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 今にも一雨来そうな湿った空気、淀んだ空。どうしてこんな日に限って任務なんだろうねえ、と内心うんざりしながら私達は伊地知さんの説明を受ける。

「我々の"窓"が受胎を確認したのが3時間前、避難誘導9割の時点で現場の判断により施設を閉鎖。『受刑在院者第二宿舎』五名の在院者が現在もそこに受胎と共に取り残されており、受胎が変貌を遂げるタイプの場合特級に相当する呪霊に成ると予想されます」

 特級。ここに来てからいくつか任務はこなしてきたとはいえ、そこまで高い等級に当たるのは初めてだった。確か組み分けとしては最上位じゃなかったっけか。これは一筋縄ではいかないかもしれないな。ピリッとした緊張感がその場に流れる。

「特級……ってことは、すげー強い時のキューちゃんと同じくらい強い、ってことだよな?」
「……まあ、今はそんな認識でいい」

 説明がめんどくさくなったらしい伏黒くんが少々呆れ気味に虎杖くんをあしらう。それでいいのか。「自分は今だって強いんだよ!」と眉を吊り上げるキューちゃんをなだめていると、伏黒くんは静かに続ける。

「本来呪霊と同等級の術師が任務に当たるんだ。今回の場合だと五条先生とかな」
「で、その五条先生は?」
「出張中。そもそも高専でプラプラしてていい人材じゃないんだよ」

 伏黒くんの言葉に静かに納得する。前から思ってはいたけど、結構多忙なんだな五条さんって。そこそこな頻度で学校にいるの見るけど、それも実はだいぶ無理をしているのかもしれない。

「この業界は人手不足が常、手に余る任務を受けることは多々あります。ただ今回は緊急事態で異常事態です」

 伊地知さんが眼鏡を押し上げながら真剣な表情で言う。

「『絶対に戦わないこと』。特級と会敵した時の選択肢は『逃げる』か『死ぬ』かです。……自分の恐怖には素直に従ってください。君たちの任務はあくまで生存者の確認だということを忘れずに」

 死、か。人間よりも長い時を生きている私にとって、正直想像が難しい感覚だった。
 『鬼も弱れば死ぬことがある』と聞いたことはあったけど、私自身病気もほとんどしたこともないため五体満足のままここまで生き延びている。毎度のことながら、こんなに死の危険が身近なものになっているんだな、呪術師って。

「(もし何かあったら、せめて。この子たちだけでも)」

 生者は誰しも生きる権利がある。彼らはその中でもまだ子どもであり、未来(これから)がある。それだけは私の手で守らなければ――

「(……ん?)」

 ――でもそれって、あの世の獄卒として正解なの?

「あの!」

 ふと女性の声がして、私はそちらに意識を向ける。規制線の外側に立ってこちらに呼びかけていたのは、黒髪の優しそうな女性だった。彼女は今にも泣きそうな顔をしながらすがりつくように言う。

「正は、息子は大丈夫なんでしょうか」
「……何者かによって施設内に毒物が撒かれた可能性があります。現時点でこれ以上のことは申し上げられません」

 伊地知さんの言葉に「そんな」と小さく息を呑んだ。ハンカチで目元を抑えながら別の高専職員に引かれてその場を離れていく。

「伏黒、釘崎、霙さん。……助けるぞ」

 虎杖くんは静かに言った。釘崎ちゃんは「当然」と返したが、伏黒くんは黙っている。対する私は小さく頷くことしか出来なかった。
 少年院の入り口に立つ。ゴロちゃんはいつもの黒い猫又の姿、キューちゃんは子どもの姿だ。

「"帳"を下ろします。お気をつけて」

 伊地知さんはそう言うと、人差し指と中指を静かに立てたままブツブツと言葉を紡ぐ。すると建物の上空に黒い澱みが出現し、そこからどろりと零れるように伝いながら、空を暗く染めていった。虎杖くんは楽しそうにはしゃぐ。

