肆拾捌 モフモフには敵わない……



 月がぼんやりと空に浮かぶ夜。
 バイトから家への帰り道、朔はふと聞き覚えのある声を聞いた。

「ニャンだい。朔じゃねェか」
「あれ? 小判さんだ」

 声のしたほう――ブロック塀の上に視線を向けると、そこに居たのは着物を着て首に小判を下げた奇妙な風貌の喋る猫。その顔つきはなんともふてぶてしく、黄色い瞳は夜行性の生き物特有の輝きを帯びている。そして揺れる尻尾ははっきりと二股に分かれていた。

 彼の名前は小判。あの世で週刊誌の記者をやっている猫又だ。朔とは凩や鬼灯を通じて知り合い、今では時たまに記事のネタになりそうな情報をたかられるくらいの仲である。

「相変わらず色々書いてんの?」
「色々たァ人聞きが悪ィにゃあ。そっちこそどうなんでィ? 仕事の調子はよ」
「まーぼちぼちかなあ……」

 近づいてきた小判の顎の下をすりすりと撫でながら朔は答える。この甘えが彼の戦略だとわかっていても、逃げられるものはそうそういないだろう。現に朔の頬も緩みっぱなしだ。

「あ、言っとくけど君の期待しているようなものは何もないからね」
「なんでィ、つれねえなあ」

 週刊誌特有のゴシップ的なネタを期待していたのだろう。小判はちえ、とあからさまに不機嫌そうな顔をする。そういうわかりやすいところが昔からちっとも変わっておらず、なんだか懐かしい心地がした。

「それにしてもなんでここに?」
「今日はちょいと用があってな。昔からの知り合いと約束があるんでさァ」
「へえ……現世に知り合いなんていたんだ」
「そりゃあ、俺だってそれなりに長ェからなあ」

 うりうりと両手で顔をモフっていると、小判は「そうだ」と何か閃いたようだった。

「折角だし、お前さんも一緒に来るかィ?」
「え、いいの?」

 まさかのお誘いに朔は思わず目を丸くする。小判は目を細めながらもちろんでさァ!と頷いた。

「実はうちの雑誌で現世特集の話が出ましてねェ、そのネタを書くためにそいつに話を聞きに来たってわけなんだが……どうせならお前さんの話も一緒に聞いてみてェなと思ってな」
「ははあ、そういうことね」
「現世にきてしばらく経つし、住んでんのは日本のヨハネスブルク……米花町だ。ネタに出来そうな話のひとつやふたつくらいあるんだろォ?」
「あー……ないわけじゃないけど」

 今まで経験してきたあれやこれを思い出しながら朔はそっと目を逸らす。それを小判は見逃さなかった。ここぞとばかりにすり寄りながら交渉を続ける。

「なーなーいいだろォ? 雑用係のお前さんはあの世みーんな好きでさァ。そんなお前さんが記事になったとありゃ、あの世の奴らも喜ぶってもんだぜェ? それでわっちの雑誌も売れりゃ、win-winってモンだろィ」

 言葉巧みな交渉を用いながらにゃんにゃん甘えるというなんとも卑怯な作戦に、朔はうーんと困ったように眉を寄せる。しばらく考えながらモフモフを堪能していると、朔は観念したように渋々つぶやいた。

「変なこと書かないなら、まあ……」


***


 小判に連れられるまま向かったのは毎度おなじみとなった栞さんの店だ。なんでも、現世住まいの妖怪の取材をするときにはこの店を贔屓にしているらしい。カランコロンとドアベルを鳴らして中に入ると、いつものように栞がカウンター越しに「あらいらっしゃい」と出迎えてくれた。

「朔くんに小判さん? 珍しい組み合わせだねぇ」
「ちょうどそこで会ったんです」
「なるほど〜 とりあえずお好きなお席どうぞ〜」

 栞はにこやかに微笑んで再び仕事に戻る。朔はぐるりと周囲を見回した。今日はそこそこ入りがいいようで、テーブルがすべて埋まってしまっている。どこに座るか小判に尋ねようと視線を下げたところで不意に声をかけられた。

「おや、朔じゃなイか」
「あれ? 大尉だ」

 店の中の一番奥にあるテーブル席。そこに一匹の見慣れた三毛猫がちょこんと腰かけている。少し癖のある喋り口調が特徴的な三毛猫の大尉だ。どうしてこんなところに居るんだろうと思っていると、傍に居た小判が勝手知ったるように、大尉のむかいの席にひょいと軽々飛び乗った。

「あー遅れてすまニャイな。ちィとこいつに話つけてたら時間かかっちまってよ」
「ベツにいいよ、待つのは慣れてるカラね……。来るヒトが増えるなら先に言って欲しかったケドな」
「にゃー、そいつァ悪ィ」

 バツが悪そうに小判は後頭部を掻いた。そのやり取りを見ていた朔は席に座りながらひとり納得したようにつぶやく。

「小判さんの現世の知り合いって大尉のことだったんだ」
「こいつとは江戸のころからの腐れ縁でよ……ってなんだィ? その大尉ってのは」
「今のボクの名前さ」
「へえ、お前さんまた名前変えたんかィ」
「変えたンじゃナイよ。勝手につけられるのサ」

