自分でも間抜けだと思ってしまうほど、ぽかんとした声だった。
信じられない気持ちでいっぱいで、心臓が早まるのを抑えつつ家入さんに聞き返す。
「死、んだ、って……そんな」
「信じられないかもしれないけど、事実なんだ」
だけど以前として家入さんの返答は変わらない。知らぬ間に手に力が入っていたのか、掛け布団をぎゅっと握りこむ。
「だって、私をここに連れてきたのはあの人……宿儺さんなんですよね? じゃあなんで」
「っご主人、違うよ」
思わず詰め寄りそうになる私をゴロちゃんが咄嗟に遮った。そちらに視線を向けると、ゴロちゃんとキューちゃんが申し訳なさそうな顔をしている。
「姉御をここまで連れてきたのはあの男ではありません。自分たちです」
「え……??」
でも、だって、あの時私を抱えていたのは正真正銘、宿儺さんで。だから、てっきりここまで連れてきたのも、彼だと……。
混乱する私を他所に、「順番に説明しますね」と改まったようにキューちゃんはそう言った。
「自分たちは少年院で姉御とはぐれた後、姉御を探すためにしばらく3人と行動を共にしていました。そこで偶然特級呪霊に遭遇。途中でクギサキも見失ってしまった事から、これには勝てないと判断したイタドリが言ったんです」
「『俺が囮になる。だから早く釘崎と霙さんを探して逃げてくれ』『脱出したら合図が欲しい、それから宿儺に変わる』……って。それでぼくたちはフシグロと一緒にクギサキとご主人を探したんだ。クギサキは見つかったけど、ご主人はどうしても見つからなくて……ひとまず怪我をしたクギサキだけでも助けようってなって、少年院を出た」
「クギサキを補助監督に預けたところで、特級呪霊が展開した生得領域が閉じた気配がしました。そこで姉御を探そうと少年院に戻ろうとしたところで、……あの男に会ったんです」
思い出したくもない、とばかりにキューちゃんが顔をゆがめる。
「あの男は……スクナは、眠っている姉御を抱えてそのまま逃げるつもりのようでした。でもその前に、気まぐれで自分たちのところにやってきたんです」
「なんとしてもあいつからご主人を取り戻さなきゃってなって、ぼくたちはフシグロと協力することにしたんだ。作戦はまず、フシグロとアイツが色々話している間に、透明になったパイセンをぼくの術式で完全に呪力反応を消す。そして隙を見てご主人を奪い返すって感じだよ」
「自分たちの目論見は上手く行きました。なんとか姉御を奪い返して、油断したスクナとフシグロの戦闘が始まりました。ですが、ただひとつ計算外が。……先頭に入る前にあいつが、自分(イタドリ)の心臓をもぎ取ってしまったんです」
「次にフシグロと会った時にはもう、全部終わってたんだ。ぼくたちはご主人を抱えてその場から離れるのに必死で、フシグロに後から聞いたんだけど……イタドリは、スクナから身体の主導権をなんとか取り返して、それで……そのまま」
ゴロちゃんは後ろめたそうに俯きながら、耳をぺたりと倒す。しっぽも寂しげに揺れていた。
誰も言葉を発しない。かちかちと時計の秒針の音だけが鳴っている。気を失っていた間のすべてを聞いてもまだぼんやりとしていて、あまり現実味を感じられなかった。事実のはずなのに、どこか夢の中みたいで、彼らにもう二度と会えないなんて、そんなこと。
「……こんなに、あっけないものなんだね。命って」
なんとか振り絞った言葉は思ったより震えていた。2匹は何も言わずに俯きがちに唇を噛みしめている。この子たちに罪はないけれど、何か責任を感じてしまっているのかもしれない。
すると、黙って聞いていた家入さんがふむと納得したようにつぶやいた。
「なるほど、そんなことが……。恵辺りに後で詳しく聞こうと思った手間が省けたな」
近くにあった回転椅子に腰かける。ぎしりと軋む音がした。
「だが皮肉にもこれで、君の目的は達成されたわけだ」
「……目的?」
「悠仁が死んだということは、中の宿儺も死んだということ」
家入さんはしれっと、何の悪びれもなく事実を突き付ける。
「あいつが死ねば、帰れるんだろう? あの世に」
「……あ」
「確かそんな風に聞いていたが」
違ったか?と小首をかしげる家入さんを他所に、私は静かに目を見開いた。
そうだ、
「……帰れるんだ。私」
すっかり頭から抜け落ちていた。こんなに大切なことだったはずなのに。
