じわじわと五月蠅い蝉の声が遠くに聞こえる。首筋に伝う汗が鬱陶しい。殺人的な暑さだが、こいつはどうやら俺が暑さにやられて見ている幻ではないらしい。
……そうであってほしかったのは山々だが。
「よう、15年ぶりだな」
ぐちゃぐちゃになった精神状態の中で、気付けばそう呼びかけていた。あいつは……銃野郎は、口元にたたえた笑みを崩すことなくこちらの言葉を聞いている。
あいつと目が合うたびに、心臓が嫌な音をたてる。呼吸が乱れる。今すぐにでも現実から目を背けたくてたまらない。……だけど、そういうわけにも、いかないんだよな。俺は懸命にその気持ちを振り払うように、正面をぎっと睨みつけた。相変わらずそいつは、そこに立っている。
「もう二度と、会いたくなかったぜ」
それは、俺の心の底から出た本音だった。
その言葉を聞いた途端ガション、と何の前触れもなく左腕の銃口をこちらに向ける。そして断続的に発砲してきた。左目のおかげで事前にそれがわかっていた俺は咄嗟に左に飛んで避け、代わりに近くにあった墓石が木っ端みじんに砕け散る。舞い散る粉塵の中、俺が一発も食らっていないのを確認したあいつは静かに暗い笑みを浮かべていた。
それを皮切りに、アイツは本格的に俺への攻撃を開始した。主に左腕の銃を使ってマシンガンのように弾を連射してくる。左目を駆使してすべて避けてはいるが、その度に墓や舗装された道が破壊され、その破片やらなにやらが盛大に吹き飛んでいく。くるりと身をひるがえして墓石の上にしゃがみ込むように着地したところで、改めてその惨状が目に入った。
「マジで罰当たりそうだな、こりゃ」
思わず乾いた笑いが零れる。こいつとの戦いにそんなこと考えるだけ無駄だよな。前回もそうだったし、と思いかけてぐっと唇を嚙みしめる。
だけどこの破片のせいで色々とこちら側に不利な影響が出てきているのは確かだ。細かく舞い散る粉塵は容赦なく視界を奪うし、大小さまざまな破片があらぬ方向から飛んでくるお陰であちこちに打撲と切り傷ができている。気づけば白かった制服もだいぶ汚れていた。
これは場所を移動したほうがいいだろう。俺の戦い方としても、身を隠せる障害物が多い方が戦いやすい。思い立ったが吉日とばかりに、俺はくるりとあいつに背を向けて走り始める。向かっているのは町とは反対の方角……さらに山の奥の方だ。
背中めがけて容赦なく撃ってくるのを走りながら躱していく。時に身をかがめ、時に岩場を足掛かりにして空中へ。縦横無尽に跳ねまわりながら時折背後を確認すると、あいつはしっかり俺についてきているようだった。こちらと付かず離れずのペースを保ちながら素直に誘導されてくれている。
「……そんなに、俺を殺したいか」
はは、と自嘲的な笑みがこぼれた。流石だな、お前。俺はまだちょっと覚悟を決めかねてるってのに。
あいつの放った弾丸が命中したせいで激しい音をたてながらこちらに倒れ掛かる巨木を次々と避ける。こういう時に未来の目は便利だ。普段は最悪だけど。枝葉を振り払いながら少しでも奥へ。町から離れた方へと急ぐ。
――ふと、左目に未来が映る。
その内容を認識した瞬間、俺は自分の目を疑いたくなった。
「まじ、か、よッ!」
息を整え、歩幅を大きめに踏み込む。1歩、2歩、3歩目に合わせて印を結ぶ。
「"コン"! 飛ばせ!!」
――ずあッ!
