「気が変わったわ、ジン。この子夜まで借りるわよ」
ひとしきりわたしの頭を撫でたお姉さんが急にそんなことを言い出した。驚いたわたしは思わずえっと声が出そうになるのを何とか堪える。借りる、とは。一体どういうことなのだろう。そう思っていると、前に座っているお兄さんが鏡越しにじろりとお姉さんを睨んだ。
「あ? どういうつもりだ」
「買い物よ。この子に必要なものの、ね」
お姉さんはお兄さんの睨みにひるむことなく言ってのける。なんで傍で見てるわたしのほうが不安に思うんだろう。……と思ってたら運転席の男の人も若干不安そうだった。このふたりはわたしが知らないだけでいつもこうなのかもしれない。
「どうせあなたのことだから、この子に必要なもの何も用意していないんでしょう? なら私が用意してきてあげるわ」
その後お姉さんが色々お兄さんに理由を並べると、お兄さんは観念したかのように重々しくため息をついた。
「……今日中に返せ」
「ありがと」
にっこり。お姉さんが実に嬉しそうに微笑んだ。やっぱり美人だなあ……。対するお兄さんは舌打ちをひとつして煙草を吸い始める。すごく不機嫌そうだ。もしかして、わたしが手間がかかるせいもあるのかな。だとしたらすごく、申し訳ない気持ちになる。しゅんと気持ちがしぼんでいくわたしを見て、隣に座るお姉さんは言う。
「気にしなくていいのよ。あの男はいつもああだから」
「……余計なことを言うな」
お兄さんの返答に、ほらね、とお姉さんは笑う。
わたしを励ますためだとわかっていても、ほんの少しだけ、嬉しかった。
***
お姉さんが運転してる男の人に行き先を告げる。聞いたことのない場所だ。どれくらいかかるだろうと思っていたら5分ほど進んだところで不意に車が止まった。着いたらしい。ドアを開いて、お姉さんが颯爽と車の外に出る。
「行くわよ、メイ」
「は、はい」
わたしはシートを伝って、お姉さんが出たほうの扉から車の外へ出る。出る前にちらりとお兄さんの方を見たけれど、お兄さんは何も言わなかった。ばたりと扉をしめるとさっさと車は走り去っていく。
「さて。……夜までたっぷり楽しみましょうか」
お姉さんがこちらを見下して微笑む。女のわたしでもどきどきしてしまうようなその大人っぽい笑みに、わたしは顔が赤くなるのを感じながら大きく頷いた。
コツコツと足音を響かせながら歩くお姉さんの隣を、遅れないように頑張って歩く。足の長さが違うからお姉さんが一歩踏み出す間にわたしは何歩も歩かなければいけない。こんなにたくさん歩いた経験はほとんど無いからすぐに疲れてしまいそうだ。
それにしても、すれ違う人がみんなお姉さんのことを一度は見とれているのがすごい。もしかして……わたしなんかがお姉さんの隣を歩くのは変じゃないのかな。お姉さんはすごく素敵だから、わたしのせいでお姉さんまで変に思われることがあるならそれはとても、悲しい。
だけどお姉さんは、全くそんなの気にしていませんといった風に歩いている。かっこいいなあ、と心から思った。
「まずはここかしらね」
そう言ってお姉さんは不意に道を折れてある店の中に入っていく。わたしも遅れないようにと店のドアをくぐった。いらっしゃいませ、と店の人の声がする。
そこは洋服を売っている店のようだ。明るくライトが照らす店内に、楽し気な音楽が会話の邪魔にならない程度に鳴っている。あちこちに服を着た等身大の人形と、吊るされた洋服。そのどれもがわたしにちょうどいいくらいのサイズだった。こんなところで買い物をするのか。
わたしがきょろきょろと周りを見回していると、店の人らしき女の人がすすすとお姉さんに近づいてくる。
「本日はどういった用件で……」
「この子に合うものをいくつか見繕って欲しいの」
お姉さんがそういうと、女の人の視線がすっとこちらを向いた。そして足先から頭のてっぺんまでじっと見ている。わたしはどうしたらいいのかわからず、女の人から視線を逸らして早くこの時間が終わるようにと心の中で念じていた。やがて女の人はわたしから視線を逸らすと、お姉さんににっこりと微笑みかける。
……それからはもう、嵐のようだった。
女の人は洋服を持ってくるとわたしに身に着けるように指示する。わたしはカーテンで仕切られた小さな部屋のようなところで着替える。着替え終わると、それを見ながらふたりでああだこうだと意見を交わし、また次の服を渡してわたしに着るように指示する。……これの繰り返し。正直もう何回カーテンを開けて閉めてをやったかわからない。時々わたしにもどちらがいいかと聞いてくるけれど、服の事なんかよくわからないわたしの意見なんか聞いて意味があるのかなあ。
「ま、こんなところかしら」
何十回もカーテンを開け示したところで、お姉さんは顎のあたりに手をやりながらつぶやいた。そしてわたしに最初の服に着替えるように指示する。これでようやく終わりらしい。よかった、やっと終わった……。わたしは内心ぐったりしながら初めから着ていたワンピースに着替える。カーテンを開くと、大きな紙袋を持ったお姉さんが立っていた。恐らくそこに買った服が入っているんだろう。
……買った服が入っている?
