誰がために君は
「『もうひとつの、もっと大きな花火のヒントを表示するのは……爆発3秒前 健闘を祈る』」
『ちょ、ちょっと何言ってんの?』
突然訳の分からないことを言い始めた松田に、電話の向こうの佐藤は困惑した声を漏らす。最上もよくわかっていないようで、松田の背中をじっと見つめていた。
「……これがたった今、液晶パネルに表示された文章だ。どうやら爆弾を止めてパネルの電源が落ちると、2度とそのヒントは拝めなくなっちまうらしい」
液晶パネルを見つめながら松田は言う。その表情は口角こそ上がっているものの、今にもすぐ傍にある壁を思い切り殴ってしまいそうな苛立ちが感じられた。最上はふむと口元に手をやりながら冷静に呟く。
「つまり犯人は、最初から警察の誰かをゴンドラに閉じ込めて、この文章を見せるつもりだった……ってことだね」
『じゃあ、さっきの爆発は松田君がゴンドラに乗ったのを見て犯人が……つまり、この近くに爆弾犯がいるのね!?』
はっとしたように佐藤は言う。途端に電話口にびゅうびゅうと風音に似た雑音と、話し声が増え始めた。恐らく、観覧車の周りにいる観客の中から爆弾犯を探し出そうとしているのだろう。そんな彼女に対し、冷静に最上は告げる。
「佐藤さん。この人混みの中、犯人を特定するのは難しいと思いますよ」
『でもこのままじゃ……!』
「もうひとつの爆弾の在処の検討はついてるぜ」
『え!?』
松田の言葉に佐藤は驚いたように声を上げる。ちらりと松田が振り返れば最上と目が合った。お前もわかってんだろとでも言いたげなその視線を受けて、最上は彼の言いたいであろうことを代弁する。
「ファックスに書いてあったでしょう。『我が戦友の首』って。『円卓の騎士』は中世ヨーロッパ。あのころの騎士は大抵、十字がデザインされた仮面をつけているんですよ。……もう、お判りですよね?」
『び、病院の地図記号!』
ようやく閃いたらしい佐藤が答えを口にした。ああそうだ、と松田が肯定する。
「それがどこの病院かは、ヒントを見たら連絡します」
『れ、連絡するって……ヒントが出るのは3秒前でしょ?』
「すみません、もうすぐ電池が。切りますね」
『あ、ちょっ……!』
佐藤の言葉を最後まで聞くことなく、最上は容赦なく電話を切る。その様子を見ていた松田に向かって最上は言った。
「松兄ならこうすると思ったんだけど、違った?」
「……」
すとん、と椅子ではなく松田と同じ床に座りながら平然と言ってのける最上。松田は呆れたようにため息をついた。爆弾に最新の注意を払いながら壁にもたれ、煙草を一本口にくわえる。慣れた手つきで火をつけたところで最上が壁の表示を指さしながら言った。
「松兄、ここ禁煙」
「いいだろ別に。今日くらいきっと大目に見てくれるさ」
ふうと煙を吐き出した。それを聞いた最上はふうんと納得したんだかしてないんだかよくわからない返事をする。
「じゃあ私も」
そう言って、松田と同じように煙草をくわえた。火をつけようとして一瞬迷ったように固まったが、結局そのまま火をつける。
「いいのかよ」
「1本だけなら平気だよ。……多分」
その様子を見て松田は口元で小さく笑った。
微妙に匂いの違う濁った煙が、閉鎖的なゴンドラ内に満ちていく。ふたりとも何も言わない。タイマーが規則的に時を刻み、2筋の煙がゆったりと揺れていた。
「なあ」
不意に口を開いたのは松田の方だ。
「お前はこれでいいのかよ」
視線を最上によこすことなく、まるで独り言のように言う。
「俺と一緒に、死んでも」
オブラートに包むことなく、事実だけが突き付けられる。
数秒の沈黙。最上は口を開かない。
松田はそろりと音を立てないように彼女の様子を見やる。彼女は松田の視線に気づくことなく、少し上を見上げて煙を目で追っていた。刻一刻とタイムリミットが迫る空間で、彼女は贅沢に時間を使う。
「4年前の11月7日。私は死んだ」
唐突に口を開く最上。椅子にもたれながら煙を吐き出し、ぼんやりと視線を曖昧にする。
「今私が息をしても、それは生きているって事にはならない。ただ動いているだけ」
松田は何も言わず、黙って彼女の話を聞く。彼女が右手に挟んだ煙草の煙が真っすぐに立ち上っている。上に行くにつれて空気と混じり合い、煙の濃度は薄くなっていく。
「本当は、萩兄の敵取りたかったけど……流石に無理かな。一般人を巻き込みたくはないし」
彼女にしては珍しい、自嘲気味な笑みを浮かべる。その表情にはどこか諦めの色も混じっていた。それに、と静かに付け加える。
「そんなことしたら、萩兄に怒られるでしょ」
"彼"と同じ匂いの煙をまとい、彼女は言葉を吐く。そのひとつひとつがけだるげで重い。
「……だから、いいの。もう」
