なにも聞こえない
松田からの電話が切れたのとほとんど同時に、佐藤の携帯が鳴り始めた。応答すると、相手は目暮である。
『15分ほど前に東都タワーの特別展望台付近で小規模な爆発が起こり、大展望台でエレベーターが一基停止しているらしい。ただその爆発が爆弾によるものなのか、単なる事故なのかはまだ確認できていないそうだ』
「いえ、事故にしては3年前と状況が酷似しすぎています。恐らく、爆弾で間違いないかと」
『ああ……こちらも同意見だ。佐藤と最上くんは直ちに現場に急行し、東都タワーの立ち入り禁止及び付近住民の避難の措置をとってくれ』
「はい!」
佐藤は返事をして電話を切る。助手席では、最上が携帯電話にぶら下がっているお守りを握りしめながら震えていた。呼吸は浅く、顔色も一段と悪い。これまで彼女と共に過ごしてきた中で、そんな姿を見たのは初めてだった。
(松田くん……最上さんのためにも、なんとか無事でいて……!)
佐藤は心からそう願いながら、アクセルを踏み込んだ。
***
東都タワーに車を止めるなり、最上は勢いよく車から飛び出した。車を停車してから慌てて佐藤も後を追う。
最上はすぐ傍に止められていた高木刑事の車を発見し、駆け寄る。それに気づいた歩美が後部座席の窓から顔を出した。
「あ! 最上刑事と佐藤刑事!」
その声を皮切りに、他の面々も気付いたようである。次々と顔をこちらに向けてきた。だが正直それらに構っている余裕は最上には無い。運転席に座っているのが高木だけだと見るや、動揺を隠すことなく問い詰める。
「ま、松田さんは! 松田さんは帰って来てないんですか!?」
「そ、それが……」
そのあまりの勢いに高木はたじろぐ。すると最上の携帯が着信のメロディを奏でる。相手を確認し、大慌てで通話ボタンをプッシュして耳に当てた。
「松田さん!? 今どこですか!」
『おい、落ち着けよ。今から話すから』
開口一番そう叫んだものだから、松田も流石に驚いたようだ。軽く笑いながら電話越しに最上をなだめる。落ち着いたのを確認してからようやく口を開く。
『俺は今、コナンとエレベーター内にいる』
「エレベーターに?」
『ああ。閉じ込められてた小学生を救出したところで、もう一度爆発が起こってよ。ワイヤーが切れたのか、エレベーターがいきなり急降下し始めて、勢いで飛び乗ったらこのザマよ』
はは、と松田はこの場に不釣り合いな笑みを浮かべる。だがそれよりも最上は気がかりなことがあった。逸る気持ちを隠すことなく尋ねる。
「ところで、エレベーター内にはその……爆弾は」
『見たところ、中には何も無え。これからちょうど上を調べるところだ』
そうですか、と最上は息をつく。嫌な予感は正直拭えないが、幾分か気持ちが落ち着いた気がする。
「今はどのあたりにいるのかわかりますか?」
『ワイヤーが全部切れて、非常停止装置が作動したから……多分、大展望台とタワービル屋上の真ん中ぐらいだ』
「そうですか……」
『こりゃ、俺も天井に上ってレスキュー隊を待つしか……』
『駄目だ! 天井に登っちゃ!』
電話越しにも聞こえるほど、コナンが鋭く檄を飛ばす。
『水銀レバーが作動しちまう!』
『! おい、今水銀レバーって言ったか!?』
「!!」
もっとも聞きたくなかった言葉が耳に入り、最上は思わず息を飲んだ。
携帯を持つ手が震える。なんとかもう片方の手を添えながら、恐る恐る口を開いた。
「あったんですか、爆弾が……!」
『ああ。しかもかなりの大きさらしい……大きさからしておそらく、東都タワーくらいなら簡単に吹っ飛んじまうだろうな』
「そんな……」
絶望に満ちた最上の表情を見て、佐藤と高木も察したようだ。焦ったように、一気に表情を曇らせる。
「どうするんですか? 松田さんは天井に登れないんですよね?」
『ああ。水銀レバーが仕掛けられてるとあっちゃ、容易にレスキュー隊を下ろせもしねえ』
レスキュー隊がおりた振動で少しでも揺れればアウトだ。流石にそれは危険すぎる。
「じゃあロープを上から降ろしてもらって脱出するとか……」
『残念ながら、それも無理そうだ』
「え?」
『爆弾の近くに盗聴器があるんだよ』
「盗聴器……?」
なんのために、と最上はつぶやく。松田は冷静に補足した。
『恐らく、俺たちの行動を爆弾犯はどこかで聞いてんだ。俺たちが離れて声が聞こえなくなったら、スイッチを入れて爆発させる気なんだよ』
