拾弐' 合わせる顔もない



 草木も眠る丑三つ時。
 街灯などない薄暗い路地を抜けるようにして、バーボンはメールで言われた通り件の店に向かう。住宅地にひっそりとたたずむその店の前で一応周囲の気配を確認し、誰も居ない事を確かめたうえで、『close』のプレートが下がっている店の扉に手を掛けた。カロンと控えめにドアベルを鳴らし、すぐに店内に滑り込んでドアを閉める。カーテンの閉められた店内でカウンター席周辺のライトのみが点灯し、ぼんやりと店内を照らしていた。

「お、来たな?」

 バーボンの姿に気付いた店員――スコッチがカウンターの向こうで微笑んだ。今日は変装をしていないらしい。シンプルなシャツの上からエプロンを身につけグラスを磨くその姿は、どこからどう見てもただの店員にしか見えなかった。すっかりマスターの手伝いが似合うようになったなと、バーボンは苦笑する。

 世間的には死んだことになっている元組織構成員の親友は現在、この店で手伝いと称してかくまわれていた。

 始めはこれ以上世話になるのも悪いからと遠慮していたものの、マスター兼情報屋である栞から捜査に役立ちそうな技術を教えると言われてしまえば断る理由も無い。それから昼は変装をしながら店員として住み込みで働き、夜は栞から様々な技術を教え込まれる……そんな生活が数年続いている。店から出る際は変装必須などかなり制約は多いが、それと同時に得るものも多いためかスコッチ自身特に不満は無いようだった。

「栞さんは?」
「今裏に行ってるよ。すぐ戻って来るんじゃないかな」

 互いに会話しながらバーボンはスコッチの正面の席に座る。すると言葉通り、タイミングよくマスターである栞が戻ってきた。

「あらバーボンさん、こんばんは〜」
「お久しぶりです栞さん」

 栗色の髪を三つ編みにして肩に垂らしたいつものスタイルの栞がにっこりと微笑む。何か飲まれますか?という問いにバーボンはお構いなく、と返した。早めに本題に入るためだ。

「それで、伝えたいことというのは?」

 真剣な眼差しでバーボンは言う。すると、少し深刻そうな表情を浮かべたスコッチが実は、と口を開いた。

「一週間後にRAMの腹心が警察庁にしのびこむ計画があるらしい」
「!」

 バーボンの顔つきが一瞬で深刻なものになった。

「狙いは?」
「詳細はまだわかってないが……十中八九、NOCリストだろうな」
「……」

 バーボンは口元に手をやりながら考え込む様子を見せる。
 一度組織を抜けたキールが再び戻ってきたのをきっかけにか、最近組織内でネズミをあぶりだすような動きが活発になってきていた。そのため、NOCであるバーボン自身も今まで以上に気を張り詰めた行動を心掛けていたのだが、まさかここまで直接的な動きを見せるとは……。

「何か対策を練らないとな」

 ぽつりとバーボンはつぶやく。するとそれに重ねるようにして栞が情報を補足する。

「それとまだ不確かだけど、その作戦に朔くん……カミカゼも参加するらしいよ〜」

 その名を聞いて思わずぴくりと肩を震わせた。一拍ほど遅れて、それとない返事をする。

「そうか、彼が」

 カミカゼはバーボンらと組んでいた頃に比べて、さらに組織内での地位を向上させており、もう既に何度か幹部との任務に当たったことがあると聞く。それならばRAMの腹心と組んで重要任務に当たるのも当然の事だろう。
 バーボンはなるべく表情を変えないようにして冷静に言った。

「なら彼とも連絡をつけておいてください。連携が取れたほうが作戦の幅も広がるでしょう。僕は僕で対策を……」
「なあ」

 だが不意にスコッチが口を挟む。

「何かあったのか?」
「何かって、何が」
「わからないとでも思ってんのか? おかしいだろ。あいつの名前を出した途端に」

 何も知らないスコッチの冷静な指摘に、彼の隣にいる栞の顔色がわずかに曇る。
 バーボンはそっと視線を伏せながら静かに言った。

「……まあ、色々な」

 この店で出くわした日あの日……彼が左腕を失った日から、カミカゼとは一度も会えていない。

 今思えばあれは気持ちが高ぶってついカッとなってしまった、単なるくだらない口喧嘩だ。そんなことくらいわかっているし謝って関係を修復したいと思ってはいるのだが、肝心の彼が一向に捕まらないのだから謝りようがない。おそらく、彼の方がこちらを許していないと捉えるのが自然だろう。
 何も言えずにいるバーボンに、スコッチは呆れ気味に言った。

