約束はこれでおしまい

『『試合終了を彩る大きな花火の在処を表示するのは、爆発3秒前。健闘を祈る』……』

 松田は淡々と読み上げる。最上は信じられない思いでそれを聞いていた。

『これが、液晶パネルに表示された文字だそうだ。なんとかこのボウズだけでも避難させたいんだが……多くの被害者を出さないためにも、こいつがヒントを見て、俺が電話でそれを伝え、もうひとつの爆弾がある場所を特定するしか方法は無えみてえだ』

 最上は何も言うことなく、トランシーバーを耳に押し当てながら立ちすくんでいた。悪い、と松田は小さく謝る。

『でも、お前なら解ってくれるだろ?』
「……ッ」

 最上の顔がくしゃりと歪む。
 じゃあよろしくな、と言って、無情にも通信は途絶えてしまった。


***


「へえ……あの暗号にそんな意味があったのか」

 孤立したエレベーター内部。松田は今しがたコナンが語った暗号の真意を聞いて、感心したように目を細める。対するコナンは、しーっと口元に人差し指を立てた。

「あんまり大きな声出すと、爆弾犯に聞こえちゃうから」
「おっと……悪い悪い」

 松田はうっかり失念していたのを隠すように笑う。だがよ、と小声で話を続ける。

「そこに該当する場所は東京に400以上もあるぜ?」
「うん。爆弾犯に気付かれないように今からそこを全部調べて、爆弾を見つけるのはまず無理だし……。その400以上ある場所にいる人達を一斉に避難させようとしたら、犯人の性格からして遠隔操作で爆弾のスイッチを押しかねない。つまり、全員を確実に助けるには……」
「ヒントを見て、ピンポイントでその場所を調べて、爆弾を発見するしかない……3年前、俺がやったみたいに。ってことだろ?」
「うん。それに……」

 コナンはふっと目を細める。まるで小学生とは思えないほど、大人びた表情だった。

「いるかもしれないんだ。そこに、この世で一番死なせたくない、大切な奴が……」
「……最近のガキはませてんなあ」

 松田は少しからかうような口調で言う。

「ま、その気持ちが分からなくは無えけどよ」

 そう言いながら、3年前の出来事を思い出す。もしあの時一緒のゴンドラに最上が乗っていなかったのなら、迷うことなく自死を選んでいた自信がある。その点で言えば、松田はコナンのことを笑うことは出来なかった。

「だからごめんね、松田刑事」
「謝んな。多分俺ひとりだったとしてもそうしてた」

 そこでふと、松田はあることを思い付く。

「そうだ。謝るんなら、代わりにひとつ教えてくれ」

 まっすぐに、天井に腰かけるコナンを見上げて、問いかける。

「……お前は一体、何者なんだ? ここまで来てただの小学生って済ませられるわけねえよな?」
「ああ……知りたいのなら、教えてあげるよ」

 コナンは天井から松田を見下し、言った。
 その表情は小学生とは思えぬほど大人びたものである。

「あの世でね」


***


 爆発まで残り1分となったところで、付近にいる機動隊にも退避命令が出た。だが依然として、最上はその場から動こうとしない。

「最上さん! 私たちも急いで逃げないと……!」
「嫌です」

 佐藤の懸命の呼びかけにも、頑なに応じようとしなかった。その目はまるで行き場を失いどうすることもできない子どものようで、1ミリも揺らぐ様子が見えない。

「彼がここで死ぬのなら、私も死にます」
「何を言ってるんだ! いいから逃げなさい!」
「放してください! 私は、私は絶対に動きません!」

 機動隊員が強い言葉で言うも効果は無さそうだった。掴まれた腕を振り払いながら言う。

「……もう、嫌なんですよ。大切な人を失うのは」

 最上の声は震えていた。目を見開き、眉をハの字に下げている。だが、口元だけはひきつったように笑みを浮かべていた。そのちぐはぐな表情に、思わず佐藤は押し黙る。

「彼を失うくらいなら、ひとりこの世界に取り残されるくらいなら……死んだ方がマシです」
「最上さん……」

 言葉を失う佐藤を見かねたように、機動隊員がさっと最上の腕をつかんだ。

「もう時間がない! 急ぐぞ!」
「っ! ちょっと!」

 ふたりがかりで両側から抱えられる。その場から無理矢理にでも引き剥がそう魂胆なのだろう。それを感じ取った最上は精一杯抵抗しながら、叫ぶ。

「嫌だ! 松兄! ッ松兄!!」

 ――ふと、携帯の着信音が鳴る。

 あまりにも場違いなその無機質な音に、その場は一瞬静まり返った。その音の発信元が自分だとわかるや否や、最上はポケットから震える手で携帯を取り出し、相手をろくに確認することなく通話ボタンを押す。

