7月といえども、やはり早朝は比較的過ごしやすい。まさに運動するにはもってこいの時間帯だ。
「はっ、はっ、はっ……」
少しずつ明るくなってきてはいるがまだ完全に日が昇りきっていない中を、一定のリズムで呼吸を繰り返しながら地面を蹴る。耳を塞いだイヤホンからは最近レンタルショップで借りたバンドのCDがランダムに流れていた。アップテンポで爽やかな曲調が俺を励ましてくれる。身体はだいぶ疲労を訴えているが、後もう少し、もうちょっと……。
「はーついた……。うっし、今日のノルマ終わりっと」
ちょうど高専の外周を2周……10キロほど走ったところで、俺は大きく息を吐きながら足と腕時計のストップウォッチを止めた。タイムは45分。2週間前よりも少しずつだが縮まってきている。これは確実に成長している証だろう。こうやって数字で表れるとこっちもやる気が上がるってもんよ。軽くストレッチをしつつ、クールダウンに努める。大きく呼吸をして、肺に新鮮な空気を送り込んでいく。
「よくやってんね、門叶」
「早いな家入。おはよう」
「はよー」
あがった息を整えながら首の汗をタオルで拭っていると家入に声をかけられた。大あくびをする彼女はいかにも寝起きといった様子で、服もほとんど部屋着といって差し支えないようなものだ。近くにあったベンチに置いておいたスポーツドリンクを飲みながらそこに腰かけると、家入がのろのろと近づいてくる。前かがみになりながらベンチの背もたれに緩く手をつき、こちらに質問を投げかけた。
「毎日やってんの? これ」
「まあな。最初はきつかったけど、もう慣れたよ」
夜蛾先生に体力向上のメニューを渡された日から、俺は毎日欠かさず与えられたノルマをこなしていた。それに加えて岸辺隊長直伝のトレーニングルーティーンもこなしているから、ここのところ俺は毎朝6時前には起床して寮を出る毎日を送っていた。それを聞いた家入はうへえという表情を浮かべつつも、「あのクズふたりに門叶の爪の垢煎じて飲ませてやりたいよ」と笑った。おそらく家入なりの褒め言葉なのだろう。すると彼女は思い出したように言った。
「そういえば今日が初任務なんだっけ」
「そ。だから最後の仕上げ」
「なるほど。でも追い込みすぎても疲労が残るからほどほどにな」
「わかってるって」
アドバイスがスポーツドクターみたいだなとちょっと笑いそうになってしまう。さすが医療免許取得を目指しているだけあるな。
大きく風が吹いて、木々がざわめく。空を見上げればすごい速さで雲が流れていくのが見えた。建物の隙間から差し込む眩しい太陽の光が俺たちを照らす。今日も暑いんだろうなと少しげんなりしていると、ふと嗅ぎ慣れた匂いが鼻をくすぐり思わず彼女の方を見た。
「家入、もしかしてさっきまで一服してた?」
「そうだけど、よくわかったね。……あ、もしかして匂う?」
「あぁ、悪い。別にそういう意味じゃ……ちょっと懐かしいなって思っただけでさ」
すんすんと腕の匂いを嗅ぐ家入に申し訳ない気持ちで俺は言う。多分前のバディが吸ってた銘柄だろうと思いながら銘柄を言うとドンピシャだった。匂いが特徴的だからすぐにわかるんだよな、それ。すると興味が湧いたのか、家入が悪戯っぽい表情を浮かべながら少し前のめりに顔を近づけてくる。
「もしかして門叶もいけるクチ?」
「え? あー、まー、……昔はな。色々あって今は辞めたよ」
バツの悪い顔になっているのを自覚しつつ返答する。前世ではそれなりにパカパカ吸ってた方ではあったからね。今世では吸うつもりないけど。……というかミスったな。普通に知り合いが吸ってたことにすればよかった。少し後悔したがもう遅かったらしい。家入は意外そうに目を丸くする。
「へえ。門叶ってもっと真面目でいい子ちゃんなのかと思ってたけど、案外やるんだね」
「他のやつに言うなよ? 今は吸ってねえんだから」
「わかったよ」
また欲しくなったら売ってやるよ、と言って家入は笑った。やらないっての。そろそろ身体も落ち着いたしと思いながら、俺はベンチから立ち上がる。
