#03


「つーか黒羽。そもそもお前、なんで海に落ちてきたんだよ」

 黒羽の現助手であるらしい男……じいちゃんさんから受け取った服に着替えるため、半渇きの服を脱ぎながら俺は言う。隣にいた黒羽が空色の瞳をきょろりとこちらへ向けた。

「まー色々あってな」
「色々ってお前なあ……」

 流石に大雑把すぎるだろ。苦々しい顔を浮かべながらそんなことを考えていると、黒羽は何食わぬ顔で補足する。

「予定通り今回の狙いのエッグを手に入れた後、いつもみてーにハンググライダーで飛んでたら、何者かに右目を狙撃されたんだ」
「そっ……!?」

 不意に飛び出した非日常的な単語に、思わず脱いだ服を落としそうになった。

「まあ何とか致命傷は逃れたし、海に落ちたくらいで大した怪我もしてねーからいいんだけどよ」

 いやいや、なんでそんなに冷静でいられるんだよお前は、とツッコまずにはいられないが俺はそれを何とか飲み込む。

 それにしても、引き上げた時から黒羽の右目の下についていたあの一筋の傷は、狙撃されたときについたものだったのか。だとすれば恐らくその線の周りに散らばる小さな傷は、割れたモノクルの破片によるものだろう。なるほど、どうりで海から落ちてきた時にトレードマークの右目のモノクルが無いはずだ。

「その代わり、エッグは置いてきちまったけどな」
「置いてくる? お前狙撃されて海に落ちたんだろ? どうやって……」
「仕込んでおいた鳩に届けさせた。割れたモノクルと一緒にな。そこまでの重さも無いし、きっと地上に届けてくれてると思うぜ」

 新しいシャツに袖を通し終えた黒羽は言う。仕込んだ鳩に届けさせるとは……なんともまあ器用なこって。一呼吸遅れて着替えのTシャツに着替えた俺はそのことなんだけどよ、と続けざまに質問を投げかけた。

「置いてきてよかったのか? それが欲しくてわざわざ盗んだんだろ?」
「あれをずっと持っていたら俺の命がいくつあっても足りねえよ」

 うへえ、という声が聞こえてきそうなほどうんざりとした様子の顔でため息を零す黒羽。まあ確かに、言いたいことはわからないでもない。黒羽はシャツのボタンを止めながら至って冷静に推測を話して聞かせる。

「狙撃した奴は恐らく、エッグ狙いだろうからな。俺がエッグを持っていないとなりゃ、執拗には追ってこないさ」
「もしエッグ狙いじゃなくお前本人を狙ってたらどうすんだよ」
「そうなったらまあ……その時考える」

 黒羽の回答に俺は思わずズッコケた。天下の大怪盗っていう割にはのんびりしてんなあ……。仮にも、命を狙われてるかもしれないってのに。俺だったらもっと挙動不審になる自信があるぞ。
 ボタンを留め終えた黒羽はそれに、と補足した。

「俺の本来の目的はエッグをを俺の物にすることじゃねえしな」
「そうなのか?」

 俺は思わず目を丸くする。それは初耳だ。てっきりそのエッグとやらを手に入れるため……正確に言えば、あれについた宝石やらなんやらを手に入れるために黒羽は盗みを働いたのだと思っていたのだが……。すると、すっかり服を着替え終えた黒羽がズボンのチャックを上げながらさらりと説明してくれた。

「あのエッグは元々、香坂家が所有するものなんだ。どんな経緯で鈴木財閥に渡ったのかは知らないが、あれはあいつらの手にあっていいものじゃない」
「……つまりお前は、エッグを本来の所有者に返すために、わざわざ盗みを働いたっていうのか?」
「ま、そういうことになるな」

 ニッと黒羽はどこか得意げに笑う。対する俺は信じられない思いで目の前のこいつを見つめていた。
 エッグを本来の所有者に返す……ただそれだけのために、こいつは命がけで盗みを働いたのだという。しかも香坂家とは何の縁もゆかりも無いだろう黒羽がほぼ命がけで、である。それが俺の中ではかなり衝撃的な事実だった。