「夜になってく!」
「"帳" 今回は住宅地が近いからな。外から俺たちを隠す結界だ」
「これ外からはどう見えてるんだろう……」

 素朴な疑問を抱いていると、伏黒くんが玉犬を召喚する。なんでも、呪いが近づくと教えてくれるように躾けてあるそうだ。白は白でもこの子は賢いなあ……。地獄で自分の尻尾を追い掛けながらぐるぐるしている毛玉くんをしみじみと思い出す。彼は元気にしているだろうか。しているだろうなあ……。
 扉に手を掛け、伏黒くんがこちらに視線を寄こした。

「行くぞ」

 私は静かに手にした金棒を握る力を強める。ギイイイ……と軋んだ音をたてて扉が開く。

 ――中に入ると、そこは巨大な空間だった。

「こ、れは」

 思わず言葉を失う。
 薄汚れたコンクリートで出来たいくつかの部屋のようなものが、コードの絡んだ配管や橋で複雑に繋がっている。その天井は身上げるほど高く、建物の中だというのが信じられないくらいだった。どうなってるんだと混乱する子どもたちに、キューちゃんが慌てたように言う。

「姉御! 扉が……!」
「っ扉が消えてる!? なんで……!」

 慌てて振り返るが、そこは先ほど入ってきたばかりの扉の姿はなく、配管で埋め尽くされた巨大な壁があるばかりだった。

「なんで!? 今ここから入ってきたわよね!?」
「どういうことだよこれ!」

 あたふたと慌てる釘崎ちゃんと虎杖くん。確かにこれは困ったな……これじゃ、呪霊から逃げる時に外に出られないじゃん。どうしたものかと考えあぐねていると、冷静に玉犬に確認を取った伏黒くんが言った。

「大丈夫だ。こいつが出入り口の匂いを覚えてる」
「な、なんて賢い……!」

 しっかりとお座りをした玉犬くんの頭をそっと撫でる。ふかふかだなあ〜! 思わずモフモフを堪能していると、それを見たキューちゃんが「自分だってそのくらいは……」と小さくつぶやきながら口を尖らせた。

「キューちゃんも、何かあったらすぐに教えてね」
「! 当然です!!」

 頭を撫でてやれば頬を紅潮させながら得意げに胸を張るキューちゃん。それを見たゴロちゃんが「ボクも負けてられないなあ」と楽しそうに笑った。

「やっぱ頼りになるな伏黒は。オマエのお陰で人が助かるし、俺も助けられる」

 玉犬を撫でる虎杖くんが言う。
 その言葉に少しだけ胸の内が曇るのを感じながら、私たちは先に進むことにした。


***


 薄暗い道を進んでいく。
 軽口をたたき合いながらではあるが、いつ特級呪霊と遭遇するかわからない以上、子どもたちの緊張感はいつもより比較的高いように感じた。

 その緊張の最中。
 私は虎杖くんと伏黒くんの背中を後ろから見ながら、黙って考え事をしていた。

 私は、この子たちを守りたいと思っている。死んでほしくないと思っている。それは、彼らがこの世に生きる未来ある若者で、大切な人だから。
 でもそれは、本当に私が持ってもいい感情なんだろうか。

 私はあの世の住人で、獄卒だ。人間の死後、生前の罪に応じて定められた刑罰を執行する立場の鬼。あくまで中立な立場にいるべきはずのその鬼が、ここまで生きている人間の生死に関わってもいいものなんだろうか。何もしなければ死んでいたはずの現生の人間を、あの世の鬼が助けていいものなんだろうか。

 この世の事象には出来る限り干渉しないのが、あの世の暗黙の了解になっている。だから鬼灯様も現世の視察に行った際、たとえ犯罪が目についたとしても咎めないのだ。日本地獄はあの世とこの世の境界が比較的曖昧な方であるとは聞いたことがあるから、海外はもっときっちりしているのだろう。あの世はあの世、この世はこの世という考え方が。

 思うだけなら、願うだけなら、問題ない。頭の中で考えていることは誰にも縛られていいものではないのだから。
 でも、それを実際に行動に起こすことはどうだろう。果たして許される事なんだろうか。今は状況的に仕方ないとわかっていても、だとしても、この思考は獄卒として正解なんだろうか。頭の中でぐるぐると答えのない考えが回る。