「さ、行きましょうか」
さっさと店を後にするお姉さんを追いかけ、わたしは慌てて声をかけた。
「お、お姉さん!」
ちょっと上ずった調子のそれを聞いてお姉さんは振り返る。わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら言った。
「わたし、おかね、持ってない……」
そう。わたしはその服の代金を払うだけのお金を持っていないのだ。その服が一体いくらなのかはわからないけれど、お姉さんに全部払わせるのは流石にちょっと、申し訳ない気持ちになってしまう。
するとお姉さんはふっと微笑み、少し腰をかがめてわたしの頭を撫でた。
「いいのよ。そんなこと気にしなくて」
「で、でも……」
「あなたみたいな子をジンが連れているのなんて初めてだからプレゼントしたくなったの。つい、ね」
つい、でこんなに服を買うのはどうかと思うんだけど……。わたしがどうしたらいいか困っていると、お姉さんはそれに、と言葉を続けてくる。
「あなた可愛いから」
「か」
……かわいい?
まばたきをぱちりとして、そのまま固まってしまった。そんな風にまっすぐ褒められることになれてないわたしの顔がだんだん熱くなってくるのがわかる。その様子を見たお姉さんがくすりと笑った。
「そんなところも可愛いわ」
「う……」
よしよしとまた頭を撫でられてしまった。は、はずかしい……。すると気を取り直したようにお姉さんは言う。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「まだ買い物、するんですか?」
驚いたわたしはお姉さんについていきながら思わず口にする。あれだけ服を買ったのにまだ何か買うんだろうか。するとお姉さんは当然じゃない、とさらりと言ってのけた。
「まだ下着も買ってないし、靴に靴下、シャンプーにトリートメントにボディソープ……それから化粧水とかも買わなくちゃ」
「そ、そんなに……」
「女って、お金がかかるものなのよ」
ひえ、と声を漏らすわたしにお姉さんは微笑みながら言った。それだけお金と手間暇をかけて、お姉さんの美しさは保たれているということだろうか。お姉さんはすごいなあ。いつかわたしもお姉さんみたいにとびっきりの美人さんに……いや、どうだろう。考えていたらちょっと気持ちが落ち込んできた。やめよう。
お姉さんについていきながら道を歩く。たくさんの店が並ぶ道らしく、店の前にはピカピカに磨かれたガラスケースの中に様々な洋服や小物が配置してあった。車の中から見たときとはまた違った光景に、視線をあちらこちらにうろうろさせていると、あるものが目に留まる。
それは、ガラスケースの中に居た白い動物のぬいぐるみだった。
わたしの身体の半分はありそうなそのぬいぐるみは、眠そうに目を閉じ身体を伸ばすようにごろりと寝そべっている。毛並みもふわふわで、ふっくらとしたその胴体に思い切りぎゅうと抱きついたら気持ちがよさそうだ。
たまらず足を止めてそのガラスケースの中を見る。見れば見るほど、それに抱き着いてみたいという気持ちが大きくなってきた。その身体を撫でたらきっと気持ちいいんだろうなあ……と思ったところでわたしは慌ててぶんぶんと頭を振る。流石にこれ以上お姉さんに買ってもらうわけには……。
「あら、ぬいぐるみ?」
「!」
不意にお姉さんの声がして、わたしはびくりと肩を震わせた。足を止めたわたしの視線に合わせるように、少々膝を曲げて同じようにガラスケースの中を見ている。どうしたらいいかわからずに戸惑うわたしを他所に、お姉さんは言う。
「polar bearね」
「ぽ、ら……?」
「白熊のことよ」
「しろくま……」
改めてガラスケースの中に視線を戻す。しろくま。しろくまというのか、この子……。のんびりと寝そべるその子を見ながら、私はもう一度しろくま、とつぶやく。するとお姉さんが不意にわたしに訊ねてきた。
「欲しい?」
その言葉に、わたしはぶんぶんと大きく首を振った。流石にそれはお姉さんに申し訳なさすぎる。……本当はすごく抱きしめてみたいけど、こればっかりは、難しいだろう。
「大丈夫、です」
すごく小さな声だった。お姉さんに聞こえるか不安だったけれど、ふうとため息をつかれてしまったからきっと聞こえたんだろう。
「素直じゃないわねぇ」
少しここで待ってなさい。そう言ってお姉さんはわたしを置いてさっさと店に入っていってしまった。もしかして、怒らせてしまっただろうか。わたしはしゅんとした気持ちになりながらもどうすることもできず、大人しくお姉さんが戻って来るのを待つ。
するとあまり時間もかからずに店の中からお姉さんが戻ってきた。結構早かったな、と思っているとすっと紙袋が差し出される。なんだろうと思いながらも流れるように受け取ると、お姉さんは「開けてみて」と言った。
「! これ……!」
紙袋の中には先ほどわたしが目を奪われていたしろくまのぬいぐるみがいた。しかも透明なビニールにくるまれた状態で。思わずお姉さんを見上げると、目を細めながらからかうような口調で言う。
「やっぱり欲しかったんじゃない」
やっぱりバレバレだったみたいだ。わたしは小さくごめんなさいと謝った。だが顔のニヤケは抑えられそうにない。紙袋を抱きしめて、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
お姉さんはそう言ってわたしの頭を撫でた。お姉さんに頭を撫でられるのは好きだ。へへ、と笑うとお姉さんは少し困ったような顔をしてつぶやく。
「ジンに渡すのがもったいないくらいね……」
その言葉の意味がよく解らず、わたしは小さく首を傾げることしかできなかった。