「やっぱり私の見立ては間違ってなかったわ」
試着室から出てきたわたしを見ると、腰に手を当ててお姉さんは言う。その声はとても得意げで、サングラスをかけていてもわかるほどすごく楽しそうな顔をしていた。
対するわたしはこれでいいのかなあと内心思うしかできなかった。
今日は久しぶりにお姉さんと一緒にお出掛けに来ていた。朝起きてぼんやりしていたら突然お兄さんの部屋にお姉さんがやってきて、『今日1日借りるわよ』とだけ言ってわたしを部屋から連れだしてしまったのだ。別れ際にみた少し不機嫌そうなお兄さんの顔を思い出すと、今でもちょっぴり不安になる。お兄さん怒ってないかな……大丈夫かなぁ……。
「彼女の魅力がよく引き出されていていいですね」
しかも今日はお姉さんだけじゃなく先生も一緒だ。お姉さんが荷物を持ってもらうために呼んだらしい。お姉さんに連れられてホテルの駐車場にとめてある車に戻った時、運転席に座っていた先生が柔らかく笑って『途中でホテルに寄ると言うから何のことかと思えば……そういうことでしたか』と言ったのをよく覚えている。
それからわたしたち3人でいくつかのお店を見て回った。そのほとんどが洋服屋さんだ。初めて会った時に沢山買ってもらったから十分だよとそれとなく伝えても、お姉さんは楽しそうに笑うだけ。
『この間は生活用品がほとんどだったじゃない』
『そう、だったかな……?』
初めて買い物に行ったときの記憶を引っ張り出しながらわたしは言う。結構洋服も買ってもらったような気がするけどなあ。
『あと単純に私が楽しいから買うのよ』
『ええ……』
微妙な顔になるのを自覚しながらつぶやく。それ本当に楽しいのかなあ……普通にお姉さんが自分用の服を買った方がいいと思うけど。わたしの内心には気づかないお姉さんの方を見上げると、とても楽しそうに微笑んでいる。
すると先生もお姉さんに便乗するように言った。
『僕としても、貴方の服を延々見せられるよりもよっぽど有意義ですね』
『あら失礼ね。でも正直わからなくもないわ』
……どういう意味だろう。そう思っているうちに別の店に到着し、今に至るというわけだ。
わたしがつい1時間ほど前の事を思い返していると、「次はこれね」と別の服が差し出される。驚いたわたしは思わずお姉さんに尋ねてしまった。
「ま、まだ着るの……?」
「当然よ。どうせならこの店であなたに一番似合うものを選びたいじゃない」
お姉さんは強気に言う。この店はぐるっと見回しただけでもかなりの服がある。それの中から一番を選ぶとなるとすごく時間がかかりそうだな……。
「今日は始まったばかりよ。まだまだ楽しみましょう?」
そう言ってお姉さんは目を細めて笑う。その表情にとてもドキドキしてしまって、わたしは咄嗟に試着室のカーテンを閉めた。
***
一通り服を買って満足したらしいお姉さんは店から出ると「お腹空かない?」とわたしにたずねた。
正直ずっとお腹の音がならないかヒヤヒヤしていたわたしは、小さくこくんとうなずく。するとお姉さんはとても楽しそうに笑って提案した。
「じゃあご飯食べに行きましょうか」
それから先生が運転する車で向かったのはご飯屋さんだ。沢山の車が止められていることからとても人気のお店なんだろうと想像できる。お姉さんに手を引かれながら店の駐車場を抜けた。
ウイーンと自動で開く扉をくぐって中に入ると、店員さんが笑顔でいらっしゃいませと出迎えてくれた。お姉さんと先生が店員さんとやりとりをしている間にきょろきょろと周りを見回す。広い店内に沢山の人がいて、みんなそれぞれ好きな物を食べている。楽しそうな声や美味しそうな匂いで室内は満たされていて、なんて素敵な場所なんだろうと素直にそう思った。
そうこうしているうちに店員さんとのやり取りは終わったみたいだった。
「行こうか、メイちゃん」
先生に手を引かれて店の奥の席に行く。先生とお姉さんは隣に座り、私はその向かいに座る。
「流石にこの時間帯は混みあいますね」
「ま、しょうがないわね……。メイ、好きなのを選びなさい」
お姉さんはそう言ってメニューを差し出した。ぴかぴかの頑丈そうな紙に書かれた大きな本みたいなそれをよいしょとめくれば、思わず口の中にじわっとつばがたまるような美味しそうな料理がたくさん並んでいた。めくってもめくっても美味しそうなものばかり。この中からひとつだけを選ぶなんて難しすぎだと思う。むむむと写真とにらめっこをしていると、お姉さんがくすりと笑った。
「ゆっくりでいいわよ。時間ならまだあるんだから」