 妹の話だとキッドは確か、何か理由があって怪盗をしているらしいというなんとなくの知識はあったが……まさかこういう慈善事業のために盗みをやっているのか? それだと俺のキッドを見る目とか印象とかが大分変わってくるんだが。

「? 悠介、どうかしたか」
「ああ、いや悪い。なんでもない」

 急にじっと見つめたまま黙りこくった俺を不思議に思ったらしい黒羽が訊ねる。俺は慌てて誤魔化しつつ、視線を逸らした。今しがた脱いだ生乾きの服を軽く畳みながら、ついでに話題も逸らすことにする。

「んで? これからどーすんだよ怪盗さん。エッグは向こうに返しちまったんだろ? まさかもう1回予告状を出して盗みに入るのか?」
「いや、わざわざそんなことはしねーよ」

 黒羽は机の上にあったノートPCを立ち上げる。そこに繋がったイヤホンを耳に刺しながら、にやりと笑った。

「俺にいい考えがあるんだ」


***


 2日後。米花町。

 すっかり夜も更けた頃。俺はとある路地裏で、ある人物を待っていた。エンジンの切れた愛車に軽く腰かけるようにしながら腕を組み、イヤホンの向こうの音に耳を澄ませる。

「早くしてくんねえかなあ……」

 そろそろ高校生がひとりでこの場所にいるのは色々と問題になりそうだ。そんなことを思いながらぼんやりと空を見上げる。今日は雲が多いせいか、あまり空は綺麗に見えなかった。そうこうしているうちに、イヤホンの向こうで鳥が羽ばたくような音がする。そろそろだろうか。

 すると、タイミングよく俺の名前を呼ぶ声がした。そちらを見ると、帝丹高校の制服を身にまとった高校生探偵の工藤新一が笑顔でこちらに駆け寄ってくる。日本一有名な名探偵をちらりと確認すると、俺は半目になりつつバイクのエンジンをかけた。

「遅かったな、黒羽」
「わりーわりー、ちょっと手間取っちまってよ」

 工藤新一……もとい、それに扮した黒羽が、困ったように眉を下げて笑いながら謝った。わしわしと頭をかき回してすっかりいつも通りの髪型になる。本当に髪型変えただけで化けられるんだなこいつ……。俺が感心している間に着ている服もさっと黒いツナギに早着替えしたようだ。確かに制服のままだと目立つだろう。

「ほんと、便利でいいねえマジックは」
「便利とか言うなよ。別に魔法でもなんでもねえんだから」

 一般人の俺から見たら、種の分からない手品もファンタジーな魔法も同じようなもんだがな。
 ほらよとヘルメットを投げ渡せば、黒羽はサンキュと礼を言って素直に受け取る。

「おつかれさん。借りは返せたのか?」
「ああ、もちろん」

 ヘルメットを身に着けようとした黒羽は手を止めてニカリと笑う。右手をすっと差し出し、ワンツースリーとカウントした。ぼふんという音とともに手のひらが煙に包まれる。

 次の瞬間、そこには白い鳩が大人しく乗っていた。
 怪我をしているのか、その羽には包帯が巻かれている。たった今現れたそれを、俺はまじまじと見つめた。

「こいつが例の……」
「そ、エッグを届けてくれた鳩だ」

 まさか名探偵が手当てしてくれてたとはな、なんて言いながら黒羽は笑う。俺が恐る恐る人差し指を近づけると、ちょいちょいと軽くつついてきた後に頭を摺り寄せてきた。可愛い。

