世界の終わりを確信した君の命日

 季節は移ろい、息白む冬。

 制服姿の高校生がごった返す大学前にて、最上は緊張した面持ちで立っていた。その目の前には勿論萩原と松田の姿もある。

「とうとうこの日が来たね」
「……うん」

 萩原の言葉に、マフラーに顔を埋めながら答える最上。その声はどこか強張っていて、緊張と不安に満ちているのが見て取れた。
 最上がこんな表情を浮かべるのも無理はないだろう。今日は彼女の人生の分岐点と言っても過言ではない、センター試験初日なのだから。

「俺たちがふたりがかりできっちり教えたんだ。いい点取れるに決まってんだろ」
「そーそー、大丈夫だよ。自信持ちなって!」

 松田と萩原は思い思いに最上を励ます。だが会場の雰囲気に飲まれてしまった彼女は曖昧に頷くばかりでちっともその表情が晴れることはなかった。その様子を見て松田はどうしたもんかと困ったような表情を浮かべる。すると萩原は思い出したようにあっと声をあげた。それから鞄をガサゴソ漁り、何かを取り出して最上に手渡す。

「お守り?」

 最上は自身の手のひらに収まる小さな紫のそれを見つめてつぶやく。『合格祈願』と刻まれた布袋の裏には、近所でも有名な神社の名前が刻まれていた。

「こんな時のためにって思って買ってきたんだ。松田とふたりでね」
「なかなか買いに行く時間が無くて、随分ギリギリになっちまったけどな」

 というかまだ渡してなかったのかよ、と松田が萩原を睨んだ。萩原はへらりと笑ってその視線を受け流す。ふたりの話を聞きながら改めてお守りに視線を移した。お守りなんてものを貰うのが初めてだった最上が物珍しそうに見つめていると、すっとその上に手が被せられる。萩原の手だ。

「受かれ―!ってちゃんと気持ちも込めておいたからさ、思いっきりやっておいで」

 そう言って優しくはにかむ萩原。彼の熱がじわりと掌から伝わってくる。それを見ていた松田もそっとその上に手を重ねた。

「俺たちと同じ大学行きたいんだろ? ……なら、目一杯頑張ってこい」

 少し目を細め、にやりと笑う松田。そんなふたりの言葉を受けて、最上はぎゅっとふたりの手を握りしめた。

「萩兄、松兄……ありがと」

 ふにゃりと安心しきったように笑う。先ほどまでの不安そうな表情はすっかり鳴りを潜めていた。ちらりと時間を確認すれば丁度いい頃合い。

「それじゃ、私はそろそろ行くね」
「終わったら連絡しろよ。迎えに行くから」
「わかった、ありがとう」
「落ち着いて、いつも通りにね」
「大丈夫、わかってるって」

 いってらっしゃい、と笑顔で見送る萩原。最上は少し恥ずかしそうに行ってきます、とつぶやいて小さく手を振り返す。それからすぐに背を向けて会場へと歩いて行き、人ごみに紛れてその姿は見えなくなってしまった。彼女がいるであろう人ごみのあたりを見つめながら、萩原はしみじみと溜息をつく。

「遂にかざねも大学生かあ……」
「親父臭えこと言ってんじゃねーよ」
「はは、言われてみればそうだな」

 松田が一蹴すれば萩原は眉を下げて笑った。まだ試験を受けてすらいないというのにもう既に受かっている体で話を進めていることに、ふたりは気づいていない。

 くるりと大学に背を向け、駐車場にとめていた車へ向かって歩き始める。様々な人が行きかう中、松田はぽつりと隣を歩く萩原に言葉を投げかけた。

「なあ」
「ん?」
「お前さ、……あいつのこと、どう思ってんの」

 その言葉を聞いて萩原は松田へ視線を向ける。彼は特に変わった様子も見せずにコートのポケットに手を突っ込みながら前を向いて歩いていた。

「あいつ、って……かざねのこと?」
「話の文脈的にあいつしかいねーだろ」

 少しぶっきらぼうに松田は言う。相変わらず萩原の方に視線が向けられることはない。そっと視線を戻しつつ、そうだなあと萩原は返答する。

「知り合ってずいぶん経つからなあ。なんつーか、もう家族同然ていうか。妹がいたら多分こんな感じだったんだろうなーって。そんな感じ」
「……そうか」

 目を細め、ぽつりと言葉を零す松田。その表情を横目に見た萩原は、思わずにやりと笑みを浮かべる。

「あらら? ……ひょっとしてじんぺーちゃん、もしかしてもしかしちゃう?」
「ちげーよ馬鹿、うるせえ黙れ」
「あらやだ照れちゃってもー、この子ったら!」

 にししと笑って「じんぺーちゃんがもしかしちゃうなら俺応援するよ!」なんて突っかかってくる萩原をうざったく思いながら、松田は言うんじゃなかったと激しく後悔する。不機嫌そうに顔を背けたが、萩原はなおも松田に突っかかるばかりであった。

