#04


 夏休みが明けて数日。1日の授業を終えた俺はいつものように帰り支度をしていた。
 すると背後から軽快に肩を叩かれる。

「悠介! 一緒に帰ろうぜ」

 ぱっと振り返れば、明るく笑った黒羽が立っていた。俺の肩に触れていない方の手にはちょいと鞄を引っかけている。なんとなくそう来るだろうと予想がついていた俺は、これ見よがしに眉を下げて黒羽に謝罪の言葉を述べた。

「わり黒羽、俺」
「快斗」

 俺の言葉を遮って黒羽は言う。少し不満そうに唇を尖らせつつ、眉を寄せる。

「俺とお前の仲なんだ。いい加減名前で呼べって言ってんだろ?」

 どんな仲だよ、という言葉は飲み込んで。
 俺は一瞬動きを止めたが、少々呆れ気味になりつつもセリフを再開した。

「……黒羽、今日俺日直だから日誌書かなきゃいけねえんだ」
「あーそういやそうだったな」

 黒羽は思い出したかのようにぽりぽり頬を掻いた。
 このクラスにおいて日直の仕事はそこまで多くはないが、その代わりに必ず日誌を書かなければならない。今日は一緒に担当していた子が用事があると言うので、代わりに俺が引き受けたのだ。
 すると黒羽は、その明るい笑みを崩すことなくあっけらかんと言った。

「んじゃ俺も手伝うよ」

 さも当然のように前の席の椅子をガタリと引き、こちらを向いて座る。てっきり先にさっさと帰るのかと思っていた俺はきょとんと目を丸くした。

「別に先帰ってもいいんだぜ? 時間かかるかもしれねーし」
「こんなのふたりでやったら楽勝だろ。いつものとこ行きてーし、ちゃっちゃと終わらせちまおーぜ」

 いつものところ、と言われて俺は苦い顔をする。ため息交じりに頭を掻いた。

「今日も逃がしてくれねーか」
「あったりめーだ。何があるかわかんねーんだから、日々鍛錬は基本だ」

 腕を組んでふんと鼻息を荒くする。さいですか。俺は渋々シャーペンを握った。

 夏休みのあの鮮烈な出会いから早数日。俺は毎日のように黒羽やじいちゃんさんと顔を合わせ、怪盗の助手に必要な様々な技術をみっちり教え込まれていた。とうの俺ははっきり言ってヒイヒイである。

 しかも裏方に関する技術だけではなく、変装やハンググライダーの使い方なんかの表舞台で役立ちそうな技術も幾つか教え込まれた。「もしものために」と繰り返しながら様々な技術を教え込むふたりに、何度「そのもしもは絶対に来ないから安心しろ」と言い放ったことか……。

 それと同時に、もう何度か実践経験も積んでいる。
 といっても、じいちゃんさんの指示に従って動いただけで、俺個人への負担としては小さいものである。だがこれで俺も本格的に言い逃れのできない立場……怪盗キッドの助手、という名の共犯者になってしまったことに変わりはない。

 妹が聞いたら「私と変われ!」と胸倉をつかまれるか「なんで寄りにもよってお兄ちゃんが!」と悔しそうにするのどっちかだろうなと思うと同時に、こんなこと口が裂けても一生言えないなとも思っている。たとえこれがすべて一晩の間に見ている俺の夢だったとしても、だ。

 それにしても、この世界から出られなくなったと気付いたのが確か5月とかその辺だから、もう半年近く俺はこの夢を見続けている。半年……月にして6ヶ月だ。どこからどう考えても長すぎるだろう。

 ちなみに今のところ一向に目が覚める気配はない。それどころか、正直時々元の世界の存在を忘れそうになるくらいには、この世界に馴染んでしまっている。その度に何度も自分に『これは夢だ』と言い聞かせているが……それも正直いつまで続くのやら。

