捌 頼れる友人と事の顛末



 地獄。閻魔庁の一角にある休憩室。

 そこで仮眠をとっていたひとりの鬼の携帯電話が、着信を知らせる電子音を放った。
 鬼はぴくりと身体を震わせ、もぞもぞと身を起こす。頭をかきながら、外していた丸眼鏡を手探りで探し、装着する。じいと睨むように携帯電話の画面を見つめて相手を確認し、応答ボタンを押した。

「ふぁい?」
『ああ、文彦? ……もしかして寝てた?』
「ちょっと仮眠取ってた」
『あー、悪かったな起こして』
「いいよいいよ。そろそろ起きようと思ってたから」

 文彦と呼ばれた鬼は欠伸をひとつして、うーんと伸びをする。少しずつ眼が冴えてきて、脳が覚醒してくるのを感じた。首を回せばこきりと関節が鳴る。

「朔からかけてくるなんて珍しいね。そっちは現世勤務だって聞いてたけど……何か用?」
『ちょっと調べて欲しい事があってな』

 電話越しにひとりの男の名前が告げられる。その名前は憶えていた。確か昨日文彦自身が記録を書き記した男だ。

「……この人がどうかした?」
『こいつのここ一週間ぐらいの記録を写真で撮って俺の携帯に送って欲しいんだ』
「別にいいけど……なんで?」
『まあ色々あって……説明は後でちゃんとするから! それじゃあよろしくな!』
「あ、ちょっ……」

 途端に電話は切られてしまった。

「勝手な奴」

 通話終了の画面を睨みながら呟く。
 後でちゃんと説明を求めようと心に決め、その男の記録があるのはどの棚だっけなと考えながら文彦は休憩室を後にした。


***


「これで一先ずいいかな」

 朔は携帯の電源を切り、女性と会話をするためにまた耳に当てる。

「えっと……今の電話、誰?」
「ちょっと知り合いにね」

 朔は口元に笑みを浮かべながらはぐらかした。
 朔が電話をした相手……文彦は、閻魔庁記録課に勤務する獄卒である。

 記録課とは、亡者の生前の行いを正式に書き記す場所で、一年中文字と向き合うような課だ。
 そもそも亡者の記録は、人間ひとりに対してふたりずつ配属される具象神(ぐしょうじん)という者が生まれた時から死ぬ時までその人間の記録を取る。因みに男の具象神が善行、女の具象神が悪行を書き記すという決まりだ。
 その記録がそのまま死後の裁判に利用できればいいのだが、具象神の字は走り書きなどで読みにくいことも多いため、この記録課の獄卒達が具象神達の記録を丁寧に書き記しているのである。

 そんな記録課で"記録保管室の虫"の異名を持つのが文彦。鬼獄卒だ。
 記録課では実質上から二番目の地位に就き、仕事も真面目で優秀。近いうちに記録課の副主任に任命されるのではないかとの話もあるくらいだ。
 因みに、朔とは記録課の手伝いに赴いた際に知り合い、それ以来の友人である。

 電話を切ってからおよそ五分後。文彦からメールが届いた。
 添付ファイルを開き、画像を確認する。そこには分単位で男の一日の行動が記録されていた。

「流石記録課だな」

 緻密で正確な記録を見て、思わず朔はにやりと口角を上げる。これがあればなんとかなるだろう。
 さて、次だ。

「何でもいいからその男の声が聞けるものある?」
「アタシの部屋にパソコンがあるから、そこにいくつかムービー保存してたけど……」
「よし、じゃああんたの家に行こう。案内してくれるか」

 女性の家はここから徒歩十分くらいのところにあった。ピンクの外壁で可愛らしい印象がある小さなアパート。そこの三〇二号室に住んでいるのだという。

「着いたけど……アタシ達鍵持ってないし、どうやって入るの?」
「うーん、見たところ結構スタンダードなタイプの鍵だし……これで」

 いつの間にか両手に手袋をはめていた朔が取り出したのは、先がわずかに曲がった針金だ。それを鍵穴にずぐりと差し込む。女性は初めて見るのか、感心したような声を漏らしながら朔の手元を見ていた。

「ピッキング、出来るの?」
「まあね。前に上司が可愛がってる双子ちゃんから教わって……」
「どんな双子よそれ」
「あ、開いた」

 虹彩認証までお手の物である、悪戯好きの双子妖怪の姿を思い浮かべながら作業を続けていると、ガチャリと手ごたえがする。ドアノブを捻れば、ぎい、と扉が開いた。靴を脱いで部屋に入る。どうやらワンルームタイプのようだ。視線を動かすと可愛らしいローテーブルの上にノートパソコンを発見。ふたを開き、電源を入れる。

「パスワードはかけてないから」
「不用心だなあ」

 かたかたと操作するとムービーを幾つか見つけた。誕生日やどこかに出かけた際に撮ったものだろうか。再生ボタンを押し、流れる男の声を耳に焼き付ける。数本再生したところで朔は満足したのか電源を落とした。