ずっとあの世に帰りたくて、それだけを目標に今まで頑張ってきた。なんとかして地獄に帰って、また獄卒を続けるんだって。そのために渋々高専にだって入ったのに。……なのに。
「(なんで、)」
私は心から喜べないんだろう。
どうしたらいいかわからずに固まる私に、家入さんは優しく声をかける。
「今日の所はひとまず休むといい。このベッドを使うでもいいし、部屋に戻るでも構わないよ。五条は明日には出張から帰ってくるだろうから」
「……はい」
俯きがちになりながら、返事をする。
とりあえず今日の所は部屋に帰ることにした。お世話になりましたと言いながらぺこりと頭を下げる。お大事に、と言われた。
***
ゴロちゃんキューちゃんと共に医務室を後にする。外はすっかり暗くなっていて、雨上がりなのか地面はしっとりと濡れていた。空を見上げても星は見えない。こりゃまた夜中に降りそうだなと思っていると、聞き馴染みのある声がする。
「霙さん」
「伏黒くん」
声をかけてきたのは伏黒くんだった。部屋着姿の彼を見るのはなんだかんだ初めてかもしれない。あちこちに手当が施されたその身体を見て一瞬息が詰まりつつも、なんとか言葉を絞り出す。
「どうしたの?」
「ちょっと飲み物買いに。そっちこそ起きたんですね。なんともないんですか」
「うん。怪我は」
あらかた自分で治したから、と言いかけて止まった。脳裏に嬉々として反転術式を教えてくれた彼の姿が過ったから。何か言いたげな伏黒くんから逃げるように、私は自販機に視線を向ける。すかさず財布を渡してきたキューちゃんに小さくお礼を言って、小銭を自販機に投入した。
「今日はありがとね、ふたりから聞いたよ。面倒見てくれたって」
「面倒なんてそんな、俺はただ一緒に行動してただけです」
「それでもだよ。……私は肝心な時に、何も出来なかったから」
適当に目に留まったココアのボタンを押す。がこん、と取り出し口に缶が落ちる音がして、私は黙ってしゃがみ込んだ。取り出して立ち上がったところで、ふと思い出したように伏黒くんが言う。
「そういえば、虎杖から伝言です」
「伝言?」
「はい。こうなってしまったことの謝罪と、……『あの世に帰っても元気で』って」
君は、どうして最期の最期まで、人のことばかり。
それを聞いた途端に思わず視界がにじんで、何かが零れ落ちそうになる。なんとかそれだけは阻止しないとと思いながら必死で堪えていたが、彼には気づかれてしまったようだった。
「……すみません」
「君が謝る必要、ないよ」
手に取ったココアが冷えた指先を温める。この時期にホット飲料は失敗かと思ったけど、案外そうでもなかったみたいだ。
カシュッとプルタブを開けながら私は黙ったままの伏黒くんに尋ねる。
「こういうことって、よくあるの?」
「まあ、……はい」
「そっか」
ココアの甘さが口いっぱいに広がる。短い答えだったが、それが彼の経験してきた過去を物語っているような気がした。
きっと私が知らないだけで、伏黒くんもいろんな人を亡くしてきたんだろうな。そしてその度に立ち上がって、今の彼がいるんだろう。静かに伏せられた目をちらりと見ながら、私は言った。
「……強いね、君は」
「霙さん、は」
「そうだね……転生とかはあったけど、亡くすのは初めてかな」
「そ、うですか」
「なんか、すごい変な感じ」
「……」
「……」
数秒間の沈黙。じじ、と蛍光灯が点滅して、光が揺らいだ。なんとなく気まずくなった私は、先に口を開く。
「おやすみ伏黒くん。また明日ね」
「はい、おやすみなさい」
***
ココアを飲みながら自分の部屋に戻る。
がちゃりと開いた部屋は真っ暗で、がらんとしていた。その場で靴を脱いで電気もつけずにふらふらと歩き、適当なテーブルに空き缶を置いて、そのままの流れでぼすんとベッドに座り込んだ。どっと身体が重くなったような気がする。
「姉御……」
「ご主人……」
心配そうなふたりがこちらを見上げる。私はなんとか笑顔を作り、口を開いた。
「ごめんね、ふたりとも。……その」
「おっしゃろうとしていることはわかります」
キューちゃんがさっと言葉を遮る。私とそっくりの容姿をしつつも正反対な色を持つその目は、私のすべてを見通しているかのように感じられた。
「自分たちは高専の敷地内なら自由に行動を許されてますので、今夜はどこかで適当に過ごします」
「……ありがとう」
「いえ」
