僕のためだけに歌って
11月1日。
いつも通り警視庁の捜査一課のフロアで朝礼が行われる。だが今日は普段と違うことがふたつほどあった。
ひとつは、最上がこの時間に姿を見せない事。真面目な最上が朝礼の時間に姿を見せなかったことは一度もない。そのため佐藤をはじめとした最上を知る刑事たちは皆、彼女がいない事を珍しく思っていた。
そしてもうひとつは、朝礼を行う目暮警部の隣に立つ男の存在である。すらりと背が高く、ふわふわとしたくせ毛と真っ黒なサングラスが特徴的なスーツ姿の見慣れない男だ。どこかけだるげに捜査一課のフロアを眺めるその視線はなんだかこちらを値踏みでもしているようで、佐藤はあまりいい気分にはならなかった。そんなことを考えていると、目暮が口を開く。
「えー諸君。紹介しよう。彼が本日付で捜査一課強行犯係に配属された、松田陣平くんだ」
刑事たちの視線が改めて隣の彼――松田に向く。松田は、特に何か反応する様子も見せずただ黙ってそこに立っていた。
「彼は去年まで警備部機動隊に所属していた変わり種でな……」
「よしましょうや警部さん。田舎から出てきた転校生じゃねーんだから。うざってえ自己紹介なんざ意味ないでしょ」
目暮の言葉を遮り、嘲るように松田は口を開く。サングラスの向こうに隠された瞳をぎらりとさせて、言葉を続けた。
「こっちは来たくも無い係に回されて、キレかかってるっていうのによ……」
来たくもない係、と揶揄された強行犯係の刑事たちは思わず眉間にしわを寄せる。佐藤も漏れなくそのひとりだ。信念と誇りをもって所属している己の係をそんな風に言われればいい顔をしない人の方が大半だろう。
その場の雰囲気がなんとなく険悪な方へ流れそうになったのを感じ取った目暮が、なんとかこれ以上悪くなるのを阻止しようと無理に明るい声を出す。
「そ、それじゃあ佐藤くん! 君が彼について色々教えて……」
「ええ! 私がですか!?」
急にそんなことを言われてしまった佐藤は思わず不満の声を露わにした。それを聞いた目暮が素早く近づき、松田に聞こえないよう声を潜めて佐藤をなだめる。
「まあ、そう嫌がるな。彼は前に色々あって、上から直々に頼まれた男なんだ。よろしく面倒見てやってくれ」
「でも私には最上が」
「彼女は優秀だ。他の奴と組ませてもやっていけるだろう。だから佐藤くん、彼を頼んだよ」
「はーい……」
納得しきっていない様子だが、佐藤は渋々返事をする。ちらりと視線を向ければ松田は呑気に大欠伸をしていて、佐藤はなんでこんな面倒なことを、と誰にも気づかれないように小さくため息をついた。
そんな時、ガチャリとドアが開く音がする。一斉に向けられた視線の先にいたのは最上であった。しわの目立つシャツをそれとなく伸ばしながら自信なさげに立っている。ぜえぜえと肩で息をしながら、申し訳なさそうに言った。
「おはようございます。すみません、その、寝坊してしまって……」
「おお、おはよう。君が寝坊なんて珍しいな、最上くん」
「……最上?」
目暮の言葉にひくりと松田は反応する。入り口付近に立った最上を視界に納めるなり、サングラス越しにもわかるほど驚愕に目を見開いた。まるで幽霊か何かでも見つけてしまったような、そんな顔だ。
すると松田は周りにいる他の刑事たちをものともせず、先ほどまでのけだるさが嘘のように、大股でつかつかと一直線に最上の傍に駆け寄る。彼女はといえば、急に現れた目の前の人物に驚いているようであった。戸惑ったような表情で松田を見上げている。
「……あの。何か」
「お前、最上っていうのか?」
「そうですけど」
「下の名前は」
「なんですかいきなり」
「いいから。下の名前は」
「……かざね、ですが」