「じゃあ俺戻るわ。また後でな」
「んー」
そう言って俺たちは別れ、それぞれの部屋に戻った。
***
「携帯と財布と部屋の鍵と……あと呪具忘れなきゃ大丈夫か」
最低限の荷物を適当にボディバッグに放り込み、ファスナーを閉めてさっと肩に引っ掛ける。部屋を出て施錠し、指定された移動車の所に向かうと、もう既に俺以外の全員は揃っている。やっべ、そこまでのんびりしたつもりはなかったんだけどな。軽く小走りになりながら、今回の監督者である夜蛾先生に謝罪の言葉を述べた。
「すみません、遅れました」
「いや、予定時刻にはまだ早いから問題ない」
それから移動車にそのまま乗り込んだ。運転席に夜蛾先生、助手席に家入が乗り、後部座席には俺たち男3人という配置だ。……なんかどっかで見たことあるぞ、この配置。微妙にモヤモヤしている俺を他所に、車は何事もなく発進した。
「忘れ物無ぇか?」
「……無ぇよ」
半笑いでからかう五条に、俺はいつものように無感情で返答する。こいつの言葉にいちいちつっかかってたら埒が明かないってのはこの2週間でよーくわかったからね。もう無よ、無。
そんな中、運転しながら夜蛾先生が今回の任務の詳細を教えてくれる。これから向かうのは肝試しスポットとしても人気のとある廃病院。そこに3級呪霊が数体確認されたため、俺たちが派遣されたんだと。しかも数名行方不明者が出ており、できることならそいつらの捜索も頼みたいんだとか。
「低級相手とはいえ、門叶は初任務だ。3人ともフォローしてやってくれ」
「わかりました」
「ま、骨は拾ってやるよ」
「……」
家入と夏油はいいとして、五条は頭を掻きながら半笑いで言うのやめろ。ほんといい性格してんなお前……。
車内では特にこれといって何も起きず、目的の場所に到着した。中心地から少し離れた郊外にあり、周囲はほとんど森と言っても差し支えないほど木々がうっそうと茂っている。建物は3階建てで、個人経営だったのかそこまで広くはなさそうだ。正面入り口のガラス扉はすっかり割れて半開きになっている。その奥は光も差さない深い闇に塗りつぶされており、まるで化け物の口のようだった。ひび割れたコンクリートの外壁には蔦が絡み、荒廃的な雰囲気を醸し出している。
「私と家入はここで待機しているから、何かあったら連絡を。……くれぐれも怪我の無いように」
「はい」
俺は静かに返事をする。携帯と呪具だけ持って残りは後部座席に置いたまま車を降りた。大あくびをする五条を待ちながら、呪具をベルトに取り付けられたホルスターに装着する。
因みに俺が持っているのは『春雷』という短刀だ。刃渡りは20cm前後で、短刀の中でもかなり小ぶりな部類に入る。鍔は無く、刀身も鞘も墨を垂らしたように黒い。反りが少ないためか鞘に納めると一本の棒きれのように見え、鞘には古い呪符のようなものが何枚も貼られているのが特徴的だ。
本当は前世で使っていた天使の武器……サバイバルナイフに近い、もっと刃渡りが短いものがよかったんだが、高専が保管している呪具かつ俺が使える呪具で一番ベストなのがこれだったのだ。それに関しては仕方ない。普通の日本刀とか、ましてや飛び道具を使えと言われるよりはマシだと思おう。
「それじゃ、行こうか」
にこりと微笑んで夏油が促す。それにつられるようにして俺たちは廃病院へ足を踏み入れた。
中は薄暗く、崩れかけた建物の隙間から差し込む日差しが唯一の光源だった。ずいぶん埃っぽくて、喉の辺りがイガイガする。不快に思いながら進んでいると、夏油が話を切り出す。
「作戦はどうする?」
「どうするもこうするも、まずこいつ先に行かせて、死にそうだったら一応助けてやる。そんだけだろ」
「死にそうって……もうちょい早い段階で助けろよお前」
しかも一応って……万が一間に合わなかったらどうするつもりなんだ。じとりと睨む俺に五条はべ、と舌を出した。
「こんなとこでやられるような雑魚じゃ、この先やっていける兆しもねえよ。さっさと補助監督に転向したほうが賢明だと俺は思うね」