「(私は……)」

 どうすべきなんだろう。
 そう思いながら俯いたところでふと、辺りが瞬時に暗くなったのに気付いた。

 慌てて顔を上げると、先ほどまで歩いていた道は跡形もなく闇に飲み込まれており、周りは一切見えなくなっていた。光源はないのに何故か私の姿だけは見えるところから呪霊の仕業だろうと瞬時に判断する。

「っキューちゃん! ゴロちゃん!」

 いつもなら真っ先に答えてくれるはずの声が、今日に限って返ってこない。

「虎杖くん!! 伏黒くん!! 釘崎ちゃん!!」

 周囲を見回しながら呼びかけるが、返事もないし気配も感じない。なんなら声が反響する音も聞こえなかった。これは本格的に自分だけ隔離されてしまったらしい。

「早く、みんなと合流しないと」

 そうつぶやきながら肩に担いだ金棒を握る力を強めた。
 すると私の前方10メートルほどの位置に、何やら白い長方形の板のようなものが浮かび上がる。不審に思いつつも恐る恐る近づいてみると、その正体は意外なものだった。

「鏡?」

 そう、それは大きな鏡だった。私の身長よりも高く、近づけばしっかり全身が映る。正真正銘鏡だ。

「どう考えても怪しいよなあ……」

 何せ暗闇の中からいきなり現れたのだ、疑わないという選択肢は無い。

「……よし、割ろう」

 そう決めるまでそう時間はかからなかった。
 肩に担いでいた金棒を両手に持ち直し、思い切り振りかぶってせーので鏡に叩きつける。ばりん!と大きな音を立てて放射線状にひび割れが入った。その瞬間。

 ――その割れ目から、どろりと赤黒い液体が溢れだした。

「うわー……」

 やってしまったかと思った頃にはもう遅い。
 滴った赤黒い液体はみるみる鏡の下に丸く溜まり、そこからじわじわと範囲を広げ始める。慌てて距離を取り、振り向いた頃には既に呪霊は本性を現していた。

 背丈は私より優に高い……おそらく初めて会った時のキューちゃんと変わらないくらいの大きさだろう。ドロドロと粘着質な赤黒い液体で巨大な身体のほとんどは構成されており、下半身は水溜りに埋まっているが大きな腕と頭らしきものが確認できる。頭にはぽっかりと空いた穴が3つ……恐らく目と口だろう。身体の中心、心臓部分辺りは先ほど叩き割った鏡が位置していた。割れ目からは絶えず液体が流れ出し、ドクリドクリと拍動しているのを感じる。

「やっちゃったものは仕方ないし……頑張るしか、ないか」

 私は自分を奮い立たせるように呟き、再び金棒を担ぐ。
 仕掛けてきたのは向こうの方からだった。

「ギャワワワワ!!!」

 劈くような叫び声を上げながら大きく開いた口から何かをこちらに向かって吐き出してくる。素早く駆け出して避ければズダダダ!!と地面に突き刺さった。どうやら細く長く尖らせた鏡の破片のようだ。当たり所が悪ければひとたまりも無いだろう。

「早めにカタつけようか」

 呼吸を整え、私は走り出す。絶えず呪霊は私に向かって破片を吐き出し続けているが、私の足の方が数段上のようだった。なんとか背後に回り込むために私は大きく息をして、最近教わったのを思い出すように呪力を足に集中させる。ぶわりと血管が太くなるような、筋肉が大きくなるような、そんな感覚がして、ぐんぐんと走る速度が上がっていく。そして気が付けば、呪霊の背後に回り込むことに成功していた。

「しめたッ!!」

 ぐん!と大きく地面を踏み込み、高く跳躍する。呪力で強化したおかげか楽に呪霊の頭上を超えることができた。ようやく追いついたように呪霊がワンテンポ遅れてこちらにゆっくりと目を向ける。私は両手で握りしめた金棒を、渾身の力で振り下ろした。

 ――どむん!!!!