ぺこりと頭を下げて、キューちゃんが部屋を後にする。ゴロちゃんはチラチラとこちらを心配そうに振り返りつつも、最後にはキューちゃんの背中を追いかけるように部屋を出て行った。
……静かな部屋でひとり、自分の気持ちを整理する。
虎杖くんが死んだ。そして、宿儺さんが死んだ。それのお陰で私は彼から……彼の呪いから解放された。ようやく、地獄に帰ることができるようになった。目的が達成されたんだから、普通は心から喜ぶはず。なのに、私は素直に喜ぶことができなかった。それはどうしてだろう。
「(虎杖くんが死んだから? ……それも勿論そうだけど、少し違う気がする)」
暗がりでぼんやりと視線を伏せながら、自分の気持ちを追いかけていく。静寂は思考を邪魔することなく、むしろそれを後押ししてくれる。
「(多分、きっともっと簡単で、単純な……)」
――『いくな』
「……あ」
ぽつりと口から音が零れ落ちた。
それと同時に、あるひとつの考えが頭に浮かぶ。
……いや、でも、それは違うんだ。あの時はただ、状況が状況だったから、不可抗力で……だから。これは。
「違う」
――『言ってやれ小童。とっくに俺のものになっているからお前はさっさと失せろと』
「違う」
――『お前は弱った顔が一番そそるからな、虐めがいがあるというものよ』
「違う」
――『…………そんなに、俺が嫌いか』
「ちが……」
――『何を心配する必要がある。大人しく俺の所に来ればいいだろう』
「……」
――『となれば……小童、』
――『貴様を俺のものにしても構わんだろう?』
……ああ。
「そうだ」
呆然と目を見開いたまま、私はくしゃりとベッドのシーツを握りこむ。
どうして、なんでこんな……、今更。
「私、」
あれだけつっぱねても変わらずに私に言い寄る彼に。
恥ずかしいことを平気で言ってからかってくる彼に。
私を巡って白澤さんと本気で喧嘩するような彼に。……宿儺さんに。
「……死んでほしくなかったんだ」
そうだ、……そうだったんだ。
ようやく自分の気持ちを認識したと同時に、じわじわと視界がにじんでいく。気付いた頃にはもう、ぽとりと雫が滑り落ちてシーツにシミを作っていた。ぱた、ぱたた。静かに零れ落ちるそれを私は止められずに、黙って俯くことしか出来ない。
「でも、もう遅い。遅いんだよなぁ……」
そうつぶやいた自分の声は思ったよりも情けなくて、こんな声も出たんだと我ながら驚いてしまう。
……あーあ、こんなこと、知りたくもなかったな。
そのまましばらく俯いていると、不意にブブブと何かが震える音がした。驚いて音がしたほうを見ると、テーブルの上に置いてある携帯が震えている。ここに置いた覚えはなかったけれど、立ち去る時にキューちゃんが何か置いていたのは分かったから、きっとその時に置いてくれたんだろう。すんすんと鼻を啜りながらテーブルに手を伸ばし、相手を確認する。そこで私は思わず目を丸くした。
「鬼灯様……?」
なんと、表示された電話の相手の名前はまごうことなき鬼灯様だったのだ。慌てて通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。
「はい」
『もしもし、霙さんですか』
「そうですけど……どうしたんですか、こんな時間に」
『それが先ほどキューちゃんさんから連絡を貰いまして』
「キューちゃんから?」
状況が飲み込めず、私は思わず訊き返してしまう。ええ、と鬼灯様は言った。
『どうやら私の番号を覚えていたみたいで。あなたが悩んでいるようだからもしかしたら力になってくれないか、と』
「キューちゃん……」
今ここにいないあの子のことを思う。思っていた以上に気をつかわせてしまったみたいだ。申し訳ない気持ちでいっぱいになっていると、鬼灯様が唐突に話を切り出してくる。
『亡くなったんですか、彼が』
「……それも、キューちゃんから?」
『ええ』
……ならもう、何も隠す必要はないよね。
私は先ほど辿り着いた自分の考えを、そのまま口にする。
「鬼灯様、私、……思った以上に嫌いじゃなかったみたいです。宿儺さんのこと」
『……それは』
「失って初めて気づく……なんて、物語だけの話だと思っていました。まさか、私がその当事者になるなんて、思いもしなかった」
『……』
「にしても結構きついですね、これ。正直もう二度と、味わいたくないや……」
再び頬に雫が伝う。なんとかぐいっと拭って、私はわざとらしいくらい明るい声で言った。