「……五条お前さ」
べったりと汗で張り付くシャツを上着ごとパタパタさせながら俺は切り出した。「前から思ってたんだけど」という前置きの後に、五条の方を一瞬ちらりと見上げながら苦言を呈する。
「人のこと貶さないと喋れない呪いにでもかかってんの?」
「あ゛?」
「ぶっ」
びっくりするほど速やかにキレる五条の一方、夏油は静かに顔を背けて肩を震わせていた。何かが彼のツボに入ったらしい。すると五条が足を止めて言った。サングラス越しに冷ややかな視線をこちらに投げかけてくる。
「雑魚に雑魚って言って何が悪いんだよ」
「いや、悪いっていうか……あんまそういうの他の人に言わねえほうがいいぞって話だよ。俺は自分に力が無いを自分で分かってるからいいけど、普通のやつらは普通に傷付くからな? それ」
俺が前世の記憶持ちで精神が達観しまくってるからなんとか受け流せてるけど、多感な思春期の時期にそんなこと言われたら色々捻じ曲がる可能性だってあるんだぞ。そういうのって一度歪んだら矯正するのマジで結構大変なんだからね。性格なんて他人が軽い気持ちで曲げていいものじゃないのよ。
「好きな子とかできた時にいじめたくなるタイプだろ、お前。そんでふっつーに嫌われて後から後悔するタイプ。素直になれねーのはまあ性格の問題だけどよ、ツンデレの比率はもうちょっと甘めにしないとそのうち思わぬ誤解を招くことになんぞ。その時後悔すんのはお前だぜ」
「正論ウッザ。教師ぶってんじゃねえよ、雑魚のくせに」
おえ、とリアルな嗚咽をしてみせながら不機嫌そうにに五条は俺を睨みつける。五条は俺より10センチ以上も上背があるから迫力は十分だ。ま、響くわけねえよなあ。小さくため息を零しながら俺は視線を伏せる。
雑魚ねえ……。まあ正直それは俺も思うよ。俺はここに来てから自分のことを優れた人間だと思ったことは一度も無いし、実際特別な力なんて何一つ持ち合わせてない。だってそうだろ。
あの時の俺がもっと賢ければ、もっと特別な力があれば。
姫野先輩を、バディの
空井を、……アキを、助けられたかもしれないんだ。
俺に力がなかったから、誰も助けられなかったんだ。
俺に力がなかったから、デンジとパワーを残して死んでしまったんだ。
「……俺に本当に力があったら、こんなとこになんかいねーよ」
思っていたことがつい、口から出てしまった。おっとまずい。こんなこといきなり言われてもわけわかんねえよな。あわてて弁解しようとしたが、何故か五条の眉間に思いきりしわが寄る。
「あ? どういう意味だよ」
「いや、これはその……」
「ふたりとも、喧嘩は任務が終わってからにしてくれないかな」
ほら、と夏油が正面を指さす。するとちょうど廊下の奥の部屋……手術室から出てきた呪霊を発見した。熊のように大きな身体にも関わらず妙に長い手足で四足歩行をする奇妙な生物は、頭部に8つある目玉のすべてをぎょろりとこちらに向けると、にぃぃと気色悪い笑みを浮かべる。のそのそとこちらに近づいてくるその姿は想像の数倍キモい。流石にげんなりしていると、ドカッと背中を押される。思わず数歩よろめけば、後ろには軽く足を上げた五条がいた。
「オラ、さっさと行けよ」
「……別に蹴らなくてもいいだろ」
言われなくても行くっての。俺は溜め息を吐きながらふたりよりも1歩前に出て、すらりと『春雷』を抜いた。右手で逆手に構え、少し身を低くして静かに出方を窺う。
その内左目に数秒先の未来が映った。速度を上げて突進、のちに頭から丸呑みにする算段らしい。なんともまあ、ありきたりというか。
少しずつ加速を始めた呪霊に合わせるように、俺も緩やかに歩き始める。
残り数歩で間合いに入る、というところで呪霊が大きく飛び上がり、よだれを垂らしながら口を大きく開けた。
「(わかりやすいんだよ、お前)」
俺は絶妙なタイミングで呪霊の足元に滑り込み、攻撃を躱す。
自分の頭上でがちん!と呪霊が口を閉じる音が聞こえた、瞬間。
――ずぶり!!
