肆拾肆 ひとりと一匹、蹴っ飛ばす扉
コナンの言葉を聞いた哀は、思わず目を丸くする。
「暗号って……」
「一体どうやって?」
朔の言葉にコナンはレシートを見せながら、いい?と説明し始めた。
「光彦が持ってたタクシーのレシートは感熱紙。インクじゃなくて、熱で黒く変色させて文字を書いてるんだ。感熱紙の表面には黒い色の元となる薬と発色剤っていう酸性の薬が塗られてて、発色剤が熱で溶けてもうひとつの薬に反応し、黒い文字を浮き出させるって仕組みさ」
コナンの説明に周りの全員がふむふむと聞き入っている。子どもたちはすべて理解しているわけではないだろうが、彼の説明はとても分かりやすかった。
「んで、元太が持ってたかゆみ止めに含まれているアンモニアは酸性を打ち消すアルカリ性だから、そいつをめん棒につけてレシートに表示されてる『card』のaの上の部分をなぞると……」
説明しながら実際にめん棒をレシートの上に滑らせる。すると、黒かった部分がまるで初めからなかったかのように消えてしまった。
「す、すごい! aがoになりました!」
「ほんとだ!」
「よく知ってるねこんなこと……」
「スゲーなコナン!」
子どもたちや朔の賞賛を浴びながら、コナンは作業を続けていく。『Card Purchases』の一部を同様に消していき、『Copse』という文字を作った。仕上げにこの冷蔵車のナンバーをカード番号等を使って表せば、「この車は死体を載せている」と伝えるための暗号の完成である。
「んで、これをくしゃくしゃにして大尉の首輪に挟んでおけば、たとえ大尉が奴らに捕まってレシートに気付かれたとしても、ただの印刷ミスか何かに擦れて字が消えたと思うくらいだろうぜ」
「なるほど……」
「これなら完璧だな!」
希望が見えてきた子どもたちは顔を見合わせながら言う。あの哀ですら「流石ね」とコナンを称えていた。
すると程なくしてブレーキ音が聞こえる。いよいよトラックが停止するようだ。大尉を抱きかかえたコナンが真剣な表情で言い聞かせる。
「いいか大尉。俺たちの命運はオメーにかかってんだ。この任務をしっかり遂行するんだぞ!」
その真剣な様子におされたのか、大尉は戸惑いがちににゃあと鳴いた。ここまで言い聞かせれば確実に大丈夫だろうと朔は内心考える。そして大尉をそこに残し、残りは全員物陰に隠れた。
ロックを外す音がして、ぎいと扉が開かれる。すると、業者のひとりが驚いたように声を上げた。
「ね、猫! 猫がコンテナの中に乗ってるぞ!」
「さてはお前が開けっ放しにしてた時に忍び込みやがったな?」
「じゃあやっぱりさっきの鳴き声は、この猫の……」
業者ふたりの会話を物陰で息をひそめて聞いていると、大尉の暴れるような鳴き声がしたのち、業者の男がん?と何かに気付いたような声を出した。
「首輪に紙が……レシートか」
「何?」
その言葉に一気に緊張が走る。まさかバレやしないだろうなと内心ひやひやだ。その直後、大尉のひと際大きな鳴き声と、業者の男の叱る声が聞こえてくる。どうやら無事に大尉は脱出できたようだ。
それから業者のふたりは荷物を運び出し、再び扉を閉めた。ガチャリとロックをする音を聞いたのち、一同はほっと胸をなでおろす。
「後は大尉に託しましょう」
「そうだな」
「うん」
子どもたちはどこか不安そうにつぶやいた。朔は彼らの不安を紛らわすように大丈夫だよと言いながら頭を撫でてやった。
「あの子は賢いから、ちゃんとポアロについてあの暗号を届けてくれるって」
「そうですね……」
「きっと大丈夫だよね」
「おう」
子どもたちの表情が少しだけ表情が晴れる。その隣で哀とコナンが何やらひそひそと会話をしていた。あまり聞かないようにしていたつもりだったが、出来のいい耳は自然と断片的なワードを拾ってきてしまう。それから判断するに、あの暗号が安室に渡ってしまうことを哀は不安がっているようだ。組織の一員であるということしか知らない彼らにとって、安室は警戒すべき人物なのである。
