肆拾玖 こうなる気はしてたんだよな
青く高い空の水色に、満開の桜の桃色が良く映える。舞い散る桜の花弁は道や風景を華やかに彩り、人々の目を楽しませていた。
美しい光景を楽しむためか公園内はかなりの人でごった返している。空いたスペースをレジャーシートを広げて陣取り、食事や酒を楽しむ。またその近くの通りで様々な屋台が立ち並んで人々の食欲を誘っていた。
まさに日本の伝統的なお花見、といった光景である。周囲を見回しながら、阿笠はしみじみとつぶやいた。
「神社で花見もなかなかいいもんじゃのう」
「ほんと! お天気もいいしね」
「まさにお花見日和です!」
歩美と光彦は嬉しそうに言った。だが花より団子の元太は、そのそばを歩く朔の持つ弁当にすっかり夢中なようだ。
「俺のお腹も弁当日和だぞ」
「相変わらずだね君は」
朔は少し困ったように笑った。
数時間前。阿笠がポアロで注文した弁当を届けてそのまま直帰予定だった朔は、彼らに誘われ一緒に花見に行くことになった。天国で毎年花見はしていたが、現世での花見は随分と久しぶりである。
舞い散る桜と共にちらちらと浮遊霊が目に入るが、今日は見て見ぬふりを決め込むことにしていた。流石に花見の日まで仕事のことは考えたくない。いいんだよ今日は休みだ。鬼灯さんも見逃すことあるって言ってたし。朔は自分で自分に言い聞かせながら、楽しそうにしている子どもたちを見守っていた。
すると灰原が阿笠を見上げるようにして言う。
「博士。私たちおみくじでも引いてくるから席を確保してシート広げててくれる?」
「うん、わかった。朔くん、すまんが子どもたちを頼んでもいいかの?」
「いいッスよ!」
阿笠に任された朔はひとつ返事で引き受けた。持ってきた弁当を阿笠に渡し、我先にと駆けていく子どもたちを追いかける。
「こらこら、そんなとこで走ったら危ないよ!」
そう言っているうちにどすんと誰かにぶつかってしまったようだ。ほら言わんこっちゃない!ひやひやしながら朔は慌てて駆け寄り、相手に頭を下げた。
「すみません! ぶつかってしまって……」
「いえ。大丈夫ですよ……おや」
頭を上げて相手の顔を見たところで、朔は思わず目を丸くした。
「ほ、鬼灯さん!?」
「奇遇ですね。こんなところで会うなんて」
そこにいたのは現世の恰好をした鬼灯だった。また現世の視察に来ているのだろうか。そんなふたりの親し気な様子を見ていた子どもたちが興味深そうに尋ねる。
「なになに? 朔お兄さんのお友達?」
「すっげーイケメンだな兄ちゃん!」
「友達っていうか、その……」
どうしたものかと朔が言い淀んでいると鬼灯はしれっと答えた。
「高校の先輩ですよ。私がひとつ上でしてね。今日はこの辺りに用事があったもので、ついでに花見でもしようと思って寄ったんです。そしたら偶然出くわしまして」
「そうなんですか」
「お兄さん、なんて名前なの?」
「鬼灯と申します」
なかなか聞かない珍しい名前に子どもたちは変わった名前だね!と素直な感想を述べる。すると、追いついて来たらしいコナンと哀が鬼灯の姿を見て不思議そうな顔をした。
「あれ? どうしたのその人」
「朔お兄さんの高校の先輩なんだって!」
「初めまして。鬼灯と申します」
鬼灯はそう言ってぺこりとお辞儀をする。大の大人が小学生相手に頭を下げたものだから戸惑ったのか、少々面食らったように「どうも」とコナンはつぶやいた。哀も判断をしかねているのか、小さく目礼する程度である。
すると、そうだと明るい顔で歩美はある提案をしてきた。
「鬼灯お兄さんも歩美たちと一緒におみくじ引かない?」
「それは名案ですね!」
「私は構いませんが、いいのですか?」
ちらりとコナン達の方を見る。その行為が不思議だったのか、コナンは小さく首を傾げた。
「なんで僕たちの方見るの?」
「……いえ。なんとなく」
それではお言葉に甘えて、と鬼灯は涼しい顔で言った。
***
売り場で買ったおみくじの結果に子どもたちはすっかり夢中になっていた。まるで勝負事でもしているかのように一喜一憂している。さて自分のはどうだろうかと開封したところで、朔は思わず動きを止めた。
「……白紙」
