拾壱' 小さな手、雨、独白
暗く長いトンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった。
悪臭漂う堆積場でゆっくりと痛む身体を起こした少女の頭にそんな一文が浮かぶ。
それもそうだろう。今しがた自分が通ってきたトンネルは、紛れもないダストシュートなのだから。
自身の身体に付着したごみを軽く払う。自ら触れるその身体も、手も、普段の自分の物よりも幼く小さい。少女――シェリーはぐっと手を握りしめる。
姉の死を知らされ、組織に反抗したのをきっかけに拘束されたのが数時間前。どうせならいまここで死んでやろうと、隠し持っていた薬で自殺を図ったのがつい数分前。ようやくこれで自由になれるのだと安らかに人生に幕を引こうと思ったのだが……。
「まさか、身体が幼児化してしまうなんて」
誰もいないのをいいことに、小さなつぶやきを漏らす。そういったケースは実験段階で数体確認されていたが、まさかその当事者に自分がなろうとは……まったく予想外だ。
とにかく、こうなってしまった以上ここにいるわけにはいかない。こんな姿を見られてしまえば、組織に何をされるかたまったもんじゃないだろう。その身に起こりうるあらゆる事態を想像し、シェリーはぶるりとその身を震わせた。
ごみ溜めからなんとか抜け出し、堆積場の扉をわずかに押し開いた。目を皿のようにして周囲をくまなく確認する。外はあいにくの雨で、周りには誰もいないようだった。音をたてないように扉をさらに押し開き、その身を滑り込ませるようにして外に出る。そして濡れるのも構わずに一目散に駆け出した。
早く、自分があの場所にいないことがバレる前に早く、ほんの少しでも遠くに行かなければ。その一心でシェリーは足を動かす。
ダストシュートを通ってくる過程で靴が脱げてしまったのか、シェリーは足に何も着用していなかった。だが彼女はそんなことを気にすることなく懸命に駆けていく。水溜りを踏み、勢いよく汚水をその身に被っても、その足を止めることは無かった。
雨は段々勢いを増していく。身に着けたサイズの合わない衣服が水を吸って重みを増し、彼女の進行を妨げた。白衣だけでも捨ててしまおうかと思ったが、今ここで落としたらこの付近まで逃げたことがバレてしまう。そうなってしまうくらいならいっそその身に纏っていた方が安全だろう。
シェリーは体力の限界が近づいていることをひしひしと感じながらも必死に足を動かした。顔を打ち付ける雨粒を払うのも煩わしく、ほとんど俯きながら全力で走る。
すると案の定、曲がり角で誰かにぶつかった。
「わっ……!」
軽い子どもの身体であるシェリーは反動で思わずしりもちをついてしまう。謝らなければと慌ててその顔を上げ、謝罪の言葉を述べる。
「ごめんなさ……」
だがそれを最後まで口にすることは出来なかった。
――そこに立っていたのは、組織の一員であるカミカゼだったのだ。
最近めっきり会わなくなった彼は、雨が降っているのにも関わらず傘も差さずにそこにいた。全身ずぶ濡れで、水気を含んだ服が所々張り付いている。俯きがちになったその表情は暗く、何か思いつめたように瞳にはほの暗い光が宿っていた。まとう雰囲気はこの空模様のように、重い。
ヒュッと、自身が息を飲む音が聞こえる。
それと同時に、身体が硬直したのが分かった。早く身体を起こさなければと思うのに、一向に言うことを聞いてくれない。
そんなシェリーを他所に、何も知らないカミカゼはふとこちらに視線を寄こしたかと思うと、少し雰囲気をやわらげつつ話しかけてくる。
「大丈夫かい」
怪我は? そう言いながらわずかに小首を傾げる。だがシェリーはどうしたらよいのかわからずに硬直したままである。彼女の様子を見て何か言おうとしたカミカゼだったが、そこでハッとしたように目を見張った。まるで幽霊でも見つけてしまったかのように、おそるおそる訊ねる。
「……シェリー?」
名前を呼ばれ、目の前の彼女はびくりと身を震わせた。続いてさっと俯いて視線を逸らす。……何も言わずとも、それだけで判断するには十分だった。
カミカゼは酷く狼狽した様子でぐっと眉根を寄せた。
「どうして君が、こんな……」
「……」
カミカゼの言葉に何も言わないシェリー。それを見たカミカゼは、深々とため息を吐いた。
そしてさっと膝を曲げ、ひょいとシェリーを抱きかかえてしまう。そんなことをされるとは思ってもいなかったシェリーは、すっかり目を丸くして固まっていた。そんな彼女を他所に、カミカゼは彼女の身に纏っていた白衣をずり上げて頭から被せるようにし、その身を外から見えないようにする。