『よう』

 聞こえてきた声に、思わず目を見開いた。

「ま、つに……」
『ああ。そうだよ』

 携帯のスピーカーをぐっと耳に押し付けながら、最上は確かめるように訊ね返す。

「ほんとに……本当に松兄なの?」
『馬鹿だな。こんな時に嘘つくわけねえだろうが』
「でも、なんで……だって、爆弾が、ヒントが」
『おいおい、いいからちょっと落ち着け』

 矢継ぎ早に言葉をぶつける最上を松田は電話越しになだめる。周りにいた人たちも皆、その光景を見守っていた。至極落ち着いた声で、松田は言う。

『ヒントを最後まで見る前に、コードを切って爆弾を解体したんだよ。だから、俺もこのボウズも無事だ。なんなら声聞かせてやろうか?』
『最上刑事、僕もちゃんと無事だよ!』
『ほら、ちゃんと聞こえたか?』
「うん……きこ、えた」

 なんとか返事をする。気を抜いたらすぐにでも目から何かが溢れだしてしまいそうだった。その言葉に安心したように、松田は用件を伝える。

『だから俺たちは無事だし、爆弾ももう大丈夫だ。だからすぐにレスキュー隊呼んでくれねえか? 俺たちだけじゃ、ここから脱出できねえから』
「わかった。すぐに呼ぶ」
『おう、頼んだぜ』

 その言葉を聞いて、最上は電話を切る。二つ折りのそれを、ぱちんと閉じた。

「最上さん、今の電話……」

 そっと、様子を窺うように佐藤は訊ねる。息をひとつして、最上は俯いていた顔を上げた。
 ――その顔はもう、ひとりの刑事としての顔に戻っている。

「ヒントを最後まで見る前に爆弾を解体したので、松田さんもコナンくんも無事だそうです。……なのでレスキュー隊を、早く!」

 最上の一声に、機動隊員は慌ててレスキュー隊を手配する指示をした。


***


 その後、程なくしてふたりはエレベーターから無事に救出され、コナンはお手柄小学生として報道陣に囲まれていた。「わかりやすく指示してくれたから、簡単に解体できたよ」と照れたように笑っているコナンを横目に、松田は目当ての人物を探す。

「松田くん!」

 不意に名前を呼ばれ、松田はそちらに視線を向ける。すると声をかけた佐藤の隣に、目当ての人物が立っていた。
 佐藤は松田と目が合うなり、ホッとしたような顔で駆け寄る。

「無事で本当によかったわ」
「おう、なんとかな」

 なんてポケットに手を突っ込みながら笑って見せる。すると、佐藤の隣に立っていた彼女の瞳が、堪えきれなくなったように水を含んでゆらりと揺れた。

「ま、つにい」
「おいおい、泣くなよ。まだ事件は終わっちゃいないぜ?」

 今にも大粒の涙を流しそうな彼女の頭を撫でてやれば、素直に頷く。必死に泣くのを堪える表情も相まって一段と幼く見える彼女に、松田は自然と笑みが零れるのを感じる。

「ほら、時間もねえしさっさと行くぞ」
「そうね……残り2時間半、なんとか頑張りましょう」
「しらみつぶしで探せば、なんとか……」
「あーそのことなんだが」

 早速捜査に取り掛かろうとし始めるふたりに、松田は話を持ち掛けた。

「ひとつ提案がある」


***


 とある道路の歩道橋。
 その真ん中で、ひとりの男がニヤニヤと笑みを零しながら双眼鏡を覗いていた。

 見つめる遥か先には、帝丹高校の校舎が聳え立っている。先ほどからそわそわと落ち着きのない男は、通行人に不審がられながらも、双眼鏡を覗くのを止めない。後もう少し、そうつぶやき時計を確認する。
 それからきっかり5秒後。男は言った。

「どーん!」

 男は、まるで世界の支配者にでもなったかのような笑みを浮かべている。
 だが景色は一向に変わらない。

 男はうろたえ、咄嗟に双眼鏡から顔を上げた。なぜ何も起こらないんだとばかりに眉間にしわを寄せると、忌々しく表情を歪めて舌打ちをする。そして慌ただしくポケットから携帯電話を取り出した。ボタンをいくつか押し、発信ボタンを押し込む。