 それから最上は二次試験にも無事に合格し、晴れてふたりと同じ大学に通うことになった。高校時代と変わらず忙しい日々だったが、とても充実した毎日を過ごしていた。

 月日が流れ、一足先に大学を卒業した萩原と松田は、兼ねてからの目標であった警察官になるべく警察学校へ通い始めた。全寮制であるため3人で顔を合わせる機会は一段と減ってしまったが、貴重な休みを利用して定期的に遊びに出かけるほどの距離感は変わらなかった。
 その時に話すのは最上の大学での生活と、ふたりの警察学校での出来事について。最上は、ふたりが出会ったという気の合う同期達との話を聞くのがとても好きだった。そして同じく、萩原と松田も彼女の近況を彼女自身の口から聞けるのをとても楽しみにしていたのである。

 そのうちふたりは警察学校を卒業。無事に警察官となり、警視庁警備部機動隊爆発物処理班へふたり揃って配属された。爆発物を扱う危険な部署であるということを知っていた最上はいつもふたりの身を案じていた。そしてそのたびに彼らは言うのだ。

「心配すんな。そんな簡単に死ぬほどヤワな鍛え方してねーよ」
「大丈夫だって。約束したでしょ? もうかざねのことをひとりにしないって」

 ――そして、運命の日は訪れる。


***


 11月7日。

 自宅でいつも通り授業の準備をしていた最上の元に、一本の電話が入った。発信元は松田。こんな時間にかけてくるなんてなかなか珍しいなと思いながら、最上は通話ボタンを押して耳に当てた。

『今、電話大丈夫か』
「大丈夫だけど、どうかした?」

 軽く尋ねてみてもなんだか反応が薄い。いつも比較的はっきりとした物言いをする松田にしては少し様子がおかしいなと最上は直感的に思う。どうしたのかと再度尋ねようとすれば、スピーカーの向こうから重々しい言葉が聞こえてきた。

『……いいか、落ち着いて聞けよ』


***


 電話で指定された建物に到着する。出入り口に向かえば、そこには煙草を咥えた松田が立っていた。最上に気付くなり煙草の火を消し、無言で建物内へ入っていく。その後を続くように最上も建物内へ足を踏み入れた。ふたりとも何も言わないまま建物内を移動していく。そしてある部屋の前でぴたりと足を止めた。閉ざされたドアに手をかけ、一度彼女の方をちらりと見てから意を決したようにそっと開く。

 薄暗い部屋の中にはシングルベッドくらいの大きさの台がひとつ。そしてその上に小さな袋のようなものが乗せられていた。人ひとり入るには到底足りるわけの無いサイズの袋だ。元々白かったのであろう丈夫そうなそれは、所々黒ずんだ染みがついてしまっている。鼻につく焦げ付いた臭いが満ちた、ふたりきりの室内の空気は重い。

 最上は一歩、また一歩とその袋に近づいていき、ある程度近づいたところで歩みを止めた。松田は入り口付近の壁にもたれるようにして最上の様子を見守っている。

「……別の場所に仕掛けられた爆弾を、俺とあいつで解体してたんだ」

 先に口を開いたのは松田の方だった。
 ぼんやりと視線を伏せながら腕を組んでいる。最上の返事を待つことなく、淡々と経緯を説明していく。

「先に解体し終わった俺が、あいつのマンションに向かって。到着してすぐに電話で状況を聞いた。そしたらあいつ、タイマーを止めた爆弾の横で一服してやがったんだ。防護服も着ずに」

 最上は松田に背を向けたまま、何も言わずにじっと目の前の袋を見つめている。

「早くバラしちまえって、俺がそう言った後、電話の向こうであいつが焦り始めた。止まっていたはずのタイマーが生き返ったんだ。そして、そのまま、……」

 ぐっと、松田は何かを堪えるように押し黙る。
 最上は何も言わない。ただじっと、目の前のそれを見つめているだけ。その瞳は何色にも染まらない、闇だ。

 結局、最上はこの建物を立ち去るまで一度も口を開くことはなかった。


***


 がちゃり。

 部屋のドアを解錠し、暗くなった自宅へ足を踏み入れる。その足取りは重い。右肩にかけていたハンドバッグがずるりと腕をすり抜けて地面に落ちる。だが彼女は構うことなく足を進める。電気をつけるのも億劫で、ほとんど月明かりを頼りに廊下を歩いていた。

