拾肆' でたらめに晴れた空
「だから言ったでしょう。休んでくださいって」
「悪いな、風見」
警察庁の階段を下りながら、降谷が弱々しい声で言う。対する風見の表情は随分と硬かった。降谷の身体がふらつかない様、十分注意を払いながら隣に付き添う。数か月前までは信じられなかった光景だが、それに動揺している余裕なぞ彼にはない。
「悪いと思うのならきちんと休んでください。ええ。1ヶ月くらいは休暇をとっても、貴方なら何も言われないでしょう」
「1ヶ月か。流石にそんなに休んだら身体がなま……わかっているよ。きちんと休むさ」
風見のじとりとした責めるような顔を見るなり、降谷は困ったように笑った。
階段を下り切り、出入り口をくぐって外へ出る。さて彼を早く車に乗せて家へ送り届けなければ。そう思いながら降谷に尋ねる。
「ご自宅までお送りします。車のキーをお借りしても?」
「ああ」
そう言って降谷は自身のポケットからキーを取り出した。だがそれを受取ろうと手を伸ばした時、運悪く降谷の手からそれがすり抜けて地面に落ちてしまう。カシャーン、と金属製とアスファルトがぶつかる音が辺りに響いた。上司の愛車のキーを落とした、という事実に風見はさあっと血の気が引く。
「申し訳ありません! 降谷さ、ん……」
素早くしゃがみ込んで拾い上げ、誠心誠意のこもった謝罪をしつつ、降谷を見上げる。だが降谷は風見を嗜めることなく、ただ茫然と別の方向……警察庁の門の前あたりを見つめていた。その目は今にも目玉が落ちてしまいそうなほど見開かれており、口は閉めるのを忘れてしまったように半開きである。
あまりにも普段の上司の姿とはかけ離れた表情をしているのを見て一瞬面食らいつつも、一体そちらに何があるのだろうと風見も降谷の視線の先を追いかける。そして同じように驚愕に目を見開いた。
そこに立っていたのはひとりの青年だった。
色の抜けた金髪、色素の薄い瞳、日焼けしていない白い肌、そして左腕の義手。和風の服装や頭頂部の角のようなものなど気になる点は多々あるが、彼はどこからどう見ても、公安がずっと追い求めていた望月朔――コードネーム・カミカゼ本人だった。どんなに探しても消息が掴めなかった人物とまさかこんなところで出くわすとは……。
予想外の展開にひとまず上司の判断を仰ごうと、「降谷さん」とひとことつぶやいたその時。目の前の青年はさっと顔を青くしたかと思うと、くるりとこちらに背を向けて逃走した。そしてほぼ同時に、隣にいたはずの降谷がそれを追い掛けるように駆け出す。まるでつむじ風が通り抜けたかのような速さで、ふたりの背中がぐんぐん小さくなっていく。
すっかりふたりの姿が見えなくなってしまったところで、取り残された風見はひとりつぶやいた。
「……あんな元気どこに残ってたんだ、あの人」
***
走る、走る、とにかく走る。
久しぶりに訪れた街並みを懐かしむ間もなく、必死になって走り続ける。
逃げるのは組織の元幹部であるカミカゼ……もとい朔。
そして追いかけるのは同じく組織の元幹部のバーボン……もとい降谷だ。
「あーもう! 本当に面倒なことになったな……!」
必死で駆け抜けながら朔は独り言をこぼす。
目が合った途端に始まったこの壮絶な追いかけっこは、かれこれもう10分近く続いていた。本来であれば人外である朔の圧勝なのだが、生憎連日の無理な出勤のせいで随分と体力が落ちてしまっている。また朔よりも地の利があるため、どんなに朔が路地に逃げ込もうとも先回りされてしまうのだ。よって比較的いい勝負にもつれ込んでいるのである。
本当に彼は人間なのかという疑問を持ちつつも、朔は必死に足を動かし続けた。
「鬼灯さんめ……! こうなるとわかってて俺をここに連れてきたな……!!」
荒療治すぎるだろあの人……じゃない、あの鬼神!! なんて脳内セルフ突っ込みをかましていると、運悪く行き止まりに入ってしまった。慌てて引き返そうにも足音はもうすぐ傍に迫っている。どうする? 飛び越えてしまおうか? だがもし見られでもしたら……。
そうして対応を迷っているうちに、後ろからぱっと右手首を掴まれてしまった。
「やっと、見つけた」
「……」
ぜえはあと肩で息をしながら降谷は言う。その言葉を聞いて、朔は観念したように振り返った。なるべく平静を装いつつ、なんでもなさそうに言う。
「あー……お久しぶりッスね、バーボン先輩」
「今までどこにいた」
おちゃらけた朔とは正反対に、降谷の声色は鬼気迫るものが滲み出るようだった。
「どこに、って……普通に生きてましたよ。普通に」
「普通?」
