伍 世にも奇妙な喫茶店



 鬼灯の後をしばらく歩いていると、辿り着いたのは一軒の喫茶店だ。名前はポアロ。外観はいたって普通のどこにでもありそうな喫茶店である。だが朔はそれよりも上階の窓に書かれた大きな文字の方が気になったようだ。

「『毛利探偵事務所』……」
「どうかされましたか」
「いや、探偵ってもっと隠れてるイメージだったものですから。こんなに堂々と事務所を構えるものなんだなーと」

 朔の言葉に納得したように鬼灯はああ、と言葉を漏らす。

「探偵はテレビドラマや小説のように華麗に難事件を解決するよりも、浮気調査や人捜しなんかが仕事としては主でしょうからね。依頼人が来なければやっていけないかと」
「そういうことですか」
「まあ、そこに居候している小学生は黙っていても殺人事件に遭遇してしまうようですから、恐らく仕事には困らないでしょうね」
「ここに住んでたのか死神小学生……」

 朔は思わず困惑した表情を浮かべた。とりあえず入りましょうかと鬼灯に促され、ふたりは店内へ入る。カランコロンと入店を告げるドアベルが鳴った。一歩足を踏み入れれば、コーヒーの独特な香りがふわりと鼻孔をくすぐる。女性店員が優しく微笑んで入店の挨拶をふたりへ投げかけた。

「二名様ですか?」
「ええ」
「それでは、空いているお席へどうぞ」

 女性店員が笑顔でふたりに言う。さて、空いてる席は……と店内へ目線を動かしたところで、朔は思わず顔をしかめて「うわ」と小さく声を漏らした。

 ――店内に溢れかえる亡者達で、席のほとんどが埋まってしまっている。

 死装束姿の者も居れば、そうでない者も居り、性別年齢も皆バラバラだ。ある者は談笑し、ある者は顔が見えないくらい俯いて黙ったまま動かない。皆思い思いに過ごしているのは普通の喫茶店と変わらないが、その前に彼らは亡者だ。本来この世に居るべきではない存在である。仕事しろお迎え課(二回目)。朔は脳内でツッコむ。

 ……それにしても、よくこれだけ亡者が集まったものだ。思わず写真を撮りたくなるような光景に、朔はただただ立ち尽くすしかなかった。

「お客様?」

 目の前の女性店員が訝し気に朔と鬼灯を見る。
 しまった、うっかり彼女の存在を忘れて店内を観察してしまった。はっとした朔は慌てて軽く謝り、辛うじて亡者が居ないボックス席に向かい合って座る。とりあえずアイスコーヒーをふたつ注文し、彼女が店の奥に行ったのを見計らってふたりは小声で会話を始めた。

「生きてる客より亡者の方が多い店なんて俺初めて見ましたよ」
「ええ、私も初めて来たときは驚きました。前回来た時よりも増えてますね」
「……俺の部屋の時も思いましたけど、お迎え課は一体何をしてるんですか」

 呆れたように言う朔に、鬼灯は静かに説明を始める。

「本来お迎え課は、茶吉尼天の"死期を感じ取る能力"を利用してお迎え業務にあたっています。ですが老衰や病死などと違って、自殺・他殺・事故死などは死期がわかりにくいらしいんですよ」
「なるほど、それでお迎え課の到着が遅れ、到着する前に霊が逃げ出すことで現世に浮遊霊が増える、というわけですか」
「そういうことです」
「でもそれにしたって多すぎますよ」
「それを回収するために貴方はこの町に来たんでしょう」
「そうですけど……」

 テーブルに頬杖をついてはは……と困ったように笑う。相変わらず周りではこの世の者ではない彼らは明るく笑って会話を楽しんでいる。……ここに地獄から迎えに来た鬼が居るなんて考えもしていないんだろうなと朔はぼんやり思った。
 こっそり聞き耳を立ててみれば「死因何? 寿命? 他殺??」なんて会話が飛び交っていた。真っ先にする質問がそれでいいのか。

「……なんか俺ひとりで出来るか不安になってきました」
「やってもらわないと困ります」

 溜息をつきながら弱音を吐く朔に鬼灯は冷静に返した。
 そのうちさっきの女性店員がアイスコーヒーを運んできたので、ふたりは軽く礼を言って受け取る。そして何か食べようとメニューを開いた。鬼灯はナポリタン、朔は大人気だというハムサンドを注文。少々お待ちくださいと女性店員はまた店の奥に引っ込んだ。
 見渡せば先ほどまで居た数人の現世の客は帰ってしまったようで、正真正銘この店の客はこの世の者でない奴らだけになってしまった。ふたりは会話をひそひそと再開する。

「このスキにここの亡者縛っちゃいましょうか?」
「いえ、店内には監視カメラがありますから、下手に不審な動きは出来ませんよ」
「そうですか……」

 でもそんなこと言ってたらここの亡者はいつまで経っても減らないだろう。どうしたものかと朔が思考を巡らせていると、鬼灯はストローを軽く噛み、ずず、とアイスコーヒーを啜った。

