参拾陸 彼の知らない御伽噺



 あれは……もう何年前になるっけかな。確か千二百年前とか、そこらへんだったと思う。まあ細かい数字はどうだっていい。お嬢ちゃんが生まれるよりうんと前、きっと想像もつかないほど昔の話ってことに変わりはしないさ。

 ある日の真夜中。俺はいつものように神の遣いの修業をサボって、現世に降りては死体を探していた。

 ……神の遣いの修業? ああ、言ってなかったっけか。俺は昔、神の遣いになるための修業をしてた時期があったんだよ。とはいっても、修業なんて退屈過ぎてサボってばっかりだったんだけどな。

 死体探しはまあ……俺たちの種族、野干の特性とか習性みたいなもんだ。地獄に住む野干の中には人間の死体を主食にする奴らがわんさかいる。俺もそのひとりだったってわけさ。
 っはは、安心しな。お嬢ちゃんは別嬪さんだから、そう簡単に取って食いやしねえよ。まあ別の意味で食っても構わねえってんならこっちも大歓迎だが……話がずれてる? ありゃりゃ、釣れないねえ。

 んで、どこまで話したっけか。……ああ、そうそう。俺が現世に降りて死体探しをしていたってところだったな。
 その日降りたのは今でいう京都の山奥だった。風葬地帯として有名なあたりだったから、そこなら食っても構わない死体がわんさかあるだろうと踏んでな。案の定、死体は山の様にあった。だが大半は棄てられて数日以上たった腐乱死体ばっかりで、とてもじゃないが食えたもんじゃない。期待外れだったかと思って、若干不機嫌になりながら他に食える死体が無いだろうかと辺りを散策していたんだ。

 すると、どこからかか細い声が聞こえてきた。
 蚊の鳴くような、今にも擦り切れてしまいそうな声が。

 言っておくが、その時は真夜中。しかも新月の日だ。まだ電気なんて便利なものが無かった大昔に、月明かりも無しに山奥へ来る酔狂なやつなんざほとんどいない。いたとしてもそいつは頭のネジが飛んだ本物の狂人か自殺志願者くらいなもんだ。
 どちらにせよ、俺のような野干がいる夜の山に足を踏み入れちまったのがそいつの運の尽きってわけさ。俺は思わず舌なめずりをした。久方ぶりに新鮮な肉が食えると思ってよ。

 俺はゆっくり耳をすませ、音の出所を探った。運がいいことに、ここからそう遠くはない。足音を殺しながら慎重に近寄り、木の陰からそっと様子を窺った。だがそこには誰もいない。確かに声は聞こえたはずなのに、だ。拍子抜けした心地で目を凝らす。

 するとまあ、なんとびっくり、大木の根元に赤ん坊が放置されてたんだ。

 さっきの声はおそらくこいつだ。それならさっきの、あまりにも細い声にも説明がつく。
 俺は近寄ってそいつの様子を観察した。ぼろぼろの薄汚い布切れに包まれた、生後三日も経たねえような、本当に生まれたての男の赤ん坊。衰弱しきって今にも息絶えそうな、わずかな生命力で生になんとかしがみついているような、そんな赤ん坊だ。

 それを見て、俺は思わずしめたと思った。こいつは多分、一晩も経たないうちに死ぬ。ならその肉はありがたく俺が頂こう、ってな。……そんな目で見るなよお嬢ちゃん。赤ん坊の肉は柔らかくて美味い上にかなり貴重なんだ。ちょっとくらい喜ぶのも仕方ないだろ。
 とりあえずこいつが死ぬのを待とうと、俺は赤ん坊の正面にどかりと胡坐をかいて座った。人っ子一人いるはずのない山の中、俺は黙って赤ん坊の命が尽きるのを待っていたんだ。

 するとな、そいつ、今までずっと黙っていたくせに、俺の顔を見た途端に泣き始めたんだ。

 流石にそれには俺も驚いたよ。衰弱しきって今にも死にそうだった赤ん坊が、目の前でわんわん泣いてんだから。
顔を真っ赤にして、ぽろぽろ涙を流しながら、大声で叫んで。……まるで目の前の俺に『生きたい』って叫んでるみたいだった。少なくとも俺は、そう感じた。これでも神の遣いになろうとした身なんでね。そういうのはすぐにわかっちまうのさ。
 これがこいつにとっても最後の賭けなんだって。俺が、最後の頼みの綱なんだって。

 ――そんな姿見せられちまったらさ、応えねえわけにはいかねえんだよ。

 分かっていた。生きている現世の人間にあの世の住人である俺が下手にかかわってはいけないって。そんなことをしたら、俺自身が罪に問われるかもしれないってことも。
 でもさあ、そんなこと言われたって、どうしようもないことくらいあるだろ。……今がそれだって、俺は思ったんだ。