「お前たちに何があったのかは知らないけど、仕事に支障が出るようなことはするなよ?」
「それは勿論、わかってるさ」

 とにかくまた情報が入り次第連絡してくれと告げて、バーボンは店を後にした。
 これから取るべき行動を考えつつ、ふと空を見上げる。

 厚い雲に覆われた夜空は、星ひとつ見えやしなかった。


***


 それから一週間後。ついに運命の日が訪れた。

 深夜。
 カミカゼとRAMの腹心であるキュラソーは、予定通りに警察庁へ忍び込む。暗闇に紛れるように移動しつつセキュリティを難なく攻略し、目的の部屋を探すために二手に分かれた。

 例の部屋を先に見つけたのはキュラソーの方である。部屋に忍び込んだキュラソーは、カミカゼに連絡を入れつつ指紋を残さぬよう最新の注意を払いながらNOCリストを閲覧し始める。ぼうっと照らされる彼女の顔には何の表情も宿っていなかった。スタウト、アクアビット、リースリング……組織に侵入しているNOCの名前をしっかりと目に焼き付けていく。

 そしてポケットから半透明のカードを取り出した。五枚のカードはリングでひとつにまとめられており、赤、青、オレンジ、緑、白とそれぞれバラバラの色合いをしている。それらを扇状に広げ、視界に入れた、その時。

「そこまでだ」

 不意に声をかけられ、部屋が明るくなる。驚いたキュラソーが振り返ると、入り口付近にスーツ姿の男性らが立っていた。刑事に嗅ぎつけられたのだろう。刑事らはキュラソーに動かないよう言うが、彼女がそれを聞くはずもない。不敵に笑い、瞬時に刑事ら数人をノックアウトしてしまった。いきなりのことにたじろぐ彼らを他所に、キュラソーはさっさとその部屋を後にする。
 長い廊下を駆け抜け、突き当りに差し掛かろうとしたその時。

「!」

 突き当りの影から見知った顔が姿を現した。スーツ姿のバーボンだ。

 彼はキュラソーを見るなり素早く攻撃を仕掛けてくる。互角に見えたが、虚をついたバーボンの攻撃が命中する。その弾みで装着していたカラーコンタクトレンズの片方が外れてしまった。

 左右で違う色の瞳を見てたじろいだバーボンの一瞬の隙を、彼女は逃さない。一目散に駆け出し、突き当りのガラスを破って外へ飛び出した。彼女は華麗な身のこなしを駆使して地面に降り立つと、途端に警察庁の敷地から離れていく。

「逃がすか!」

 外に逃げられてしまったのを追おうとバーボンが廊下を進んだその時、「降谷さん!」と部下の焦ったような声が飛ぶ。
 弾かれるようにそちらに視線を向けたその先には、飛び掛かってきた何者かの足が目前に迫っていた。

「ッ!!」

 咄嗟に腕で受け止める。全体重が乗っているためか、かなり重い一撃だ。
 ぐぐ、と足に力を入れて勢いを殺し、反動を使って跳ね飛ばす。だが蹴りを仕掛けてきた当の本人は、何も言わずにくるりと宙を舞い、足音ひとつ立てずに着地した。

「カミカゼ……!」

 その姿を見た部下のひとりが重々しく声を漏らす。
 ニット帽にパーカーといういつも通りの出で立ちのカミカゼは、その言葉に眉ひとつ動かすことなく、黙ってバーボンを見つめていた。その表情は思わずぞっとするほど感情が見られない。対するバーボンも、彼のことを正面からしっかりと見つめていた。バーボンにとってみれば待ち望んだ数年ぶりの再会であるが、状況が状況なだけにその表情は硬い。