 夢の中に閉じ込められて、現実世界では永遠に眠ったまま……なんて、どんなファンタジーの世界だよそれは。

「悪い夢なら早く覚めてくれ……」
「悠介、そこ字間違ってる」

 しっかりしろよ、と黒羽は呆れたように消しゴムを手渡した。


***


 なんとか日誌を書き終えて職員室に提出したところで、俺たちはそろって学校を後にする。時刻はもうすぐ16時半、といったところだった。部活生達がアップのランニングとして校内を賑やかに駆け回るのを、俺と黒羽は器用に避けながら進んでいく。それにしても本当に元気だな高校生。若さに満ち溢れてる。
 すると、不意に黒羽の名を呼ぶ声がした。

「こんにちは黒羽くん。今帰宅ですか?」

 そちらに視線を向ければ、ある人物が立っていた。
 ふわりとした茶髪に、英国紳士を思わせる優雅な振る舞いと自身に溢れた端正な顔立ち。一見物腰柔らかだが、端的に核心を突いてくるような口ぶり。その人物の名は、確か……。

「白馬」
「まーな。やっとこいつの日誌が終わったんでね」

 黒羽はわりと砕けた調子で答えながら、ちょいと俺を顎で指す。その表情はいつもクラスメイトに見せるのと同じようでいて、どこか警戒心を感じさせるようなものだった。こいつのそんな表情は初めて見る気がする。

 すると白馬は俺を見るなり、まるで今気づきましたとばかりにわざとらしく目を丸くした。こちらに向き直り、最初に浮かべたような人当たりのいい笑みを浮かべる。

「あなたは確か……同じクラスの空閑くん、ですか。僕は白馬探。確かこうして話すのは初めてですよね?」
「……どうも」
「そんで? 何の用だ」

 制服のポケットに両手を突っ込んだまま、黒羽はどこかけだるそうに言う。先ほどまでの笑みはすっかり鳴りを潜めてしまったようだ。こいつにしては珍しくつっけんどんな対応だな、なんて思っていると白馬は軽く肩をすくめてみせた。

「いえ別に。ただ……珍しい組み合わせだと思いまして、つい声をかけてしまったというわけです」

 にこやかな笑みを浮かべる白馬と、ふーんと興味なさげに相槌を打つ黒羽。なんだなんだ、ふたりとも仲悪いのか? 黒羽がここまで露骨なのは初めて見るぞ。俺がふたりの間をちらちらとせわしなく視線を行ったり来たりさせていると、黒羽は俺の手を軽く引くようにしてその場を立ち去ろうとする。

「別に用がねーなら俺たちは帰るぜ」
「ああ、そうそう。ひとつだけ伝えたいことがありまして」

 白馬の言葉に黒羽は足を止める。聡明な白馬の瞳の奥が、きらりと一瞬光ったような気がした。

「手下が何人増えようが、僕は必ずあなたを捕まえますから。……覚悟してくださいね」
「オアイニクサマ。俺は別に捕まるようなことは何もしてねーから」

 べえ、と舌でも出しそうな声色で黒羽は言った。そして言い終わるなり「行こうぜ悠介」と言いながら俺の手を引いてさっさと歩きだしてしまう。俺は時々つんのめりそうになりながらも、黒羽になんとかついていった。

 校門から出て少ししたあたりで黒羽は歩みを緩め、俺の手を離した。こちらの事情を何も知らない小学生たちが、笑いあいながら俺たちの横をすり抜けてかけていく。
 黒羽と並んで歩きながら、俺は率直に思ったことを尋ねた。

「なあ黒羽、あいつとなんかあるのか?」

 すると黒羽は何食わぬ顔で答えた。

「あいつは俺の正体がキッドだってことを知ってるんだ」
「はあ!?」

 それを聞いた途端、俺は思わず声を荒げた。同時に周囲の視線が一斉にこちらを向く。不思議そうに向けられるそれに気まずくなった俺達は素早くその場を離れつつ、ごにょごにょと声を潜めるようにして話を続けた。