 ――すると、すぐ近くで着信音が鳴った。
 男は思わずつぶやく。

「は?」
「……残念だが、電話の相手はもう話せぬそうだ」

 不意に男の耳に誰かの声が飛び込んでくる。
 慌てて辺りを見回し、そこでようやく自身が囲まれていることに気付いた。すぐ傍にいる帽子を被った男――目暮が、淡々と続ける。

「爆発物処理班が密かに学校に入り、アンタが仕掛けていた盗聴器に気付かれんように音を立てず、ドラム缶に入った爆弾は5つともバラバラに解体してしまったからな……」

 目暮の言葉を聞く男の顔を見て、松田は笑う。

「その顔は『どうしてその場所が分かったのか』って顔だな」

 そして、静かに暗号の解読方法を説明し始める。

「あの暗号文から、東都タワーと爆破予告時間を意味する文を除くとこうなる。……『俺は豪球豪打のメジャーリーガー さあ延長戦の始まりだ 出来のいいストッパーを用意しても無駄だ 最後は俺が逆転する』」

 暗号の解読方法を聞きながら、男はひたすら顔を青くしていた。追い打ちをかけるように最上も続く。

「『メジャーリーガー』というのは、英語に直せと言うキーワード。『出来のいいストッパー』は防御率のいい投手のこと。英語で延長戦は『extra inning game』、防御率は略して『ERA』。『extra』から無駄な『ERA』をとると、『XT』。『XT』を縦に書いて、最後に逆転すると……『文』という漢字になります。学校を示す、地図記号に」

 周りを取り囲む警察官も、黙ってその成り行きを見守っている。ふたりは至って淡々と、暗号を解く手順を説明していった。

「そしてひとつ目の爆弾の液晶パネルに表示されたヒントの『EVIT』……これは探偵の英語表記『DETECTIVE』のつづりを逆にして書いた頭文字の一部だ。そして探偵を逆にすると『帝丹』。帝丹という名の学校は小中高大とあるが、生徒が大勢集まっているのは、全国模試をやっている帝丹高校しかないというわけだ」
「ちなみに、野球場にニセの爆弾を置かなかったのは、野球グラウンドを持つ高校から目を背けたかったから」

 ですよね?と最上は問いかける。
 男はただただ驚愕するばかりで、何も言うことができないようだ。

「ま、油断してこんな目立つ場所から双眼鏡で帝丹高校を見ていた、あんたの負けって訳だ」

 そう松田が言って一歩踏み出した途端、激情した男が双眼鏡を振り回す。そのはずみで手から外れた双眼鏡が高木に直撃した。
 その隙を見て男は歩道橋から飛び降り、運よくバスに着地する。
 逃がすまいと、最上も続けて飛び降りた。

「最上!」
「最上さん!」

 慌てて刑事らは歩道橋の下を覗き込む。
 最上は後続車両の車体に飛び乗り、男とにらみ合う。

 その鬼のような形相に、男がたまらずバスから転がるように道路へ降りた。それを見て、追いかけるように車から飛び降りる。
 クラクションを鳴らされながらも、懸命に男を追いかけていく。

 人気のない路地裏に逃げ込んだ男を追って走りながら、最上は懐の拳銃に手をかけた。

 やがて逃げ込んだ道が行き止まりになると、男は怯えた顔で最上の方を振り返る。
 ようやく追いついた最上は肩で息をしながら、両手で拳銃を握りしめていた。

「ま、待て! お……俺じゃ、ないんだ」

 男から目を離すことなく、引き金に指をかける。
 それを見て男はさらに焦ったようだった。ヒッと悲鳴を上げ、壁に背中を押し付ける勢いで後ずさりながら、なおも言い訳を並べたてる。

