参拾玖 ほんの少しの懐かしさ
携帯よし。財布よし。着替えよし。そして肝心の報告書、よし。
鞄の中身を取り出して並べながら、朔は自室でひとつずつ持ち物を指さし確認していた。特にこれと言った忘れ物が無いことを確かめ、安堵のため息をついて再度鞄にそれらをしまう。
すると窓が外側からコンコンとノックされ、からりと開く音がした。部屋にやってきたのは、いつものように軽薄そうな笑みを浮かべた男である。
「よっす、迎えに来たぜー……ってあれ」
窓の鍵を閉めつつへらりと笑った着流し姿の凩は、朔の服装を見てきょとりと目を丸くさせる。
「お前、制服はいいのかよ」
「……報告書出しに行くだけだぞ? わざわざ着るわけないだろが」
「なーんだ。ちょっと楽しみにしてたのに」
ちえ、と唇を尖らせる凩を、朔はじろりと睨みつけながら鞄のジッパーを閉めた。
凩の言った制服というのは、お迎え課に支給される制服のことである。黒い着物の中にワイシャツと黒ネクタイ、その下は灰色の袴に足袋と草履という独特なスタイルのそれは、制服という概念がそもそも薄い地獄の中でもかなり異彩を放っているのは否めない。一応お迎え課に所属の身であるため朔も制服が支給されていたのだが、ただ報告書を提出しに地獄へ行くためだけに着るのは少々大げさだろうと判断したのだ。
「いいからさっさと行くぞ。時間がもったいない」
「へいへい、おーせのままに」
よっと、と軽く身をひるがえし、思わず見上げてしまうほどの大狐姿になった。黄金色の目玉がぎらりと輝く。
今にも部屋の壁を突き破ってしまいそうな大きさであるが心配は要らない。この姿は霊体であるため、現世のものに触れることができない……故に壁をすり抜けることも出来るのだ。そのうえ、現世の人間に見られるような心配も無い。まさしく彼は、地獄に帰るのにうってつけの手段というわけだ。
玄関から靴を持ってきた朔は器用に凩の背中にまたがり、いいぞと合図を送る。それを受けた凩はにやりと笑い、一気に部屋から飛び出して上空へ駆けのぼった。
耳元でうなりを上げる風の音がうるさい。あっという間に足元の建物は豆粒ほどの大きさになり、かなりの高さにいることを実感した。いくつかの雲をくぐりぬけていくと、ある厚い雲の上にある大きな閉じた門が見えてくる。あの世とこの世を繋ぐ門のひとつだ。
門の前に着陸し、凩は頭で器用に門を押し開く。ぎぎいと大きな音を立てて門は開かれた。中に入ってしばらく歩いていくと、ものの数分で天国と地獄に繋がる門が見えてきた。ちょうどそこにいた亡者たちは死ぬほど驚いている。そりゃそうかと苦笑しつつ、朔はさっと凩の背から降りた。朔が下りたのを確認し、凩は身をひるがえして再び馴染み深い人型に戻る。
「んじゃ俺は天国に用があるから」
「おーおー、さっさといけいけ」
しっしと邪険に追い払う。凩はやれやれと言った風に肩をすくめて、カラコロ下駄を鳴らしながら天国の扉へ向かって姿を消した。
「あら! 誰かと思ったら朔さんじゃな〜い!」
「ホントだわ!」
きゃぴきゃぴとした声が遠くからのしのしという足音共に近づいてくる。振り返れば予想した通り、牛頭馬頭のふたりだ。
「牛頭さん馬頭さん、こんにちは」
「こんにちは〜!」
「あらそれ、現世の洋服? この前見た時も思っていたけど、やっぱり似合うわねェ」
「ありがとうございます」
己よりも数倍身長の高いふたりに圧倒されつつも、朔は笑ってお礼を言った。
「それにしても、なんだかちょっと会わないだけで充分久しぶりな感じがしますね」
「確かに!」
「時間が経つのなんてあっという間ですもの」
ねェ?と可愛らしく微笑む馬頭。あの世に長く務めるふたりにとって、時間という概念はもはやそこまで重要なものではないのかもしれない。まあそれはあの世で千年近く働いている朔にも言えることだが。
