肆拾伍 煙に巻かれる
「形は崩れちゃってたけど美味しかったね、博士のケーキ」
「うん、そうだね」
「流石横浜からわざわざ取り寄せただけはあるな……」
うんうんと頷きながら朔は言う。ケーキの味を思い出しているのか、その口元はすっかり緩み切っていた。コナンは朔の隣を歩きながら、その様子を窺うようにちらりと視線を動かす。
阿笠邸でケーキをご馳走になった後、時間も時間ということでそのまま各自帰路につくことになった。全員で阿笠邸を出て家の方向ごとにぽつぽつと別れ、現在は朔とコナンのふたりきりである。
夕暮れ時で赤く照らされる人気の少なくなった道を他愛も無い会話をしながら歩いていると、朔がふと思い出したかのように言った。
「そういえばコナンくん、結局あれはなんだったの?」
「あれ?」
急に飛び出した指示語にコナンは首を傾げる。すると朔はほら、と補足した。
「トラックの中でみんなの所持品を持ち寄った時に何か言いかけてなかった?」
「ああ……」
朔に指摘され、コナンは合点がいったようにつぶやく。朔の言った通り、あの時確かにコナンはある事を朔に言おうとしていたのだ。まあ、その後のごたごたですっかりなかったことになってしまったが……こうして再び聞く機会ができたのなら好都合である。コナンは少しだけ考える仕草を見せると、口を開いた。
「"電話ボックス探偵"って知ってる?」
「"電話ボックス探偵"?」
まるで今初めて知りましたとばかりに朔はコナンの言葉を復唱する。思い切り眉間にしわが寄せられたその顔にはありありと「なんだそれは」と書いてあった。コナンは冷静に続ける。
「刑事さんたちから聞いたことがあるんだ。最近、公衆電話越しにいろんな未解決事件の犯人が自首してるんだって」
「自首? それ自体は別に何も不思議なことでもなさそうだけど」
「そう思うでしょ? でもね、捕まえた犯人に聞いてみたらみんな口をそろえて言うんだ。『そんな電話一切した覚えがない』ってね」
「……へえ、それは不思議だね」
少しだけ朔が言葉に詰まったのが気になったが、コナンはあえて気づかないふりをして続けた。
「それで刑事さんたちの間でこういう噂が流れ始めたんだ。『未解決事件を独自のルートで捜査し、真犯人の声を変声器か何かで真似て電話ボックスから通報している……探偵のような人物がいるんじゃないか』ってね」
「なるほど、それで"電話ボックス探偵"ってわけか」
合点がいったように朔は手を打った。だがコナンの話の本筋は見えない。
「でもその話がどうかしたの?」
朔が訊ねると同時に、コナンはふと歩みを止める。数歩ほど歩いたのちにそれに気づいた朔は、コナンと同様に足を止めて後ろを振り返った。
夕焼けに照らされたコナンが、確信めいた笑みを浮かべながら言い放つ。
「朔兄ちゃんなんでしょ? その"電話ボックス探偵"って」
その言葉を聞いた途端、朔は驚いたように目を大きくした。だがすぐに先ほどまでの表情に戻ると、特に取り乱すことなく淡々と尋ねてきた。
「……どうしてそう思ったんだい?」
まるで世間話でもするようなトーンだ。ある程度覚悟は決まっているのか、それとも……。そんなことを考えながら、コナンはその考えに至った経緯を説明し始めた。
「実は僕、見ちゃったんだ。朔兄ちゃんが電話ボックスから電話してるとこ」
その言葉を聞いた途端、朔はぴたりと動きを止めた。その表情は先ほどとは打って変わって、すっかり固まっている。一瞬視界を上にやった後、思い出したかのようにさっと顔を青くした。
「もしかして、この間君たちがつけてきた時?」
「うん、それ」
「あーそれかー……そっかあ……そういえばそうだった……」
やってしまったとばかりに朔は苦々しい表情をしながら額をおさえる。もうこの時点でほとんど確定したようなものだが、コナンは続けることにした。
「その電話が終わった頃合いを見計らって高木刑事に確認したんだ。そうしたら朔兄ちゃんが電話していた公衆電話から通報されていることがわかったから、通報したのは朔兄ちゃんなんだなって思ったってわけさ。それで"電話ボックス探偵"が朔兄ちゃんだって気づいたんだよ」
「なるほど、なるほどね」
