参′ 薄れ行く意識の中で
建物内に非合法な音が鳴り響く。雑多な足音、怒鳴り声、ガラスが割れる音を合間に挟みながら奏でられるそれは、まるでひとつの音楽のよう。電球が切れて十分な光を確保できない薄暗い室内は、長く使われていないせいか、ほんの少し動くだけでも埃が舞って粘膜にこびりつくのが酷く不快だった。
「面倒なことになったッスね、バーボン先輩」
「ええ。全くです」
共に物陰に身を隠す朔の声を聞きながら、バーボンは苦虫を噛み潰したような顔で拳銃の残弾数を確認していた。
そもそも今回の任務は、組織の薬を横流ししているらしいという工場にいつもの四人で潜入し、その真偽を確かめることだったはず。それが何をどう間違えれば『工場の人間VS潜入した四人』という構図の抗争に発展するんだ。バーボンは眉間に皺を寄せながら険しい顔で頭を回す。恐らく情報がどこかから洩れていたんだろうが、今はそれを確かめている場合ではないだろう。そんなことは脱出した後で嫌というほどやればいい。
「スコッチたちはどうです?」
『まだライと一緒に中にいる。デタラメに走ったから現在位置が微妙だな。正直まだ脱出には時間がかかりそうだ』
「了解。そのままスコッチはライと一緒に脱出してください。僕も朔くんとすぐに行きます」
『わかった。気を付けろよ』
「ええ。そちらも気を付けて」
インカムの通信を切り、ため息を漏らす。頭の中に建物内の地図を思い浮かべながら、目的地店への最短ルートをシュミレート。足音が遠い今が動くチャンスだろう。
「朔くん、行けますか」
「俺はいつでも準備オッケーすよ、先輩」
「はは、頼もしいですね」
ニッと白い歯を見せて笑う朔に、バーボンもつられるように勝気に笑う。ふたりは足音を殺して部屋を飛び出した。
バーボンを先頭にして先へ進む。途中、工場の人間と数人出くわし戦闘になったが、そのどれも朔が一瞬にして制圧してしまった。バーボンが拳銃を構えるよりも早く相手の懐に忍び込み、拳を叩きこむ。今まで見てきたどの格闘技の型にも当てはまらない朔の人間離れした動きと速さを見て、その身体能力の高さにバーボンは思わず呆然としてしまう。
「バーボン先輩。ほら、急ぎますよ」
一瞬にして三人の男を制圧した朔が、息ひとつ切らさずに振り返る。その所々にはべったりと血がついているが、本人の様子からしておそらくすべて返り血だろう。バーボンは朔の後を追いながら尋ねた。
「朔くん。その動き……どこで身につけたんです?」
「これッスか? あー、なんていうか、ただの喧嘩の延長線上みたいなもんで」
「喧嘩、ですか」
「そッス。誰かに習ったわけでもない、完全俺オリジナル」
どこか言いにくそうに言う朔。それを聞いてバーボンはへえ、とぼんやりした相槌を返した。喧嘩だけでこんな重力を感じさせない動きが出来るものなんだろうか。
「ッ先輩!!」
突然、朔の鋭い声が飛ぶ。先を進んでいた朔が咄嗟に振り返ってバーボンの手を引き、自身の場所とスイッチした。
――次の瞬間、乾いた発砲音が響く。
急に手を引かれたバーボンがバランスを崩しながら呆気に取られている間に、もう数回。朔の顔がわずかに苦痛に歪む。その様子がまるでスローモーションのようにバーボンの瞳に映っていた。
朔はすぐに真剣な表情に戻ると、次の瞬間には弾丸の発射元である男たちを制圧しきっていた。男たちが気を失ったのを見て、朔が荒く息を吐く。
「朔くん!」
慌ててバーボンが駆け寄ると、朔の左肩は真っ赤に染まっていた。出血具合から見るに、まともに食らってしまったのだろう。左肩を抑える右手も真っ赤に染まってしまっている。険しい顔をした朔がぼそりと呟いた。
「ってえ……」
「朔くんすみません、僕を庇ったばかりに……!」
「いーんスよ、こういう怪我には慣れてるんで。……バーボン先輩に怪我がなくてよかった」
「でも」
「それより、早くここ出ましょ? ここに長くいる方が危険ッスよ」
「……そう、ですね。急ぎましょうか」
バーボンを安心させるようにへらりと朔は笑う。その左肩からは相変わらずどくどくと赤い血が流れ出ていて、抑えた右手からも滲み出ていた。
バーボンは自身の身につけいた作業着を裾を裂いて簡単に止血処理を施した後、なるべく朔のペースに合わせて先を急いだ。