するとその時、牛頭馬頭の目を盗んで、地獄の門へ向かう亡者のひとりがくるりと踵を返して天国の扉の方へと駆け出した。天国にさえ行ければこっちのものだとでも思っていたのかもしれない。思わずあっと朔は目を見開いて固まる。
だが次の瞬間、それに気づいた牛頭が素早く駆け出し、亡者をひっ捕らえて二つ折りにしてしまった。あまりのスピードに朔や他の亡者も言葉を失っている。フーッと鼻息を吐き出し、先ほどと同じような可愛らしい笑みを浮かべてみせる。
「あらやだごめんなさ〜い! アタシったらつい力が入っちゃって……大丈夫かしら? でも亡者ならすぐ再生するし、問題ないわよね!」
「他の人たちも、逃げようとするならこうなる覚悟で来なさいねェ〜」
周りを見回しながら煽る馬頭。その言葉に他の亡者は顔を青くして、そそくさと地獄へ続く扉へ向かって行った。一連の流れを見て流石だなあ、と朔は感心する。そしてふと我に返った。これから鬼灯に会いに行くのだ。ここにあまり長く留まるわけにはいかない。
「んじゃ俺は閻魔殿に行ってきます。ふたりともお仕事頑張ってくださいね」
「了解〜」
「朔さんも頑張ってねェ」
ふたりの言葉を聞きながら、朔は閻魔殿に続く道を進んでいった。
***
閻魔殿内。
数人の獄卒に声を掛けらるイベントを何度か発生させつつ、鬼灯の執務室へ向かっていると途中で見覚えのあるふたりを見かけた。白髪と黒髪の小鬼……茄子と唐瓜だ。そっと遠巻きに見てみると、数人の獄卒に指導しているようである。きびきびと記録室の場所や一連の仕事の流れを教えている姿はつい最近まで新米獄卒だったようには見えない。指導が終わった隙を見て、ふたりに話しかける。
「もうすっかり先輩って感じだね」
「朔さん!」
「あれ? なんでこんなところに……」
「報告書出すついでに来てみたら見かけたもんだから」
朔の言葉に納得したらしい茄子はふうんと相槌を打った。それにしても、と朔は先ほどの光景を思い出しながら言う。
「流石だね唐瓜くん。板についてきたんじゃない? 先輩」
「いや、俺なんてまだまだ……」
「そんなことないよ。俺なんかよりずっとしっかりしてるし」
「またまた」
「本当だって。自信もっていいと思うよ」
「そ、そうですか?」
へへ、と照れたように頭を掻く。確かまだ彼らは勤め始めて百年にもならなかったはずだ。それがここまできちんと新人に指示が出せるようになっているとは。
……同時期の自分自身の様子を思い出して苦い気持ちになったのはふたりには内緒である。
「じゃあ俺は行くね。あんまり無理しちゃだめだよ?」
「はい! ありがとうございます!」
「朔さんばいばい〜」
元気よく返事をする唐瓜と、のんびり手を振る茄子。相変わらず正反対で面白いなあと思いながら、朔は執務室へ再び足を向ける。
「あー! 朔さんだ!」
しばらく歩いていると、底抜けに明るい声が後ろから響いた。さっと振り返れば、そこにいたのは見覚えのある三匹の姿。
「久しぶりだねシロくん、柿助くん、ルリオくん」
犬のシロ、猿の柿助、雉のルリオ……日本人なら知らない人がいないであろう有名人、桃太郎ブラザーズの三匹だ。前に地獄でひと悶着を起こしたり色々あったが、今は鬼灯に雇われて三匹とも仲良く地獄で働いているのだ。因みに桃太郎は天国の白澤の元で薬剤師見習いとして働いている。
嬉しそうに足元に駆け寄るシロを迎えるようにしゃがみ込み、頭を撫でてやる。シロは嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振っていた。すると柿助が不思議そうに尋ねる。
「朔さん、現世に行ってたんじゃ……」
「うん。だから今日はその報告書出しに来たんだ」
「なるほど。だからここにいるんですね」
ルリオは納得したように言う。
「3人とも今日は非番?」
「うん! だから鬼灯様の所に行こうかと思って!」
「そっか。じゃあ俺と行き先は一緒だね」