「……八方ふさがり、って訳ですか」
『ああ、そうなるが……ん?』
不意に松田の声が途切れる。どうやらコナンの話を聞いているようだが……こちらからは上手く聞こえない。すると、松田が驚愕を声色に滲ませながら言う。
『お前……マジで言ってんのか?』
「どうかしましたか?」
『……あのボウズが、自分で解体するって言いだしやがった』
「!?」
『道具と指示さえあればいけるって言い張ってる』
そのあまりにも突飛な展開に、最上は思わず自身の耳を疑った。
「じょ、冗談……ですよね?」
『……だが、正直それしか方法は無さそうだな』
重々しくつぶやく。どうやら、松田は腹を括ったらしかった。
『お前は爆発物処理班に連絡して、道具の手配を頼む。それから、爆弾の構造がどの型に当てはまるか確認次第こちらからも連絡すると伝えてくれ』
「わ、かりました……」
戸惑いがちに最上はつぶやく。電話を切ろうとしたその時、
『かざね』
不意に松田が最上の名を呼んだ。
プライベートでしか呼ばないと取り決めさせたその呼び方に、否が応でも心臓が跳ねる。
「な……何?」
動揺を隠しつつ聞き返す。すると松田は言った。
『後で、お前に言いたいことがある』
「……言いたい、こと?」
『必ず戻る……だから、そこで大人しく待ってろ』
その言葉を最後に、一方的に電話は切れてしまった。
***
その後、東都タワー周辺の一般人の避難が始まった。その一般人のくくりの中には、もちろん少年探偵団の面々も含まれている。
避難する旨を佐藤が伝えれば、予想通りブーイングの嵐だった。
「えー!」
「逃げるのかよ!」
「コナンくんと松田刑事がまだあの中にいるのに!?」
不満そうな子どもたちを、なんとか最上はなだめる。
「心配しないで、大丈夫。あのふたりも、今こっちに向かってるところだから」
その隙を見て、佐藤は高木に指示を出す。
「それじゃあ高木くん、子どもたちを安全な場所へ」
「わかりました」
高木はそう言ってエンジンを始動させる。すると、助手席に座っていた灰原が不意に口を開いた。
「あのふたりに、爆弾を解体させる気ね」
「え」
それを聞いていた最上は、思わず反応してしまう。
どうしてわかったのだろう、と思う間もなく灰原は推理の根拠を語った。
「爆発物処理班がタワー内にも入らずに連絡を待っているだけなんて、そういうことなんでしょう?」
「大丈夫。爆弾の構造は3年前に米花中央病院に仕掛けられたものとほぼ一致したから。……あのふたりなら、なんとかやってくれる」
まるで自分自身に言い聞かせるような口調の最上を見ながら、灰原は小さくつぶやいた。
「ええ、そうね……」
***
子どもたちを見送り、最上と佐藤は一般住民の避難誘導に奔走した。頭のどこかで不安がよぎる度に、大丈夫だからとかぶりを振る。それの繰り返しだった。
正午まで残り10分といったところで周辺住民の避難がほぼ完了した。最上たちは再び東都タワーへと車を向ける。彼らのことだ、もしかしたらもう爆弾を解体し終えているかもしれない。そう期待して車を降りた最上の耳に、爆発物処理班の声が飛び込んでくる。
「何い!? コードを切れないだと!? 残りは3本だけなんだろう!?」
その言葉に違和感を覚え、傍に行って話を聞く。どうやら、残り3本のコードをどうしても切れずにいるらしい。ここまで順調にいっていたのに、である。爆発物処理班の男もそれが疑問らしく、責め立てるように声を荒げる。
「まず液晶パネルの電源を切るための黄色いコード、次に水銀レバーに繋がる白いコード、そして遠隔操作用に設置してある携帯電話の黒いコードの順に切断すれば、爆弾は完全に停止するんだ! ここまで来てどうしてそれが出来ないんだ!」
「貸してください」
たまらず最上はトランシーバーを奪い取る。普段の彼女には考えられない行動に、佐藤はあっけにとられていた。
「松田さん! 何してるんですか、早く切ってください!」
『……駄目だ。切れねえ』
「何言ってるんですか! 時間はあと10分しか……」
そこまで言ったところで、松田は口を開く。
『『勇敢なる警察官よ』』
「!」
『『君の勇気を称えて褒美を与えよう』……』
―――なにも聞こえない
この心音すら
そう、世界はいつだって残酷なのだ。