そう、何も書かれていなかったのだ。これじゃいいのか悪いのかわからないな……と何とも言えない気分になっていると、後ろから覗き込んだ鬼灯が補足した。
「ほう、白紙ですか」
「どう思います? これ」
「逆に運がいいかもしれませんよ。こんなこと稀でしょうから」
「だとしてもなんかスッキリしませんよ……」
ひとりだけ結果で盛り上がれないというのは辛いものだ。しかも実に百年以上ぶりの現世御籤だというのだから尚更である。
「ちなみに鬼灯さんはなんだったんですか?」
なんとなしにそう問うと、いつもの能面のような顔で持っていた紙をひらりと裏返して見せてくれた。
そこには堂々と『大吉』と書いてある。
「大吉!?」
「え! 鬼灯お兄さん大吉なの!?」
「すげーじゃんか!」
朔の声を聞きつけた子どもたちが興味ありげに寄ってきた。見せられた大吉のおみくじにおお、と感嘆の声を上げる。鬼灯はなんだかうれしそうだ。
「朔お兄さんは?」
「……あはは」
苦笑いを浮かべて後頭部を掻きながらながら朔は白紙のおみくじを見せた。初めて見る白紙という運勢に、子どもたちだけでなくコナンや哀も驚きの声を上げる。
「こんなことってあるんですね……」
「逆に運がよかったと考えるほうがいいんじゃないかしら」
「……うん。そうだね、そうすることにしようかな」
「じゃあ結んでこよ!」
そう言って子どもたちが駆け出していこうとしたその時。「これこれ」と呼び止める声がする。声をしたほうに視線を向けると、そこにはひとりの老人がいた。帽子を被り、杖をついて歩いている。
「折角いいくじを引いたんじゃから持って帰りなさい。おみくじを結ぶのは悪い運を置いていき、運気を変えるためなんじゃから」
近頃の何でも結んでいく悪しき習慣が身についてしまっていることを嘆きながら、老人は去っていった。初めて知ったらしい子どもたちは老人の後姿を見ながらへえ、と声を漏らす。
「じゃあ、結ぶのは江戸川くんだけかしら」
「そういえば哀ちゃんは何引いたの?」
朔が訊ねると、こちらも実に得意げに見せてきた。
「わ、大吉だ」
「灰原さんも大吉なんですか!?」
「すごーい!」
わっと囃し立てる子どもたち。元太に至っては俺のととっかえねーか?とまで言い始める始末だ。なんだか面白くなさそうな様子のコナンに対するあまりにも勝ち誇ったような彼女の笑みに、朔は困ったように笑った。
「でも、凶は滅多に出なくて縁起がいいとも聞いたからがっかりしないで。クールキッド」
「ジョディ先生!」
不意に現れた女性に、朔は思わず目を丸くする。明るいブラウンの髪に水色の瞳。目鼻立ちのはっきりした顔にすらりとしたスタイルはどう考えても日本人ではない。ジョディ先生と呼ばれたところからして外国人のようだ。そのうえ彼女は子どもたちとも知り合いらしい。先生もお花見に来たの?という問いかけに、元気よくイェース!なんて答えている。だが対する哀だけは少し冷めた表情をしていた。
もしや彼女も重要人物なのだろうかと思いながら、朔は怖いもの見たさで鬼灯に尋ねる。
「鬼灯さん。あの人は……」
「高校の英語教師として来日したFBI捜査官、ジョディ・スターリング捜査官です。組織の件でコナンくんとは色々と協力関係にあるようですね」
「へえ……」
平然とした顔でつらつらと個人情報が出てくる鬼灯に少々引……驚きながら朔は相槌を打った。本当に彼周りの現世情報を異常に知ってるんだな……。ここまで来ると流石に恐怖さえ感じる。
そうこうしているうちに子どもたちと哀がジョディとコナンを置いて歩いていこうとする。呆気に取られていると、さも当然のように哀は言った。
「朔さんたちも行くわよ。ふたりの話の邪魔をしちゃ悪いわ」
「う、うん」
なんだか残ってふたりの話を聞きたそうにしている鬼灯を半ば引きずるようにして、朔はその場から少し距離を取る。
「そういえば博士大丈夫かなぁ」
「場所取りお願いしたっきり連絡してませんからね」
「ま、まさか弁当先に食ってねーだろーな!?」
「小嶋くんじゃあるまいし、そんなこと無いわよ」
「そ、そうか……」