「そういえば、ここの監視カメラ、店員ならいつでもいじれるそうですよ」
「鬼灯さん? 急に何を言って……ああ、なるほど。そういうことですか」
「そういうことです」

 ちょっと眉間にしわを寄せて一瞬考えたような表情をすると、朔は表情を緩めてふうと息を吐いた。どうやら鬼灯が言おうとしていたことが伝わったらしい。

 リュックサックの中から一枚の紙とボールペンを取り出し、その場で何やらさらさらと記入し始めた。それを黙って鬼灯は見つめている。一通り記入し終わると、鞄の中から先ほど家で鬼灯から受け取った印鑑を押し、写真を貼り付ければ完成だ。

「鬼灯さん、こうなること分かっててさっき一度コンビニ寄ったんでしょ」
「さて、どうだか」

 ずず、と音を立ててアイスコーヒーを啜る。鬼灯の物はほとんど空に近かった。
 それから少しして女性店員がナポリタンとハムサンドを運んできたので、テーブルの上を軽く片して受け取る。どちらも美味しそうだ。頂きます、と手を合わせて、二人はそれぞれ食事を始めた。

「うまっ」

 ハムサンドを頬張った朔が思わず声を出した。
 なんだこれ、こんなの今まで食べたことない。うまいうまいとパクパク食べていたらあっという間に平らげてしまった。ありゃ、もうちょっと味わって食べればよかったな。なんて呑気に思う朔。ちらりと目線をあげると鬼灯はまだマイペースに食べていた。随分早く食べ終わってしまったようだ。

「ふふ」

 不意に笑い声が聞こえた。目の前の鬼灯のものではなく、女性の声だ。声の主を探そうと顔をあげると、数メートル離れた所に先ほどの女性店員がこちらを見てなんだか嬉しそうに微笑んでいた。
 朔と目が合うと驚いたように少しだけ目を大きくして、ぱっと口元を抑える。

「すみません、あまりにも美味しそうに食べているものでしたから、嬉しくて」

 えへへ、と少し頬を赤らめて彼女ははにかんだ。

「それ、うちのバイトが考えたメニューなんですよ。今ではすっかり人気メニューです」
「そうなんですか」

 もう一度、美味しいですと言えば、ありがとうございます、と笑った。

「この店は貴女とそのバイトの子だけでやってるんですか?」
「いえ、店長と私とバイトの子の三人です。今は私以外居ませんけどね」
「三人ですか、何から何まで全部三人でって結構大変じゃないですか?」
「ピークになった時は結構大変ですけど……何とかやってますよ」
「そうですか……ところで店員さん」

 朔は先ほど記入していた一枚の紙を取り出し、両手で女性店員に差し出す。
 それは紛れもなく、望月朔の履歴書だった。

「新しくバイトを採用するつもりはありませんか?」
「あなたを?」

 急な展開に、彼女は驚いたように朔を見た。ぱちぱちとまばたきをする。もちろん、と朔はにっこり笑って頷いた。

「彼、最近上京してきたばかりで、アルバイト先を探してまして」
「体力には自信がありますよ!」

 鬼灯が言葉を添えたのにすかさず乗っかる。土日平日問わず働けること、体力に自信があることなどを重点的にふたりでアピールしていたら、彼女はくすりと笑った。

「すっごいやる気ですね。わかりました。店長に伝えておきます。面接の日程が決まり次第連絡しますね」
「! ありがとうございます!」

 朔は嬉しそうに笑って、ぺこりと頭を下げた。


***


 お会計の際にも店員に「一緒に働けたらいいですね」と笑いかけられた。
 ポアロから家への帰り道、ふと思い出したことを鬼灯に言う。

「そういえば、今日は死神小学生には会えませんでしたね。ちょっと楽しみにしてたのに」
「まあ、平日の昼ですから。今頃学校でしょう」
「……なるほど、そういえばそうでした」
「今日会えなくてもいずれ会えるでしょうから」
「ふふ、そうですね。それまで楽しみにしようと思います」

 その日の残りは鬼灯と共に町中を歩いて亡者の散策にあたった。本当は夜中まで行う予定だったが、鬼灯に急な呼び出しがあったため止む無く夕方ごろ、(朔宅に拘束中の亡者五人と共に)鬼灯は地獄へ帰っていった。

 翌々日、朔はポアロでの面接を受け、無事にアルバイト採用となった。その時の女性店員もその場に居合わせており、「これから一緒に頑張りましょう!」と笑顔で迎えられ、朔は笑顔で頷いた。

 その後宅配業者、夜間警備員のバイトにも申し込んで見事採用となり、かくして元あの世一の雑用係は、本業の浮遊霊回収業務に加えてバイト三本掛け持ちという、忙しい日々を送り始めるようになるのである。