話せる上に触れるんだよ? 厄介ごとに巻き込まれる気配しかない」
苦々しい表情を浮かべてため息交じりにつぶやく朔を見て、哀は「それもそうね」とくすりと笑った。
「じゃあ、私もあなたのことは秘密にしておいてあげる」
「本当?」
「ええ勿論。夢の中とはいえ、本物のお姉ちゃんに会わせてくれたんだもの。それくらいのことはするわ」
「ふふ、ありがとう。……じゃあ、お互い秘密にするってことで」
そっと右手の小指を立てた手を哀の前に差し出せば、「子どもっぽいところあるのね」と若干呆れつつも素直に応じる。
その時の笑顔がどこか彼女の姉を彷彿とさせ、朔も思わず笑みを零した。
***
「何から何まですみません」
あの世へ向かう道の途中。人ひとりが余裕で乗れる大きな狐姿に化けた凩の背に乗った明美が眉を下げながらそっと言った。
「本来なら私はもっと早くそちらに行くべきなのに、妹と話までさせてもらって……」
「いいんだよ。俺もアイツも……勿論補佐官殿たちも、迷惑だなんてちっとも思っちゃいないさ。むしろ楽しんでるくらいだよ」
明美を安心させるように明るく凩は言う。だが明美はまだどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
凩の柔らかい薄灰の毛が、ふわふわと風を受けて揺れる。背に乗る明美を考慮してか、いつもよりゆったりとしたペースであの世へ向かっていた。
「特にアイツは、お嬢ちゃんみたいな困った人に滅法弱いから、尚更な」
「……朔さんて、昔からそうなんですか?」
ふと疑問が沸いた明美は凩に尋ねる。凩はちらりと目玉を明美に向けるとすぐに前に戻した。
「いや、昔はそうでもなかったさ」
「そうなんですか?」
意外そうに目を丸くする明美。すると凩はそうだなあ、とつぶやき何かを思いついたかのようにニヤリと笑った。
「よし。あの世までの退屈しのぎに、お嬢ちゃんには特別に話してやるよ」
――アイツの知らない、アイツ自身の話を。