「……あ、れ?」

 だが、呪霊の皮膚は金棒を中心に一瞬ぶるりと波打っただけで、難なく衝撃を吸収してしまった。渾身の一撃だったにもかかわらず、である。

「まさか……」

 呪霊の頭上に立つ私はひくりと顔を引きつらせる。
 ……こいつ、打撃技が効かない?

「ギィィィィィィ!!!!」
「っ!!」

 呪霊の叫び声に咄嗟に現実に引き戻される。
 どうする?? 金棒が効かない呪霊なんて、そんなの初めてで……!!

「っあ˝!?」

 すると不意に足元から大きな触手のようなものが出現した。私の胴より優に太いそれは手のような形をしており、私の身体をがしりとつかんでそのまま思い切り投げ飛ばす。あっという間に私は数十メートルほど離れた地面に背中をしたたかに打ち付けた。咄嗟に受け身を取ることはできたが、痛いものは痛い。ゲホゲホと激しく咳込みながら私はなんとか身体を起こす。呪霊はその虚ろな穴のような目をこちらに向けたまま、にたりと気色悪い笑みを形作っていた。

「舐めやがって」

 呼吸を整えながら右手に握った金棒を頼りに立ち上がる。さっさとあいつを祓ってしまいたいところだが、現在すっかり手詰まりに陥ってしまっているのは確かだ。今までずっと金棒を振るって呪霊を祓うことしかしていなかったせいで、私にはこれ以外の戦闘スタイルがないのだ。

「一体どうした、ら……」

 ぐいと口元の汗を拭ったところでふと、自身の左手が目に入る。
 正確に言えば、左手の爪の模様が。

「……そうか」

 私にはこれがあった。
 金棒を握っていた右手をぱっと放す。ごとん!と重々しい音がした。

 そしてそのまま、緩く両手を握る。

「金棒は効かなくても、私には術式これがある」

――攻撃できないのなら、従えればいいだけだ・・・・・・・・・

 私は再び駆け出した。金棒が無いおかげか、先ほどよりも走りに集中できるような気がする。呪力で足を強化しながら、真っすぐに呪霊の元へ走っていく。数度破片を吐き出したが、軌道が読みやすかったためある程度は避けることができた。いくつか食らいはしたが、今はそれに構っている余裕はない。致命傷でないのなら、私は足を止めるわけにはいかない。
 呪霊は苛立ったのか、たまらずこちらに腕を伸ばしてくる。その好機を私はと待っていた。

「(よし!)」

 伸びてきた手を軽く飛んでかわし、その上に着地する。そしてそのまま中心に向かって駆け出した。破片を避けながら腕の上を走る。ぐにぐにとして走りにくかったけど、構わず走り続ける。肘から上腕、肩を走り、もうすぐ首だ、というところで私はさらにスピードを上げた。こんなに早く走ったのは初めてで足が千切れそうだったが、首を目指してただひたすらに駆ける。

 後数歩で手が届くところまで来た。足に集中させていた呪力を手に込める。キューちゃんの時を思い出しながら小さくつぶやいた。

「【空拳主従】」

 ――そして私は大きく振りかぶり、呪霊の横っ面に右拳を叩き込んだ。
 瞬間、稲妻の如く呪力が呪霊の身体を迸る。

「ぎぃぃぃぁああああああ!!!!!」

 叫び声で耳が割れそうになる。まだだ、まだ終わりじゃない。もっと、もっと呪力を流し込まないと、こいつは止まらない。手ごたえがなかったとしても、何度も殴り続けるしか他に術はない。
私はぐっと奥歯を噛みしめながら左拳を握りこみ、間髪入れずに同じ箇所に叩き込む。今ので呪霊が態勢を崩したのか、ぐらりと身体が揺れた。

「倒れろ、デカブツ!!!」

 ――どぉん!!!

