肆拾壱 実験台には慣れている



 鬼灯は何も言わず、黙って聞いていた。その表情はいつも通り能面のようで表情が読み取れない。
 それを続きを促していると捉えた朔は、冷静に利点を述べていく。

「確かに、彼は天国から脱走するという罪を犯しました。しかしそれは現世に残してきた友人が心配で、その様子を近くで見守っていたかった……ただそれだけなんです。それならばいっそ、現世で働かせるというのもひとつの手なのではないでしょうか」

 鬼灯の目から視線を逸らさずに説明する。彼の凍てつくような視線にはすっかり慣れたつもりでいたが、思った以上に心臓に悪い。きっとこれで納得してくれるだろうと自信を持っていたプレゼンも、彼のひと睨みで一気にありふれた面白味の無いものに感じられてしまう。だが朔はめげずに懸命に続けた。

「これは現に彼だけを特別扱いしろということではありません。いずれは天国にいる他の亡者にも適応できるのではないかと俺は考えています。天国にいて現世の家族に会いたいと思っている亡者を現世で働かせる。そうすれば彼らは家族に会うことができ、我々は現世業務を行う人手を確保できる。互いに利益を得ることができます。その試験導入として、彼は最適な人材ではないでしょうか」

 あの夜、生前のことを告白してきた彼の表情が思い起こされる。彼のためにも、自分は何としてでも目の前の男を説得せねばならない。ぐっと拳を握りこむ。

「彼は天国行きを言い渡された……しかも生前は例の組織に潜入を任されていたほどの優秀な警察官です。彼が、こちらの不利益になるようなことをしでかすとは到底思えません。その上現世の知識も土地勘も俺以上に持ち合わせているとなれば、現在ふたりでこなしている浮遊霊回収業務の効率も格段に上がるでしょう」

 静かな執務室内に朔の真剣な声だけが響いている。この思いが伝わるように、朔は懸命に言葉を紡いでいく。

「……もし万が一、彼が何か問題を起こした場合の全責任は俺が取ります」

 ですから、と言葉を切った。

「鬼灯さん。どうか彼を俺の部下にさせてください」

 朔は迷うことなく深々と頭を下げる。
 それからしばらくの間、ふたりの間に沈黙が訪れた。部屋の外から、他の獄卒達の雑踏がぼんやりと聞こえる。この永遠にも感じられる沈黙が破られるのを、朔は逸る心臓を押さえつけながら待っていた。

 どれくらい経っただろう。不意に、鬼灯が口を開いた。

「頭を上げてください」

 鬼灯の言葉に、朔はおそるおそる頭を上げる。鬼灯の表情は頭を下げるよりどこか険しい気がした。鬼灯はその表情のまま、朔の提案に返答する。

「朔さん。分かっていると思いますが、本来こういったことは私やあなただけの判断で決めることはできないんですよ。浮遊霊回収係だって、十王と各補佐官、それからお迎え課の茶吉尼天に話をきちんと通したうえで設置したんです」

 鬼灯はまるで諭すような、それでいて責めるような口調で言った。淡々と並べられる言葉を、朔は黙って聞いている。

「それくらい、新しいことに対する決定というのは手順と段階を経ていくものなのです。あの浮遊霊の彼に何を説得されたのかは知りませんが、あなたにお願いされたからはいそうですか、と軽はずみに決定できるようなものではないのですよ」

 この口ぶりは……提案を受け入れてもらえそうも無いな。真正面から突き付けられる正論に、朔はどうすることも出来ない。ぐっと唇を引き結び、わずかに表情を強張らせる。その様子を見て、鬼灯は息を吐きながら付け加えた。

「まあ……私個人としては、とても理にかなったいい提案だと思うんですが」

 そこで鬼灯は唐突に視線を朔から外し、ぐるりと振り返った。
 それにつられるように朔も視線を動かして……思わず目を見開く。

「皆さんはどう思いますか?」

 鬼灯の視線の先には、壁に設置された大きな画面が居座っている。
 十分割された画面には、各庁の大王と補佐官達が顔を見せていた。その中のひとつにはちゃっかり鬼灯と朔の姿も映っている。

『提案としては悪く無いと思います』
『ただ、これから本格的に始動した際の給与の財源が心配ですな』
『まあそれは追々決めていけばよいでしょう』
『テストケースとしては確かに、彼ほどの適任はいないでしょうなあ』
『現世への脱走に関してそろそろ対策を考えねばと思っていたところですし、ちょうど良いかもしれません』

 画面の向こうの十王の面々は次々に意見を寄せた。話が全く飲み込めない朔はぽかんと間抜けな表情を浮かべたまま、まばたきを繰り返している。
 肯定的な意見が集まる中、鬼灯が声を上げる。

「では皆様、彼の提案は前向きな方向で検討するということでよろしいでしょうか」

 十王の面々は各々で頷いた。それを見て鬼灯は目を細める。

「わかりました。それでは皆様、貴重なお時間頂きありがとうございました」

 鬼灯が深々と一礼するのにつられて、朔も慌てて頭を下げた。それから程なくしてぽつぽつと中継が途切れる。全員の映像が途切れたところで、鬼灯は手元のリモコンで電源を落とした。
 朔は早速、鬼灯に疑問をぶつける。

「……なんですかこれ」
「会議用のライブ中継です。今まで十王の会議となると移動や場所の確保が手間で、どうにかできないかと考えていまして……。そこで現世のテレビでふと、会議のライブ中継を導入している企業を取り上げていたものですから」
「なるほど……」