「ほら! よくあるだろ? 頭の中で、子どもの声がしたんだよ……」

 男の懸命な言い訳も、最上の耳には一切届いていない。
 聞こえるのは、高ぶった自らの心音のみ。
 
 そして彼女の頭の中は、かつての"彼"――萩原と松田の思い出が支配していた。

「け、『警察を殺せ!』って! いや、『誰でもいいから殺せ』って」

 自分の人生を救ってくれた萩原。
 その命を奪ったのは、目の前のこいつなのだ。
 
 自分を生きる理由にしてくれと告白してくれた松田。
 その命を危険に晒したのは、目の前のこいつなのだ。
 紛れもない、こいつなのだ。

 だから。

「そ、そうさ……だから、俺のせいじゃ」

 ――決して、許すわけにはいかない。

「――ッ!!」

 最上は男を睨みつけ、容赦なく銃口を向ける。男はたまらず震え上がった。

 引き金にかけた指が迷いなく動く。
 まるでスローモーションのように、弾丸が射出されようとしていた。

「最上!」
「!」

 駆け付けた松田が、思いきり最上にぶつかる。

 その勢いで弾道が逸れる。

 射出された弾は、男の顔の横すれすれの壁にめり込んだ。
 男は、顔面蒼白で腰を抜かしたように、ずるりとその場に座り込む。

 勢いあまって、ふたりは重なるようにして地面に倒れ込んだ。

 だが最上は拳銃を手にしたまま、なおも立ち上がり男にとどめを刺そうとする。松田は咄嗟に最上の右腕を掴んだ。キッと松田を睨みながら、最上は叫ぶ。

「邪魔しないで!」
「駄目だ、今すぐその銃を捨てろ!」
「こいつは……私がとどめをささなきゃいけないの!」
「っ馬鹿なこと言うんじゃねえ!」

 その真っ暗な瞳には、一切松田の姿は映っていない。仇しか頭に無い最上は、なおも叩きつけるように叫ぶ。

「あんなやつの……あんなやつのせいで、萩兄は……、っ!」

 その時、最上の声がぶつりと途切れる。
 なんてことはない。松田が自らの唇で、最上の口を塞いだのだ。

 いきなりの行為に最上は思わず目を見開き、止めてくれと松田の胸のあたりを何度も叩く。だが松田は一切聞き入れようとしなかった。ぐっと身体を密着させながら、至近距離で最上を真っすぐに見つめ続ける。

 ふたりの口づけは数十秒に及んだ。時折角度を変えつつ、ふたりは唇を触れ合わせ続ける。
 次第に落ち着いてきたのか、最上の手から力が抜けてずるりと垂れ下がる。それを見て、松田はやっと口を離した。

「はぁ……、っは……」

 やっと呼吸が自由になった最上は、大きく肩で息をする。
 対する松田は、苦しさの中にわずかな救いを見つけたような、そんな表情をしながら小さくため息をついた。

「……やっと、こっち見たな」

 できればこんな手使いたくなかったけどよ、と少し照れくさそうにつぶやく松田を呆然と見つめる。
 まつにい、と最上の唇が動くが、それは声にはならないようだった。

 松田は、そっと諭すように言う。

「確かにこいつは許せないことをした。俺だって今すぐにでもぶっ飛ばしてやりたいくらい、こいつのことが憎くて憎くて仕方ねえ」

 でもよ、と松田は言葉を続ける。

「そんなことしたって、何も解決しやしねぇだろ? "あいつ"が帰ってくるわけでもねぇ。ただかざねが、こいつと同類の人殺しに成り下がるだけだ」

 同類、という言葉にわずかに反応する。そして徐々に視線を落とし、最後にはすっかり俯いてしまった。
 そんな最上を見て、松田は小さく笑う。

「俺は、そんな風になったかざねを見たくねぇ。ただそれだけなんだ」

 まるで幼い子供をあやすような優しい口調で、松田は言う。
 最上は今にも泣きそうな顔のまま、ぐったりと俯いている。

「だから……それ、離せ」

 松田はそっと、最上の手に触れる。
 彼女はそれを拒むことなく、黙って見つめていた。

 拳銃を握りしめる彼女の指を1本ずつ開いていく。
 頑なになって震えてさえいる指を、ゆっくりと確実に。

 すべての指が開かれ、拳銃が最上の手から滑り落ちて地面に打ち付けられた。
 がちゃん、とまるでおもちゃのような音がする。

「……う、あぁ、ああぁあっ!」

 それを皮切りに、堰を切ったように彼女の両目から涙が溢れだす。
 力が抜けたようにがくりと膝が折れるのを支えるように、松田はさりげなく抱き留めた。ぎゅっと、最上は松田のシャツを握りしめる。

「……終わったんだよ。何もかも」

 胸の中でわんわんと声を上げて泣く最上の背をそっとさすってやりながら、松田は静かにつぶやいた。



 ―――約束はこれでおしまい 生き残ってみせたよ



 その後、駆け付けた目暮らによって、男は確保された。
 7年もの間、最上と松田を苦しめ続けていた悪魔は、これでようやく消え去ったのである。