「すみません! 御見苦しいところをお聞かせしてしまって」
『いえ、それは構いませんが』
「辛いけど……もうすべて終わったこと、ですから。私は大丈夫です。明日になったら五条さんにちゃんと話して、早いうちに地獄に帰りますね」
そうだ、いつまでもこうしてはいられない。さっさと切り替えて、また獄卒として頑張らなければ。ちくりと胸は痛むけれど、そんなのきっと何年もすれば忘れてしまう。なら、私は早く仕事がしたい。忘れたくはないけれど、そうやって傷口を塞ぐしか他に方法は無い。
『霙さん、そのことなんですが』
「? はい」
『あなた、本当に
「……え?」
予想外の言葉に、思わず面食らってしまった。パチパチとまばたきを繰り返しながら、やだなあとからかうように言う。
「な、何言ってるんですかー鬼灯様、だって私は」
『この世の人間じゃないから、ですか』
言おうとしたことを先取りされ、私は口をつぐむ。
『確かに我々はこの世からすれば異端の存在です。ですがそれは、あなたが何かを我慢する理由にならないのでは?』
「そんな、ことは」
『あなたもわかっているでしょう。地獄では"自己責任"がモットーだと。きちんと自分で後始末をつけられるのなら、別に現世で何をしようが構わないと私は思いますが』
鬼灯様の言葉に、ぐらりと足元が覚束なくなるような感覚を覚える。そんな、なんでそんなことを言うんですか鬼灯様。折角覚悟を決めたのに、……これじゃあ、気持ちが揺らいでしまう。
気づけば私は、耳に当てた携帯をまるで縋りつく様に両手でしっかりと握っていた。
「でも……そんなことしていいんですか? あの世の鬼が、そんな」
『あの世と言っても別世界でしょう?』
「……あ」
鬼灯様が何気なく放った言葉で、目の前が少しだけ明るくなった気がした。
朝から頭にずっとかかっていたモヤが晴れて、途端に視界が開けたような気分になる。
『別にそちらの世界がどうなろうと正直知ったこっちゃありませんよ。別世界のあの世とこの世の世話までしてられませんからね。無責任上等です』
「……いいんですか、そんな事、言っても」
『いいんじゃないですか? まあそちらのあの世機関が黙っていないかもしれませんが……。正直2週間程経っても何も言ってこないのなら、ほぼ容認されているのではないかと思いますがね』
すっかり黙りこくってしまった私に、鬼灯様は落ち着いた声で問いかける。
『それではもう一度伺いますね。……霙さんは本当に、
「……私、は」
それは、心の底から出た本音だった。
電話口で鬼灯様が静かに頷いたのがわかった。
***
「……ん」
ゆっくりと身体を起こす。カーテンの隙間から差し込む日差しが眩しくて、思わず目を細めた。大あくびをしながらカーテンを開けると外はすっかり明るくなっていて、太陽が高く昇っていた。窓を開けて、新鮮な空気を肺に送り込む。吸って、吐いて、頭が冴えわたっていく。
あれから鬼灯様としばらく話して、互いの意見を交換し、自分の気持ちが固まった。私がこれからやろうとしていることは、決して平坦な道のりではないだろう。きっと色々な人に止められるかもしれない。……でも、覚悟はもう決まってる。あとはそれを宣言して、実行に移すだけだ。
「ん? なんか通知来てる」
ずっと着っぱなしだった服から適当な着物に着替えていると、携帯に通知が数件表示されているのに気付いた。昨日の夜のうちに五条さんに連絡をしておいたから、その返信だろう。たぷたぷと携帯を操作して手早くトーク画面を開く。
「えっとなになに、『11時に共通棟の地下室』……?」
この学校地下室なんてあったのか。そんなことを思いながら時間を確認する。その瞬間、軽い気持ちで時計を見た私の目が勢いよく見開かれた。
「やっば過ぎてる!!!!」
慌てて携帯をポケットに突っ込んで部屋を出る。そこで、部屋の外で互いに抱き合うように丸くなって眠る2匹の姿が目に入った。この子たち、こんなところで一晩を……。ちょっと申し訳ない気持ちになっていると、キューちゃんがゆっくりと目を覚ました。寝ぼけまなこでこちらを見上げてくる。私は膝を曲げて、キューちゃんに視線を合わせた。
「姉御……?」
「おはよう、キューちゃん。昨日はありがとね」
「いえ、自分は当然のことをしたまでで……どこか行かれるのですか?」