そうは言ってもわたしだってお腹が空いたから早く食べたいし、お姉さんたちを待たせるわけにもいかないし。でも迷うなあ。うーんうーんと悩みながらページを行ったり来たりしていると、ある写真が目に留まった。これなら……。
「あの」
「決まったかしら」
「これ……」
おずおずとわたしが決めた料理の写真を指さす。ご飯やハンバーグ、スープにスパゲッティ……わたしが迷った料理たちが少しずつお皿に乗ったものだ。こんもり乗せられたご飯は赤っぽく色づいていて、一番上に旗が刺さっている。それを見てふたりはふっと噴き出すように笑った。
「なるほど、いい選択だわ」
お姉さんはそう言うと店員さんを呼んだ。わたしが迷っている間にふたりともさっさと決めてしまっていたらしい。これとこれとこれ、と簡単に注文を終えると店員さんはごゆっくりどうぞと言い残して去っていった。
料理を待つ間、わたしはなんだか落ち着かなくてきょろきょろと店内を見回していた。家族で来ている人たちが多くて、わたしは思わず自分のことを考えてしまう。
きっとわたしにも両親はいた。それはわかる。でもその顔を一切覚えていない。声も、においも、手も、仕草も、何も覚えていない。わたしの一番古い記憶はあの店にいた頃のもので、それ以前の記憶はほとんど曖昧だった。ふと視線の先の子どもと目が合う。わたしよりもうんと幼い子どもは、わたしと目が合うなり幸せそうにニコッと笑った。
わたしにもこんな日があったのかな。
……覚えていないだけで。
「メイ」
ふとお姉さんに名前を呼ばれる。慌てて視線を戻すと、目の前には写真で見たのと同じ料理があった。いつの間にか料理が完成していたらしい。思わず「わあ」と声がもれる。
「たべ、たべていい?」
「いいわよ。お先に召し上がれ」
お姉さんの言葉を聞いてわたしは早速フォークを手に取った。
まず手につけたのはハンバーグ。フォークでひとくち分の大きさに切ってから食べる。噛めば噛むほど中からじゅわわと汁が溢れてきて、火傷しそうになりながらもとても美味しい。
続いてスパゲッティ。フォークで掴もうとしたら上手くいかず、先生に「こうやるんですよ」とくるくる巻く方法を教えてもらった。なんとか巻き取って口に入れる。甘くてちょっと酸っぱくて、とても美味しい。本当にほっぺたが落っこちてしまうんじゃないかと途中途中でほっぺを抑えてしまうほどだった。
でもなにより驚いたのは最後のデザート。チョコレートケーキというものを始めて食べたけど、甘くてびっくりするほどおいしい。思わずぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそうになってふたりに笑われてしまった。恥ずかしくて隠れてしまいたくなる。照れ隠しにもう一口食べようとフォークを持ったところでふと手が止まった。
「メイちゃん、どうかした?」
不思議そうな先生。お姉さんも食事の手を止めてこちらを見ている。
「お兄さんにもあげたいな……」
こんなにおいしいんだもん。きっとお兄さんも好きに決まっている。思ったままに小さくつぶやくとお姉さんと先生にも聞こえていたらしい。ふたりは揃って顔を見合わせた。そしてほとんど同時にため息をつく。
「ほんと、ジンにはもったいないくらいね」
「ええ、全くです」
はーやれやれ、なんて言いながら頭を抱えている。そんなふたりは初めてで、わたしは少し不安になってしまった。おそるおそるふたりにたずねる。
「な、なにか変なこと、言った……?」
「メイは何も悪く無いのよ」
「ええ。こちらの問題ですから」
にっこり笑ってふたりは言う。
ほ、ほんとかなあ……。
***
「あの」
お兄さんが帰って来てから勇気を振り絞ってあるものを差し出す。ご飯を食べた後に寄ったお店でお姉さんや先生と一緒に選んだチョコレートだ。お兄さんは眉間にしわを寄せて低い声で言った。
「何の真似だ」
「えと、今日お姉さんと先生と食べて、美味しかったから、その……」
しどろもどろになりながらなんとか伝える。
「お兄さんにも、食べて欲しくて」
ぎゅっと目をつぶってお兄さんに箱をさらに近づける。怒られるかと思ったけど、お兄さんは黙って箱を開け、一粒つまんで口に放り込んだ。何も言わずにむぐむぐと口を動かしているのをわたしは不安になりながら見ている。すると不意にぼそりとつぶやいた。
「……甘ェな」
「おい、しい?」
「……悪くは無い」
ならよかった。
なんだか嬉しくて、わたしは安心したようにふにゃりと笑った。