ぐったりと項垂れ、静かに目を閉じる最上。その表情はどこまでも安らかだった。きっと彼女が今心からそう考えているためだろう。普段と比べて表情豊かな最上とは反対に、松田の表情は変わらない。
「そうか」
小さくそう呟いて、すぐ傍の通風孔から煙草の灰を落とした。それを見ていた最上は、思い出したかのように尋ねる。
「あと何分?」
「ちょうど1分」
タイマーをちらりと確認した松田は言う。ゆったりとした時間の流れを感じさせていた室内にも刻々とリミットは近づいていたのだ。
「じゃ私もそっち行くよ」
最上はそう言って煙草の火を消すと、するりと松田の傍に寄る。目の前に鎮座する爆弾のタイマーは残り50秒を切っていた。刻々と減っていく数字を見つめながら、ふたりは静かに息をする。
「ねえ」
少し松田のほうにもたれるようにしながら、最上はぼんやりと言葉を吐いた。
「松兄はどうなの」
「あ?」
「心中する相手が私で、よかったの」
少しの静寂。松田は残り30秒を示す爆弾に視線を落としながら、ぼそりと言う。
「さあな」
気付けばあと20秒だ。いよいよだと最上は静かに覚悟を決める。
「ありがとう、松兄」
ぽつりと、言葉を漏らす。その表情は安らかだ。
「……私、松兄と出会えてよかったよ」
それは素直にあふれた、心からの言葉だった。
松田は何も言わず、液晶パネルに視線を落としていた。いつの間にか煙草は通風孔から捨てたようである。対する最上は瞼を下ろし、心の中で数字を数えていた。ひとつひとつ数字が減っていくごとに自身の命の終わりが着々と近づいているのを感じている。
(……もうすぐ逢えるね、萩兄)
その言葉は、ついに口から洩れることはなかった。
3秒前になり、液晶パネルにヒントが流れるように表示される。
松田はそれをじっと見つめている。
"ACLRPYJ BC ZC――
――ぱちん。
ヒントが流れ始めてから2秒後。爆発には似ても似つかない控えめな音が響く。
空中の密室となったゴンドラ内で、ふたりの人間の呼吸音だけが小さく聞こえている。
「……生きてる」
目を開き、静寂に支配された空間でぼそりと呟く最上。
その目の前には爆発1秒前に止まった爆弾。隣にはコードを切った直後の松田。最上がそっと見上げても、彼は表情を崩さない。
どうして、と訊く前に松田が口を開く。
「米花中央病院」
唐突に放たれた単語に、最上は一瞬きょとりと動きを止める。
「爆弾の在処だ。……電話しろ、佐藤に」
その言葉を聞いて最上は曖昧に頷き、携帯電話を手に取った。
***
佐藤に電話で爆弾の在処を伝えた後、救助隊のヘリによってふたりは無事に保護された。
ふたりに大した外傷も無いとのことでヘリが着陸した先は警視庁。そこで待っていたのは涙ぐんだ刑事らと大勢で押し掛けるマスコミ達だった。観覧車に爆弾が仕掛けられたということで、ふたりが予想していたよりも大きなニュースになっていたらしい。爆弾の仕掛けられたゴンドラ内に取り残されたふたりの刑事が無事に生還したと聞き、こぞって押し寄せてきたのだ。こんな経験は初めてだったふたりは戸惑いながらもなんとか対応し、気づけばすっかり辺りは暗くなっていた。
人混みがようやく引いた警視庁。最上は休憩スペースのベンチに腰かけてひとり息を吐いた。
「災難だったな」
「松兄」
ほれと紙コップに入ったコーヒーを差し出しながらひょっこりと顔を見せたのは松田だ。最上は小さくお礼を言ってからその紙コップを受け取り、口を付ける。途端にくしゃりと顔をしかめ、べろりと舌を出した。
「……これ、砂糖入ってない」
「ブラックだからな」
「…………」
松田は悪戯っぽく笑う。じとりとした最上の恨めしい視線を受けて素直にスティックシュガーを差し出した。最上はさっと彼の手から奪い、封を切って投入する。その間に松田はすとんと最上の隣に座った。両手で紙コップを抱えて小さく座る最上と、その隣で足を組み椅子にもたれるように座る松田。傍から見ればちぐはぐとした光景だが、ふたりの間に流れる空気は穏やかだった。
「よくわかったね、爆弾の場所」
ぽつりと最上が口に出す。その表情はよく読めない。松田は自分用に持っていたもうひとつの紙コップに口を付けながらそうだな、と言った。
「解き方自体はお前も見当ついてただろ」
「うん」
最上は素直に頷く。
「『円卓の騎士』は中世イギリス……アーサー王物語において、アーサー王に仕えた騎士のこと」
「そう。初めてその記述が出たのが1155年……つまり12世紀。そのころイギリスの王宮で使われていた言語は英語じゃなくフランス語だ」
「それに加えて暗号文の『正午と14時』っていうところに注目すれば、読解法は自ずと導き出される」
「表示された文字をアルファベット2文字ずつずらして読めばいい。ただそれだけだ」