頭上にあるであろう呪霊の下あごに『春雷』を深々と突き立てる。刃は見事に貫通し、上あごまで縫い留めてしまった。
そして滑り込んだ勢いを利用して、渾身の力で前方に向かって素早く刃を滑らせる。
俺の身体が呪霊を通過し終わる頃には、『春雷』はすっかり呪霊を真っ二つに切り裂いていた。
うめき声ひとつあげることなく、呪霊はざらりと跡形もなく消滅する。本当に死体も残らねえんだな、呪霊って。はあ、と息を吐いて俺は立ち上がった。ぶんとひと振りしてから『春雷』を鞘に納める。
さて戻ろうかと振り返ると、最強ふたりが至って対称的な表情で立っていた。
「最初にしてはまあまあだったんじゃねえの」
「なかなかやるね。練習の成果が上手く出せてたんじゃないかな」
片手はポケット、片手は後頭部を搔きながら冷めた顔で適当に言う五条。そして感心したように口元に手を当てて笑う夏油。俺はふたりの元へ歩きながら「あんがとさん」と適当に返事をする。
「それだけ動けるなら私たちふたりでついてこなくてもよかったかもね」
話を聞くに、一般家庭出身で高専に入学し初めての任務で呪霊と対峙した際にすっかり固まってしまう人はそれなりにいるらしい。どうやら俺もそういうフシだと思われてたんだとか。そらそうだよな。俺も同じ立場だったらそう思う。すると夏油は何でもなさそうに言った。
「悟はああ言ってるけど、君案外術師向いてるかもよ?」
俺は一瞬面食らった後、「ならよかったよ」と返した。ちょっとぎこちない表情になってしまっただろうけど、これに関しては許してほしい。
「(前世でデビハンしてたからバケモノ退治は慣れてますーなんて、流石に言えないもんなぁ)」
それを言うだけの勇気は俺にはない。どう考えても取り調べ必須だろうし、そんなの面倒だ。
にしても、呪術師向いてる……か。向き不向きに関して、前世で岸辺隊長にさんざんなこと言われたのを思い出す。懐かしいなあ。「頭のネジが固い」ってのは死ぬほど言われたし、あと「まともすぎてデビルハンター向いてない」ってのもめちゃめちゃ言われたっけ。毎回毎回死にかける訓練中にそれ言われて、うっかりハートブレイクしかけてたんだよな。まあ結局はアキを助けるという目的のために根性でなんとか生き延びたけど。
今世での俺はどうなんだろう。
頭のネジ、少しは緩められたかな。
……ま、いつまでもアイツのこと引き摺ってる時点でたかが知れてるか。
***
その後、建物内を捜索しながら順調に呪霊を祓っていった。どれも俺が一瞬で片付けてしまうので、五条は見るからに退屈そうだった。ポケットに両手を突っ込んでうだうだと夏油に絡む。
「もう一通り見ただろ? 帰ろうぜー」
「いや、あとワンフロアあるよ」
「マジかよ。めんど」
うんざりした様子で思い切り舌を出す五条。すると次の瞬間。
「きゃあぁぁ!!!」
どこからともなく声が聞こえた。若い女の声だ。俺たちはさっと目を合わせ、今聞こえたものが自分だけではないことを確認する。
「今の、もしかして夜蛾先生が言ってた……」
「行方不明者かもね。急ごう」
恐らく声が聞こえたであろう方向に向かう。そこは偶然にも3階の奥の部屋……見回りで最後に残ったワンフロアだった。
ばたばたと足音を鳴らしながら俺たちは急いで部屋に飛び込む。するとそこでTシャツにショートパンツの小学生くらいの女の子がひくひくとしゃくりあげながらうずくまっていた。パッと見たところ、この部屋に呪霊はいないらしい。一番最初に部屋に着いた俺はすぐに駆け寄り、事情をきく。
「君、大丈夫?」
「うぅ……ひっ、ひっ」
「怪我は無さそうだな。俺たちが来たからには大丈夫だから、心配しなくていいよ」
抱きかかえてすぐにここから避難させようと少女に手を伸ばしたところで、左目に未来が見える。まずい、これは――
「門叶、大丈――」
「夏油!! 来るな!!」
俺は叫びながら咄嗟に背後に飛びのき、少女から距離をとった。刹那。
――ぼっ、がん!!