「(先輩は本当は警察官だから大丈夫だよ、なんて言うわけにもいかないしなあ……)」
この件に関してどうすることも出来ない朔は、ひとり知らないふりをした。
***
「まさかコンナ、責任重大なヤクメを押し付けられるとは」
誰もいない道を歩きながら、大尉はひとりつぶやく。その首輪には先ほど子どもたちが作った暗号レシートがしっかりと挟まっていた。早くこれをポアロまで届けなければ、彼らの命はない。徐々に下がる子どもらの体温を思い出しながら、大尉は目を細める。
「マッタク……」
塀の上から他所の家の庭、抜け道という抜け道を駆使して、ようやくポアロへとたどり着いた。表には誰もいない。早く自分に気付いてほしくて、にゃあにゃあといつもより大きめに鳴いてみると、すぐさま梓が顔を出した。
「あら大尉、今日は遅かったわね」
にっこり微笑む梓に、にゃあともうひとつ鳴けば、ちょっと待っててねと言って店に引っ込んでしまった。しばらくして餌を小皿に入れて戻って来る。たんと召し上がれ、という梓の言葉に大尉はありがたく皿に口を付けた。気付いてくれ、という願いを込めて、いつもより少しゆったりと餌を頬張る。
「あれ? なんだろう、首輪に……」
そう言って梓は大尉の首輪からレシートを抜き取った。よし、と大尉は内心喜び、これで仕事は終わったとばかりに餌を食べるペースを上げる。梓がしげしげとレシートを見ていると、ドアベルを鳴らしてもうひとりの店員……安室が姿を現す。それと共に、浮遊霊の諸伏もひょっこりと顔を出していた。
「梓さん、マスターが呼んでますよ」
「あ、はい」
会話する安室と梓の傍らで、大尉に気付いた諸伏はわずかに顔を明るくした。しゃがみこんで優しく頭を撫でる。
「今日も来たのか大尉〜」
「アア。だが今日はちょいと訳アリなんだ」
傍にいるふたりに聞かれないよう、小声で言葉を交わす。数日前に店で知り合ったふたりは、朔を通じて互いにこの世の存在ではないと知るや否や、顔が会えば挨拶を交わすくらいの仲になっていたのだ。大尉の訳アリという言葉に、諸伏は首を傾げる。
すると傍らにいた梓がそういえば、と何か思いついたかのように話し始めた。
「安室さんって探偵でしたよね?」
「え? ええ、まあ……」
「じゃあこれってなんだかわかります?」
そういってレシートを差し出した次の瞬間、びゅうとひと際強い風が吹いてレシートが飛ばされてしまった。
それを見た大尉はにゃあ!と思わず大声で鳴く。あれを届けるために来たのに、飛ばされてしまっては元も子もない。その様子を見た安室が梓に尋ねる。
「今の何だったんですか?」
「いえ、なんでもないです」
「そうですか……」
そう言いながら安室と梓は何事も無かったかのように店に戻ろうとする。待ってくれという意味を込めてにゃあともう一度鳴いたが、「餌はもう終わりよ」と見当違いなことを言いながら、ふたりは店の中に入っていってしまった。
「ど、どうしよう……」
「結局なんだったんだ? あれ」
狼狽する大尉に諸伏は尋ねる。大尉はここに至るまでの経緯を手短に説明した。すべて聞き終えた諸伏は難しそうな顔をする。
「これは確かにまずいな……」
「ナンとかして、あのレシートを探して彼らに見せナイと」
「そうだな。とりあえず、風の吹いていった方向を探してみよう」
そう言って彼らは急いでポアロを後にした。
***
未だ走り続けるトラックの中、朔と探偵団一行は身の縮むような寒さをなんとか耐え忍んでいた。
大尉を送り出してから何度かトラックは停車したが、一向に助けが来る気配は見えない。歩美は不安そうにコナンに言う。
「やっぱりあの暗号、難しすぎたのかな」
「もしくは、途中で首輪から暗号の紙が外れてしまったか……」
「それよりどうするの? 配達する荷物が減って、隠れる場所が無くなってきてるわよ」
