玖' "カミカゼ"



 燃え盛るビルからライとふたりで脱出し、バーボンは彼に言われた時間にあの店……『胡蝶の夢』を訪れた。カロロンという独特なベルの音を聞きながら店のドアを開く。中に入ればカウンター席にはもう既に彼が座っていた。彼は僕たちに気が付くなり、少しほっとした様子で微笑む。

「よかった。来てくれないかと思った」
「どういうことですか。彼とふたりで来いだなんて」
「まーまー落ち着いて。全部話すんで、とりあえず座ってくださいッス」

 どうしても言葉がとげとげしくなるバーボンをなだめるように、彼はふたりとも腰かけるように促した。バーボンは少し考えた末、彼から一席空けて座る。ライはその様子を見て、彼とは遠い方の僕の隣に腰かけた。それを見てちょっと困ったように彼は眉を下げる。だがほとんど気にする様子を見せることなく、早速本題に入った。

「ふたりを呼んだのは他でもない。ちょっと合わせたい人がいたからッス」
「会わせたい人?」
「入っていいッスよ」

 彼は不意にカウンターの向こうに声をかける。すると数秒遅れて、店の奥からひとりの男が姿を現した。
 その姿を見るなり、バーボンは思わずがたりと立ちあがる。

「スコッチ!」

 驚愕に目を見開くバーボンを他所に、目の前に現れたスコッチは少し申し訳なさそうに笑っていた。
 その背丈も表情も、間違いなくバーボンの記憶の中のスコッチと一致する。間違いない、彼は本物だ。だが……。

「どういうことだ、カミカゼ」

 固まってしまったバーボンの言葉を代弁するように、ライが彼に尋ねる。
 すると彼ではなくスコッチが口を開いた。

「実は……」


***


 時は数時間ほど遡る。

 スコッチに拳銃を突き付けたカミカゼが、不敵に笑った。

「――さようなら、スコッチ先輩」

 そして、そのまま引き金を引――

「うわ!」

 ……かなかった。
 不意に聞こえたカミカゼの演技じみた声に、スコッチはそっと目を開く。するとカミカゼは左手で自身の胸倉辺りを掴み、わたわたと暴れていた。その様子があまりにもシュールで、目の前にいるスコッチは思わず面食らってしまう。

「急に何するんスか! この……!」

 そう言ったかと思うと、着ていた服から何かをつまみ取り、地面に落とした。そしてそれを間髪入れずに踏み砕く。すると、一仕事終えましたとばかりにため息を吐いた。満足げに微笑み、こちらに顔を向ける。

「これでよしっと」

 そして持っていた拳銃に安全装置をかけてから、適当にポケットにしまった。何が起きたのかわからず固まっているスコッチを見て、カミカゼは声をかけてくる。

「さて、大丈夫ッスか先輩」
「いや……どういうことだ、カミカゼ。お前は俺を殺しに来たんじゃないのか?」
「俺が先輩を? まさか。そんなことするわけないじゃないッスか」

 あはは、と明るく笑う。
 その表情はまるで子供のように無邪気な笑みだった。

「俺はアンタを助けに来たんスよ、スコッチ先輩」
「た……助けに?」

 その言葉の意味が理解できず、思わず聞き返してしまう。
 するとカミカゼは、そんなことを気にすることなくさっと手を取った。

「細かい説明は後、後! とりあえずこっち来てください」

 さあさあと手を引かれるままに彼の後についていく。屋上に設置された給水タンクの裏のあたりまで来たところで、スコッチは思わずぎょっとした。
 そこには自分自身にそっくりの人形が座らされていたのだ。

「うおお!?」
「知り合いに作ってもらった人形ッス。よくできてるでしょ?」
「あ、ああ……」

 戸惑いがちにスコッチは肯定する。似ていることは確かだが、リアルすぎて逆に不気味だ。今にも動き出しそうな気さえする。恐る恐る触れてみたが、肌の質感は本物の人間と大差ない。

「現代の技術の進歩は凄いな……」

 肌をつつきながらそんな感想を抱いていると、カミカゼはその人形をぐにぐにと動かし始める。

「これをこうして座らせて……うーん、リアリティが足りないかなあ……」

 首の角度を調節しながらカミカゼは唸る。しばらくすると、不完全燃焼気味に「ま、これでいっか」と呟いた。そしてふと思いついたようにスコッチに問いかける。

「あそうだ先輩、携帯、借りていいッスか? 証拠として一緒に壊しちゃうんで」
「構わないが……」

 渡した携帯をカミカゼは礼を言って受け取った。胸ポケットにしまい、スコッチに少し離れるように促す。言われた通り数歩引いたところで、カミカゼは安全装置を外し、躊躇いなく引き金を引いた。一発の銃声が辺りに響く。