正解だとでも言いたげにニヤリと笑う松田。
「今回表示されたヒント、確か、ACLRPYJ BC ZC……だったか。それの初めの一単語分を2文字ずつずらせば、"CENTRAL"……つまり"中央"の意味になる。この辺りの病院で中央がつくのは米花中央病院と建設中の坏戸中央病院ぐらいだろ。念のため粘って続きも見たが、確信が強まっただけだったよ」
「……流石だね」
最上はうっすらと目を細めて言う。普通の人間ならばここまで追い込まれた状況で冷静な判断などできない。いつだって冷静に物事をとらえることが出来る松田だからこそなしえた業だろう。すると松田はいや、と否定の言葉を口にした。
「俺ひとりなら死んでたよ」
その言葉に思わずきょとりとする。松田の方を見るが、彼はいつものようにつかみどころのない笑みを浮かべるばかり。
「……それは」
「そのまんまの意味だよ。俺ひとりだったら、あの状況で生きようなんて思わなかった。今頃あの世であいつにどつかれてただろうよ。『もうこっち来たのか』『あいつをひとりにしてどうすんだ』ってな」
だから、と言葉を切る。
「今ここに俺が生きてるのは、間違いなくお前のお陰だ」
松田の言葉が理解できない最上。
いや、正確にいえば、理解はしているのだが、その意味をそのまま受け取ってもいいのかと戸惑っているのだ。まばたきを繰り返して松田を見やるが、彼は一向にこちらを見ようとはしない。最上はどうしたらよいのかわからず、たどたどしく言葉を零すばかりである。
「え、と……」
「お前、奴を捕まえたらどうすんだ」
唐突に松田は話題を変える。だがそれは最上にとって、非常に話しにくいものだ。
「どうする、って」
視線を伏せ、ぽつぽつと言葉を濁す。かねてから決めていたこと。だがそれを彼に面と向かって伝えるのは初めてだ。どう返答したものかと考えあぐねていると、松田はちらりと最上の方へ視線をやった。
「死ぬつもりなんだろ、お前」
あっさりと松田は核心を突いて見せる。まさかすんなり言い当てられるとは思ってもいなかった最上は思わず松田の方を見やった。その表情を見て、彼はやっぱりな、と柔らかく微笑む。
「……なんで」
「それくらい、わかるに決まってんだろ」
何年お前と一緒にいると思ってんだ。松田は言う。だが最上は正直それどころではなかった。松田から逃げるように顔を背けると、少し気まずそうに視線をうろうろと彷徨わせる。どう思ったのだろうか。犯人を捕まえたら死ぬのだという考えを持った自分を見て。最上はどうしたらよいのかわからないまま、ただひたすら困ったように視線を下げた。
「……俺は」
ぽつりと言葉が宙に浮く。彼の言葉を聞いて最上はそっと視線を上げた。松田は顔を正面に向けたまま言葉を吐く。
「俺は生きる理由に、なり得ねえか」
「……え」
「俺じゃお前の生きる理由には力不足か」
放たれた言葉は真っすぐ最上の心に届く。だが彼女は彼の態度に戸惑ってばかりだった。どうして急にこんなことを言い出すのだろう。今までそんなこと無かったのに。そんな気持ちになりながら、最上は何とか言葉を紡ぐ。
「……どうしたの。なんかさっきから松兄おかしいよ」
「俺はいたって正気だよ」
「でも」
どこか落ち着かない様子の最上に、松田は大きくため息をつく。その動作に最上はさらに不安を煽られる。松田は目を細めて、ぼそりと独り言じみた言葉を吐き出す。
「いつか言おうとは思っていたんだが……今日がその"いつか"らしいな」
そして手元のコーヒーをぐいと飲み干した。紙コップをくしゃりと握りつぶし、すぐ傍に置く。組んでいた足を解き、身体を最上の方へ向けるようにして座りなおした。最上は彼につられて姿勢を正しながら顔をそっと見る。いつもと変わらないと思っていたが、眉にぐっと力が入り、どこか思いつめたような表情をしていた。そして耳がほんのりと赤く色づいている。
そこで最上はふと思い出した。彼が耳を赤らめる時は、確か……。
「俺の生きる理由はお前だよ。かざね」
彼の鋭い瞳が、真っすぐ最上に向けられる。その眼は真剣そのもので、いつもどこか余裕ありげに振舞う彼らしくない、自信なさげな感情も見え隠れしていた。夕焼けに照らされたように頬に熱が集まる。最上はいつの間にか彼から視線を逸らすことが出来なくなっていた。
「だから、……俺を、お前の生きる理由にして欲しい」
そっと、彼の大きな手が最上の空いた左手に重ねられる。その手は驚くほど熱くて、大きくて、それだけで最上の心臓は大きく跳ねた。ふたりの視線は交わったまま動かない。松田はそっと、手を握る力を強める。
「俺と一緒に、生きてくれないか」
―――誰がために君は
彼は想いを口に出す。まるで縋るようなその声はわずかに震えていた。