「どういうことだよ、それ」
「あいつが警視総監の息子で、高校生探偵やってるってことは知ってるよな? その捜索の最中に気づいたらしいぜ。俺としてはなんとか誤魔化し誤魔化ししてるけど」

 黒羽は面倒だとばかりに目を細める。確かに犯行現場でよく出くわすなとは思っていたが……なんということだ。まさかこんなに近くに正体を知っている奴がいたなんて。さっと背筋に冷たいものが走るのを感じた俺は、居てもたってもいられず黒羽に訊ねた。

「大丈夫なのかよ」
「まあ、多分な」
「多分ってお前……」

 楽観的にもほどがありすぎないか? そう思っていると、黒羽が大丈夫だと言いながら補足してくれた。

「あいつは俺を捕まえるというよりも、キッドを捕まえたいみてーなんだ。だから基本的に犯行現場でしか追及はしてこねーよ」

 ま、こうやってカマかけては来るけどな。なんてあっけらかんと黒羽は言う。その言葉を聞いてううんと俺は考え込んだ。確かに、親父さんが警視総監でその頭脳を生かし高校生をやっている白馬ならば、彼なりのプライドとかがあったりするのかもしれない。まあ、どっちにしろ俺にはよくわからんことだ。

 それにしても黒羽と白馬ってこんなバチバチした会話してたっけかな。クラスでも何回か話しているのを見たことがある気がするんだが……思い出せない。

 そんなことを考えていると、急に隣を歩く黒羽が立ち止まった。どうしたのだろうとその視線の先を見ると、そこ――黒羽の家の前だ――に誰かが立っている。江古田高校の制服を着た女子生徒だ。
 というか、あの後姿はもしかしなくても……。

「どうしたんだよ青子。俺になんか用か?」
「あれ? 快斗まだ帰ってなかったんだ」

 家の前に立っていたのは同じクラスの中森青子だ。中森は不思議そうに目を丸くしてこちらを見やる。対する黒羽はじとりとした目つきだ。

「なんで青子が俺の家の前に居るんだよ」
「家となりなんだから別に普通でしょ? というか青子は快斗のお母さんに頼まれて夕飯を……ってあれ? その子は?」
「ばっかお前、同じクラスの空閑悠介だよ」

 黒羽の呆れたような言葉を聞いて、中森はわかりやすくしまったという表情を浮かべる。残念、俺中森に覚えられてなかった。まあそうか、初めて喋るもんな。
 そんな風に自分で自分を慰めていると、中森はすぐさま申し訳なさそうに謝罪してくる。

「その、ごめんね?」
「いいよ、別に気にしてないから」

 一度も話したことのないクラスメイトの名前をフルネームでちゃんと覚えてる黒羽のほうがよっぽどおかしいんだから、という言葉は言わないでおく。
 すると中森は黒羽に話の矛先を向けた。

「というかふたりってそんな仲よかったっけ?」
「あー夏休みに偶然会って、そこから仲良くなったんだ、なあ?」
「お、おう」
「そーいうこった」

 黒羽にがしりと肩を組まされる。話を合わせろという気配(というか目線)を察知したので、少々ぎこちないなりに笑顔なんかを浮かべてみた。口角が引きつっているのがよく分かる。果たしてこんな安っぽい演技に騙されてくれるのかとも思ったが、中森はふうんと声を漏らすのみ。どうやら上手く誤魔化せたようだ。