『バーボン、朔、こちらは無事に脱出した。そっちはどうだ』
敵との交戦中、ライからの通信が入る。引き金を引きながらバーボンは応じた。
「まだ建物内ですが、あと10分程で例のポイントにつきます。それと朔くんが負傷してるので急いで車回してください」
『了解』
弾切れを起こした銃をその場に放ると、脇に吊るしたホルスターから新たな銃を素早く抜きとり、流れるような手つきで引き金を引く。肩を負傷した朔も、両腕を使わずに足技だけで応戦しているようだ。互いの相手を制圧し終え、自然に背中がぶつかる。
「動くと出血量が増えるから、大人しく僕の後ろに隠れていろって言ったでしょう」
「こんなの別に大した傷じゃないし、大丈夫ッスよ。それに、腕が使えないなら脚を使えばいいだけ」
「君ねえ……」
怪我なんてまるで関係無いというように脚を振り上げる朔。バーボンは呆れたように乾いた笑いを零す。だが次の瞬間、朔がぐらりとバランスを崩してその場に膝をついた。
「うわ、なにこれ、力はいんない」
「ほら言わんこっちゃない!」
ぐらぐらと力が抜けて上手く立ち上がれないらしい朔に、その身体を支えながらバーボンは声を荒げた。
「肩、なんて……大したこと、ないのに」
「大きな血管をかすっていたため通常より出血量が増えたんでしょう。それに加えてあれだけ飛んだり跳ねたりすれば、尚更それに拍車がかかる。自業自得です」
ほらつかまって、とバーボンが朔に肩を貸す。朔は申し訳なさそうに笑って、バーボンの肩に大人しくつかまった。
「クソ、……昔はこれくらい、どうって、こと。……歳、かな。はは」
「朔くん、いいから喋らないでください!」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量でぼそりと呟いた朔の独り言を一蹴して、バーボンは先を急ぐ。何とか事前に決めたポイントに到着すればそこには一台の車がとまっていた。ライの車だ。助手席から出てきたスコッチが慌てて駆け寄ってくる。
「朔! 大丈夫か!?」
「僕をかばって左肩を撃たれました。一応止血処理はしたんですが、どうにも出血が酷くて」
「わかった。とりあえず後部座席に」
「ええ」
ふたりでなんとか朔を後部座席に乗せ、車は静かに工場を後にする。運転席でハンドルを握るライが静かに口を開いた。
「後処理報告は組織に連絡済みだ」
「すみません、助かりました」
「構わない。それより、朔は」
ライの言葉にバーボンは視線を落とす。車の中にあらかじめ積まれていた応急処置道具で改めて止血し直したが、微量ながらも血は流れ続けているようだった。若干の焦りがバーボンの脳内を支配する。
そして驚いたことに、肩以外のあちこちに出血が止まったばかりの生傷が確認できた。おそらくこれらは、バーボンと合流するより前に工場内で受けた傷であろう。
(こんなに満身創痍で、今まで動いていたっていうのか?)
信じられない気持ちで当の本人を見る。後部座席のシートにぐたりと体重を預ける朔は薄く瞼を持ち上げているが、その焦点はぼんやりと定まっていないように見える。先ほどから顔色も悪い。これは早くきちんとした治療を受けたほうがよさそうだと、バーボンは口を開く。
「ライ、ここから一番近い組織の医療機関に大急ぎで車を――」
その時、バーボンの服の裾を何者かがくいと引いた。弾かれたようにバーボンが視線を移すと、服を掴んでいたのは紛れもなく朔である。
「朔くん?」
「……それ、は、だめ……」
途切れ途切れになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。その瞳はまるで縋るようにバーボンの姿をとらえていた。服の裾を掴む力がわずかに強まる。
「でも君……この怪我はきちんとしたところで手当てしないと」
「……」
途端に朔は口を閉ざした。視線をバーボンから逸らし、うろうろと彷徨わせている。何かを言うのを躊躇っているようだ。朔が自ら口を開くのを待ち、車内に沈黙が落ちる。
数秒後、朔はゆっくりと、かさついた唇を動かした。
「せんぱい、……今からおれが言う、住所に……向かって、くれません、か」