哀の言葉に周りを見回すと、確かに荷物は当初より明らかに減ってきており、身を隠せるような場所が段々と無くなって来ていた。そろそろ限界が来ているのを感じる。
こうなったら次に扉が開いた時にふたりとも制圧してしまおうか、と朔は考えたがすぐにその考えを打ち消した。いくら鬼と言えど、身体が芯から冷え切ったこの状態でどれだけ俊敏に動けるかどうか……。それに、万が一相手が武器を所持していた場合、子どもたちに危険が及ぶかもしれない。それだけは本当に避けたかった。
やはり助けを待つしかないか……そう思い再び膝を抱え直したその時、歩美が心配そうに声をかけた。
「光彦くん、さっきから黙ってるけど大丈夫?」
「ええ……何とか寒さは乗り切れたみたいです……すっかり震えも止まりましたし……」
その言葉を聞いて、周りのみんなはハッとしたように光彦を見る。光彦の目は虚ろで、唇は完全に紫色だ。声にも覇気がない。八寒地獄で遭難しかかった経験を思い出した朔は、心配そうに言った。
「ねえ、それって逆にやばいんじゃ……」
だがそれをすべて言い切る前に、光彦の身体がぐらりと揺れる。
そしてそのまま、ごろりと床に転がってしまった。
「光彦!」
「光彦くん!」
思わぬ展開に、その場の全員が戦慄した。コナンがライトで光彦を照らし、容体を確認する。
「低体温による意識障害だ。しかも指先が紫色に変色して、凍傷になりかかってる!」
「嘘!」
「光彦……灰原に上着貸してシャツ一枚だったからな」
「光彦くん……!」
何度も声をかけるが返事は返ってこない。朔は居てもたってもいられず、着ていたパーカーを脱いだ。
「とりあえず彼の身体を温めなくちゃ。これを着せておけば、多少はマシになるかな」
「え、でも朔お兄さんが」
「大丈夫。一応下にシャツ着てるし、俺寒さに強いから。それに、こう見えてこのニット帽結構温かいんだ。だから心配しないで」
「う、うん……」
不安そうな歩美を落ち着けるように朔は笑った。ほらみんなもこっちおいで、といいながら子どもたち全員を手の届く範囲に集めた。まとめてぎゅっと力強く抱きしめれば、うわ!と子どもたちに驚かれる。
「こうしてくっついてた方が熱も逃げにくいだろう?」
「そうね……」
「おしくらまんじゅうみたい!」
「おしくらまんじゅう……まんじゅう……ああ腹減ったな……」
「元太、オメーってやつはこんな時まで……」
その場の雰囲気が少しだけ明るくなる。
早く光彦が目を覚ますようにと願いながら、朔は抱きしめる腕の力を強めた。
***
「そっちは見つかったか!?」
「いンや、何も」
大尉の答えを聞いて、諸伏はそうかと肩を落とす。飛ばされたレシートを探し始めて早十数分。一向にレシートが見つかる気配はない。周囲を見回しながら諸伏はおかしいな、と頭を掻く。
「多分こっちのほうに飛ばされたと思ったんだけど……クソ、やっぱゼロみたいに上手くはいかねーな」
「もしかして、ドコかに引っかかっているんじゃナイか?」
「うん。もしかしたらそれもありえるかも」
もう少し範囲を拡大して調べてみようかと思った矢先。ふと大尉は電柱の周りに何かが吹き溜まっているのを発見する。それらに近づいてみると、何かの紙切れのようだ。もしやと思って前足で捕まえ、中を確認する。
「あった!」
それは紛れもなく、探し求めていたレシートだった。その言葉を聞いて、思わず諸伏はガッツポーズをする。
「あとはポアロに戻って、これを急いでゼロに届けよう」
しっかりとレシートを口に銜え、大尉は頷く。
さてポアロへ向かおうかと足を向けたその時、遠くの方から誰かが走ってくるのが見えた。それは紛れもなく安室である。ゼロ!と嬉しそうに諸伏は言う。安室は真剣そうな顔をして何かを探しているようだった。もしやと思い、レシートを咥えたまま大尉が近づく。大尉に気づいた安室はその口に銜えたレシートを見て、はっとしたような顔をして受け取った。
「探してくれたのかい?」
肯定の意味を込めてにゃあ、とひとつ鳴く。