「ちょっとね。部屋は開けとくから、少しだけ待っててもらっていいかな?」
「それって、ゴジョウのところ?」
話をしているうちに目を覚ましたらしいゴロちゃんも尋ねる。私が小さく頷くとゴロちゃんはそっか、とつぶやいた。
「悩み、解決した?」
「……まあね」
「ならよかった」
ニッと目を細めるゴロちゃん。それを見た私は2匹まとめてぎゅっと抱きしめた。いきなりのことに驚きながらも、2匹はそれを受け入れてくれる。
「帰ってきたらちゃんと話すね」
「わかったよ」
「承知しました」
名残惜しい気持ちになりながら腕を緩め、よし!と気合を入れ直しながら立ち上がる。
「いってきます!」
「いってらっしゃいませ!」
「いってらっしゃーい!」
振り返りながら2匹に手を振って、私は先を急いだ。
***
途中で迷ったりしながらもなんとか指定された場所にたどり着いた。ぜーはー息を切らしてると、部屋の前で待っていたのであろう五条さんがケラケラ笑う。
「遅かったね、珍しい」
「ちょっと寝坊しちゃいまして」
五条さんに案内されるままに部屋の中に入る。中はどうやら普通のアパートの一室のような作りになっているようだ。入り口から続く廊下の先にはキッチンらしい場所があり、テーブルと椅子が4脚並べてある。物珍しさにきょろきょろと周囲を観察しながら私は言う。
「こんなところあったんですね」
「うん。ちょっとした休憩スペースみたいな感じだよ。奥の部屋に布団もあるから仮眠取ったりもできるんだ」
「へえ……」
こっち座って、と示されたテーブルの上にはいろんな書類が置かれている。その中でも真っ先に『退学願』という文字が目についた。私の正面の席に五条さんが腰かけたところで本題に入るようだ。
「さて早速だけど、君には色々書いてもらわなきゃいけないものが……」
「あの、そのことなんですけど」
「ん? どうかした?」
不思議そうにこちらを見る五条さんに、私ははっきりと告げる。
「私、高専辞めませんよ」
「!」
「もうしばらく現世にいます」
目隠ししていても表情ってわかるもんなんだな、と思ってしまうほどには五条さんの顔はわかりやすく驚愕に満ちていた。へらりと軽薄そうに口元を緩めながら五条さんは続ける。
「そりゃまた、随分な心境の変化だね? あんなに帰る気満々だったのに……どうしたの、呪術師に永久就職する気になった?」
「……最初は、さっさと帰ってやるーってつもりだったんですけどね。色々あって、残ることにしました」
ふうん?と五条さんは興味深そうにつぶやく。対する私は背筋をまっすぐに伸ばし、手は膝の上で軽く重ねて座っていた。まるで面接のようだな、なんて場違いなことを思っていると五条さんが質問を投げかけてくる。
「理由とかあるの?」
「いくつかありますよ。一番単純なのだと、情がわいた……とか」
視線を少し下げて、私は続ける。
「若い子がこんなに危ない目にあってるのに、解放されたからって私ひとりだけ地獄に帰るからはいさよなら、なんて流石に薄情過ぎるでしょ。それに、折角父さん母さんからもらった
地獄じゃあんまり使う機会も無いですしね、と笑って見せる。遺品、と自分で言っていて少しだけ切ない気持ちになった。50年も前にいなくなった両親が知らず知らずのうちに残していた私への贈り物、そう考えるとこの術式もすごく貴重で大切なものに思えてくる。
「でも一番は……やりたいことができたから、です」
「やりたいこと?」
「はい。こればっかりは私にしかできないことですから」
そう言った私に、五条さんは興味深そうな様子で前のめりになりながら頬杖をついた。
「それは担任としては是非聞いておきたいな。君のやりたいこと……教えてくれる?」
「あーでも、流石にこれは五条さんに怒られるかもしれないなぁ」
「僕が怒る?」
「はい。五条さんだけじゃなくて、もしかしたらもっと沢山の人が怒って私を止めるかもしれません」
「へえ、ますます気になるなあ」
教えてよ、と小首を傾げながら悪戯っぽく言う。
……私は少しだけ逡巡した後に、静かに口を開いた。
「宿儺さんの残りの指をすべて見つけて、もう一度彼に会って、それから私が彼をあの世へ連れていきます」
「……!!」
私の言葉を聞くなり、五条さんの表情が明らかに驚いたものに変わったのがわかった。数秒ほど言葉を失ったのちに、ひくりと口角がひきつる様に上がる。
「君、自分が何をやろうとしているかわかっているのかい?」