急に何なんだとでも言いたげな視線を向けつつ、最上は渋々名乗る。それを聞くなり松田は最上の両肩をがしりと掴んだ。急なその行為に最上は思わず身を固くする。周りもいきなり何をしでかすのかと遠巻きながらに見守っていた。
「……本当に、最上なのか」
そう尋ねる松田の声は、周りの想像よりも数倍弱々しかった。まるで幻でないことを確かめるかのように、ゆっくりと最上に問いかける。顔の角度が変わることで、真正面に立っている最上にもサングラスの向こうの顔が少し見えるようになった。
それで最上はふと何かに気が付いたらしい。松田と目を合わせたままぱちぱちと何度かまばたきをした後、ぽつりと言った。
「……松兄?」
その発言が佐藤のみならず、フロア内全員の刑事たちを驚愕に陥れたのは言うまでもない。
***
がこん。
商品が落ちる音を聞くと、佐藤は取り出し口に手を入れて今しがた購入したばかりのコーヒーを手に取る。
「まさか、あなたたちふたりが知り合いだったなんてね」
すとんと椅子に座る。その隣にいる最上は手元のコーヒー缶に視線を落とし、松田は腕と足を組んで椅子にもたれながら座っていた。
警視庁の一角にある、自動販売機と長椅子が設置されたちょっとした休憩スペース。佐藤は朝礼後すぐに松田と最上をこの休憩スペースへ連れ込んだのだ。真ん中に最上が座り、その両隣に松田と佐藤が陣取る。ちなみに3人とも缶コーヒーを手にしており、松田と佐藤のふたりはブラック、最上は加糖されたものを選んでいた。
「知り合いっていっても、もう長い付き合いになるがな」
「私が小学生の時に彼と知り合ったんです」
「小学生っていうと……もう10年以上になるわね」
瞬時に計算した佐藤は小さく驚く。今までほとんど明らかにならなかった最上の交友関係の一端を垣間見て、少し舞い上がっているようだ。対する最上の視線は相変わらず太ももの上に置いた手の中に収まるコーヒー缶に向けられている。購入したはいいものの一向にプルタブを開ける気配を見せず、ただ手の中で弄んでいるだけのようだ。
「まあそうはいっても、こいつとはここ4年近く音信不通だったんだけどよ」
「え」
松田から不意に告げられた音信不通という言葉に佐藤は思わず反応する。松田の方を見るが、彼は正面を見たまま佐藤の方を向くことはない。
「ある日突然、携帯解約して通ってた大学も自主退学。おまけに独り暮らししてたアパートも引き払いやがった。正直生きてるかどうかもわからなかったんだが……まさか、警視庁(ここ)で会うとはな」
ちらりと視線を最上に向ける松田。だが最上の視線が松田のものと交わることはない。何も言わずにまた視線を元の方へ戻す。どことなく互いに距離感を図っているようなふたりの微妙な雰囲気を肌で感じながら、佐藤は開封したコーヒーに口を付けていた。
「あ」
「ん?」
「どうしたの?」
不意に声を出して視線を上げた最上を、両隣のふたりがほぼ同時に見る。最上は缶コーヒーを持ったまますとんと椅子から立ち上がった。そしてくるりと振り返る。
「すみません、急ぎの提出書類があったの忘れてました。すぐに出してくるので、私はこれで失礼します」
ふたりに言葉を挟ませる隙も与えずに最上はそう言い切ると、ぺこりと頭を下げてその場からすたすたと立ち去ってしまった。あまりに突拍子も無い行動に、ふたりは彼女の背中を見つめることしか出来ない。
本当にマイペースなんだから、と佐藤がぼんやり思っていると、隣から噴き出すような音が聞こえた。噴き出したのが松田だと佐藤が認識した次の瞬間、彼は堪えきれなくなったかのように笑いはじめる。そしてひとしきり笑った後、ため息交じりに呟いた。
「……何も変わんねえな、ほんとに」
――僕のためだけに歌って
今にも泣きだしてしまいそうな彼の横顔が、しばらく佐藤の脳裏に焼き付いて離れなかった。