抱き枕は告白する
「どういうつもりだ」

 怖い顔をしたお兄さんが低い声で言った。ベッドとシャワールームの間のあたりに、わたしは追い詰められている。わたしよりもうんと背の高いお兄さんがちょっと腰をかがめつつこちらを見下すように立っていて、ひんやりとした壁の温度を背中に感じるわたしは内心パニック状態だった。

「っな、なん、ですか」

 心からのことばが出る。だって今日はいつもと変わらない1日だったから。部屋の中でべんきょうをしながらお兄さんの帰りを待って、それで夜遅くになってお兄さんが帰ってきたから「おかえりなさい」って言って、さあいっしょに眠ろうって思ったところだったから。だから、お兄さんがここまで怖い顔をする理由がわたしにはちっともわからない。
 わたしの答えが不満だったのか「とぼけるんじゃねえ」とお兄さんがさらに問い詰める。

「ここのところ随分と挙動不審じゃねえか。俺が気づいてねえとでも思ったのか?」

 それを言われて内心どきりとする。思い当たることはたくさんあった。お姉さんに言われたこと。そして、……先生に言われたこと。
 そうだ。ふたりの話をきいてから、わたしは前よりももっとお兄さんとどう話したらいいのかわからなくなってしまったんだ。お兄さんと一緒に居られてうれしいけれど、そのうれしさを素直によろこべなくて。心臓のドキドキを止めたいのに、止まらなくて、くるしくて。お兄さんはいつもとちっとも変わらないのに、わたしはひとりでこの気持ちをどうしたらいいかわからなくて。

 お姉さんは言ってた。こいにはいろんな種類があるって。だからきっとこれは、忘れなくちゃいけないこいなんだ。
 ……そう思って、いたのに。

 何も言わないわたしにしびれを切らしたのか、お兄さんの顔がぐいと近づいた。その顔は怖いままなのに、わたしの心臓は勝手に走りはじめる。体温がぐんぐん上がる。

「何か吹き込まれやがったか」
「い、や、その……」

 吹き込まれた、というのは、何を言われたか、ということであってるかな。何を言われたか……なんて。言いたいけど、そんなこと言ったらわたしがお兄さんにこいをしているってバレてしまうかもしれない。それはダメだ。それは……それだけは、絶対お兄さんに言えない。

「ベルモットか? それともバーボンか? どっちにしろ、ろくでもねぇことなんだろ」

 ろくでもなくなんかないって、いってしまえたらどれだけ楽なんだろう。
 わたしの体温がうつったのか、背中に当たっている壁の温度がぬるくなってくる。そんなに長いこと追い詰められたわけでもないのに。汗でじとりとぬれた手のひらをぎゅっとにぎりこむ。

「何を吹き込まれたかは知らねえが、下手な真似はよせ。俺を探るためにお前を使うとは、いい度胸じゃねえか」

 ふいにお兄さんがわたしの右手首をつかんだ。お兄さんのひんやりとした体温が肌につたわる。

「素直に吐けば悪いようにはしねぇ。誰の差し金だ?」
「ぅ、あ……」
「言え」

 ぐっと握った手に力がこめられる。お兄さんからこんなことをされるのは正真正銘はじめてだった。
 こわい、こわい。怒ってるお兄さんがとても怖くて仕方ない。……それなのに、そのドキドキすら勘違いしてしまいそうになる。ダメだ、ほんとうに。わたし。

「ち、ちがうの」
「違う? 何がだ」
「その、ふたりは、かんけいなくて」

 なんとか口を開くけれど、言葉が続かない。どうしたらいいんだろう。ぎろりと鋭く光るお兄さんの目から逃げるみたいに、わたしはうつむく。どうしたらいいのか分からなくて、じんわりと視界が滲んでいく。泣いちゃダメだ。泣いても何も変わらないんだから。必死で涙を止めようとするわたしを、お兄さんは責め立てる。

「関係ない? ならなんだ? テメェが自発的にやったことだとでもいいてぇのか?」

 ぎり、と手首に込められた力が強まる。どうしよう。一体わたしはどうしたら……。
 ……言ってしまった方がいいのかな。お兄さんがすきだって。
 ふたりは関係ない……わたしが、心から、お兄さんのことがだいすきなんだって。

 たくさんの言葉が心臓のドキドキによってぐるぐるとかき混ぜられていく。あたまのなかがぐちゃぐちゃで、わけがわからなくなって。そうしてわたしは声をふるわせながらゆっくり顔をあげ、口を開いた。えっと、その、と意味のない言葉をいくつかこぼして、そして。

「わ、わたしが、おにいさんを……」

 でもそれを最後まで言うことは出来なかった。ふいにのどに違和感をおぼえて、そのままゲホゲホと思い切り咳込む。それがあまりにもくるしくて、ついお兄さんにもたれかかってしまった。いけないと思い、あわてて離れようとするけど体にうまく力が入らない。

「(……あれ? おかしいな)」

 そう思っているとお兄さんがわたしの手首をはなし、そのおお手を近づけてきた。いきなり何をするんだろうと身体をこわばらせるわたしの前髪を退けておでこにそっと触れ、ひとことつぶやく。

「……熱いな」
「ぇ?」

 熱い? 
 ……たしかに、すごく、あつい。

 急に目の前がぼんやりとして、わたしはそのまま目を閉じてしまった。お兄さんの呼びかけにも応えられないまま、眠るように。