ということで鬼灯の元まで三匹と一緒に向かうことになった。朔は歩きながら三匹の最近の状況を聞いてみる。
「三人とも仕事は順調?」
「ぼちぼちですかね」
「仕事にはだいぶ慣れてきたけどな」
「俺、毎日楽しいよ!」
「お前は気楽でいいなあ」
わんわんと明るく言うシロを見て、呆れたように柿助がやれやれとため息をついた。相変わらずこの三匹の会話は面白いなと朔はしみじみ思う。
「朔さんはどうですか?」
「やっぱり現世って大変?」
ルリオとシロが朔を見ながら話を振る。ここに来てもう何度か聞かれた質問に、朔は慣れたように答えた。
「大変なことも多いけど、やっぱり楽しい方が強いかな。荷物運んだりとかはこことあんまり変わんないけど……。喫茶店で接客したりとか、全然やったことないから新鮮で面白いし」
「へえ〜」
「朔さんが接客かあ」
「"イケメンウエイター"って噂の的だね!」
物珍しそうに息を漏らす三匹。最後のシロの言葉に、朔はいやいやと否定するように手を振る。
「俺なんて全然だよ。俺以上にイケメンの先輩がいるからね」
「ええ!! 朔さん以上にイケメンなの!?」
「現世ってスゲーな」
「そんな驚くことでもないと思うけどなあ」
三匹の驚きように朔は困ったように笑った。
話しながら歩いていればあっという間に執務室に到着した。三回ノックするが返答はない。おやと彼らは顔を見合わせる。
失礼しますと言いながらドアを開いて中の様子を窺うが、部屋は薄暗い。誰もいないようだ。肝心の鬼灯の姿も見えない。どうしたのだろうかと辺りを見回していると、温厚な声が聞こえてきた。
「あれ? 朔くんだ」
「閻魔大王」
執務室の向こう……裁判を執り行う部屋からひょっこり顔を出したのは閻魔大王だ。
牛頭馬頭のふたりに負けず劣らず大柄で、立派な顎髭をこさえている。彼は言わずもがな地獄の代表であり、現世でも「地獄の裁判官」として有名な人物である。現世での書物ではとても厳しい人物のように言い伝えられているが、実際はとても温厚で面倒見がいいのは獄卒内でも有名な話だ。
閻魔大王様!とシロは嬉しそうな声をあげて尻尾を振り始める。
「君確か現世に……あ、もしかして例の報告書?」
「はい。鬼灯さんは今どちらに?」
「それがね、今ちょっと烏天狗警察に行ってるんだ」
「烏天狗警察に?」
思わず反芻する。こちらに近づいてきた閻魔大王はうんと頷いた。
「何でも緊急の要件みたい」
「そうなんですか」
「その用っていつ終わるか聞いてますか」
ルリオが尋ねる。うーんと閻魔大王は顔を上げながら考え込むような仕草を見せた。
「あんまり詳しくは聞いてないけど、もしかしたらもう少しかかるかも。今日は戻って来るの難しいんじゃないかなあ」
「そうですか……。じゃあ俺はまた明日来ます」
朔がそう言うと閻魔大王はああとひとつ提案をした。
「報告書なら鬼灯君の机の上にでも置いておけば大丈夫だと思うけど……」
「いえ。それとは別に、ちょっと相談したいこともあったので」
「そうなの?」
「はい。なのでまた明日伺います」
「わかった。鬼灯君にも伝えておくね」
「ありがとうございます」
朔はそう言って頭を下げた。そこでちょうど他の獄卒が閻魔大王を呼びに部屋へ訪れる。それじゃあワシはこれで、と閻魔大王は執務室を去っていった。当初の予定が明日に繰り上がってしまったが、これくらいは何とかなる範囲である。さて、と朔は腰に手をあてながら三匹を見やった。
「じゃ俺は記録課に行くけど、きみたちはどうする?」
「どうしよっか」
「久しぶりに桃太郎のところにでも行くか?」
「いいね! さんせーい!」
「……というわけで天国まで行ってきます」
「そっか。じゃあここでお別れだね」
またご飯行きましょうね、今度は俺たちが現世に行きたい!、そんなことを互いに言い合いながら朔は三匹と別れ、記録課へと歩みを進めていった。