そして、くるりと踵を返して建物から離れる方向へ歩き始めた。
何も言わないまま、さも当然といったように歩き始めたカミカゼに、シェリーは戸惑いがちに問いかける。
「……どうして?」
「どうしてって……君には義手の手配をしてもらった恩もあるし、それに」
カミカゼは少し困ったように眉を下げた。
「そんな顔されちゃ、助けないわけにはいかないだろう?」
その表情はまるで幼い妹を甘やかす兄のように落ち着いて穏やかなようでいて、迷子の子どもの様に今にも泣き出してしまいそうな悲痛さも混じっている。シェリーは思わず息を飲んだ。
彼のそんな顔を見たのは初めてだった。以前はもっと、余裕があるような表情を浮かべることが多かったと思ったのだが……。
「……」
抱きかかえられてしまった手前何も言えず、シェリーは大人しく彼の胸元に体重を預ける。ずっと気を張っていたためか、疲れが出てきたようだ。その様子に気付いたらしいカミカゼが少しだけホッとしたように口元に笑みを浮かべる。
そして先ほどとは打って変わって、遊びに誘うような調子で言った。
「さて、どこに向かおうか? 行きたいところならできるだけ叶えてあげるよ」
「あら、じゃああなたの家をリクエストしようかしら」
「無理だってわかって言うなよ。流石にそれは危険すぎる」
「そうよね」
それならばと、シェリーはひとつの提案をした。
「今から私が言う住所に向かってくれる?」
住所を告げればカミカゼは静かに了解した。強くなる雨脚に打ち付けられながら、カミカゼは淡々とその歩みを進める。灰色の町は雨のせいかすれ違う人も車もおらず、まるで世界でふたりきりになったようだ、なんてシェリーは思っていた。
すると、しばらくしてあることに気が付いた。歩いている彼の体温が段々と下がってきている。慌ててシェリーは少し心配そうにカミカゼに声をかけた。
「大丈夫? かなり冷えるでしょう?」
だがカミカゼはあくまでも心配させないつもりらしい。穏やかな笑みを浮かべてシェリーの問いに返答した。
「俺は平気だよ。シェリーは?」
「私も問題ないわ」
「そっか。寒かったら言ってね」
そう言いながらカミカゼはなるべく体温を逃がすまいとシェリーをぐっと抱き寄せる。彼の鍛え上げた身体に密着するのと同時に、その身体に刻まれているであろう無数の傷を思い出して小さく胸が痛んだ。
彼は、今までもこうして来たのだろうか。
こうして、傷だらけの身体を雨に濡らしながら、自分の身も顧みず、人を助けて。
「……ごめんなさい」
気付けばそんな言葉がぽつりと口をついて出ていた。カミカゼは一瞬シェリーに視線を向けたが、再び前へと戻す。シェリーは浮かない表情のまま続けて言った。
「まさか、あなたを巻き込むことになるなんて」
「気にしないでいいよ。元々俺は組織の敵なんだから」
それよりも、とカミカゼはほとんど独り言のようなトーンで呟く。
「君が無事でよかった」
その今にも泣きそうな表情を見て、シェリーは密かに危ういなと思った。
彼は昔からそうだ。自身の安心など二の次で、すぐに無茶をする。今だってそうだ。こんなところを組織の誰かに見られでもしたら、どう考えたってこれからの風当たりや境遇が危うくなるのは目に見えている。それなのに、彼はこうやって平然と人を助けるのだ。全く、お人好しにもほどがある。
その行き過ぎたお人好しのせいで左腕を失くしたも同然だというのに……性根は何があっても変えられないらしい。
「……莫迦ね」
呆れたような調子で、つぶやく。
だがそれは強くなる雨脚によって、いとも簡単にかき消されてしまった。
***
しばらく歩いていると目的の建物が見えてきた。シェリーは小さくカミカゼの服を引いて合図する。
「ここでいいわ。他の人に見られても困るし」
「了解」
カミカゼは静かにそう言うとさっとシェリーを地面に下ろしてやる。久しぶりに降り立った地面はひやりと冷たく濡れていて、嫌でもこれが現実なのだと意識せざるを得ない。
「それじゃあ、俺はもう行くね。気を付けるんだよ」
「ええ、分かってるわ。……あなたもね」
そう言うとカミカゼはきょとんとした表情を浮かべた後に小さく微笑んで頷いた。それからさっと立ち上がり、何事も無かったかのように背を向けて去っていく。
ありがとう、と声をかけたのもつかの間。
彼は灰色の町の中に紛れて、すっかり見えなくなってしまった。