肆拾漆 狡猾でないと生きていけないのさ
ひとまずホモサピエンス擬態薬を服用し、隣の個室の様子を確認する。するとやはりというか、ひとりの男が便座に腰かけて項垂れながら血を流して死んでいた。一応確認したが、やはり死んでいるようだった。あーやっぱりそうなったか……。
密かに頭を抱えつつ、ひとまず被害者の浮遊霊に話を聞こうと周囲に視線を巡らせるが、トイレ内にその姿はない。早速逃げ出してしまったようだ。どうしたものかと思っているとひとりの男がやってきた。
「ひっ……! し、死んでる……!?」
「ちょうど良かった。悪いけど、近くの警備員さん呼んできてくれませんか?」
「わ、わかりました……!」
酷く狼狽した様子の男は、大きく目を見開きながら数歩後ずさり、一目散に駆け出していった。尋常じゃない慌てぶりだが、大丈夫だろうか。なんとか無事に警備員を呼んで来てくれることだけを願うばかりである。
すると不意に携帯が震え始めた。番号を確認すると、相手はコナンのようである。
「もしもし」
『あ、朔兄ちゃん? 随分遅いみたいだけど、今どこにいるの?』
「まだトイレに居るんだけど、その……」
言うべきか言わざるべきか一瞬悩んだが、どうせバレるだろうと判断し、正直に白状することにした。
「実は、……死体を見つけちゃって」
『死体を?! ど、どこで見つけたの?』
「トイレで。隣に入ってた個室の方から血が流れてきたからもしかして……と思ったら死体があったんだ」
『警察は?』
「とりあえず警備員を呼びに行ってもらってるけど、戻って来るか……」
『とにかく僕たちも今からそっち行くから、そのまま待ってて!』
「う、うん。わかった」
そう言ったきり電話が切れてしまった。それを見計らったかのように、警備員がトイレに駆け込んでくる。さっきの男の人が無事に呼んで来てくれたらしい。警備員の人が中を確認するなり、うっと顔をしかめる。そしてすぐさまトランシーバーのようなもので連絡を取り始めた。どこからか騒ぎを聞きつけたのか、トイレの周りが段々と騒がしくなり始める。
そうこうしているうちに、探偵団一行と沖矢さんが到着した。コナンと沖矢は朔に気付くなり、はっとしたように駆け寄ってくる。
「死体は?」
「あっちの個室。中には俺しか入ってないよ」
「わかった」
そう言ってふたりはつかつかと死体のある個室に入っていった。そして何やら真剣そうな様子で現場を捜査し始める。テキパキと慣れたように情報を集めていくその姿は、完全に小学生の物ではなかった。
そういえば、彼がこうして事件の捜査をしているのを間近で見るのは初めてだな、と朔は遠巻きに見ながら思う。なるほどこの手際の良さは確かに、鬼灯さんが見入ってしまうのもわかるな……なんて思いを馳せていると、不意に「ねえ!」と声をかけられた。個室からひょっこり顔を出しながらコナンが言う。
「ここに入ったとき、鍵はかかってた?」
「いや。かかってなかったよ」
「誰か他の人と入れ違いになったりは」
「してませんよ」
コナンと沖矢の質問に答えていると、警備員が呼んだのであろう警察官が現場に到着した。髭を生やした大柄な目暮警部は探偵団の面々とは知り合いらしく、「また君たちか……」と呆れたように目を細めている。部下に指示を出しつつ、朔の方に歩み寄ってくる。
「第一発見者は君かね」
「はい、望月朔ッス。今日はこの子たちの付き添いでここに」
「ふむ。では早速だが、遺体を発見した時の状況を詳しく教えてくれるかね」
「はい」
それから先ほどコナンと沖矢にされたような質問を投げかけられ、先ほどと同じように素直に答える。扉の施錠、誰か他にいなかったのか、変わったことはないか。すべての質問に答え終えたところで鑑識の方から死亡推定時刻が出た。大体今から2時間ほど前の10時ごろだろう、とのこと。すると再び質問の矛先が朔に向く。
「望月さんはその時間何を?」
「俺はその間子どもたちの付き添いをしてたッス。アトラクションには乗ってないスけど、その間はずっと昴さんと一緒でしたよ」
「と言っているが、本当かね」
「ええ。彼のいうとおり、私とずっと一緒に居ましたよ」
沖矢は淀みなく言い切った。そのおかげでそれ以上追究されなくて済んだようである。話の矛先を変えた目暮に気付かれぬよう、朔は安心したように小さく息をついた。
すると、ひとりの刑事が遅れて合流した。その後ろから続くように被害者の連れだという男女4人組がぞろぞろとやってくる。朔は一瞬あっと声を出しそうになったが、何とかそれを堪えるように密かに舌を噛んだ。目暮はそれぞれの今日の行動や被害者との関係性などを事細かに聞いていく。その話にコナンや昴、探偵団までふむふむと興味深そうに聞き入っていた。