「わかってますよ。難しいってことは重々承知の上で、やろうって決めたんです」
「……君には言っていなかったけど、宿儺の器なんてそう簡単に生まれるものじゃないんだ。だから、次に器の資格を持った人間が生まれてくるのなんて一体いつになるか」
「そんなの待てばいいだけの話ですよ」
「待つ?」
「はい。次の器が生まれてくるまで待ちます。ずっと。幸いにも鬼は人間よりかなり寿命が長いですし、ぶっちゃけ全然余裕です」
余裕さを表すためにちょきちょきとピースサインをしてみせた。現に私の上司である鬼灯様は優に7000年以上生きている。私だってなんだかんだ1000年は生きているんだ。そう考えれば1000年だろうが2000年だろうが、いくらでも待ってやれる。どんなに時間がかかろうとも、待てる。……私にはその覚悟がある。
「それに、待っている間にやらなくちゃいけないこともありますからね」
「やらなきゃいけないこと?」
「呪物をあらかじめ用意した物に受肉させる技術、それから受肉した呪霊を安全に元の人間と分離する方法の確立です」
さらりと言ってのけた私に、またしても五条さんは言葉を失ったようだった。
私がやろうとしていることのすべてを理解したらしく、頬杖をついた姿勢のままこちらをじっと見つめている。
「……君、それは」
「今すぐには無理かもしれません。でも1000年かけて、あの世とこの世の知識を総動員すれば……話は変わってくるかと」
私は静かに告げる。昨晩鬼灯様と話したことを思い出しながら、言葉を続けた。
「鬼灯様経由ですけど、EU地獄、ギリシャ冥界、エジプト冥界辺りに伝手があるので、色々話を聞いてみるつもりです。それからちょっと癪ですけど、白澤さん伝いに中国地獄からも」
「……本気、なんだね」
「はい、もちろん」
「僕はまだしも、上の連中が黙っちゃいないよ」
「周りがどう言おうと、私には関係ない。私は、私のために必ずやり遂げてみせます。たとえ何千年かかろうとも、必ず」
私の熱意が伝わったのか、背もたれに思い切りもたれながら大きく溜息をつく五条さん。でもその表情は穏やかだった。口元には小さな笑みすら浮かんでいる。
「……お熱いねえ。あんなにツンケンしてたのに、結局素直じゃなかっただけってことか」
「気づくのに少し、時間はかかりましたけどね」
そっと視線を下げて、膝の上に置いていた指先に意識を向ける。
「……あの人に、まだ言ってないことがあるんです。それを言うためなら、なんだってやってやりますから」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやき、ぎゅっと握りこむ。そしてぱっと顔を上げた。
「というわけで、もうしばらくお世話になりますので。そういうことで」
ぺこりと丁寧にお辞儀をした。すべてを白状した今、私はとてもスッキリした気持ちでいっぱいである。正面に座る五条さんは「そっか」と言いながら腕を組んで穏やかに笑った。
「まさか君がこんなことを考えているとは思わなかったなあ」
「怒ります?」
「全然。むしろ応援しちゃうかも」
「そうですか。それはよかった」
さて、話も終わったしそろそろ帰ろうかと思ったところで、五条さんの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあそんな頑張り屋さんな霙ちゃんに、とっておきの嬉しいサプライズをしようかな!」
「……ん?」
先ほどまでの真剣な様子とは打って変わって、いつもの軽い調子で言う五条さんに少々違和感を覚える。そんな私を他所に五条さんは部屋の奥の扉に向かって「入っていいよー」と言った。
ぎいっと控えめな音をたてて扉が開かれる。そこに立っていた人物を見た瞬間、思わず目を見開いた。
「ごめん、霙さん。……俺、生きてる」
――その日、声にならない声が呪術高専中に響きわたったという。
***
「生きているならさっさとそう言ってくださいよ!!!!!!!! 無駄にシリアスシーンにしちゃったじゃないですか!!!!!!!!!!」
正座してるふたりの前に、私は腕を組んで仁王立ちをしている。申し訳なさそうにきっちりと座る虎杖くんと、ヘラヘラしながらこちらを見上げている五条さん。全くもって対称的なふたりに思わず頭を抑えた。