すると安室はふっと柔らかく微笑んで大尉の頭を撫でた。
「ありがとう」
その感触に、大尉はふと既視感を覚える。
その正体を探っている間に、安室はレシートを見て何やら考え込むような仕草を見せた。そしてしばらくすると、ニヤリと得意げに笑う。タッと駆け出す安室を諸伏は慌てて追いかけた。
「じゃあな大尉!」
返事の代わりににゃあとひと鳴きする。
そしてそこでようやく、先ほど感じた既視感の正体に気が付いた。
「……似てるんだ。"アノ子"と」
***
身を寄せ合いながら懸命に光彦に声をかけ続けること数分。
努力が実を結んだのか、呻き声を漏らしながらうっすらと光彦が瞼を持ち上げた。それを見た子どもたちが安心したように表情を明るくする。朔もほっとしたように息を吐いた。
「起きた!」
「よかった、意識が戻ったんだね」
「あ……? ぼく……」
ぼんやりとした調子でつぶやく。まだ意識がはっきりしていないためか、状況がよく分かっていないようだ。すると、光彦の背後にいた哀が申し訳なさそうに言った。
「悪いわね、私の生でこんな目に合わせちゃって……」
「ぅえ!?」
「じっとしてなさい、今温めてあげるから」
そうして哀は光彦にさらに密着する。その言葉を聞いて一気に意識を覚醒させた光彦は、恐縮です!とどもり気味に言った。心なしか顔が赤い。元気を取り戻したようでよかったと、朔は心の底から安堵した。
「でも光彦がこんな状態じゃ、逃げるに逃げられねえな」
「くそー、本当だったら博士の家でうめーケーキ食べてるはずだったのによ……」
悔しそうに元太がつぶやく。話を聞くと、横浜から注文したケーキが届く手はずになっていたらしい。へえ、と朔が相槌を打つと、何かに気が付いたようにコナンが哀に問いかける。
「博士んちに届くケーキって、横浜の店からか?」
「ええ。私たちの帰宅に合わせて時間を指定したらしいけど、今日は私たち学校の都合で早く帰ってこられたから……」
そこまで聞くと、コナンは朔の腕の中から抜け出し、何かを探し始める。あんまりいじるとバレてしまうのではないか、という指摘は気にも留めない。しばらくして目的の物を発見したのか、ニヤリと笑って言った。
「あったぜ! 博士んちに届くケーキ!」
ケーキがあったと聞いて元太が黙っているはずがない。ケーキに近づきながら「今食べるのか?」とワクワクした様子で尋ねる。だがコナンはそれをきっぱり否定した。
「今度はこいつにメッセージを仕込むんだよ。光彦が持ってたこのボールペンと、歩美ちゃんが持ってためん棒を使ってな」
得意げに言うコナンに対し、他のメンバーはあまりピンと来ていない。どういうことだろうと思わず互いに顔を見合わせた。真っ先に口を開いたのは朔である。
「荷物に何か書くつもりだったら止めた方がいいと思うよ? もしもあのふたりに気付かれたら」
「それに、博士がそのメッセージにすぐ気づいてくれるといいけど……」
「大丈夫! すぐに気づいてくれるさ。届ける相手は博士じゃねえしな」
「え?」
不思議そうにする歩美を他所に、コナンはさっさと伝票に細工を施す。これでよし、とつぶやいたところでちょうどブレーキ音が鳴った。程なくトラックが停車する。遮るものが少なくなった荷台の中で、彼らは縮こまるようにしてその身を隠した。
少しして扉が開き、宅配業者が配達する荷物を探す。手にしたのは、先ほど伝票に手を加えたケーキだった。そして再び扉が閉ざされる。完全に閉まったのを確認したうえで、朔は先ほどの細工について尋ねた。
「それで? 何を書き加えたんだい?」
「宛名の『阿笠博士』の前に『工藤様方』って書いたんだよ。それから、下の伝票にめん棒でメッセージもね」
「……ははあ、なるほど。賢いねコナンくん」
「でしょ?」
なんとなくコナンの狙いが分かった朔は納得したように言う。だが子どもたちはよく分かっていないようだ。それを見てコナンが改めて説明する。