だが朔はといえば、その正反対である。
「こいつが俺を殺しやがったんだ!」
被害者の姿をした浮遊霊がそう怒鳴り散らしながら、ひとりの男に殴りかかろうとしている。だが当然その手は身体をスカスカと通り抜けるだけだ。何度も殴りかかろうとするが、一向に成功する兆しは見えない。
「(ずっと犯人追いかけてたのかこいつ……)」
どおりで現場に居ないわけだよ。そんなことを考えながら、朔はチベスナ顔でそれを見守っていた。そうしている間にも、男は大声で騒ぎ立てている。あそこまで騒いでいると、あとで連れてくのが面倒そうだなあ。皆が真剣に誰が犯人なんだと推理する中、朔はひとり冷めた気持ちで被害者が事細かに語る犯行手口を聞いていた。
ああ、早く終わらないかなあ。なんて不謹慎なことを思いながら薬の副作用である眠気と戦っていると、ふと子どもたちに話しかけられる。
「朔さんはどう思います?」
「え?」
「だから犯人だよ!」
「あー、うん」
歯切れ悪そうに朔は視線を逸らす。そして困ったように眉を下げて言った。
「誰なんだろうね? 見当もつかないや」
「……真面目に考えてんのか?オメー」
「あはは……」
元太の厳しい言葉に朔は笑うしかない。考えるって言っても、そこで被害者が全部言ってるからそれで終わりなんだよなあ……。
するとコナンがちょいちょいと朔の袖を引いた。なんだろうとそちらに耳を寄せると、コナンは何食わぬ顔でとんでもないことを言ってのける。
「朔兄ちゃん、本当は犯人解ってるんでしょ?」
「え」
「だってさっきからガン見してるもんね、犯人」
その言葉に、朔は思わず固まった。
どうやら、犯人に掴みかかる男の浮遊霊を見ていたら結果的に犯人を玩味していることになってしまったらしい。なんてことだ。弁解するために朔は慌てて口を開く。
「いや、俺は別に……」
「僕聞きたいな〜 朔兄ちゃんの推理!」
「だから違うって」
「え、朔お兄さんどうしたの?」
すると案の定、地獄耳の子どもたちに届いてしまったようだ。コナンから話を聞くなり、子どもたちは一斉に目を輝かせ始める。分かってたんなら言えよ!、犯人誰なんですか!?、教えてー!、口々に騒ぎ立てる子どもたちから逃れようと助けを求めて哀に視線をやった、だが彼女は朔の期待を裏切るかのように、実に楽しそうに微笑んで見せる。
「私も聞いてみたいわね。朔さんの推理」
「私もです」
「そんな、哀ちゃんに昴さんまで……」
とうとう朔はがっくりと項垂れてしまった。
結果的にその場にいる全員の視線を集めてしまい逃げ場を失った朔は、ため息をつきながら渋々口を開く。
「犯人は……あなただ」
***
朔の推理(というかもはや事実の羅列)を聞くや否や、犯人の男はあっさりと犯行を認め、警察に連行されることになった。事件がスピード解決して上機嫌の目暮は朔をねぎらうようにバシバシと背中を叩く。
「いやー見事だったよ望月くん! 君も毛利君のように探偵になれるんじゃないか?」
「あはは……た、たまたまですよ、たまたま……」
朔は思わず苦笑いを浮かべていた。今の朔にとって"探偵"は軽く地雷ワードなのである。すると周りで見ていた子どもたちや沖矢も口々に朔を褒め始めた。
「初めての推理ショーにしては悪く無かったんじゃないかしら。探偵の卵さん?」
「凄かったぜ!」
「まるで毛利探偵みたいでした!」
「かっこよかったよ!」
「鮮やかで見事な推理でした」
「さっすが朔兄ちゃん! 名探偵だね!」
挙句の果てにはけしかけた張本人のコナンまで囃し立て始めた。こいつ……。朔はありがとうと賞賛を躱しつつ、そっと周りにバレないようにコナンを呼びつける。呼び出される覚えなどないコナンは不思議そうな顔をしていた。
「何? 朔兄ちゃん」
「コナンくん、……俺、例の件があるから、正直あんまりこういうのしたくないんだけど」
「例の件って?」
「だ、だからこの間の……」
そこまで言ってコナンの口角がにやりと上がってる事に気付いた。それも、実に楽しそうに。
「(こいつ、分かってやってやがる……!)」
朔が驚愕に固まっていると、コナンが元太に呼び出される。じゃあ僕行くね!とコナンはニヤニヤしながら去っていってしまった。
今の反応からして、コナンは朔の言う例の件……電話ボックス探偵の件を言いふらすつもりはないのだろう。だが、いざとなればいつでも言いふらしてやることは出来るというのも事実だ。先ほどの笑みはその余裕を現しているのであろう。もちろん、それをされて警察からの追究という被害を受けるのは朔のみだ。
――つまり朔は現在、コナンにばっちり弱みを握られてしまっているのである。
「面倒なことになったな……」
朔は大きくため息をつきながら頬を掻いた。