「これで死体の出来上がりっと」

 カミカゼは満足げに呟いた。
 その目の前には、見事に胸を撃ち抜かれた人形が座っている。中に血のりでも仕込んでいたのだろう、カミカゼの拳銃や服のところどころに赤いシミが点々と出来ていた。

 そんな事に構うことなく、カミカゼは携帯を取り出して写真を数枚撮影した。記録・報告用だろう。撮影が終わると、さっさと携帯をポケットにしまう。

「後は火を付ければ――」

 その時、何者かの足音が屋上に近づいてきていることに気付いた。ふたりは思わず息を飲む。

「まずい、誰か来た! スコッチ先輩はここの裏階段伝って逃げてください! 下で栞さんが待ってるんで、そのまま店に!」
「お、おう!」
「絶対誰にも見つからんでくださいよ!」

 小声でそう言って、カミカゼは傍にあったポリタンクの中身を撒き始める。
 スコッチはカミカゼに言われたとおりに、裏階段から大急ぎで階下へ向かった。途中ライと出くわしそうになったが、何とかやり過ごしてビルを抜ける。するとすぐ傍にカミカゼの言った通り、栞が待機していた。彼女はこちらを見るなり、いつもの優し気な笑みを浮かべる。

「ああよかった〜 朔くんから話は聞いてますよぅ。ささ、早くこっちへ」
「は、はい」

 そう言いながら彼女の後についていく。
 なるべく誰にも見つからないよう、顔を隠しながら足早にビルを立ち去る。ふと後ろを振り返ると、先ほどまでいたビルはすっかり炎に包まれていた。あまりにも強い勢いの炎に、アイツは大丈夫だろうかと思わず心配になる。

「スコッチさん? 急ぎますよぅ」
「はい、すみません今行きます!」

 スコッチは栞さんに急かされるまま、大急ぎで彼女の店へと向かった。


***


「それで、お前たちが来るまでずっとこの店で待機してたんだ。……心配かけてすまない」

 これまでの経緯を話し終えたスコッチが、少し申し訳なさそうに謝る。バーボンは腕を組みつつ、ため息交じりに言う。

「なるほど。経緯はわかりました。……けれど、理由がわからない」

 バーボンはすっとカミカゼに視線を向ける。

「NOCの疑いがあった彼をどうして助けたんですか? ……組織の一員であるあなたには、そんな筋合いなんて無いはずですよね」

 何が狙いだ。何が目的だ。そう問い詰めるように睨みを効かせる。
 だが当の本人であるカミカゼはけろりとしていた。

「理由? そんなものひとつしか無いじゃないスか」

 そしてさらりと言ってのける。

「俺も先輩たちと同じ、NOCなんで」
「「!」」

 バーボンは思わず息を飲んだ。彼だけではない、ライもまた同じように驚きを隠せずにいるようだった。
 疑念に満ちた表情のまま、ライは尋ねる。

「お前がNOC……? しかも、こいつらも同じだというのか」
「もちろん。情報源は栞さんなんで、まず間違いないッスよ。なんならこの場で本名と所属を大公開しても」
「……いや、それはいい。わかった、お前を信じよう」
「ならよかった」

 カミカゼはますます笑みを深める。過去にあった出来事に思いを馳せるように、ふっと視線を遠くにやった。

「俺は元々、『組織を潰せ』っていう上司の命令でここに入ったんスよ。しかもただの潰せじゃない。『中にいる他のNOCと協力して』潰せっていう命令でした」
「他のNOCと協力……」
「はい。そんで一緒にある資料を渡されたんス。組織に潜入しているNOCの名前とコードネーム、それから所属が書かれた名簿を」
「!」

 ふたりはわずかに目を見開いた。NOCリスト……日本警察も有しているものを、彼の上司と呼ばれる人物も保持していたとは。

「まあ完璧なものではないんスけどね。それで組織に入った俺は、そのリストにある人に片っ端から協力を要請することにしました。もちろん一筋縄じゃいかないものばっかだったスけどね。得体の分からない新人に協力してくれーなんて言われて、協力するほうがおかしいんでまあ、当たり前っちゃ当たり前でしたけど」

 あはは、と困ったように笑う。その表情からは苦労がにじみ出ているような気がした。

「それでも俺は地道に協力要請をし続けました。そのリストに名前のある人物がNOCだと疑われている話が出たら、すぐに先回りして保護したりとか……色々やりましたよ。ほらバーボン先輩、覚えてます? この間の俺の尋問相手」
「え、ええ」
「実は彼も外国の政府組織から送り込まれたNOCで、俺が事前に話を付けて保護しておいた相手なんス」
「保護?」