「工藤様方って書くと、荷物は博士の家じゃなく隣の工藤って家に住んでる昴さんの所に届くんだ」
「でも、昴さんに届いたからってこの状況を伝えないことには……」
「書体や筆跡を見れば、後で書き足されたものだって、昴さんならすぐわかる。それに、そんなことができるのは配達中のコンテナの中ぐらいだってこともな。まあ念のため、その配達伝票にこの状況を書いておいたし」
「ええ!? でもそんなことをすればすぐにバレて……」
「大丈夫だよ、綿を取っためん棒で書いたから」
得意げなコナンの言葉に、元太ははあ?と納得のいかない声を出す。
「そんなんで書けるわけないじゃんか」
「それがね、書けるんだよ」
「へ?」
元太の言葉に、今度は配達員のアルバイトである朔が補足する番だった。
「配達伝票は大体、送り主の控えとか荷札とかが数枚重なってて、一番上に書けば全部に複写される紙が使われてるんだ。だから配達人が届け先の人から受領印を貰って持って帰る受領証明書を荷札の下から引き抜いて、荷札の上からめん棒で書き、再びその証明書を伝票の中に戻せば、一番下の受取人控えにコナンくんの文字が複写されてることは、昴さんが荷札を捲るまでわからない……って訳さ」
朔の説明にへえ……と子どもたちは感心した様子である。今頃あのふたりはやられてしまっているのかという元太のワクワクした言葉を、コナンはいや、と否定した。
「多分、昴さんなら……」
とそこまで言いかけたところで、ガチャリとロックが外される音がする。慌てて身を隠して様子を見守っていると、集荷を頼まれたんだと言いながらひとつ荷物を投げ入れるように置いていった。
再び扉が閉ざされたのを見計らって、コナンは荷物の陰から姿を表すと、先ほど投げ込まれた荷物を早速開封し始める。中に入っていたのは一台の携帯電話だった。その様子を見守っていた哀がなるほどねと納得したように言った。
「この状況なら一番頼りになる武器って訳ね」
「ああ。安全かつ、確実に奴らを捕まえるには直接俺の口から警察に状況を伝えたほうが……」
「そんなことさせるかよ」
その言葉と共に、ばっと扉が開かれる。そこには配達業者のふたりが立っていた。その場の全員が息を飲む。
「さっきと荷物の配置が微妙に変わってたから一応覗いてみたら……あの猫の他にこんな泥棒猫が5匹も忍び込んでいたとはな。しかも気絶させて拘束したはずの男も、ぴんぴんしてやがるし」
じろりと視線を向ける男を朔はぎっと睨みつける。立ち上がり、子どもたちをなるべく自分の背後に隠すような位置までさりげなく歩み寄った。
「しかし馬鹿なガキどもだ……すぐに警察に電話すりゃいいものを」
「それでどうするんだよ、この子どもたち」
「決まってんだろ。携帯を取り上げた後、このままここに閉じ込めて凍死させるんだよ。おっさんの遺体の傍に並べておけば、迷宮入りの難事件になるだろうよ。何しろ、俺らとこのガキどもにゃ何のつながりもねえんだからな」
「そ、そうだな……」
男達が会話をしているとき、朔はじっと彼らを観察していた。一瞬のスキをついて制圧してしまいたいが、コナンや歩美は朔よりも男に近い方にいる。万が一巻き込んでしまったらと思うと動くことができない。だがそうこうしている間にチャンスを逃してしまうかもしれない。そうなったら元も子もないだろう。
どうするべきかと判断しかねていたその時、男の後方からクラクションが鳴った。
全員がそちらに注目する。その車を見て、朔は思わず目を見開いた。ゆったりとドアが開き、運転手がおりてくる。
「すみません。この路地狭いから、ちょっと譲ってもらえますか? ……傷つけたくないので」
運転手……安室の言葉を聞いて、業者はいそいそと扉を閉めにかかる。その瞬間、子どもたちはここぞとばかりに声を荒げた。
「探偵の兄ちゃん!」
「助けてー!」
「あれ? 君たち何をやってるんだい?」
今気づきましたとばかりに安室は目を丸くして歩み寄る。それを見て慌てたように業者のふたりが力づくで再び扉を閉めようとしてきた。