「初めから生きてるってわかっていれば、長々とこんなことをする必要もなかったのに……」
「いやね、悠仁が生きてることは一部の人間以外には秘密にしようって思ってたからさ。つい数時間前まで死んでたのも事実だったし、しばらく内緒にしようってね。まあ一応、霙ちゃんは宿儺とのアレコレの都合もあるからタイミングを見計らって教えるつもりではあったんだけど……まさかあんなに熱烈な愛の告白が聞けるとは思わなかったよね!!」
「……ムカつくので、とりあえず顔の形変わるまで鼻中心に殴っていいですか???」
「それ僕がいいって言うと思う????」
殺意を込めて拳を握りこむ私に、おずおずと虎杖くんが会話に参加してくる。
「お、俺は五条先生に言われるまで入るなって言われてたから……その……」
「大丈夫。虎杖くんは悪くないよ。生きていてくれてありがとう。それだけで本当にうれしい。だけど五条さん、あんたは許さねえ」
「何この扱いの差」
「それはご自身の胸に手を当てて聞いてください」
ええー?とニマニマする五条さんに大きなため息をついた。そして気まずそうな顔で正座をする虎杖くんへ、視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「虎杖くん、一瞬だけ宿儺さんに変われる? 1分……いや、30秒でいいから」
「いいけど……それ、さっき言ってたやつ?」
「聞いてたの?」
「……ごめん」
「……うん、まあいいや。すぐ済むからね」
虎杖くんが目を閉じると、フッと顔に紋様が浮かび上がる。ぱちりと開いた目はぴったり2対で、なんとなく機嫌がよさそうなのが見て取れる。それだけで先ほどの五条さんとのやり取りを聞かれていたことを察したけれど、私の表情は変わらない。宿儺さんはにやりと口角を上げて、得意げに言った。
「変わったぞ小童。さて、俺に一体何の用――」
――ばしこん!
宿儺さんがすべてを言い切る前に、私は彼の額に渾身の怒りを込めたデコピンを叩き込んだ。
それを隣で見ていた五条さんが言葉を失ったのがわかる。私は構わずに、そのまま続けてばしこん!ばしこん!!と計3発のデコピンを炸裂させた。最後の一発には渾身の力を込めたためか、食らった宿儺さんが思い切り背中をのけぞらせる。呪いの王といえど、不意打ちはそれなりに効いたらしい。がばっ!と勢いよく上体を戻し、唾を飛ばす勢いで声を荒げる。
「いきなり何をするんだ貴様は!!」
「何をするんだじゃないでしょ!!?!?」
負けじと私も大声で返す。くわ!!と般若のような顔になっているのを自覚しながら、宿儺さんにびし!!と人差し指を突き付けた。
「虎杖くんをじゅーぶん過ぎるほど危険に晒した上に!!! 本人の心臓を人質にして伏黒くんとドッカンバトルだぁ!?!!?!? いくら虎杖くんが迂闊だったとはいえ!!!!!! 流石にそれはやりすぎ!!!!! 今の3発はその報いです!!!!! 反省して!!!!!」
「……」
「返事!!!!!!!!!!」
「…………わかった」
視線を逸らしながらぼそりとつぶやいたそれは随分と不服装だった。不機嫌そうに眉間にしわが寄り、ちっと舌打ちも飛び出す。反省してないなこれ。
「それと」
「何だ? まだ何」
か。
……言葉が途切れ、一瞬だけ唇が触れあう。
永遠にも感じる、たった一瞬の静寂が部屋を支配した。
「――これは、お礼です」
掴んでいた胸倉をぱっと緩めれば、ちゅっと控えめな音を立てて唇が離れる。
ある程度顔が離れたところで、彼の4つの目がこれ以上ないほど見開かれた状態でこちらを凝視しているのに気付いた。さっきまでの不機嫌そうな表情が嘘みたいな、何とも言えない間抜けな顔。吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、私は言葉を続ける。
「私を助けてくれたこと。傷を治す術を教えてくれたこと。それから、あの状態から虎杖くんを蘇生させてくれたこと。詳しくは聞いてないけど、どうせあなたも関わってるんでしょう。……だから、その、お礼」
だんだん沸き上がってきた恥ずかしさを自らかき消すように、私はぱんと手を打ち鳴らす。
「はい、この話おしまい! 戻っていいよ虎杖くん!」
私の言葉を合図に、呆然とした顔のまま模様が消えていく。どうやらスムーズに虎杖くんに身体を明け渡したようだ。
一部始終を傍でしっかりと見ていた五条さんが、驚きながらも口元には笑みを浮かべている。