 その言葉にバーボンは違和感を覚える。

「その割には随分と手荒な真似をしていたように思えましたが……」
「ああ、あれ人形ッス」
「人形!?」

 さらりと告げられた事実に、バーボンは思わず声を荒げる。だがカミカゼはけろりとした顔で続けた。

「はい。さっきのスコッチ先輩の話にも出てきたでしょ? あれとおんなじ人形ッス。結構苦労したんスよ? あれをあの部屋まで人形と気づかれないように運ぶの」

 バーボンは信じられない思いでまばたきを繰り返した。あれが……人形だと? どうみても人間にしか見えなかったが……。

「というわけで当の本人はピンピンしてるッスよ。顔と名前は多分もう変わってるでしょうけど」
「それにしてもよく騙せたな、バレたらすぐにお前も殺されるだけだろうに」
「まー他にいろんな人に協力してもらってるスからね。死体を解剖する研究員とか、警備係の人とか……。ほら俺、組織内で色々引き受けてたから顔も広いんで」

 ちゃっかり笑ってピースサインをしてみせるカミカゼ。なるほど、彼なりに人脈の広さを生かした成果らしい。

「というわけで、俺はスコッチ先輩を助けたんスよ。わかっていただけました?」

 カミカゼの問いかけに、ふたりはなんとなく頷いた。よろしい、と満足げにカミカゼは言う。

「んじゃ早速本題に入りましょうか」
「本題?」
「ええ。まあぶっちゃけて言うと、俺と協力しませんかって話ッス」

 その言葉に、ふたりの表情が一瞬固くなる。もしかしたらそれが本来の組織での表情なのかもしれない。カミカゼは続けた。

「俺は他のNOCたちと協力して組織を倒したい。そのために組織にいる色んなNOCと関係を作ってきた。対するあなた方はそのNOCだ。どうです? 俺に協力してくれたら、俺が関係を結んだNOC達と格段に連携が取りやすくなるんスけど」

 さあどうするとばかりにバーボンへ視線を投げかける。バーボンは皮肉めいた笑みを浮かべた。

「……断らせる気も無いくせに」
「失礼ッスね。別にそんな気持ちは無いッスよ」

 不貞腐れたように軽く唇を尖らせて見せるカミカゼ。バーボンは仕方ありませんね、と涼しい顔で言った。

「わかりました。その話に乗りましょう」
「ライ先輩は?」
「同意見だ。こちらにデメリットは無いようだしな」
「んじゃ、契約成立ってことで」

 ふたりの返答を聞いて、カミカゼは満足げににっかり笑った。


***


 それから互いに諸々情報交換をし、僕はカミカゼと共に店を後にする。
 因みにライは別の任務の関係で途中で分かれた。それからスコッチは栞さんの店の手伝いとしてしばらくそこで身を隠しているそうだ。

 帰り道、不意にバーボンはカミカゼに言う。

「カミカゼ」
「何スか?」
「……すみませんでした」
「え?」

 その言葉を聞いたカミカゼは驚いたようにこちらを見る。だがバーボンは彼に顔を向けることなく言った。

「そして、ありがとう。……スコッチを助けてくれて」

 その言葉はわずかに震えていた。

「あの時。炎の中で君を見た時。正直憎悪で頭がおかしくなりそうでした。どうして、よりによってあなたが、って。そればかりで。この店に来る時も、ずっとあなたのことを心底憎いと思っていたんですよ。それこそ、この手で敵をとってやりたいと思うくらいに」

 バーボンは自嘲気味に笑う。カミカゼは歩きながら黙ってその独白じみた言葉を聞いていた。

「でも実際は違いました。あなたは自らの危険を顧みずにスコッチの死を偽装したうえで、保護していた。その事実を知った瞬間、僕は心の底から思いました。……あなたに、とんでもないことをしでかしてしまったと。勘違いとはいえ、彼の命の恩人を恨むなんて……。僕は一体、何と言ったら良いか……」

 バーボンが今にも泣きそうな勢いで言葉を零す。だがカミカゼは対称的に、頭の後ろで手を組みながら何でもなさそうに言った。

「別に全然、気にしなくていいッスよ。俺は"カミカゼ"なんで、その通りのことをしたまでスから」
「え……?」

 どういうことだと思わず眉を寄せると、彼は少し得意げに人差し指を一本立てた。

「先輩、カクテル言葉って知ってます?」
「ええ……」

 困惑気味に肯定する。花言葉や宝石言葉のように、カクテルにもそれにちなんだ意味を持つ種類が存在する。それがカクテル言葉だ。
 だがそれが何と関係があるというのだろう。

「じゃあ"カミカゼ"のカクテル言葉、知ってますか」
「カミカゼ? えっと確か……」

 彼に尋ねられ、記憶の糸を手繰り寄せる。えっと確か……。

「……」

 思い出し、バーボンははっと目を見開いた。ふたりで顔を合わせ、その言葉を口にする。

「「"あなたを救う"」」

 彼と言葉が重なる。
 朔は少し悪戯っぽく、だが満足げに微笑んだ。