「じゃ俺たち用があるからいくわ。そーだ青子、今夜俺夕飯は要らねえからよろしく」
「あっちょっと快斗!」

 強引に会話を打ち切って彼女の元から走り去る。しばらく距離をとったところで黒羽がげんなりしながらため息をつく。

「なんとか切り抜けたみてーだな」
「なあ、今の走る必要あったか?」
「……無えけど、ついいつもの癖で」

 へへへ、と困ったように眉を下げて黒羽は後頭部を掻いた。軽く肩で息をしながら俺は率直な感想を黒羽に言う。

「……いつも思ってるけど、お前たち賑やかでいいよな」
「はあ? うるせえだけだよあんなの」

 どこがいいんだかさっぱりわからねえ、とでも言いたげに黒羽は呆れたように言う。
 教室で授業中に騒ぐのはアレだと思うが、正直俺は悪く無いと思うんだよなあ。中森のああいう感じ。俺は口に出さずにひとり物思いにふける。多分、中森と現実世界の妹の姿が重なるからかもしれない。ちょうど年も同学年で、背丈や髪の長さも同じくらいだし……。

「悠介?」

 声を掛けられて思わずはっとする。気付けば黒羽は少し先を歩いていて、こちらを振り返りながら不思議そうにしていた。どうやら考え事にふけっている間に、自分でも無意識のうちに足を止めていたみたいだ。

「悪い、なんでもない」

 そう誤魔化して黒羽に追いつく。
 ……あいつの表情が、一瞬苦しそうに見えたのは気のせいだろうか。


***


 『準備中』のプレートを無視してバーの扉を開けば、もうすっかりおなじみとなった彼が優しく出迎えてくれた。

「おかえりなさいませ、快斗坊ちゃま、悠介様」
「ただいまじいちゃん」
「ただいま、です」

 たどたどしく俺は言う。未だに慣れないんだよなあじいちゃんさんの出迎え……。そんなことを思う俺を他所に、黒羽は勝手知ったる様子でカウンター席にどかりと腰を下ろした。一応俺も続いてその隣にちょんと腰かける。

「早速ですがおふたりとも、こちらをご覧ください」

 流れるような動作でじいちゃんさんはノートPCをこちらに見せてきた。そのディスプレイに映っているのは、最近発見されたビッグジュエルの所有者がなんと日本人に決まったというニュース記事だ。そういえば数日前にビッグジュエルが発見されたニュースやってたっけ。ぼんやりと数日前の出来事を思い出している俺に対し、黒羽はにやりと笑みを深める。その顔はまるで悪戯を思い付いた子供のようだった。
 ……なんだか、とても嫌な予感がする。

「よし、次の標的はこれに決まりだ!」

 黒羽がびしりとディスプレイの向こうの宝石を指さす。じいちゃんさんは初めからこうなることを予期していたのか、穏やかな笑みを崩さなかった。

「そうと決まったら早速準備にとりかかろうぜ。悠介、もちろんお前もだからな!」
「あーやっぱ今回も俺は参加なのね……」
「何言ってんだ。お前は俺の助手なんだからあたりめーだろ」

 黒羽は腕を組み、ふんすと鼻息を荒げる。嫌な予感的中、だな。俺はそっと視線を逸らしながらやれやれと盛大にため息をついた。その脳裏に黒羽のとある言葉がよぎる。
 
 ――『なんとしても俺は、1年以内にパンドラを見つけなきゃいけねえんだ』
 ――『親父の敵をとるために』
 
 夏休みに行われた地獄のような訓練の最中。俺が投げかけた「なんで黒羽が怪盗キッドをやっているのか」なんていう、オブラートのかけらも無いようなド直球な質問に答えてくれた時の黒羽の言葉だ。その時の黒羽の決意に満ちた表情はあまりにも印象的で、今でも瞼の裏に焼き付いている。

 きっと、あいつもあいつなりに焦っているんだろうな。なんせほとんど時間が無いんだから。本当にあるのかどうかも分からない都市伝説級の宝石を1年以内に見つける……なんて、ほとんど無理ゲーに近いだろうに。それでもあいつはやるのだ。親父さんの敵っていう、唯一無二の理由のために。

「だからここは……って悠介、聞いてんのかよ」
「あー、悪い。もっかい頼む」
「オメーよぉ……」

 黒羽はどうしようもないとでも言いたげに、じとりと俺に視線を投げかけた。


 ――なあ、
 お前は一体、何を見てるんだよ。