降谷の片眉が上がった。ぐっと、手首を握る手に力がこもる。
「あらゆる手段を使って探しても消息不明。それどころか、今まで生きていた形跡すら一切見つからないのが"普通"、だと?」
「……」
降谷の責め立てるような口調での問いかけに、朔は押し黙るしかない。
現世での仕事のために『望月朔』としての戸籍が用意されていたといっても、それはあくまで記録上のもの。学校の同級生や担任の教師、近所に住んでいた人物など、確かにそこで生きていた証言ばかりはどうにもならないのだ。いくら調べたところで出てくるわけが無いのである。
口を噤む朔の重々しい表情に、降谷は少しだけ握っている力を緩めた。
「……すまない。別に僕はこんなことを君に言いたくてここまで追いかけて来たわけではないんだ」
そうして少しだけ閉口した後、おそるおそる、その本心を口にした。
「君に、ずっと謝りたかった」
「……俺に?」
意外な言葉に、朔は訝し気に小首を傾げた。全く思い当たるフシがないのである。降谷は俯きがちになりながら、ぽつりぽつりとその真意を語り始めた。
「あの夜、店での一件で、ずっと君と疎遠になっていただろう。そのことを、ずっと、後悔していたんだ」
ふっと手首が軽くなる。降谷が手を離したのだ。
「……あの時は、僕も言い過ぎた」
すまない。そう言って降谷は深々と頭を下げた。その様子を、朔は呆然とした表情で見つめている。
「ヒロ……スコッチの命の恩人である君が、まるで『自分の命はどうでもいい』とばかりに怪我をしてくるものだから、ついカッとなって……」
頭を下げたまま、ぐっと太ももあたりの布地を握りこむ。よく見るとその手は小さく震えていた。
「怖かったんだ。君が腕をなくしたのを見た時『次はないぞ』と言われているようで。今度は君がいなくなってしまうんじゃないかと、思って、……怖かったんだ。それくらい、僕の中で君は、かなり大きな存在になっていた。組織内での数少ない……"仲間"として」
降谷の言葉がひとつひとつはっきりとした形を持って、朔の中に入ってくる。降谷が今までどんな思いでいたのか、それをありありと知ることになり、朔はただ目の前の光景を見つめることしか出来なかった。
「何年もずっと避けていたんだ。君が僕のことをよく思っていないのは充分わかってる。でも、たとえ君がどう思っていたとしても、自己満足だと言われたとしても、僕は謝りたいんだ」
もう一度振り絞るような声で、すまない、と言って、それきり降谷は閉口してしまった。
「……頭を上げて、ください」
少しして、朔がぽつりとつぶやくように言った。その言葉を聞いて、ゆっくりと降谷は頭を上げる。
朔は視線をうろつかせながら後頭部を掻き、「……どういったらいいかわかんないスけど」と前置きをしたうえで話し始めた。
「俺、あの時……店で先輩に色々言われた時、正直なんで先輩があんな風に怒ってるのかわからなかったんス。だって怪我をしたのは俺で、先輩じゃない。なのになんで怒るんだろうって。それでしばらく距離を置こうと思ってたら、そのまま顔を合わせにくくなっちゃって……。ほんと、それだけなんです」
混乱する頭のままなんとか言葉を紡いだ。つっかえながらも少しずつ、懸命に。降谷はそれを黙って聞いていた。
こんな関係性になってしまった原因であるあの日のことをそれぞれの視点から口にすることで、互いに対して生まれていた誤解が無くなっていく。
「先輩がそんなこと思ってたなんて、俺知らなかった。先輩が俺の身をそこまで案じてたなんて、全然わからなかった。……馬鹿ですね、俺。そんなに大切に思ってくれた人を、顔を合わせにくいってだけで何年も避けてたなんて……ほんと、馬鹿だ」
眉根を寄せながらぐっと手を握りこむ。
「なので俺にも謝らせてください。……先輩の気持ちに気付かないで避けちゃってて、すみませんでした!」
ぴしりと手を身体の側面につけ、がば!と勢いよく頭を下げる。数秒後、再びがば!と頭を持ち上げた。目の前の降谷が目を丸くしているのを他所に、それで、と言葉を続ける。
「えと……これで仲直り、ってことでいいスか……?」
ちょっと照れくさそうに笑って、朔はおそるおそる右手を差し出す。
降谷は差し出された手と朔の顔を視線で何往復かしたのちに、そっと自らも右手を伸ばし、その手を握った。ぐっと握られた手は確かに、彼の感触を伝えている。
それから少しして、ようやく風見が息を切らしながらふたりに追いついた。
「すみません、降谷さん……!」
「今来たのか。遅いぞ風見」
そう言って降谷はいつもと変わらない様子で、笑った。