漆' 地獄を知っているか
「あれ? どうしたんスか先輩、こんなところで」
カミカゼは思わず目を丸くする。ジンに任された仕事をするためにいつもの建物の地下に向かったところ、普段は見かけないバーボンの姿を見つけたのだ。壁にもたれていたバーボンはカミカゼに気が付くとにこやかに微笑む。
「あなたの仕事ぶりを一度生で見てみたいと思いまして、見学を志願したんですよ」
「ええ? 別にみても何も面白くないッスよ? 今日のは特に」
カミカゼは目を逸らしながら複雑そうな表情を浮かべる。だがバーボンは構わずに言葉を続けた。
「いえ、そんなことはありませんよ。最短期間で幹部に昇格を果たしたあなたの仕事ぶりには、以前から興味があったんです」
「辞めといたほうがいいと思うけどなあ……苦情は受け付けませんよ?」
「わかってますよ」
会話を途切れさせること無く頼まれた部屋に入る。毎度のことながら趣味の悪い地下牢獄だとバーボンは思った。上半身裸で部屋の真ん中の椅子に拘束された状態の男の顔を一目見るなり、バーボンは思い出したかのように言う。
「彼は確か……つい先日捕らえられたという」
「ええ。今日の俺の仕事は、こいつの所属している組織を吐かせることッス」
慣れた様子で部屋の電気をつける。数秒のタイムラグの後、ささやかながら部屋が明るくなった。部屋の扉を閉めながらカミカゼは涼しい顔で言う。
「危ないんで、先輩は下がっててくださいね」
「わかりました」
そう言ってバーボンは扉のすぐ傍の壁にもたれた。
バーボンがこうして彼の"尋問"を生で見るのは初めてだった。組織内でも彼の"尋問"はかなり評判が良かったようだが……果たしてどんな手を使って男の口を割らせるつもりなのだろう。バーボンはじっと観察する姿勢に入る。カミカゼはそんなバーボンの視線をものともせず、フランクに男に話しかけていた。
「や、気分はどうだ?」
だが男はカミカゼを睨むばかりで、一向に口を開こうともしない。
「無視か。ま、いいけどね」
慣れたようにカミカゼは話を続ける。
「今日君を担当するカミカゼだ。名前を教えたところで意味ないかもしれないけど、まあ一応ね」
そう言って笑うカミカゼの動作はどこか演技じみているように見えた。もしかしたら"尋問"用にキャラクターを演じ分けているのかもしれない。バーボンはそう分析しながらカミカゼの様子を黙って見守っていた。
「さて……とりあえず事前に聞いとくけど、自分から吐くつもりは無いんだよな?」
男の顔を覗き込むようにカミカゼは問いかける。だが男は一切口を開く様子を見せなかった。
「ま、そりゃそうか。そんな簡単に吐いてたら、"尋問"に定評ある俺が呼ばれるわけないもんなあ」
やれやれとカミカゼはため息交じりに言う。そして不意にズボンの尻ポケットから携帯を取り出した。ついついと画面を操作しながら言葉を続ける。
「とりあえず、あんたのことを色々調べてもらったんだけど……すごいね。これだっていう苦手なものがひとつもない。人間誰しもひとつくらいは苦手なものを抱えているものなんだけど……あんたには一切それが無かった。いやーほんと、調べてもらってた人も言ってたよ『この人本当に人間なの〜?』って」
はははと乾いた笑いを零す。調べてもらっていた……というのは恐らく栞さんの事だろう。"狐狗狸さん"の調査能力の凄まじさはバーボンも良く知っていた。携帯を再びポケットにしまって、カミカゼは背負っていたリュックを下ろす。
「でも正直困るんだよなあ、そういうやつは」
リュックのジッパーを下ろしながら、カミカゼが薄く笑う。
「――身体に直接訊かなきゃならないだろ?」