 リビングにたどり着くと、そのままへたりと座り込んでしまった。俯いた顔は真っ黒で、その表情を伺い知ることはできない。
 陰に覆われたその瞳から何かが零れ落ちることも、視界が滲むほど潤むことはない。ただぼんやりと暗闇を映し出し、時折無意味にまばたきをするくらいであった。

 頭の中をぐるぐると回るのは、今までの彼との出来事。何でもない日常。かけがえのない日々。笑顔。声。ぬくもり。
 ……今はもう二度と手に入らない、大切なものばかりだ。

 初めて自身の身を案じてくれた、命の恩人。そんな彼がもうこの世に居ないだなんて、到底信じられなかった。ほんの少し前まで笑ってくれていた彼が。そんな。

 彼の居なくなってしまった世界で、一体どうやってこれから生きていけばいいのだろう。そんなことを考えてしまうくらい、彼は彼女の中でとても大きな存在だった。真っ黒な室内では、気持ちや考え方はどんどん黒く淀み、沈んでいく。まるであの日の屋上のような表情を浮かべながら、彼女は暗闇に視線を落とした。

 ――許せない。

 思い出や自殺願望ばかりが溢れていた脳内に、ふとそんな言葉が浮かぶ。
 はっと目を見開き、呼吸も忘れて自身の頭の中に浮かんだ考えを追いかけていく。

 先ほど松田は言っていた。『未だに爆弾を仕掛けた犯人は捕まっていない』と。『手がかりすらもほとんど掴めていない』のだと。

 それならば自分が捕まえたい。そうすればきっと、彼の思いも報われる。
 ……そうしたら、彼に会いに行こう。

 彼女の胸に感情が洪水のように湧き出し、渦巻き始める。常闇のような瞳に、ぎらりと強い光がひとつ宿った。果たしてその光は正しいものであったかどうかは、知る由も無い。

「……待ってて、萩兄」

 きっと犯人を捕まえてみせる(すぐに行く)から。



 ――世界の終わりを確信した君の命日



 まばたきひとつで我に返る。

 松田は自身の指の間に挟まる煙草の灰が落ちそうになるのに気が付き、そっと灰皿に押し付けた。ちらりと時計を確認すると思った以上に時間が経過してしまっていたようである。

「そろそろ俺は戻るけど、お前はどうする」
「私も行くよ」
「そうか」

 灰皿に押し付けた煙草はそのままに、松田は喫煙室の扉に手をかけて外へ出る。そのまますすすと後をついてきた最上のためにドアを軽く開けたままにしてやると、最上は何も言わずにするりと外へ抜け出た。まるで猫みたいだ、なんて呑気な考えが松田の頭を過った。

 ふたり揃ってフロアに戻ると、佐藤がこちらを見やるなりパタパタと近づいてきた。

「随分遅かったわね」
「まあちょっとな」
「ふうん、まあいいわ。これから被疑者を所轄から連行するの。着いて来て」
「悪いが俺はパスだ」

 佐藤の言葉を容赦なく一刀両断し、横をするりと抜けた松田に、彼女は檄を飛ばす。

「パス?! 何言ってんのあんた!」

 その声に周りの刑事も視線を向けるが、松田の表情は変わらない。信じられない、とでも言いたげに眉間にしわをよせつつ松田の後を追う。松田はどかりとデスクに腰かけ、新聞を広げ始める。最上はふたりの様子を窺いつつ何も言わずに自身のデスクに戻った。

「俺は今日、ここで待ってなきゃいけねえんだ。所轄からジジイの被疑者をここに連行するくらい、あんたらでできるだろ」
「ちょっとあんたねえ……」
「聞いてるぜ。毎年この11月7日に送られてきてるそうじゃねえか」

 松田の言葉に佐藤は一瞬動きを止め、彼が指し示したものを思い出す。

「ああ……3年前から1年ごとに本庁に送られてくる、大きな数字がひとつ書いてあるだけのいたずらファックスでしょ?」
「3年前が3、2年前が2、1年前が1……間違いねえ、こいつは爆弾のカウントダウンだ。奴が動くなら、今日しかねえぜ」
「は……?」

 佐藤は松田の言葉を上手く理解できず、不思議そうな表情を浮かべる。そして埒が明かないと思ったのか、松田ではなく最上へ声をかけようとしたその時、白鳥が目暮に1枚の紙を見せた。

「警部。また今年も送られてきました」