漆 勝手に決めるな
町ひとつをいっぺんにまわるのは、いくら朔といってもあまりに無理がある。
正確に言えば、彼の身体能力を考えれば物理的に不可能ではない。のだが、そんなスピードで移動でもしようものなら、事故のひとつやふたつくらい起こってしまってもおかしくないだろう。鬼の身体は人間の数倍近く丈夫に作られている。そのため、もし人間とぶつかっても朔自身に被害はない。だが、ぶつかられた当の人間はどうだ。軽い怪我で済むならいいが、万が一ということもある。
ということで朔は事前に米花町をいくつかのブロックに分け、日替わりで回収にまわることにした。移動手段は専ら徒歩。視線を動かしながら移動するだけであるから特に疲れるということもない。そして見つけた浮遊霊の身元を特定し、回収。……それが、朔が頭に思い浮かべた一連の流れである。まあ浮遊霊捜索の段階で不審者に間違えられる可能性は存分にあったが、その時はその時だ。
「それにしても本当に多いな……」
ぼそりと、思わず独り言が漏れる。言わずもがな浮遊霊のことだ。
今はちょうどデパートに続く大通りを歩いているのだが、現世の人に混じってかなりの浮遊霊がうろついている。何食わぬ顔をして、いかにも生きてますよ自分はという顔をしているのが妙に癇に障った。
「というか、こんなに人通りが多かったら縛るに縛れないじゃないか……」
早速の誤算に、朔は不機嫌そうにちょっと眉を寄せる。だがしかし、それくらいの計算違いならばすぐにカバーできそうだ。
「次から大通りは深夜にまわろう」
当初のルートを止む無く変更。細い路地に入った。一気に人数が減り、浮遊霊と現世の人の選別がつけやすくなる。さて、この世に居るべきでない者たちはどこだ。朔は視線を動かし、目的のものを探す。
するとしばらくして、ふと目についた女性がいた。
何をすることもなく、壁を背にぽつりとたたずんでいる、茶髪ロングで優しそうな印象を与える女性だ。目は伏せられており、物憂げな表情を浮かべている。その足元を見ればうっすらと透けており、わずかに宙に浮いていた。朔は近づいて女性に声をかける。
「お姉さん」
「……」
「ねえ、お姉さん」
「……え、ア、アタシ?」
「そうですよ、こんなところで何してるんですか? ここはあなたの居るべき場所じゃないでしょう」
警戒心を持たれないよう、出来るだけ柔らかい口調で話しかける。……ちょっとキザったらしくなってしまってなんだかこそばゆいが、もう言ってしまったことなので、ぐっと我慢することにした。
女性は初め、自分に話しかけられてるとは思っていなかったようだ。戸惑いを隠すことなく眉を少し下げながら朔を見る。
「えと、あなた、アタシが見えるの……?」
「勿論。さ、帰りましょうか」
細い腕を手に取って引こうとすると女性はますます驚く。
「触れる……!」
「!」
掴んでいた朔の手を振り払い、逆に朔の肩をがしりと掴んだ。女性の目は爛々と輝いている。その表情はまるで欲しいおもちゃを手に入れた子どもの様だ。思わぬ展開に、朔は目を見開いて固まったまま、まばたきを繰り返すばかりである。
「すごい! ほんとに触れる! これならきっとあいつに復讐できるわ!」
「ふ、復讐?」
ただならぬ単語が聞こえたので、思わず朔は聞き返した。
すると先ほどの優しそうな表情はどこへやら、すっかり豹変した女性が眉を吊り上げ、叩きつけるように叫ぶ。
「そうよ! 復讐よ! アタシを殺したあいつを、地獄の底に突き落としてやるんだから!