「霙ちゃん、結構大胆だね……」
「かっ、勘違いしないでくださいよ! 最後のはただのお礼ですから! 私とうら若き未来ある若者の命を、たとえ気まぐれだったとしても救ってくれたおーれーい!! ていうか、心臓抉ったのは正直ちょっとまだ許してませんからね!!!!」
バッと勢いよく立ち上がり、その場から立ち去ろうとしたところで思い出したかのように足を止め、振り返った。
「あ! あと虎杖くん!! 今のは宿儺さんにしたことだから!! もし君が初キスまだだったら、今のはノーカンだからね!! 正真正銘ノーカン!!! そういうことだから!!」
じゃ、私はこれで!! そう言い残し、逃げるように部屋を後にする。
ばん!と勢いよく扉を閉めたせいで、虎杖くんが「す、宿儺が……死んでる…………!!!!!!」とわなわなしながらつぶやいたのはついに耳に入ることはなかった。
***
「あ゛ーー……顔あっつ」
歩く速度を緩めながら火照った頬を抑える。流石に大胆すぎたかな。でもまあ、今までやられてたぶんの仕返しはしたいと思ってたから、別にいっか。
「ふふ」
私は堪えきれず笑みを零す。
「……よかった」
生きていた。彼が……彼らが、正真正銘生きていたのだ。それが本当に嬉しくてたまらない。
でもだからといって、私のやるべきことは相変わらずだ。しかも1000年かけてやる予定だったものを、たったの数年のうちにやらなければいけなくなってしまったため、これ以上にペースを早める必要があった。本当に時間がないし、やることは山積みである。
「大丈夫。必ず、やってやるんだから」
私は決意を新たに、力強く歩みを進める。
あの日、私が現世観光に来なければ。もしかしたらこんなことにはなっていなかったかもしれない。そう思うとすごく不思議な感じがした。人生……いや、鬼生ってわからないものだなあ。ぼんやり感慨深い気持ちに浸りつつも、頭の片隅ではやるべきことを整理していった。
「……とにかく、まずはふたりに全部話さなきゃね」
部屋で帰りを待つ2匹の元へ向かいながら、私は小さく微笑んだ。
してやったりな鬼獄卒(赤面必死)
→まー私だってたまにはね?? こういうことも出来るんだよってね?? その後偶然会った釘崎に「顔赤いけど、熱でもあるんじゃないの? 家入さんのとこ行く?」って言われる(なんでもないでギリ乗り切る)。それから時々地下室に様子を見に行く生活が始まるが、今まで以上に宿儺がぐいぐい来るようになってあの時の行動を若干後悔することになる可能性大。そして意地になって「たとえ死んでも『好き』なんて言わん……」と心に決める未来が見える。まあそれもいつまで続くかな……(生暖かい目)
不意打ちで召された呪いの王
→我が人生に一片の悔いなし……(穏やかな顔)(真っ白な灰) この後生得領域に戻って、いつも座っている椅子から思いっきり転げ落ちたとか。今回を機にますます遠慮が無くなる。霙に告白まがいのことをさせようとしたり、ギリR18になるかならないかくらいの戯れ(戯れ?)を試みては全力で拒否られるっていう毎日が始まるのが目に見えてる。でもめげない。なぜなら彼は霙の矢印が既にこちらに向いていることを解っているので。「もっと素直になったらどうだ?」「五月蠅い!! 知らん!!!」そしてそんなところも愛いなあと思っている。ヤバい奴。
部下を快く送り出した鬼上司
→全く世話が焼ける……といいつつ楽しんでる。原作を履修しているため、この時に虎杖と宿儺が生きていることを当然知っていた。ので、今すぐ地獄に帰る!とか言われたらどうしようかな…と地味に危惧していた。杞憂に終わったけどね。思った以上に霙が宿儺に対して好意を抱いているらしいのを認識して、内心ニヨニヨしている。ふたり揃って地獄に帰ってくるのを一番楽しみにしているのは恐らくこの人。
君もなかなか大胆なことするじゃない!な担任
→普通に生きてましたサプライズをやるつもりが、まさかこんなことになるなんてね!! 今後は今まで以上にふたりの仲をからかうようになる。厄介。
動揺が隠せない器くん
→あんなに毎日五月蠅かった宿儺が、それから丸1日マジで何も言わなくなったのでいろんな意味でびっくりしている。その日の夜に偶然生得領域に踏み入れた際、絶賛余韻に浸って死んでいる宿儺を見て笑ったら容赦なくキンッされた。解せぬ。