酒でも奢ってあげよう



「ちょっと鬼灯様のところ行ってくるから、みんなはそのまま仕事続けててね」

 フロア内にいた自身の部下に声をかけ、文彦は頼まれていたいくつかの書類を手に鬼灯の居る執務室へと向かった。つい数時間前に現世から戻って来たのに、もう別の仕事に取り掛かってるらしい鬼灯の多忙さをそっと憐れみながら、すれ違う顔見知りの獄卒数人に軽く挨拶をしつつ目的の場所へ急ぐ。

 すると、執務室の手前……閻魔大王が裁判を執り行う場所で、鬼灯の姿を見かけた。だが大王の姿は見られない。裁判の休憩中だろうか。

「鬼灯様〜 頼まれてた書類、お持ちしましたけど……」

 声をかけつつ近寄れば、どうやら浄玻璃の鏡を覗き込んでいるようである。彼が浄玻璃の鏡を見ているのは大半が米花町関連だ。少し興味が沸いた文彦は鬼灯の背後からそっと鏡を覗き見る。
 そこに映っていたのは小さな少女と向かい合って座る友人の姿。

「……朔?」
「おや文彦さん」

 文彦のつぶやきで鬼灯も気が付いたようだ。ちらりと視線だけを文彦によこす。

「今ちょうど良い所ですよ。見ます?」
「良い所って……一体何があったんですか」

 手近にあった机に書類を置き、鬼灯と共に浄玻璃の鏡を覗き込んだ。

「紆余曲折ありまして、なんとか無事に灰原さんからの信頼を得ることに成功したようです」
「ハイバラ……この子って確か例の薬の被害者だっていう」

 記録課にある資料を思い起こしながら文彦は言う。朔からよく頼まれるせいもあってか、文彦自身も米花町の住人に関する情報は一通り頭に入っていた。

「ええ。初めはなかなか難しいかと思われましたが、なんとか」

 熱が入ったように語る鬼灯。聞けば、その作戦には鬼灯も一枚噛んでいるんだとか。色々朔も苦労してるんだな、なんて思いながら文彦は鏡の向こうを見る。少女の方を見ながら優しく微笑む朔。だがその内心では頭に叩き込んだ台本のページを繰っているのだろう。……なかなか様になっている。流石、"彼"に育てられただけのことはあるなと、文彦はしみじみ思った。

「例のお姉さんの方は?」
「私はマリンさんを見送らなければならなかったので、凩さんにお願いしています。あともう少しすればあの世につくんじゃないですかね」
「へえ」

 そうしている間にも、鏡の向こうのふたりはお互いの右手を差し出して小指を絡ませていた。和解成立、といったところか。静かにガッツポーズをしている鬼灯には気づかないフリをして、改めて持ってきた資料を鬼灯に渡す。

「そうだ鬼灯様。これ頼まれてた資料です。それからこれが、この間の天国からの脱走者の件の連絡。鬼灯様に渡してくれと言われたのでお持ちしました」
「すみません、ありがとうございます」

 軽く礼を言って鬼灯は文彦の持っている資料を受け取った。軽く小脇に抱え、天国からの連絡に目を通す。軽く目を走らせた途端、鬼灯の眉間にしわが寄った。

「また彼らですか……」
「ええ、みたいですね。これで確か3回目でしょうか」

 ため息を隠さずに文彦はつぶやく。
 ここ数ヶ月、全く同じ人物が天国から現世へ何度も脱走を試みているのだ。特に悪さをする様子も無く、ほとんど数日でお迎え課によってあの世に連れ戻されるのだが、ここまで頻繁に繰り返されると流石に何か他の対策を講じねばならないだろう。鬼灯も密かに頭を悩ませているようだ。

「それにしても珍しいですね。天国の住人である彼らが、現世へ脱走なんて」
「若くして亡くなった彼らですから、余程現世に思い入れや未練があったのでしょう。その気持ちが理解できなくはありませんが……どうしたものか」

 脱走者の名前を見ながら鬼灯はつぶやく。ここまでくれば、いっそのこと、なんてぼそぼそと独り言まで飛び出していた。そんな鬼灯を見て、文彦はふと思い出したかのように言った。

「そういえば今回はお迎え課は動かないんですか? 脱走の度に割と人員を割いていたような気がしていたんですが……」
「ちょうど繁忙期でしてね、割ける人員があまりなかったんですよ。だから朔さんにお願いしようかと」
「朔に?」
「ええ。彼ら、現世に行った際決まって同じ場所に行くんですが、そこが割と米花町とも近いんですよ」
「なるほど、そういうことでしたか」

 現世で浮遊霊の回収業務にあたる朔についでに頼んでしまおうという考えに、文彦は納得したように頷いた。

「それと」
「それと?」

 不意に切り出した鬼灯の言葉を小さく聞き返す。鬼灯は頬杖をつきながらしみじみとつぶやいた。

「あわよくば良い感じに転がってくれれば、もっと面白いかなあと」
「……」

 無表情でそんなことを言ってのける鬼灯。文彦は思わず目を細める。

(完璧に鬼灯様のオモt……面白がられてるじゃん、朔……)

 今度地獄に帰ってきたら、精一杯労ってあげよう……。
 鏡の向こう、慣れない現世で奮闘する友人に、そっと静かに手を合わせた。