朔は頭を掻きながらはー、と重々しい溜息をつく。困り笑いに近い表情を浮かべながら、朔は観念したかのように言った。
「まさかこんなにあっさり見抜かれるとは……俺も詰めが甘かったな」
その弱ったような調子の言葉は完全に認めたととってもいいだろう。コナンは兼ねてからの疑問を投げかける。
「なんでこんなことをしてたの?」
「まあ、成り行きっていうか……色々事情があってね」
そう言いながら朔はくるりと踵を返して再び歩き始めた。それに追いつこうとコナンは歩幅を気持ち大きくしながら駆け寄る。そしてもう一度問いかけた。
「それは言えないようなことなの?」
「……」
だがそう言った途端、再び朔の足が止まった。どうしたのかとコナンは朔の顔を覗き込んで様子を窺う。そこで、思わず言葉を失った。
「(何て顔してんだ)」
コナンがそう思わず口に出してしまいそうなほど、彼は何かを堪えた表情をしていた。ぐっと眉をひそめ、視線を下げ、唇を一文字に結んでいる。夕焼けが彼の顔を照らして、その髪を煌めかせた。色素の薄い瞳はますます透き通って見えるようである。
「朔兄ちゃん」
「……ごめんね」
朔は小さく謝罪の言葉をつぶやく。その声は先ほどまでと比べてあまりにも弱々しいものだった。
ゆっくりと歩みを再開しながら朔は続ける。
「俺の一存では、君にありのままを話して聞かせてあげることはできないんだ」
「一存……ってことは、朔兄ちゃんの上司さんの許可がいるってことだね」
「……一応、肯定も否定もしないでおくよ」
少し困ったように朔は笑いながらコナンの頭をくしゃりと撫でる。その手はどこかぎこちなくて、彼の心の複雑さを表しているかのようだった。
「ただ、俺は君たちに敵対する気は無いよ。じゃあ何か協力できるのかと言われたら……それはそれでまた別の話になって来るけど」
髪を整えながらコナンは朔の言った言葉を脳内で再解釈する。それと同時にもう少し深く尋ねようと、再び口を開いた。
「それって――」
「ほら、ついたよ」
「え?」
唐突に放たれたその言葉に、ふと我に返る。
辺りを見回すと、数メートル先に帰るべき家が見えた。いつの間にここまで歩いていたんだ……とコナンが考えていると、朔は先ほどまでの空気感が嘘だったかのようにけろっとした様子で言う。
「ここからはひとりで大丈夫かい?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ俺行くね」
そう言って手を振ると、朔はさっさと目の前にあった信号を渡り切ってしまった。そして信号は赤に変わり、あれよあれよという間に彼の背中は見えなくなる。
結局そこまで有益な情報は得られなかったな、とコナンは小さくため息をつく。まあ、例の噂の真相が確かめられただけでもよしとしよう。そんなことを考えながら家に足先を向けて歩き出す。だがそこでふと、あることに気がついた。先ほどの朔の言葉をもう一度脳裏に再生する。
『君たちに何か協力できるかと――』
朔は確かに"君たち"、と複数形を使った。ということは現在コナンが誰かと協力関係にあることを知っているということになる。そしてそれは必然的に、コナンが何者かと敵対的な関係にある事を知っている……ともとれるだろう。
まさか組織に関して何か知っているのか?と思いつつも、脳裏には哀の言葉がよぎる。
『朔さんは信頼しても大丈夫よ』
『彼は危険人物でも……ましてや組織の人間でもない。この間の幽霊退治の件は警戒しすぎだったみたいね』
『なんでそんなことわかるのかって顔してるわね。この間会った時に訊いたのよ。そうしたら教えてくれたわ。個人的にお姉ちゃんと知り合いだったんですって。だから知っていたの。単純なことよ』
『何の話をしたのか、ですって? 残念だけど、あなたには言えないわ。だって朔さんと秘密にするって約束したもの』
『とにかく、彼のことについてこれ以上蒸し返すのは止めたほうがいいわよ。無駄骨になるから』
「……」
敵ではない。でも協力も出来ない。その上、上司の一存がなければ正体も明かせない……。彼の正体についてもしかして、という見当は立てられるが結局どれも確実性に欠けるものばかりだ。
「ますます謎だな……」
迷宮入りしそうな事件の気配を感じつつ、コナンは深刻そうに目を細めた。