先ほどまで俺がいた場所の地面を突き破り、突如呪霊が出現した。
大きなミミズのような呪霊は最初に遭遇したものよりも随分キモさを増しているように思う。なんか前世で見た筋肉の悪魔に通じるキモさを感じるのは俺だけなんだろうな、きっと。
「おいおい、マジか」
「く、っそ」
舌打ちする俺の目の前には、少女にぐるぐると巻き付きながらケタケタと笑う呪霊の姿があった。少女はあまりの恐怖に気を失ってしまったらしく、ぐったりとしている。
この状況は最強ふたりも流石に見過ごせないようで、ふたりでごにょごにょと作戦会議をしているらしかった。
「俺がやろうか?」
「いや、悟の術式だと人質も巻き込まれかねない。ここはまず相手の出方を窺うべきだろうね」
だがそうこうしている間にも、呪霊はニタニタと笑いながら少女に巻きついている。しかもそれは段々と締め付けを増しているように思えた。あまり悠長にやっている時間はないのは火を見るよりも明らかである。
「(……仕方ねえか)」
俺は静かに覚悟を決める。正直この手はあんまり使いたくなかったが、今はそんなこと言ってる場合でもないだろう。
『春雷』を鞘ごとベルトから外し、地面と平行になるように左手で持つ。そして1歩、呪霊に近づいた。呪霊はこちらの様子をじっとうかがっている。
「……おい、何やってんだよ!」
「門叶?」
異変に気付いたらしいふたりがこちらに注目する。だがこちらに近づいてくる様子はない……よし、この角度ならふたりからは俺の背中しか見えねえな。なら比較的何をやっても見られる心配はないってことだ。ちらりと後ろにやった視線を前に戻し、左手をゆっくり頭上に持ち上げながらもう1歩だけ近づく。呪霊の警戒が強まる。俺の間合いまであと2歩ほど。この辺りが限度だろう。
この場の視線がすべて左手に注がれたところで、空いた右手でひっそり印を結んだ。
なんてことはない、炎の印を。
俺は周りに聞こえるか聞こえないかわからないくらいの声で、微かに、つぶやく。
「……"
炎"」
――ぼうっ!!
突如、何の前触れもなく呪霊の身体が発火した。あまりにも予想外の出来事に、後ろのふたりはもちろん、呪霊本人も驚きを隠せないらしい。
……炎はほんの一瞬で消えたが、俺はこの隙を逃さない。
掲げていた『春雷』をそのまま左手で逆手に抜き取り、素早く間合いを詰めて呪霊に思い切り突き立てた。
ぐぎゃ、と不協和音のような悲鳴を上げて呪霊はそのまま消滅する。
支えを失った少女の身体を慌てて右手で抱き留める。ざっと確認したところ、怪我は無さそうだ。はぁーと大きく息を吐き、そのままずるりと尻餅をつく。どうやら炎の悪魔は今回俺の血を少し持って行ったようで、頭がフラフラする。
「大丈夫かい?」
「俺は平気だよ。それより、この子を」
「ああ。わかったよ」
駆け寄ってきた夏油に少女を託す。夏油が先に部屋を後にしたのを見送りつつ、よろめきながらもなんとか壁伝いに立ち上がった。残されたのは俺と五条のふたり。俺は早く帰ろうと言おうとして、その表情がなかなか恐ろしいことに気付く。これは、お怒りモードか? そう思いながら視線をちょっと逸らし、あてもなく口を開く。
「……あー、その、さっきは勝手に行動して悪かっ――」
「今の火、呪霊だった」
どきり、と心臓が跳ねる。てっきり俺がひとりで何とかしたことに怒っているのかと思ったが、違ったようだ。俺はなんとか無知を装いながら返す。
「そう、なのか? 俺にはただ急に発火したようにしか見えなかったけど」
「お前には普通に見えただろうがな、俺の目は誤魔化せねえよ」
フン、と鼻を鳴らす。そしてその青い瞳で、俺のことをじっと見つめた。
「……お前じゃ、ねえだろうな?」
何もかも見透かしてしまいそうな輝く瞳に見つめられ、俺は正直少し動揺した。だが、ここでボロを出すわけにはいかない。
唸れ俺の演技力! そう心に念じて、すいと視線を下げる。寂しげな雰囲気を醸し出しながら、口を開いた。
「言っただろ。俺には何の力もない。……それはお前だってよくわかってるじゃねえか」
ちらりと五条を見ると、ぐっと何かを堪えるような表情をしたのちに、ゆっくりとこちらから視線を逸らした。
「ああ。……そうだな」
帰ろうぜ。それだけ言って、五条はさっさと部屋を後にする。
俺は五条に気付かれないように静かに安堵のため息を吐いてから、慌ててその背中を追い掛けた。
***
「やっぱりきな臭いぜ、こいつ」