明らかにほっとした様子の元太に、歩美と光彦はくすくすと笑った。そんなほのぼのとした光景を他所に、鬼灯は先ほどからふたりの話す内容に聞き耳を立てようと必死なようだ。博士に電話をし始めた子どもたちを横目に、朔は小声で窘めるように言う。
「鬼灯さん。あんま聞き耳立てないでくださいよ。わざわざ離したって事は俺たちには聞かれたくない話なんでしょ」
「わかってますよ。まあ、なんとなく話題の見当は付きますけどね……でもやはりここに来たからにはやはり実際に見てみたいというか」
「どこまでいってもそのスタンスは崩さないんですね……」
疑われても知りませんよ、と呆れたように朔は息をついた。気付けばふたりの傍にはもうひとり知らない男がおり、何やら話に加わっているようである。マスクをした風邪気味の男に覚えはないが、彼も知り合いなのだろうか。子どもたちも「誰だろうね?」なんて話しているから、ふたりだけの知り合いなのかもしれない。
退屈しのぎに鬼灯に詳細でも訊ねてみようかと思ったところで、ふとあることに気付いた。
「……あれ」
なんとその男の傍に、現在自らの部下という形で身元を預かっている浮遊霊、諸伏景光がいたのである。彼は何食わぬ顔で周囲を見回しながらふわふわと中空を漂っており、こちらには気づいてないようだった。なぜ彼が見知らぬ男の傍に、と思ったところで、隣からぼそっと声が聞こえてきた。
「なるほど……」
そちらに視線をやると、鬼灯が考え込むように目を細めていた。その表情は、実に楽しそうなものである。よくわからないけどろくでもない事考えてそうだな、と朔がぼんやり感想を抱いたところで今度は違う声が聞こえてきた。
「スリよー! スリが居るわよー!」
そう言いながらひとりの女性が前も見ずに走ってくる。そのせいでジョディにぶつかってしまい、どさっと尻餅をついた。その一部始終を見ていた子どもたちは心配したのか、慌てて駆け寄っていく。歩美は立ち上がる背中を補助してやりながら心配そうに声をかけた。
「大丈夫? おばさん」
「ええ。さっき、あたしの鞄に手を入れてる人が居て、慌てちゃって……」
「確かに、こういう人ごみはスリが多いですからね」
「ええ」
マスクの男の言葉に女性は同意した。だがその顔を見た途端、大きく目を見開いて固まってしまう。そのあまりの動揺っぷりに、朔は不思議そうに女性を注視した。だが女性は挙動不審になりながら、まるで逃げるかのようにどこかに走り去っていってしまう。その場の全員がぽかんとしている中、コナンと鬼灯だけは何かを考え込むように眉を寄せていた。
***
気を取り直して次はお参りに行こうということになり、一行は本殿へ移動することになった。
男から話を聞いているコナンやジョディを置いて、朔たちは一足先に手酌を使って手を洗い清める。口をゆすいだ水をぐびぐびと飲み始めた元太に、ああ!と子どもたちが声を上げた。
「駄目だよ元太くん! そのお水飲んじゃ」
「え、そうなのか?」
「軽くゆすいで地面に吐き出すんですよ」
光彦の言葉にしまったという顔をする元太。それを見ていた鬼灯は濡れた手を拭いながらほうと感心したように言った。
「凄いですね。まだ小学生なのに正しい手洗いの作法を知っているなんて」
「毎年初詣の時に家族でお参りするので、自然と覚えたんですよ」
「なるほど。しっかりした子だ」
鬼灯に褒められ、光彦は照れたように笑う。気付けばすっかり鬼灯も探偵団の3人と打ち解けているようだ。その光景がなんだか珍しくて、朔は小さく笑ってしまう。
すると後ろの方から袖をくいくいと引かれる感覚がした。ちらりとそちらを見ると、先ほどから見知らぬ男にくっついていた諸伏が何かを話したそうにこちらを見ている。朔は自然な流れで携帯を取り出して耳に当てると、さりげなくその場を少し離れながら諸伏に話かけた。
「朔さんも来てたんだな、全然気づかなかった」
「最初見かけた時はびっくりしたよ。どうしたの? こんなところで」
「まあ、色々あってな……」
少しバツが悪そうに諸伏は頬を掻く。その表情からそちらも厄介な事情があるのだろう察し、それ以上の追及はしないことにした。すると諸伏はそれよりも、と本題を切り出してくる。
「鬼灯様に挨拶しておきたいんだけど、時間あるか?」
「あ、なるほどそういうことね」