 朔は改めて画面を見る。部屋に入ってくるときには鬼灯ばかりに気を取られて全く気が付かなかったが、食堂にあるテレビと同じくらいの大きさはあるようだ。上の部分にはカメラが埋め込まれている。これでこちらの様子を映すのだろう。

「技術課に作ってもらったばかりでまだ改良を加えている段階なんですよ」
「そうだったんですか」

 へえ……と朔は感心するように息を漏らした。さて、と鬼灯は言葉を切る。

「十王の皆様の賛同も無事に得られたことですし……朔さん、あなたに亡者・諸伏景光を部下にする権利を与えます。正式な書類などはこれから作成しますので、ひとまず部下(仮)といったところですが」

 鬼灯の言葉に、朔の表情がぶわりと明るくなった。大きく目を見開き、それから感激をありありと噛みしめるように微笑む。そしてがばりと勢いよく頭を下げた。

「鬼灯さん……ありがとうございます!」
「いえ。その代わり、きちんと働いてもらいますからね。彼にもそうお伝えください」
「はい!」

 朔は威勢よく頷いた。その様子を見て、鬼灯はそっと目を細める。

「話は以上です。詳しいことは決まり次第また連絡いたしますので」
「わかりました」

 もう一度頭を下げてから朔は鬼灯に背を向ける。すると、鬼灯が思い出したかのように朔を呼び止めた。

「あ、朔さん。もしかしてお帰りですか」
「はい。話がつき次第、現世に戻ろうかと……もしかして、何かありましたか」
「ええ。あなたに渡したいものが」

 少し待っててくださいね、と言い残して鬼灯は執務室を後にする。
 しばらくして戻ってきた鬼灯の手を見て朔は目を疑った。

「き、金魚草……?!」
「昨日咲いたばかりのものです。この子が一番生きがいいんですよ」

 風呂敷につつまれた鉢植えと、そこに咲いた十センチもない真っ赤な金魚を見ながら朔は口の端を引きつらせる。

「これが俺に渡したいもの、ですか?」
「はい。以前から、金魚草を現世の環境下で飼育したらどうなるのだろうと考えていたもので……それで、朔さんにお願いしようかと。飼育方法はわかりますよね」
「まあ一応……」

 以前に鬼灯から世話を頼まれた経験があるため、一通りの飼育方法は頭に入っていた。風呂敷を受け取りながら朔は素朴な疑問を口にする。

「こういうのってホイホイ現世に連れてっていいんですか?」
「そういうのを見極めるためにあなたがいるんでしょう」
「また実験台か……」

 なんとなく鬼灯の扱いに慣れてきてしまった朔はため息交じりに言う。だが対する鬼灯は(金魚草がらみともあってか)真剣そのものだ。

「これから一日一回の報告と共に、金魚草の経過報告も写真付きでお願いします。あなたの報告に学会の命運がかかっていますから、そのつもりで」
「そんなたいそうなもん、一介の平獄卒に背負わせんでくださいよ……」

 じっとりと向けられる金魚草からの視線になんとなくげんなりしながら、朔は苦々しい表情を浮かべた。
 すると、何者かが執務室の扉をノックする音がする。鬼灯がどうぞと促すと、扉が開いた。カランコロンと下駄の音を鳴らしながら、ひとりの男が入ってくる。

「おーい朔、終わったか? 迎えに来たぜ」

 薄灰色の髪の毛を揺らしながら、凩はヘラヘラと笑った。一瞬嫌そうな顔をしつつも、朔は凩に尋ねる。

「お前……呼んでもねえのによくここがわかったな」
「そこんとこ偶然通りかかった文彦に教えてもらったんだ」

 凩の答えになるほどなと朔は納得する。すると凩は朔の手に持った風呂敷包みを見て興味深そうに顔を寄せた。

「ん? なんだそれ……金魚草?」
「現世での研究のためにって貰ったんだよ」
「ほおー、なるほどな」

 おぎゃあぁと小さく鳴く金魚草に、凩は目を細めて歯を見せるように笑う。

「用事は済んだか? なら帰ろうぜ」
「ああ、わかってる。鬼灯さん、じゃあ俺たちはこれで」
「ええ。お気をつけください」

 互いに挨拶をして、朔と凩は執務室を後にした。それと入れ替わるように烏頭がよ、と軽い挨拶をしながら室内に入ってくる。

「どうよ、モニターの調子は」
「悪くありませんね。すぐにではなくて構いませんので、他の十王の方々にお配りした分も一応確認してください」
「あいよ」

 書類仕事を再開し始める鬼灯を見て、烏頭はそれにしてもよ、とポケットに手を突っ込みながら言う。

「前々から決まっていたとはいえ、こんなに急に設置する必要あったのか? これ」
「まあ、色々とありまして」

 鬼灯は書類にペンを走らせるのを止めずに言った。

「彼が私に脱走者に関して提案しに来るのは浄玻璃の鏡で見てましたので……流石にこれは、私の一声で簡単に判断できるものでもありませんでしたから、この件を試運転にするのも悪く無いかと」
「ほーん」
「それに」

 鬼灯はペンを止め、ぱらりと紙をめくる。

「私好きなんですよね。彼の驚いた顔」
「ただそれだけのために俺たちを働かせんな」

 このサイコパス鬼神が、と烏頭は呆れ顔でぼやいた。


***


「朔くんおはよう」
「おはようございます、梓先輩」

 開店前の店内で、慣れたようにふたりは挨拶を交わす。

「昨日は確か、実家に帰ってたんだよね? 楽しかった?」
「はい、思いっきりリフレッシュ出来たッス。なので今日からまた頑張りますね!」
「ふふ、頼もしいなあ」

 くすりと梓は笑った。