 私の言葉とほとんど同時に呪霊は地面に叩きつけられる。私は倒れる直前に軽く飛び上がっていたため、その衝撃を食らうこともなかった。よし、あともう少しの辛抱だ。再び拳を握り、呪力を込めて呪霊を殴――

「ッ!!」

 伸びてきた腕が思い切り私の身体をワシ掴んだ。空中だったため避けることが出来ず、しまったと思う頃には既に呪霊の顔はすぐそこだった。ちょうど仰向けに倒れたのがこいつの幸運と言ったところだろう。私の身体のすぐ下には奴の顔があった。なんとか身をよじるが、あまりの握力に息をするのもままならない。しかも刺さっていた破片がさらに深く押し込まれることで、奥歯を嚙み砕いてしまいそうなほどの激痛に襲われる。

「クソ……ッ!!!」

 痛みのせいで身体中から冷汗が噴き出す。呪霊は虚空のような口を大きく開けてゆっくりと手の力を緩める。
 もう駄目だ、お終いだ。……そう思ったその時。

 ――キンッ!!

 高い金属が擦れるような音がしたのと同時に、呪霊が動きを止める。
 そして次の瞬間、まるでサイコロステーキのように呪霊はぐしゃぐしゃに崩れ落ちてしまった。

「わ、っぷ!!」

 呪霊の手も切られたお陰で解放され、肉片の中にどちゃりと落ちる。随分気色悪い感触だが、生憎身体に力が入らないのだから仕方ない。ざあ、と肉片が灰になっていくのを見ていると、周囲の黒にもひびが入ったのが見えた。ざらざらと音を立てて崩れていく。一体何が起こった? 状況が理解できない私は肩で息をしながら地面に転がる事しか出来ない。
 そんな中でふと、聞き覚えのある声がした。

「やはり貴様だったか、小童」

 足音を響かせながらこちらに近づいてくるのは、紛れもなく。

「……宿儺、さん」

 そう、宿儺さんその人だった。どうして宿儺さんがここに? 虎杖くんは? 様々な疑問が浮かぶが、残念なことに痛みと疲労のせいでまともに頭が回らない。
 すると私の考えを先読みしたかのように、宿儺さんがにやりと笑みを浮かべる。

「小僧なら戻らんぞ」
「、え」
「俺を何の縛りもなく利用したツケだ」

 ケヒケヒと愉快そうに笑う宿儺さん。私がこちらにてこずっている間に、そっちはそっちで面倒なことになっていたようだ。伏黒くんは、釘崎ちゃんは、大丈夫なんだろうか。キューちゃんは、ゴロちゃんは、無事でいるだろうか。
 すると、宿儺さんはポケットに手を突っ込んだまま横たわっている私を不思議そうに見おろす。

「何をいつまで横になっている。さっさと出るぞ」
「……見てわかんないんですか。怪我してるんですよ」

 呪霊の消滅と共に消えるかと思われていた破片は未だに私の身体を刺したまま、その存在をずきずきと主張している。細かいところを数えたらキリがないが、左肩と右ふくらはぎ、左ももの破片が一番傷が大きい。それを聞いた宿儺さんは不機嫌そうに眉を寄せる。

「今の雑魚にやられたのか」
「ええ、まあ、はい。敵を討ってくれて助かりました」

 ありがとうございます、と素直に感謝の気持ちを伝えれば思い切り顔をしかめながら「もっと苦痛を与えて嬲り殺しにするべきだったな」と不穏なことを言った。続いて私のすぐそばにしゃがみ込み、傷の程度を確認してくれる。一通り具合を視認するとその表情がわずかに緩んだのがわかった。

「すべて急所は外れているが、このまま放っておくわけにもいかぬな。……小童、反転術式は使えるか」
「はん……?」

 何のことだとばかりに私は眉を寄せる。私の表情を見た宿儺さんは「やはり会得しておらんか」と納得したようにつぶやく。そして少し考え込む様子を見せた。

「俺が治してもいいが……そうだな。ここはひとつ、授業といこうではないか」

 楽しい遊びを思い付いた子どものように、宿儺さんはにこりと笑う。とても嫌な予感がした。
 そうこうしているうちに宿儺さんは私の頭側に回り込み、そこに胡坐をかいて座る。そして私の身体をずるりと引きずるように持ち上げ、背後から抱きしめるように抱え込んだ。私のすぐ左側に宿儺さんの顔があり、彼が呼吸をするたびに耳がこそばゆい。正直恥ずかしかったし心臓はバクバクと破裂しそうなほど脈打っているが、身をよじって抜け出すほどの余裕など今の私にはなかった。