 数秒ほど無言の睨み合いが続いたところで、ふたり同時に駆け出す。バーボンから繰り出される拳をカミカゼは軽々と避け続け、技と技の合間を縫うようにして自身も素早く攻撃を仕掛けてくる。
 だがバーボンも負けてはいない。カミカゼの技をすべて見切り、ギリギリのところで躱す。それを見るも止まらぬ速さで繰り返すのだから、周囲の刑事らは目で追うのがやっとだった。
 まさに互角。一進一退の攻防だと誰もが思った――その時。

 建物の外で短いクラクションが数度鳴らされる。
 それを聞くなり、カミカゼは一瞬だけ視線を外にやった。その隙をバーボンは逃さない。

 素早く繰り出された拳が見事、カミカゼの左頬にクリーンヒットした。
 ガツン、といい音が周囲に響く。

 不意打ちの衝撃でカミカゼは思わずよろめき数歩後ずさるが、決して倒れはしない。バーボンはその隙に素早く間合いを取った。

「……」

 ゆらりと、カミカゼの体が揺れて視線がバーボンに向けられた。口内を切ったのか、つうと口の端から細く赤い糸が一筋垂れている。

 このまま第二ラウンドが始まるのかと思いきや、カミカゼはあっさりバーボンとの戦いを放棄した。
 キュラソーが先ほど破ったガラスから勢いよく飛び出す。そしてちょうど落下地点付近に走ってきたタクシーにガシャン!と着地すると、そのまま警察庁から走り去ってしまった。

 その一部始終を見ていたバーボンは、くるりと窓を背にしながら部下に尋ねた。かつかつと複数の靴音が薄暗い廊下にせわしなく響いている。

「状況は?」
「はい。予定通り・ ・ ・ ・、キュラソーはNOCリストを閲覧した模様です」
「よし」

 バーボンは力強い光をその眼に宿らせながら言う。

「第一段階クリアだ」


***


 ガシャン!と勢いよく着地したにもかかわらず、タクシーは走り続けていた。なかなか扱いがひどいなと思っていると、走行しながら助手席の扉がばたんと開く。乗れ、ということか。そう解釈したカミカゼは、開いた扉へ上から器用に身体を滑り込ませる要領でタクシーに乗り込んだ。ばたん、と扉を閉めながらカミカゼは冷静に言う。

「助かりました」
「流石ね」
「いえ」

 運転していたのはキュラソーだった。カミカゼはシートベルトを閉めながら口の端の血を拭う。彼女の助手席に乗るのはもちろん初めてだが、かなりの運転の荒さだった。まあ、それもそうだろう。背後から二台の車が猛スピードで追いかけてくるのだから。
 キュラソーは眉間にしわを寄せながら、追手を撒こうと車を走らせる。

「報告は」
「まだよ」
「そうですか」

 カミカゼがそう言うと、キュラソーは思い出したかのように携帯を操作し始める。しかもカーチェイスしながら片手で、だ。あまりにも危なっかしすぎると思ったカミカゼは、途端に彼女の携帯をさっと取り上げる。

「……どういうつもり?」
「別に。ただそんなことをされると場合によっては俺も死にそうだったので、代わりに打とうかと」
「……」

 キュラソーは一瞬ちらりとカミカゼを睨みつけたが、確かに彼の言うことも一理あると思ったのか、ため息ひとつで了承してくれた。

「NOCは……」

 キュラソーが告げる内容を、カミカゼは一字一句違えず打ち込んだ。素直に送信ボタンを押すと、送信完了画面を彼女に見せる。それを見たキュラソーは不敵な笑みを浮かべる。

「これで任務完了ね」
「いや、まだ重要な任務が残ってます」
「え?」

 その瞬間、カミカゼは懐から小型のスプレーを取り出してキュラソーへ噴出した。
 あまりにも突然の出来事にキュラソーは動揺を隠しきれない。そして数秒もしないうちに瞼を下ろしてしまった。がくりとシートにもたれかかる姿を見てほっと息をついたのもつかの間、カミカゼは大急ぎで助手席から身を乗り出すようにしてハンドルを取る。だが運転なんてやったことのない彼にとって、これは未知の体験だった。

「ったく……こんなことなら現世の免許でも取っておけば良……――!」

 ――ガシャン!!