「いや、地獄行きを決めるのあんたじゃないし」
思わず素が出た。
***
激情する女性を落ち着かせて話を聞いてみると、どうやら彼女は三日前に恋人に殺されたらしい。遺体は山に埋められてしまったうえに、家族とも疎遠で、友人すら気づいてくれていないのだという。しかもその恋人は捕まることなく、今もなお悠々と普段通りの暮らしているのだとか。
「アタシ許せないのよ! アタシを殺してのうのうと生きてるあいつがね!」
「でもだからって復讐するのは……」
呆れ顔の朔は、携帯電話を耳に押し当てながら目の前の女性の話を聞いている。
普通に話していたら通りすがりの現世の人に不思議そうな目で見られたため、電話をしている風を装うことにしたのだ。因みに最初意識していた柔らかい口調も即取っ払った。先ほど素を出したのに何を今更、というわけである。
「殺人はそれだけで死後地獄行き確定だし、それなら浮遊霊のあんたが今復讐する必要はないだろう? わかったら大人しく俺に捕まってくんない?」
「嫌よ! あなたに捕まったら復讐できないじゃない」
「話が通じない……」
はあー、と長い溜息をついた。どうするんだこれ。
「というかあなたもあなたよ。見たところ普通の人に見えるけど……アタシを捕まえてどうしようっての?」
「秘密」
「何よそれー、やらしいー!」
「俺どんな風に思われてんだよ……」
女性は非難の視線を朔に向けながら、さっと自らの肩を抱いた。……目の前の女性が何を考えているのかわからないが、声の調子からして何となく予想はつく。スペクトロフィリア? 生憎朔にはそんな性癖は無かった。
「そうだ! いい考えがあるわ! アタシがあなたに捕まる代わりに、あなたがアタシの復讐をする! これならどう!」
「はあ?!」
「はじめはあなたに一方的に復讐協力のお願いをするつもりだったけど……この際、復讐できればもうなんでもいいわ! ね、いい考えでしょ?」
まるで大発見だとでも言うように彼女は顔を輝かせたが、朔はその真逆である。
「なんで俺があんたの復讐の片棒を担がなくちゃならないんだよ!」
「いいでしょう? Win-Winの関係よ」
「ちっともWin-Winじゃねえし……というかそもそも、亡者の死後の罪は裁判でどうするか毎回もめるから面倒なんだよ!」
「あら、あなた死後の裁判とか信じてるの? ウケる」
「……」
軽く馬鹿にしたようにからから笑う目の前の彼女を睨みつける。今ここで自身が地獄の鬼だと明かしたところで話がさらにこじれそうだと直感的に悟り、とにかく、と話を切り替えた。
「俺はあんたの復讐をするわけにはいかない」
「けち」
「けちじゃない」
ふよふよ宙を漂いながら両手を腰に当て、ぷうーと頬を膨らませて唇を尖らせる彼女。大きな目で上目づかいに朔を睨む。その眼はわずかに水の膜が張っている。それを見て朔は女性の次の行動が読めてしまった。
まずい、これは。
「お願いお願いお願い! アタシが見えて、話せて、触れるのはあなただけなの! あいつに復讐するためには、あなたしか頼れる人がいないんだから!!」
朔の肩をつかみ、わあわあと大声を上げながら激しく揺さぶる女性。その瞳からはぽろぽろと涙が零れている。この展開を事前に予測していた朔は、ああやっぱりこうなったと思わず天を仰ぐ。
――朔は頼られることにも弱かったが、泣き落としにも滅法弱かった。
それはもう、びっくりするくらいに。
「あーもう! わかった! わかったから! とりあえず揺さぶるのをやめろ!!」
観念したように朔が言い放った途端に、ぱっと揺さぶるのを止める。すんすんと鼻をすする女性に、はー、と朔は疲れた顔で盛大なため息を吐いた。そんな朔の表情を窺うように、そっと女性が尋ねる。
「復讐、協力してくれるの?」
「復讐は出来ない。……が、生きているうちにきちんとした制裁を加えることなら、出来ると思う」
そう言って朔はどこかに電話をかけ始めた。