思わずぞわわと肌が泡立つ。
あんな表情も出来たのかと思うほど、カミカゼの表情は冷たく薄暗いものになっていた。
リュックの中から朔はひとつずつ器具を取り出していく。どこにでもありそうな日用品から、用途不明なものまで、種類は様々だ。
バーボンがそんなことを考えていると、不意にカミカゼがこちらを向く。
「ねー先輩。削ぐのと焼くのと剥ぐの、どれがいいッスか?」
その顔は、まるで穢れの無い子供のように無邪気だった。
***
どれくらい時間が経っただろう。
気付けば辺りには惨劇が広がっていた。
所々に出来ている血の水たまりには無理矢理に剥がされた男の爪がちらほらと落ちている。カミカゼの手には高温に熱せられたヘアアイロンが握られていた。ゆらゆらと揺れる電灯に照らされるその顔はどこか狂気じみて見える。
その前にいる"尋問"を受ける男は、未だに黙ったままだった。すべての爪が剥がされようが、身体中に火傷を負おうが歯を食いしばって耐えている。
――ああ、ここが地獄か。
バーボンはそう思いながら、組んでいた手に力がこもるのを感じる。
すると不意に男ががくりと項垂れた。
「おっと、勝手に寝るなよ」
カミカゼはそう言いながらアイロンを持っていないほうの手で男の頬を叩く。その手はすっかり血に濡れていた。
「これくらいじゃ死なないだろ? ……どれくらいで人が死ぬかぐらい、俺は嫌でも知ってるんだから」
カミカゼは独り言のように言う。するとカミカゼはぐっと眉を寄せ、男の口元に耳を近づける。
「何、聞こえない」
投げやりにそう言うと、静かに男の言葉に耳を傾ける。
しばらくそうしていると、不意に口角を上げた。
「やーっと吐いてくれたね。よくできました」
そしてすぐさま男の首筋に注射器を突き立てる。中の液体が体内に侵入していくのを見ながら、やっとの思いでバーボンは尋ねた。
「今のは?」
「鎮静剤ッス。だいぶ気が動転して面倒だったんで、とりあえず寝かそうと」
男の意識が無くなったのを確認すると、カミカゼは疲れ切ったため息を吐く。
「あとはジン先輩に連絡して、始末を頼めばおしまいッス」
カミカゼは解放感に身を任せるようにうーんと伸びをした。改めて周りを見回しながら「結構汚しちゃったな」と困ったように笑う。そしてひとつひとつ道具を鞄にしまっていった。鼻歌交じりにテキパキと片付けていくその様子は、先ほどまで尋問をしていた時とはまるで別人のようである。
バーボンは平静を装いつつ、尋ねる。
「……君は、いつもこんなことを?」
「いつもはもうちょっと穏便ッスよ。ただ今日は先輩が見てたからはりきっちゃいました」
えへへ、と照れたように笑う。どこに照れる要素があるんだよと内心思いつつも口には出さない。
「ま、先輩も気を付けてくださいね」
カミカゼはふと片付ける手を止めて言う。
そしてくるりと振り返った。
「俺に”尋問”されたくないでしょ?」
その瞳はまるで笑ってやしない。
「善処しますよ」
バーボンは貼り付けた笑みのまま、そう言った。
***
「ってわけで終わりました。今はあの部屋でぐっすり寝てるんで、後はお好きにどうぞッス」
『よくやった、カミカゼ』
「いえいえ、当然のことッスから」
例の部屋の扉を閉めながら言う。因みにバーボンは他の仕事があるらしく、いそいそとこの部屋を後にしていた。
『ああそうだ。お前にもうひとつ仕事を頼みたい』
「何スか? お手柔らかに頼みますよー」
『なあに、簡単なことだ』
電話の向こうでニヤリとジンが笑う。
『内部告発があった。スコッチを捕らえてこちらに連れて来い』
――ああ、ついに来てしまったか。
朔はひとりそう思った。