 ふたりの乗った車が道から逸れ、勢いよく左側の壁高欄に衝突した。
 衝突した勢いが強すぎたのか、壁高欄は崩れ、そのまま車ごと眼下の海へ落下する。

「まずい……!」

 カミカゼはキュラソーのシートベルトを外すと、彼女を小脇に抱えて車から出る。だが橋まで跳躍しようにも足場が悪く、結局ふたりとも海に落ちてしまった。

 キュラソーを抱えたまま必死に海面へ浮上する。吸わせた催眠剤がいささか強力すぎたのかはたまた別の要因かはわからないが、彼女は未だに瞼を下ろしたままだった。カミカゼは岸までの方向と距離を確認し、彼女の負担にならないように注意を払って泳ぐ。
 ようやく岸が目前に迫ってきたところで、バタバタと何者かの足音が近づいてくるのが聞こえてきた。

「カミカゼ! 大丈夫か!?」
「朔くん!」

 駆け付けたのは栞とスコッチのふたりだった。ふたりはカミカゼとキュラソーを見つけるなり、慌てて陸にあげるのを手伝ってくれる。

「ったく、無茶しやがって……」
「ふたりを乗せた車が事故った、ってライさんから報告を受けたときはもう駄目かと思ったよ〜」
「すみません、まさかこんなことになるとは……もうちょっと詳しく連絡出来てればよかったんですけど」
「キュラソーとの任務だからって、数日前から監視されてたんでしょ? なら仕方ないよぅ」
「はい……」

 陸に上がったカミカゼは服を絞りながら眉を下げて言う。そして何のためらいもなく、頭に被っていたニット帽も外してさっさと絞り始めた。帽子の下に隠されていた耳と角を見て、スコッチは思わず目を丸くする。

「カ、カミカゼ……? なんだ、その耳と、角……?!」
「え? ……あ」
「あーあ、やっちゃったね朔くん」

 時間差でそっと頭に手をやるカミカゼと、やれやれと頭を抱える栞。未だに混乱した様子のスコッチを置いてけぼりにして、ふたりはのんびりと会話を続ける。

「すっかり油断してた……まずいなあ、これでも頑張って隠してきたのに」
「こりゃ鬼灯様に怒られるよ〜?」
「はは、それは嫌ですね」
「……どういう、ことだよ」

 疑惑の眼差しを向けるスコッチ。だがカミカゼの表情は穏やかだった。悪戯っぽく目を細めて、水気を切ったニット帽を被りながら言う。

「まあ、この世は知られてない謎で溢れてるってことッスよ。スコッチ先輩」
「はあ……?」

 言葉の意味が解らず呆然としているスコッチを他所に、「それよりも」と話題を強引にひき戻す。

「手筈通り、NOCリストを記したメールは既にRAMに向けて送ってあります。なのでその宛先の解析を」
「はいよ〜」
「それと、彼女もお願いします。一応組織では事故で死んだって事にしておくので、そのつもりで。あと彼女、意識を取り戻したら何をするかわからないので警戒は怠らないでください」
「わかってるってばぁ」

 栞はカミカゼからキュラソーと彼女の携帯を受け取る。するとカミカゼは用は済んだとばかりにふたりに背を向けた。

「それじゃあ俺は、リストに載っていた人たちにこれから連絡を取って、始末しに来るであろう幹部を叩くための最終調整に入ります」
「大丈夫か? 少し休んだ方が……」
「大丈夫ッス。義手はまだ動くし、それに」

 ぐっと、左手を握りこむ。その表情は真剣そのものだった。

「チャンスを逃すわけには、いかないから」

 目を見張るスコッチを他所に、栞は大きくため息をつく。こうと決めたら梃子でも動かないのは、昔から変わらないようだった。

「わかった。なにかあったら連絡よろしくねぇ」
「はい」

 その後、送信されたNOCリストをもとに、捕縛するために集まってきた幹部たちを世界各地で捕獲。それから芋づる式にボスまでたどり着き、捕縛。キュラソーとカミカゼが警察庁内に侵入して三日も経つ頃には組織の人員のほとんどが捕縛されることになり、組織は事実上壊滅した。

 そして与えられた役目を終えたカミカゼーー朔は、組織の壊滅を見届け、地獄へ帰還。
 まるで煙のように消息を絶ったのだった。