「お、お前も悠介が気に入ったみてーだな!」
「気に入ってもらえたなら何よりだ。そんじゃ黒羽、そろそろ行こうぜ」
「おう」

 黒羽はそう言うとまたカウントの後に鳩を消し去った。それから改めてヘルメットを被った黒羽が俺のバイクの後ろに乗り、腰のあたりの服を掴む。

「んじゃ、しっかりつかまっとけよー」

 そう言ってバイクを発進させ、素早く路地裏を後にした。大通りに出て、江古田町方面へ向かう。俺が運転している間、黒羽は終始楽しそうだった。なんでも、こうして誰かのバイクの後ろに乗るのは初めてらしい。楽しい気持ちはわかるが、そのはしゃぎようで思わずハンドルとられそうになるからもう少し落ち着いてくんないかな。

「にしても、すごい濃い2日間だったぜ」

 ここに至るまでの経緯を思い出し、俺はひとりため息をついた。

 『何の技術も知らないままハイ実践、ってのは流石にきついだろ? だから今回はいつも通り俺とじいちゃんで仕事をする。その代わり、悠介は次回のためにしっかりじいちゃんから色々教わっとけよ?』と言って黒羽はじいちゃん、と呼ばれる人物に俺に色々仕込むようにと指示を出す。彼は黒羽と縁のある人物のようで、黒羽の指示を聞くなりふたつ返事で承諾した。

 それからというもの、俺はじいちゃんさんに様々なこと――今回は主に後方支援的なことを重視しているらしい――を教え込まれた。船内無線の盗聴に始まり、データベースのハッキング、盗撮、変装道具の準備、エトセトラエトセトラ。どれもこれも、まっとうに生きていたら必要のないことばかりだ。バレたらマジで捕まるやつがちらほらある。

 こんなことを何食わぬ顔でやってのけるじいちゃんさんはどう考えたって化け物だ。世界を股にかける怪盗さんの助手は、並の精神力じゃ務まらないというのが嫌というほど思い知らされる。

 俺は初めてのことで文字通り右も左も分からない状態だったのだが、じいちゃんさんの教えがいいのか、かなりの短時間で教えられた技術を身に着けることに成功していた。といっても、まだなんとか一通りこなせるというだけでベテランであるじいちゃんさんには程遠い。

『初めから完璧な人など存在しませんよ。かくいう私もそうです』
『後もう少し実戦経験を積めば、その内慣れてきますよ』

とじいちゃんさん談。うーん、ほんとかねえ……。

 対して黒羽の方はと言えば、それなりに順調なようだった。『エッグを輸送する船内で殺人事件が起きたらしいからそれに便乗して警察官の変装をして船に乗り込もう』、というアイデアを言い出した時にはちょっとどうかしてると思ったのだが……。流石は天下の大怪盗。咄嗟の対応力がエグすぎる。結局潜入してから今に至るまで正体を公に晒すことがなかったのだから、本当に大したものだと思う。

「いつもこんなことばっかやってんのか?」
「まーな。どんなに綿密に計画を練っても、結局計画通りにいかないことがほとんどだ」

 けどよ、と黒羽は言葉を切る。

「そっちのほうが、俺は俄然燃えるね」

 にしし、と悪戯っぽく黒羽は笑う。窮地に陥って笑っていられるのはよっぽど大物の証だろう。対する俺はわずかに表情を曇らせた。

 ……今更ながら、本当に俺がこいつの助手になってもよかったんだろうか。俺は別に何かに優れているというわけでもない、ただ成り行きでそうなっただけの平凡な人間なのに。

 そんなことを思う俺の心を見透かしてか、黒羽は「悠介!」と俺の名前を呼んだ。そして何かを企むかのように口の端をにやりと上げる。

「次の仕事からしっかり働いてもらうぜ?」
「……お手柔らかに頼むよ」

 俺は苦笑しつ返答した。
 江古田町に向けて走るふたり乗りのバイクから見た景色は心なしか、今までツーリング見たどの景色よりもわくわくに満ちていた。
 
 ――かくして俺は、大怪盗の共犯者助手≠フ称号をありがたくも頂戴したのである。


 ああ、胸が高鳴って仕方がない。
 だって今日から俺たちは――