「この男の仕事先って何処かわかる?」
「ここからちょっと行った所にある工場みたいなところで作業員をやってるわ」
「今も仕事中?」
「だと思うけど……あ、十五時に十五分くらい休憩を挟むかも。よくその時間にラインの返信が来たりしてたから」

 時計を見るともうすぐ十五時だ。急いで走れば間に合うだろう。タイミングがいい。

「じゃあ次はそこに向かおう」

 ノートパソコンを閉じ、同じようにピッキングで器用に鍵をかけると、ふたりは部屋を後にした。女性に向かって「急ぐよ」と朔は言い、走り始めた。ぐんぐんスピードは増していく。

「ちょ、ちょっと待って!」

 後方から声がしたので、朔が足を止めて振り返ると女性がひいひいと辛そうな顔で追いかけてきた。
 現世では亡者は基本地面に足がつかずに浮遊しているのだが、その移動スピードは生前の走る速さとほぼ同じなのだ。そのことをすっかり忘れていた朔は大人しく女性が追い付くのを待つ。

「あんた早すぎ……!」
「急がないと間に合わないんだよ」
「はあ? 一体何に間に合わないっていうのよ」

 女性は朔の言っていることが理解できていない様子だ。朔はめんどくさそうにため息をついて女性をひょいと肩に担いだ。うひゃあ!?という女性の驚いた声が聞こえる。

「何すんのよ!」
「こっちのほうが早い」

 女性はわーわー文句を言っていたが無視して朔は走り始める。しばらくすれば女性はすっかり静かになっていた。時折朔が仕事先の場所を尋ねる時にのみぐったりしたように返答するのみである。

 走り始めて数分足らずで、男の仕事場だという場所についた。どうやら金物加工の工場のようだ。すっかり青ざめた顔をしている女性を下してやり、例の男が町工場内に居るかどうかを確認してもらう。ぶんぶんと頷く様子を見るに、中に居たようである。しばらく窓から中の様子を眺めていた女性があっと声を上げた。

「これから休憩に入るっぽい」
「ちょうど良かった。この近くに電話ボックスってある?」
「あるけど……何するの?」
「すぐにわかるよ」

 女性に電話ボックスへ案内してもらい、そこへ入って迷わず一一〇番を押す。コール中に喉を鳴らして微調整。そして電話の向こうで「こちら警察です。事件ですか、事故ですか」と女性の声がした。朔は軽く息を吸い込み、話し始めた。

「女を殺した」

 低く特徴的な声は朔本人のものではなく――紛れもない、女性を殺したあの男の声だった。
 電話の向こうで息をのむ声が聞こえる。隣の女性も驚いたようにこちらを見つめていた。

 朔は文彦から送られた記録を見ながら淡々と話す。事件の起きた時系列に沿って詳しく述べ、凶器の場所と女性の遺体を埋めた場所を細かく告げる。最後に男の名前と犯行現場となった男の住む住所を言って一方的に切った。時計を見ると電話をかけてから五分も経っていない。ふうと軽く息をつき、携帯電話を耳に当てて女性に向き直る。

「これであの男は確実に捕まる。あんたの遺体も発見されて供養してもらえるよ」
「あなた、さっきの声は……」

 戸惑いがちに女性は尋ねる。すると朔は、ああ、と思い出したかのように言った。

「あれ? あれは昔……ある人に教えてもらったんだ。ただの声帯模写だよ。俺の声で通報するより、本人の声で通報したほうが信憑性が増すだろう? あんまり得意じゃないから中々見せる機会もないけど」
「だからアタシの家に寄ってあの男の声を聞いたのね……十分似てたわよ」
「ほんと? それならよかった」

 朔はへらりと笑った。
 声帯模写は朔の秘密の特技のひとつである。これを教えた野干の知り合いは毎度毎度「お前ヘッタクソだなあ」とあまりに馬鹿にしてくるため自信を持てず、披露する機会を失っていたのだ。女性はふっと息を吐く。

「あなたのおかげであの男に制裁を加えることが出来たわ。……ありがとう」
「どういたしまして。満足してくれた?」
「本当のこと言うともっと酷くしてやりたいって気持ちはあるけど、あなた一生懸命やってくれたもの。十分よ。約束はちゃんと守るから」
「約束?」
「言ったでしょう? アタシがあなたに捕まる代わりに、あなたがアタシの復讐をしてってね」

 女性はにっこり笑って両手を差し出した。最初に見かけた時と同じ、穏やかな笑顔だ。朔もつられるようにゆるりと微笑む。

「ところで結局あなた、アタシを捕まえてどうするつもりなの?」
「地獄に連れてく」
「は?」
「だから、地獄に連れて行くんだって」

 驚きで目を見開いてフリーズしてしまった女性をよそに、朔は鞄からロープを取り出した。そしてテキパキと女性の手首に巻き付けていく。

「じ、地獄?」
「うん」
「地獄って……あの地獄よね?」
「他に何があるってんだよ」
「えっと……あなた、何者なの?」

 頭にはてなマークを十個くらい浮かべた女性が恐る恐る問う。朔はにっこりと笑って答えた。

「あんたみたいなヤツをひとり残らずあの世に連れて行くために地獄から来た、ただの鬼だよ」