納得がいったように朔はつぶやいた。彼は朔の提案で特例として現世滞在が認められた浮遊霊である。そのため鬼灯には頭が上がらず、挨拶がしたい直接お礼が言いたいと朔に何度か訴えていたのだ。どうやら今日がまさにその時のようである。
真面目だなあと思いながら「ちょっと待ってて」と朔は子どもたちと盛り上がっている鬼灯を呼びにいった。
「鬼灯さん。ちょっといいですか」
そう言いながら視線で諸伏の方を誘導する。彼も察したのか、何も言わずに子どもたちの元を離れた。朔から受け取った携帯を耳に当てた鬼灯の姿を確認するなり、諸伏は神妙な面持ちでさっと頭を下げた。
「鬼灯様、本来こちらから伺うべきところ、ご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした。そしてこの度は本当にありがとうございます。あなたが居なければ私は」
「諸伏さん、頭を上げてください。私は彼からの提案を受けただけ。何もそこまで特別なことはしていません。それに、あなたが真面目に働いてくださっているのはこちらも把握していますから。助かっているのはむしろ私たちの方ですよ」
「鬼灯様……」
諸伏は感激したようにつぶやいた。鬼灯は軽く頭を下げながら言う。
「これからもよろしくお願いします」
「! はい! こちらこそ!」
慌てたように諸伏も頭を下げた。話も済んだようなので鬼灯と朔は子どもたちの所へ、諸伏は男の所へ戻る。タイミングよくコナン達も話を終えたようで、人ごみに紛れるようにして立ち去る男の背中を諸伏は慌てて追いかけていた。
「ごめんね待たせちゃって」
「いいのよ。急の電話なら仕方ないわ」
「おや、どうやらあちらも話が終わったようですね」
「じゃあ早速お参りに行きましょう!」
たっと駆け出す子どもたちを見張るため、朔は慌てて追いかける。お参りに来た参拝客は花見シーズンということもあってかかなりの人数になっていた。どれだけ待つだろうと覚悟していたが、一定のリズムで流れていくためかあまり待つのは苦にはならない。現にあっという間に子どもたちの順番になった。
一般人には見えないであろう、本殿に居るこの神社の神様を目の前にしてガラガラと盛大に鈴を鳴らす元太に、光彦は慌てたように言う。
「駄目ですよ元太くん、そんなに乱暴に鳴らしちゃ……」
「でもよ、こういうのは景気よくやれって父ちゃんが」
「その通りよ」
ふと混じった第三者の声に、子どもたちは不思議そうに顔を向ける。隣で参拝していたニット帽の女性だった。彼女も大きく鈴を鳴らしながら、子どもたちに解説をする。
「その鈴は神様に自分がここに来たことを知らせる鈴。だからいっぱい鳴らさないと、神様が気づいてくれないかもよ」
初めて聞いたらしい子どもたちは感心したように目を丸くする。彼女の言葉を受けて、元太はますます盛大に鈴を鳴らし始めた。それを見ていたこの神社の神様が微笑ましそうに見守っている。だが次の瞬間、ふと怪訝そうな顔に変わったのを朔と鬼灯は見逃さなかった。ふたりは思わず顔を見合わせるが、表情が変わった原因はわかりそうもなかった。
「後で話を伺ってみましょうか」
「そうですね」
子どもたちの番が終わり、後ろに並んでいた朔と鬼灯に順番が回ってくる。鈴を鳴らし、お賽銭を入れ、2礼2拍手1礼。つつがなく参拝を終え、邪魔にならないよう隣にはけた。
待っていてくれた子どもたちと共に、後ろに並んでいたコナンらの元へ向かう。彼は何やら電話をしているようだ。相手は誰だろうと思っていると、血相を変えて大声を上げる。
「何!? 殺人事件を目撃しただと!」
その切羽詰まった言葉を聞き、子どもたちは思わず足を止めた。その表情には不安が見え隠れしている。
……だが朔と、隣にいる鬼灯の表情はまた別だった。
「……今日は、来たかいがありましたね」
感激した様子でしみじみとつぶやいた鬼灯。表情は一見変わらないように見えるが、その瞳は普段よりも三割増しで輝いてさえ見えた。
「(自分がどんだけ不謹慎なこと言ってるのかわかってんのかな、この人……)」
見たことも無い己の上司の浮かれた姿を横目で見ながら、朔はキリキリと胃が痛くなり始める気配を感じていた。