先生と少年と、抱き枕の昔話
 雨が強く降っている。

「――それから僕はコナンくんと協力してジンとウォッカの捕縛にあたる。その間に君は、メイという少女を保護して欲しい」
『少女……ですか』

 僕の告げた指示に、風見は少々戸惑ったようだった。それもそうだろう。敵組織の幹部で冷酷非情と恐れられる男が年端もいかない少女を傍に置いているなんて、正直あまり想像できるものではない。
 目の前の信号機が青に変わった。周囲を確認しつつ、アクセルを踏み込んで直進する。

「彼女はジンのお気に入りで組織の被害者でもある。傷つけないように保護しろ。詳しい場所は追って連絡する」
『了解しました』

 通話を切って、僕は大きく息を吐いた。ハンドルを操作しながらもう一度、作戦内容を頭の中で確認する。組織を壊滅させるためのまたとないチャンスだ。少しのミスも許されない。詳細に内容を思い浮かべながら作戦に穴がないか確かめる。まあこの作戦の発案者は紛れもなく"彼"なのだから、きっとそんなこともないんだろうけど。

 ――『わたし、お兄さんに……こい、してるの』

 少女のほころぶような表情が脳裏を過る。それから僕の言葉を聞いた後のショックを受けたような顔も、信じたくないとばかりに震える声も、ありありと思い出せる。
 目の前の信号が赤に変わったため、静かに停車する。横断歩道をカラフルな傘を差した小学生の集団が楽しそうに渡って行ったのが車両の隙間から見えた。
 ……その姿がふと、あの子と重なる。

「……」

 本当は背中を押してやるべきだったのかもしれない。初めて人を好きになって、その人といられるだけで幸せだって。そう言って笑う少女のことを、僕だってできることなら応援してあげたかった。相手があのジンだとしても、一応ひとりの大人としてあの子の可愛らしい初恋を見守ってあげたかった。

 けれど、今回ばかりは仕方ない。口先だけであの子の背中を押すなんて無責任な事、できるわけがない。これは……この恋は、どう考えてもあの子にとって酷だって僕はわかっているから。……だってそうだろ。

 ……自分が愛しいと思った相手がまさか、両親を殺害した張本人だったなんて。
 そんな悲しいことを、あの子に教えるわけにもいかない。

 僕がその事実に気付いたきっかけはほんの些細な出来事だった。
 とある別の事件をきっかけに、非合法な人身売買が行われている店が一斉に検挙され、それに組織が絡んでいるのではないかと疑いが浮かんでそれを調べることになったのだ。取引されている者はほぼ全員身寄りがなく、血筋すら定かではないものがほとんど。けれどもしかしたらそこに組織被害者や組織と関係のある子どもがいるのではないかと調べ始めたその時。見つけたのだ。過去の取引リストの中に、少女の名前を。

 趣味の悪い映画のワンシーンのような数枚の写真。傷だらけで怯えきった表情が痛々しい写真の横に『枕辺メイ』という名前が記されている。この名前が本名なのかと店の主人に尋ねればそうだと答えた。もう一度写真を見る。画質が悪いためはっきりと確信はできないが、切り傷や擦り傷に混じって、足や腕にかけて広範囲にわたる火傷の跡があった。
 ……この時点で少々嫌な予感がしていたが、これが僕の仕事なのだから仕方ない。僕は少女の詳細を調べ始めることにした。

 手始めに彼女の名前や苗字、推測年齢などからデータベースに検索をかける。すると、ある事件がヒットした。今から3年ほど前、とある地域で火事があった。焼け跡からはこの家の住人と思われる男女の遺体が見つかっている。だがこのふたりの死因は焼死ではなく、銃撃されたことによる失血死ではないかとされていた。ふたりの遺体の中からは丁度2発の銃弾が見つかったためだ。おそらく何者かが彼らを殺害し、証拠を隠滅するために火を放ったのだろうと。ならば、誰が?

『頼むから、当たってくれるなよ』

 半分縋るような思いで僕は少女の両親の仕事を調べる。すると案の定、とある企業がヒットした。組織の息がかかった、表向きは製薬会社としてそれなりに名のある企業だったが、今ではもう存在しない企業だ。確かこの会社の責任を担っているのは……。

『……ジン』

 そう。まごうことなき彼だった。
 それに気づいた瞬間、僕は思わず仕事用の椅子に思い切りもたれかかる。ギシギシと軋む音がするが、知ったこっちゃない。生憎、そんなことに気をつかう余裕なんてなかった。

 信号が青に変わって、車の群れが動き出す。それでようやく僕も現実に引き戻された。アクセルを踏み込み、徐々に車が加速していく。

 恐らく少女の両親は何らかの理由で組織によって……しかもジンによって殺されたのだ。そしてその証拠を消すために火を放ち、全てを灰にしてしまった。唯一そこから逃れた少女はなんとか組織から身を隠すことが出来たが、身寄りがないため今度はあの店の主人に捕まってしまった……といったところだろう。少女が店に来るよりも昔のことをあまり覚えていないと言っていたけれど、無理もない。こんなこと、トラウマになって当然だ。きっと彼女は無意識にその記憶を封印しているんだろう。

 あの男は覚えているだろうか。……いや覚えているわけがないか。死人に興味がない奴が、こんな小さなヤマを覚えているわけがない。ということは、知っているのは赤の他人である自分ただ一人ということ。

「……神様って、いないんだな」

 そんなこと昔からとっくにわかっていたのに。それが残酷なことに思えて仕方がない。
 ぐっとハンドルを握る手を強めたところで、ふと着信が入った。聞こえてきたのは風見の声ではなく、子どもの声である。

『安室さん? そろそろ時間だけど、大丈夫?』
「ああ、問題無いよ。そっちはどうだい」
『うん大丈夫だよ』
「そうか。それならよかった」

 僕はそう言いながらハンドルを切る。もうすぐ彼と約束した場所に着くだろうかと想ったところで『安室さん』とコナンくんが僕を呼んだ。

『そういえば前から聞きたかったんだけど』
「うん?」
『あの子は、……メイちゃんはどうなるの?』

 その言葉を聞いて思わず息を呑む。なんてタイムリーなんだろうと思ったけど、そうか、そういえば彼は一度会っていたっけ。あの子について色々聞かれたことを思い出しつつ、至って淡々と説明する。

「こちらの調べでは、彼女は組織の被害者だからね。丁重に保護するよ。その後どうなるかは……あの子次第かな」
『そう……ならよかった』
「心配だった?」
『まあ、ね』

 コナンくんは苦笑まじりに言う。

『メイちゃんが傷付くと、あいつらが悲しむなって思って』

 僕はポアロで少女の手を取って笑っていた歩美ちゃんの姿を思い出し、「そうだね」とつぶやくように言った。未来ある少年少女はこの国の財産だ。彼らの表情が曇るのは僕も見たくない。
 目的地まであと数百メートルといったところに差し掛かったのを確認し、僕は言う。

「もうすぐ着くよ」
『わかった。じゃあ切るね』
「うん。気をつけて」
『そっちこそ』

 そう言って通話は切れた。僕は大きく深呼吸して、目の前のやるべきことに集中する。

 ……雨は、未だに強く降り続いている。
 当分止みそうにないだろう。