任務の帰りの車の中。隣に座る門叶がすっかり眠りこんでいるのをいいことに、五条は小声で親友へ話しかけた。
話しかけられたのに気付いた夏油はちらりと五条の方に顔を向け、小さく肩をすくめる。
「まあ、そう思うのが自然だよね。高校での一件もあるし、それからだって……」
「会った時からどーも怪しいとは思ってたけどよ、探っても一向に核心が見えてこねえと益々怪しく見えてくるよな」
「左目の呪霊との関係もまだよくわからないままだしね」
はあ、と夏油は弱ったように腕を組む。すると五条は思い出したように言った。
「そうだ。関係はまだわからねえけど、左目の呪霊の術式は今日で大体わかったぜ」
「え?」
目を丸くする夏油に、五条はにっと口角を吊り上げた。
「左目の呪霊の術式は、単純に言えば"未来予知"だ。そしてあいつはそれを利用して、少し先の未来を見てるんだよ」
五条の告げたことが理解できなかったのか、夏油は怪訝そうに眉を寄せる。
「少し先の、未来?」
「時間にして数秒ってとこか。それなら最初に組手した時の不自然な動きにも説明がつく」
大方未来予知によって技を先読みし、避けようとしてやめたのだろう。未来が見えていることを、悟られないために。そのようなことを五条は語ったが、夏油は納得がいかない表情をしていた。
「確かにそうだけど……でもそんな術式って」
「ああ。それだけじゃ高校で事件は起こせねえよ。だから他にも連れてんだ。呪霊を」
……多分、あの時の火もそうなんだろう。五条は静かに考えるが口には出さない。それに関してはまだ確定とは言えないからだ。すると夏油が続いて尋ねる。
「他にもって……彼も呪霊操術を?」
「いや、それはねえな。あいつに術式はないから」
「だったらどうして……」
そこでハッとした表情になる。
「まさか、呪霊と直接"縛り"を?」
「多分な」
五条は静かに頷いた。
「呪霊と何を対価に"縛り"を結んだのかはわからねえが、何かしら種があるのは確かだ。それをなんとか暴いてやりてえが……ガード固ってえからなこいつ」
「そうだね。なかなか警戒心が強いみたいだ。その点に関しては、まだしばらく時間はかかりそうかな」
夏油もため息交じりに言う。五条は小さく舌打ちした。
「っとに、一体何者なんだよ……」
五条はガシガシと頭を掻き、隣を見る。
何も知らない門叶は瞼を下ろし、静かに寝息を立てていた。
***
――【報告】
日付: 8月1日 午後13時15分
場所: △△町 ○○霊園
内容: 3級呪霊(4体)討伐任務
担当術師: 高専1年生4名 五条悟 夏油傑 家入硝子 門叶ハル
補助監督: □□
追記:
当初予定されていた対象の呪霊の駆除後、推定特級相当の呪霊(高専未登録)が出現。
その際担当術師の門叶ハルが戦闘に巻き込まれ死亡。
以後、呪術高専規定に基づき除籍処分とする。
デビュー戦はなんとかなった転生者お兄さん
→頭のネジは固いままだけど、なんとかやっていけそうでほっとしている。今回はふたりに見られているせいで地味に緊張している中いっぱい動き回ったので、帰りの車内はマジでぐっすりだった。因みに助けた女の子は無事に家に送り届けましたとさ。そして安心したのもつかの間、容赦ない現実がハルを襲う! さあ、転生者お兄さんの明日はどっちだ!!(ただしどこを選んでも地獄である)
売られた喧嘩は買う派の最強
→今回ようやく未来の悪魔の術式を看破。だけどまだ核心には至っていない様子。ちなみにハルは「力があればこんなところにいない」を「あの世界で死んでなかった(=ここに転生してこなかった)」っていう意味で言ったが、前世なんて全くご存じでない五条は「高専なんかに留まるんじゃなくてとっくに上に行ってる」っていう謎マウントと捉えたため、ちょっと喧嘩腰になっている。
なだめるふりして付け入ろうとする策士
→意外と悪くない動きをするなあと純粋に評価する半面、やはり疑っているのに変わりはない。「術師向いてるんじゃない?」と言った後の微妙な表情の変化が気になってモヤモヤしている。なかなか尻尾を出さないなー、見かけによらず結構しぶといんだね。
意外な一面を知った紅一点
→同じ喫煙者だということですごく親近感が湧いた。昔にはそこまで興味がないけど今度何吸ってたか聞こうと思っている。ぶっちゃけハルは家入に対してもう半分くらい心を開いている説まである。男どもがあからさますぎるのがよくないのよ。見習え。あと話の都合上、前半しか出せなくてすまんと思っている(作者が)