肆拾弐 まさか口を開くとは
「ありがとうございました。いつもお疲れ様です」
贔屓にしているごみ処理業者のひとりに朔は笑顔で挨拶をする。回収車を裏口で見送り、さてと朔は腰に手を当てて意気込んだ。だが次の拍子にふああ、と欠伸が漏れる。昨晩はあの世に行きたがらない浮遊霊との戦いに苦戦を強いられて、結局睡眠時間が短くなってしまっていたのだ。もうしばらくはああいうタイプの浮遊霊は御免被りたい。
手を洗ってからまたホールの仕事に戻るか……。そう思って足先を店に向けたその時。
「にゃあ」
ふと足元から鳴き声がした。
視線を下げると、そこには小さな訪問者が一匹。途端に、沈みがちだった朔の表情がぱっと明るくなる。
「お前が最近よく店に来てるっていう『大尉』だな?」
やっと会えたな、と朔は微笑む。梓からここ最近野良猫が店に寄るようになったという話を聞いてはいたが、なかなかタイミングが合わずに今日までお目にかかることができなかったのである。当の本人である大尉はといえば、くりっとした大きな目をぱちぱちとまたたかせながら朔のことを見上げていた。
「ちょっと待っててな、今ご飯持ってきてやるから」
そう言ってから朔はいそいそと店の中に戻り、手を洗ってから大尉用の皿と牛乳を手に取った。再び裏口に戻り、皿を地面に置いてから牛乳を注いでやる。ある程度注ぐと、大尉はチロチロと舌を使って器用に飲み始めた。
「可愛いなあ」
朔はニマニマと笑みを浮かべながら大尉の頭を撫でてやる。小動物に惹かれるのは鬼も人も変わりない。
大尉は朔に触れられた途端、弾かれたように顔を上げた。朔と目を合わせた次の瞬間。
「なんだ。オマエ、人間じゃナイのか」
――少し癖のある日本語が聞こえた。
朔は思わず耳を疑った。目を丸くして撫でる手を止める。
もし今の自分の耳が間違っていなければ、目の前の大尉が喋ったように聞こえたのだが……。
と、そこまで考えたところで、頭を押さえながら自身の考えをすぐさま打ち消した。
「……いやいやいや。まさか、猫が喋るなんてそんなことあるはずが」
「オイ手を退けろ人外。ボクに気安く触るな」
「幻聴じゃなかったぁ!!」
ばっと手を退けて後ずさる。大尉はといえば、ぺろぺろとマイペースに毛づくろいをしていた。急な展開に戸惑いを隠しきれない朔はと言えば、恐る恐る目の前の大尉に尋ねる。
「えっと……君は一体……?」
「見てわからナイか? ……って今はフツウだったな。チョット待ってろ」
その揺れる尻尾がふわりと先から二又に分かれ、あっという間に二本になった。それを見て朔は思わずあっと声を上げる。
「猫又!?」
「そう。ボクは現世に住んで三百年の、自由気ままな猫又サ。フダンは色々と不便だからフツウの猫に化けてるけどネ」
ニヤリと笑って大尉は言う。猫にしては随分と人間味を帯びた笑みであった。
「現世に住んで三百年……っていうと、江戸のころからか」
「アアそうとも。あの頃からモウ随分経ったねェ」
昔を懐かしむようにスッと目を細める。
「主人を変えてのらリくらリ……そうしたらいつの間にか三百年さァ。名前もたくさん付けてもらったし、こう見えて目イッパイ可愛がってもらってた。マ、最近は野良同然だったケドね」
「野良同然……ってあれ、首輪?」
そこで朔はようやく、大尉が金具のついた首輪をしていることに気付く。
「家に帰らなくていいのか? 飼い主が心配してるんじゃ……」
「心配はしてるだろうケド……」
うーんと考え込むように丸くなる。
「あのヒトは、ボクが一緒に居てもツライだけだと思うんだよなァ……」
ぱたりぱたりと二本の尻尾が揺れる。朔は大尉の言っている意味がいまいち理解できなかった。飼い主が居るのにも関わらず帰らないとは、一体どういうことなのだろう……。
すると大尉はさっと話題を逸らした。
「それで君はなんだィ? まさかボクと同じ猫妖怪だってワケじゃないだろうな?」
「俺は朔。地獄の鬼獄卒だよ。色々あって今は現世で暮らしながら仕事をしてるんだ」
「現世住まいの鬼獄卒、朔……アア、凩のダンナの!」
名前を聞くなり、大尉は目を丸くしながらぴんと耳を立てた。そして朔の顔をじろじろと覗き込みながら「へえ、キミがそうだったのか」とブツブツつぶやく。
「凩を知ってんのか?」
「知ってるも何も、彼はここいらじゃ有名だよ。最近この辺りに顔を出し始めたのに、妙にヨーカイ達と仲良くなるのが上手いんだ。よくフラフラ現れては世間話ついでに『浮遊霊見かけたら捕まえといてくれ』って言ってくンだよ。『これが俺の仕事だから』ってネ」
「へえ、あいつも意外と上手くやってんだなあ」
朔は感心したように言う。運び屋みたいなもんだと自身の立場を揶揄していたわりに、意外とちゃんと回収の仕事もしていたらしい。しかも現地の妖怪たちのツテを利用して、というのがまた凩らしいなと朔は珍しく凩のことを見直していた。
「でもなんで凩と俺が結びつくんだよ」
「凩のダンナがするのさァ、『俺の可愛い鬼獄卒の息子も現世で働いてる』って自慢話をナ」
「あいつ……」
軽薄な笑みが頭に過り、妙に癇に障る。折角見直したというのに、また株価は暴落したようだ。
わずかに不機嫌さが顔に出てしまった朔を見ながら、大尉はぽつりと言う。
「フト気になったんだが、キミって凩のダンナと血の繋がりがあるのかイ?」
「無いよ。あいつがそう言ってた。両親はいないけど、俺はちゃんと純粋な鬼だって」
「ふうン……」
朔の返答を聞いて、大尉はどこか考え込む様子を見せる。それに違和感を覚えた朔は、何ともなしに問いかけた。
「それがどうかしたの?」
「いや、別に何でもナイ。気にすルな」
「なにそれ。逆に気になるんだけど……」
そこでふと、思った以上に大尉と話し込んでしまったことに気付いた。
「おっといけない。思ったより時間たっちゃった。俺はそろそろ戻るね」
「そうなのかィ。あ、それじゃあヒトツだけ頼み事」
「頼み事?」
なんだろうと朔は伸ばしかけた膝を再び曲げる。すると大尉は真剣な表情で言った。
「そろそろ牛乳じゃ飽きてきたカラ、たまには他のものもくれってアズサに伝えといてくれ」
「なんじゃそりゃ。俺にそれをどう伝えろってのさ……でもまあ、一応提案してみるよ」
苦笑しながらも立ち上がり、店の中に戻る朔の背に頼んだよ、と大尉はひと鳴きした。
ひとり残された大尉は、尻尾を一本に戻しながらぼんやりとつぶやく。
「純粋な鬼……にしては、妖気がズイブンと人間寄りな気がしたンだよなァ」
まあそんなやつもいるかと、大尉は呑気に欠伸を零した。