動くならここしかないと、朔は素早く扉に近づき、片方の扉を思い切り蹴り飛ばす。
すると次の瞬間、先ほどまでの攻防が嘘だったかのように扉が勢いよく開いた。
バン!というけたたましい音とともに、ちょうどそこにいた業者のひとりが全身を扉に強打する。
そのあまりの衝撃に、まるでスローモーションのように男は地面に崩れ落ちた。
それを見てひるんだもうひとりの男を、今度は安室が腹に一発決めて制圧する。
業者のふたりが制圧されたのを見て、子どもたちはやったー!と飛び上がるように喜んだ。
「あーよかった、なんとかなった……」
ふうと息をつきながら、朔は扉を蹴り飛ばした足を地面に戻す。その一部始終を近くで見ていたコナンは思わず目を丸くした。
「朔兄ちゃん、すごい蹴りだね。何か格闘技でもやってるの?」
「え? ああ……これはその……昔の名残だよ」
ごにょごにょと言葉を濁した朔をコナンは訝しげに見ていたが、安室に警察に連絡するよう言われ、慌てて携帯を操作し始めた。
安室がダッシュボードに積んでいたという粘着テープで業者の身体を拘束する。朔がそれを手伝っていると、子どもたちが安室を称賛しはじめた。
「あのレシートの暗号を見て、来てくれたんですよね?」
「レシート? ああ、猫の首輪についていた妙なレシートなら、風に飛ばされてしまって見つけられなかったよ。ここを通りかかったのはたまたまさ」
「なんだあ」
がっかりしたように元太は言葉を漏らした。それを聞いていた朔の傍に、音もなく諸伏が寄ってくる。そしてこそこそと朔に告げ口をしてきた。
「あいつ、ああ言ってるけど本当は見つけてたんだよ」
「そうなの?」
「ああ。風に飛ばされたレシートをわざわざ探してた。なんでそれを隠してるのかは、俺も知らないけど」
「ふうん……」
安室に聞かれないよう、小声で会話をする。隠すことに何の意図があるのか朔もわからなかったが、きっと彼なりの考えがあってのことだろうと勝手に結論付けた。
業者を拘束し終えた安室は子どもたちにケーキのお誘いを受けていたが、用事があるからと断ったようである。
「じゃあ朔くん、あとはよろしくね」
「はい。了解ッス」
そう言って安室は車に乗り込んだ。それを見た諸伏も朔に一言言ってから慌てて安室の後を追う。そうして颯爽とふたりは去っていってしまった。
「じゃあ朔お兄さんケーキ食べる?」
「ケーキ?」
突然のお誘いに朔は目を丸くした。
「うん! 安室さんには断られちゃったけど、朔お兄さんはどうかなって」
「きっとすっげーうめーぞ!」
「うーん……」
どうしようか悩むふりをしながらそっとコナンの様子を窺う。その表情はなんだか困ったような不安がるような、落ち着かない表情をしている。この間の”黒馬”の一件で鬼灯から聞いたところによると、コナンは朔に対してまだ全面的に信頼を寄せているわけでは無いらしい。そのため対応を図りかねているのだろう。
どうしたもんかな、と思ったところでいい考えがひらめいた。朔はにっこり微笑んでその考えを口に出す。
「家主の哀ちゃんがいいって言うなら、行こうかな」
そう告げられればみんなの視線は自然と後ろにいた哀に向く。コナンの心配を他所に、哀はさらりと言った。
「ええ。構わないわよ」
「ほんと? じゃあお邪魔します」
「やったあ!」
歩美は嬉しそうに笑う。コナンだけは小さく「マジかよ」と零していたが。
その後無事犯人を警察に引き渡し、(すっかり忘れていた)浮遊霊回収も人知れず済ませて、ひと段落したところで一行は阿笠邸にあがった。
待望のケーキとご対面……したところでありゃ?と眉を寄せる。
そこには無残な姿になってしまったケーキのようなものがあったのだ。
「折角の限定ケーキが台無しじゃわい!」
「そういえばあの犯人たち、顔覚えてもらうためにわざと荷物落とすとか言ってたね……」
子どもたちががっくりと肩を落としてしまったのは言うまでもない。