 大尉は呆れたようにため息をついた。それよりも、と小判は朔に視線を向ける。

「まさかおめーさんらが知り合いだったとはニャア……どういう関係なんでィ?」
「俺の働いてる喫茶店に餌を貰いによく来てたんだ。猫又だって気付いたのはかなり最近だけど」
「そしてこれまた最近その喫茶店の店員の飼い猫になったンだ」
「へえ! なかなか面白いことになってるじゃねェか」

 にやにやと笑いながら小判は早速メモを取り始める。今の会話のどの辺りをネタに使おうと思ったのかは正直疑問である。そこへ注文を取りに来た栞がひょっこり顔を出したので、小判は猫又御用達のアイスティー、朔は愛飲しているブレンドコーヒーを注文した。先に来ていたお冷に口を付けていると、チロチロ紅茶を飲んでいた大尉がそういえばと話を切り出してきた。

「この間は散々だったナ。まさかあんなに責任重大な役目を押し付けられることになるとは……」
「あーごめんね、あの時はあれしか方法が浮かばなくてさ」
「仕方ナイとはわかっているケド……もうあんなことはコリゴリだね」
「はは、俺も」
「この間? ニャンの話だァ、詳しく聞かせろよ」

 話に置いてけぼりにされた小判がネタの匂いを嗅ぎつけたらしい。きらりと目を光らせながら詳細を訊ねてきた。別に隠す必要も無いだろうと判断した朔と大尉は、この間の子どもたちと共に冷蔵車に閉じ込められて無事に脱出した件を話してやる。それを聞いていた小判は一喜一憂しながら事細かにメモを取っていた。

 一通り話が終わったところで注文した飲み物が届いたため、一同はそれに口を付けながらほっと一息ついた。びっしりと埋まったメモを見ながら、小判はほくほくとした笑みを浮かべる。

「こりゃまた随分な話だニャア。これだけで一本かけそうだぜィ」
「別に変なねつ造さえしなければ記事に書いていいよ。大尉は?」
「ボクもベツに構わないよ」
「そりゃありがてェ! ねつ造なんてする必要ないくらいスリリングな話だから、きっとみんな食いつくぜェ……」

 舌なめずりをしながらぐふふと下卑た笑みを浮かべる小判に、朔は困ったように眉を下げた。

「それにしても、お前さんは昔っからネタに事欠かねえニャア」
「……次それ言ったらこの場に鬼灯さん呼ぶからね」
「ごはっ!?」

 冷ややかな朔の言葉を聞くなり、小判はごは!と勢いよく吐血した。

「お前ェさん……そいつは卑怯だぜ……」

 ぐったりとした様子で小判は言う。鬼灯が彼の弱点だということを知っての発言だったが、予想以上に効果てきめんだったようだ。朔は知らん顔でコーヒーに口を付ける。処方箋、処方箋……と言いながら薬を飲む小判に、大尉は呆れたように言った。

「まさかオマエ、あの鬼灯様に何かしたのか」
「…………こっちにも色々事情ってモンがあるんでィ」

 薬を飲み、青い顔をしながら小判は言う。その言葉ですべてを察したのか、大尉はやれやれと欠伸を零した。そしてぽりぽりと呑気に後頭部を掻く。

「よく続けてられンなあ、そんな仕事。ボクには無理だ」
「お前さん、わっち以上に仕事向いてニャイからなァ」
「え、大尉って何か仕事してたことあるの?」

 そんな話を聞いたことがなかった朔は興味津々な様子で尋ねる。すると小判がしれっと白状した。

「こいつ、あの世で探偵やってた時期があったんでさァ」
「大尉が探偵?」
「昔の話サ」
「結構評判よかったんだぜ? ま、毎日毎日ゲスな現場を見て、疲れて辞めちまったみてーだけどニャ」

 小判の話を聞いてああ……と朔は納得したようにつぶやいた。あの世での探偵業務はこの世とは違って事件がほとんど起こらないため、探偵への依頼の大半が浮気や不倫の調査になる。そんな現場を朝から晩まで毎日毎日見ていればそれは嫌にもなるだろう。

「だからここに来て推理小説に関する名前を付けられた時はチョット抵抗したよ。昔を思い出して」

 大尉はくるりと身体を丸める。

「……まあ、今はそれなりに気に入ってるケド」

 最後の言葉はくぐもってほとんど聞こえなかったが、おそらく彼なりの照れ隠しだろう。朔はそれに気づくと大尉に知られない程度に小さく笑った。


***


 後日。
 朔はポアロの休憩室でデジタル版の週刊三途の川を読んでいた。この間話した事件が記事になったという知らせを受けたため、内容を確認しているのである。

「『あの世一の雑用係、現世で見事難事件解決』……ねえ」

 ざっと見たところ、特に変なことは書いてないようだ。事前に色々と念押ししておいたのが効いたらしい。よかったよかったと携帯の電源を切る。

「何読んでるの?」
「おわあ!?」

 急に背後から声をかけられ、朔は勢いよく飛び上がった。背後を見ると、そこに立っていたのは安室である。未だにバクバクうるさい心臓を抑えながら朔は声を荒げる。

「なななななな何スか急に!」
「いや、熱心に見てるみたいだったから何か読んでるのかと思って」
「だとしてもいきなり背後に立つことはないでしょ!」

 朔のあまりの慌てぶりに安室はごめんごめんと軽い調子で謝った。

「それで? 何読んでたんだい?」
「……内緒です、内緒!」

 絶対言ってやるもんかと半分意地になった朔は、安室を置いてさっさと店内へ戻っていった。