「反転術式は本来、負の力を持つ呪力同士を体内で掛け合わせることで正の呪力を生み出し、それを流すことで治癒効果を得るというもの。人間にとってみれば難しいことかもしれんが、俺や貴様のような身体が元々負の力を帯びている者にとってみれば簡単だ。ただ呪力をそちらに流してやるだけで容易に反転するのだからな」

 静かに宿儺さんは話し始めた。つ、と右手の人差し指を私の腹に添える。

「負の感情から生まれる呪力は臍を起点に流すのが常だ。従って、順々に呪力を流してやれば自然と身体は修復できる。やってみろ」

 まずはここだと左手で指さしたのは、私の左肩だった。静かに目を閉じて、言われたとおりにイメージしてみる。腹の辺りに渦巻くエネルギーを、呼吸に従うようにして身体に這わせる。腹、胸、そして……肩。

「そう、そのままだ」

 宿儺さんが刺さった破片に手を掛ける。ずる、と引き抜こうとしたところでまた痛みが走った。

「――っ!!!」
「止めるなと言っているだろう」

 頑張れ頑張れ、とどこか楽し気に言いながら笑う。奥歯を噛みしめながら痛みに耐えつつ、呪力を肩に流すのに集中する。穴の淵からじわじわと引き延ばして塞いでいくイメージを思い浮かべた。まずは筋繊維、血管、神経、そして最後に皮膚で覆えば。

「流石だな」

 気づけば破片は完全に引き抜かれていた。どうやら塞ぐことに成功したらしい。はあ、と息をつけば宿儺さんはゆるりと目を細めた。

「さて、あと数か所。やり方は今覚えたことと大して変わらん」

 やってみろ、と宿儺さんは囁く。私は言われるがままに反転術式を使用し、順番に右ふくらはぎと左ももの傷を塞ぎ始める。なんとかすべてが終わったころには、指一本動かせなくなっていた。

「上出来だ」

 傷の具合を見ながら満足そうに宿儺さんは言う。私は大きく息を吐いた。なんとか傷は塞がったのかもしれないけど、あまりにも消費が大きい気がする。初めてだったせいで無駄な呪力のロスが多くなってしまったのもあるんだろうな。

「立てるか」
「……いえ」

 今ので完全に体力も呪力も空になってしまったらしい。正直だるくて立ち上がるのも難しそうなくらいだ。それを正直に白状すれば、宿儺さんは何のためらいもなく私のことを抱え上げた。いわゆるお姫様だっこの体勢になり、否が応でも心臓が跳ねる。顔に熱が集まる。

「わっ……!」
「今の俺は機嫌がいいからな。特別に手づから連れ出してやろう」

 にやりと宿儺さんが微笑む。そしてそのまま建物から脱出するために歩き始めた。恥ずかしさと諸々の感情で爆発四散してしまいそうだったが、ゆらゆらと一定のリズムで身体が揺れるせいでだんだんと眠気が勝ってくる。それに気づいた宿儺さんはこちらをちらりと見下しながら言った。

「眠いか」
「すみ、ませ」
「良い良い。休んでいろ」

 疲れているのならば仕方ないと宿儺さんは微笑む。なんというか、今日はめちゃめちゃ甘いな、この人。本調子の私なら色々と理由を並べて抵抗し暴れまわるところだけど、今は満身創痍の身。その好意にありがたく甘えさせてもらうことにした。

 素直に瞼を下ろせばどっと力が抜けていく。宿儺さんが触れたところからふわりと身体が温かくなるような感覚がしたが、それを不思議に思わないくらいには眠気が勝っていた。あっという間に音が遠のいていく。そして程なく意識を手放した。