 俺はとりあえず、自分が覚えている限りで最高精度の蘇生術を試みようとした。だが俺が覚えてた術のほとんどが対妖怪用。人間の……ましてや体力のない幼い子どもに使えるような術ではなかった。下手したら蘇生術を使ったのに死んじまうなんてことも十分あり得る。そんなの本末転倒だ。ちっとも笑えねえ。
 どうしたもんかと思ったその時、辺りにいくつか鬼火が漂っていることに気付いたんだ。ここは有名な風葬地帯。そんなものが漂っていたって不思議じゃない。

 だがその時俺の頭にある人物の姿が映った。
 ……例の補佐官殿の姿さ。

 ん? なんであの人の姿が過ったのかって? そっか、お嬢ちゃんは知らなかったな。
 実はあの人、元人間なんだ。村人の生贄という形で幼くして亡くなり、その死体に鬼火が入ることによって鬼として生まれ変わったっていう、とんでもない経歴の持ち主なんだよ。はは、驚いたか。無理もねえ。俺も話を聞くまで信じられなかったよ。
 そう、その補佐官殿の姿を思い出して、ふと思いついたんだ。

 この辺りに漂っている鬼火を俺が術によって赤ん坊の中に取り込ませて、その上で蘇生術を試みる。
 人間の身体ではなく妖怪である鬼の身体ならば、蘇生術を無事に適用することが出来るんじゃないかと、そう思ったんだ。

 だがこの方法は同時に危険も孕んでいる。妖気をまとう鬼火と人の身体……互いに性質の違うもの同志を術によって無理やりくっつけるんだ。予期せぬ拒絶反応が起きる可能性は十分にある。
 というかそもそも、鬼火を術によって無理矢理人間の身体に取り込ませて人を鬼に変えるなんて、前例がほとんど無い。補佐官殿の場合だって奇跡に近いんだ。完全に上手くいくとは限らない。

 イチかバチか。完全に賭けだったが、俺はその賭けに乗った。
 その結果……赤ん坊は無事に一命をとりとめたんだ。

 だがその代償として、そいつの姿はすっかり変わっちまった。墨のように黒かった髪は、色素が抜けて白みがかった金色に。瞳の色も同じく色素が抜けたみたいに薄く。そして頭頂部には人外の証である、小さな黒い二本角。……ここまで言えば、賢いお嬢ちゃんならもうわかるだろ?

 ――そう、その時の赤ん坊が朔だったんだよ。

 それから俺は朔を連れて地獄へ戻り、ひとりであいつを育てた。色々大変だったんだぜ、これが。
 まあ正直、本当に面白い話はここからなんだが……時間切れみたいだな。ほら、見えるだろ? あれがこの世とあの世の境の門だ。俺の仕事はお嬢ちゃんをここまで送ること。だから話もこれでおしまいってことさ。

 ん? この生い立ちを朔自身は知ってるのかって? さあな。知らねえと思うぜ。あの時の記憶は無いみたいだし、俺自身話したことも無いからな。補佐官殿か白澤の旦那あたりに聞いてないなら、知らないんじゃねえかな。……なんで教えねえのか、か。痛いとこついてくるね。

 ……怖いのさ。

 本来人として死ぬべきだったアイツを、俺の意思で……言ってしまえば俺のただのエゴで、無理矢理身体を人外に作り替えて延命させたんだ。それを知ったら、あいつがなんて言うか。……想像しただけで恐ろしくて、仕方が無いんだよ。笑っちまうくらい単純で、くだらない理由だろ? はは、俺もそう思う。

 さて、もうそろそろ時間だ。ここからまっすぐ行けば牛頭馬頭が出迎えてくれる。後のことはそいつらから聞きな。大丈夫。きっと無事にたどり着けるさ。

 じゃあなお嬢ちゃん。俺の話を聞いてくれてありがとな。
 また今度会う時には、この話の続きを聞かせてやるから。楽しみにしていてくれよ。


***


「よう朔。どうかしたか」
『どうかしたか、じゃねーよ。お前の連絡が遅いからわざわざ電話かけてやってるんだろうが』
「おっと、そりゃすまねえ」
『しっかりしろよ。んで? 無事に送り届けたんだろうな?』
「勿論さ」
『……何笑ってやがる』
「いや、なんでもねえよ」
『気色悪いやつだな』


***


 あれから数日。
 (哀からの信頼を得たこととコナンからの疑いの視線が強くなったことを除いて)すっかりいつも通りの日常に戻った朔は、今日も今日とてポアロでの業務をこなしていた。

「表の掃き掃除してくるッス」
「ありがとう朔くん! いってらっしゃい」

 明るい梓の笑顔に背を押され、箒とちりとりを手に表へ出る。
 すると、店の窓から中の様子を覗いているひとりの人物を発見した。背丈は朔より少し低いくらい。薄く生やした髭面が特徴的な若い男である。男は何やら複雑そうな表情で店の中の様子を窺っていた。

「あの……うちの店になんか用スか?」

 たまらずこちらから話しかければ、男はバッと勢いよく朔を見る。そして驚きに満ちたように目を丸くして男はつぶやいた。

「……お前、俺が見えるのか」

 ――やっちまった、と後悔しても時すでに遅し。