「……やっと、手に入った」

 そう愛おし気につぶやいた彼の言葉の意味も、深く理解することなく。


***


 腹の上に重みを感じて、徐々に意識が浮上する。

 ふと瞼を持ち上げると、そこは見知った天井だった。健康診断で訪れた、医務室だ。どうやらそこのベッドに寝かされていたらしい。窓から差し込む光の具合からして、今はすっかり夜になってしまったようだ。
 ゆっくりと身体を起こす。痛みは無いが、身体はすっかり固まってしまっていた。するとそこで、腹の重みの正体に気付く。

「ゴロちゃん……?」

 私の腹の上に、一匹の黒猫――ゴロちゃんが丸まっていたのだ。ゴロちゃんはすっかり眠っているようで、静かに寝息を立てている。
 ふと視界の端に、ベッドの淵からピンク色の頭がはみ出しているのが映った。そっと視線をずらすと、ベッドサイドにもたれるようにして少女――人間姿のキューちゃんが膝を抱えている。こちらも同様に瞼が下ろされており、ぐっすりと眠ってしまっているようだ。

「ふたりとも無事だったんだね……よかった」

 そうつぶやいてそっとゴロちゃんを撫でる。ぴくりとその耳が動き、ぼんやりと瞼が持ち上げられる。初めはゆったりとした動きだったが、私を認識した瞬間、それはもう凄まじい速さで覚醒したようだ。

「っご主人!!!」
「おはようゴロちゃん、怪我は無い?」
「ぼくは全然平気だよ!!! あーよかった!! 目が覚めて本当によかった!!」

 思い切り飛びついてぐりぐりと胸に頭を擦り付けるゴロちゃん。私はそれをなだめるように何度も身体を撫でてやった。

「あ、ねご」

 震える声がして、ぱっとそちらに顔を向けると、先ほどまで眠っていたはずのキューちゃんがこちらを見上げていた。信じられないものでも見たようにその眼は大きく見開かれている。

「おはよう、キューちゃん」
「っおはようございます……!!! ご無事で何よりです!!!」

 目を潤ませながらキューちゃんも飛びつく。大げさだなあと思いつつも、心配をかけてしまったのは事実に違いない。私はふたりをなだめながら
 さっと開かれるカーテン。ひょっこりと顔を出したのは家入さんだ。

「意識が戻ったか」
「あ、すみません。騒がしくして……」

 ちょっと恥ずかしい気持ちになりながら謝ると、気にするなと言ってくれる。身体の具合を色々と調べ始める家入さんに、私は気になっていたことを尋ねた。

「あの、任務はどうなりました? みんなは……」
「恵と野薔薇は無事だよ。今は部屋で休んでる。悠仁は、……死んだよ」

 ――その瞬間、世界から色が無くなった気がした。



 最後の一言ですべて持っていかれた鬼獄卒
 →色々あったはずなのにおかしいね。今回の講義で反転術式をマスターした。呪霊にとって反転術式は本来もっと軽ーくできるものなので、これから訓練を積めばもっと素早く回復できるようになる。よっ!流石期待の新人!大型ルーキー!!(そんな場合ではない)

 ヤンデレの素質も持ち合わせる呪いの王
 →当然()霙の呪力をしっかり覚えているので、そこを切らないように頑張ってキンッしました。前回白澤と会ったことで霙を囲いたい欲が急上昇気味。以前から他の男子チームに可愛いだなんだって言うのが気にくわなかったのもあって、伏黒と心臓をかけたドッカンバトルに発展したのを意識を失っていた霙は知らない。多分次で知らされる。

 呪霊(特級ではない)
 →推定3級。本体は鏡で、不用意に近づいた人間を捕食していた。でも割られたのは流石に初めてで、実は結構お怒りモードだったりする。いい感じに霙にボコられた後に宿儺にあっさりキンッされて不憫。

 子分呪霊2匹
 →姉御(ご主人)が目を覚ましたぞー!! わっしょい!わっしょい!!



 次回、最終回「炸裂! 怒りのダイレクトアタック(片手式)!!」
 お楽しみに!