タイミングよく足元に出現した狐の腕。踏み込みと命令通りに上へ振り上げた力が合わさって、俺は人間だけではありえないほどはるか上空へと跳躍する。遠くに街並みが視認できるほどだ。フッと狐が姿を消したのと同時に右腕上腕がじくりと痛む。今回はそこを食ったのか。だが今は正直そんなことに構っている余裕はない。跳躍した勢いを利用して身を翻した、刹那。
さっきまで俺が立っていた地点の周囲が、轟音と共に跡形もなく吹き飛ばされた。
風圧のせいで体勢が崩れそうになりながらも、状況把握のため素早く視線を走らせる。吹き飛んだのは長さにしておよそ100メートルほど。見事な扇形に森が抉り取られている。初めからそこに木など存在していたのかと疑ってしまうほどだ。
その始まりにはもちろん、あいつが立っている。頭部の銃口から煙がたなびいていた。……本当にむちゃくちゃなやつだ。
ふとこちらに気付いたらしいあいつがこちらに銃口を向けてきた。そのまま断続的に発砲する。空中だから避けられないと思っているんだろう。
一直線にこちらに向かってくる弾丸に、俺は咄嗟にベルトに吊るしていた春雷を抜いた。
休む暇もなく弾丸を避け、軌道を逸らしていく。刃に弾丸が当たる度に火花が散った。当たれば致命傷になりそうなものだけを選んで逸らしているが、それでも量が多い。
段々と高度が下がってくるにつれて焦りも出てくる。刃で跳ねた弾丸が頬を掠った。伝い落ちる血を感じながらつぶやく。
「ちょっと熱いが、我慢しろよ」
左手で結んだのは炎の印。その名を呼んだ瞬間、あいつは炎に包まれた。時間としてはほんの一瞬だったが、続いていた銃撃を止めるには十分だ。俺はもう一度狐を呼び出して足場にすると、再び跳躍する。今度は少し前方……あいつの数メートル真上へ。
「終わりだ」
くるりと春雷を回し、両手で逆手に握る。つもりだった。
「(! 手、が)」
右手の指先が、腕が、思うように動かない。どうやら狐も炎も、俺の右腕まわりの感覚をいくつか持って行ったらしい。こんな時に限って、なんて間が悪い。だがここで止めるわけにもいかなかった。俺は力加減が上手く行かないせいで強張り震える手でなんとか春雷を握る。あいつに、刃が、届く、その瞬間。
初めてあいつと目が合った。
――『ハル』
脳内で、俺を呼ぶ声が聞こえた。気がした。
「――ッ!!」
俺は構わず、頭部の銃に思い切り刃を突き立てる。
そのまま振り下ろせば銃口は斜めに寸断され、使い物にならなくなっただろうが、そう上手くはいかない。力が入らない俺の手から、春雷はいともたやすくすり抜けてしまった。
勢いあまってもつれるように俺たちは地面に転がった。素早く態勢を立て直して春雷を取り返そうとするが、あいつがまた頭部の銃を使用する未来が見えた為、咄嗟にはね飛んで距離をとる。
瞬間、さっきまで俺がいた場所が見事に吹き飛んだ。先ほど上空で見たときに比べれば威力は落ちるが、まともに食らえばひとたまりも無いだろう。
近くにあった木を背につけて身を隠しながら様子を窺う。ゆらりと身を起こしたあいつは思い出したかのように、頭部の銃に突き刺さっていた春雷を抜いた。春雷は使い物にならないほど刃が崩れている。あれでは奪えたとしても攻撃に使えそうにないだろう。
あいつは俺を探しているらしく、執拗に周囲を見回している。俺は視線から逃れるために完全に木に身を隠した。ずるりともたれながら静かに息を吐く。
「(……どうする)」
現状をざっと確認する。外傷は主に狐に食われた右腕上腕、銃弾が掠った右頬、左わき腹、左太もも、それから数えきれないほどの打撲、細かい切り傷。右手は力を入れても震えるばかりで思うように動かない。現状手持ちで使える武器は無し。悪魔は狐と炎が現状つかえるが、対価に何を持っていかれるのかわかったもんじゃない。もう一度息を吸って、吐いた。
「(弱点は、わかってんだけどな……)」
そう。前世で一度戦ったのもあって、俺はあいつの弱点を見切っていた。
頭と左腕から繰り出される破壊的な銃撃。それがあいつの攻撃のすべてである。確かに威力はすごいがその実、接近戦に持ち込まれるとすごく弱いのだ。そのため相手のスキを突いて懐に潜り込んで攻撃する俺のナイフ術とは実はとても相性がいい。現に前世ではデンジに気を取られた隙に俺が背後に回ってあいつを羽交い締めにし、そこをデンジがとどめをさすという作戦が非常に上手く行ったくらいだ。
だがしかし、今いるのは俺唯一人。前世ではきつい役回りをデンジに押し付けてしまったが、今回はそれも俺がやらなければならない。
俺が、この手で、あいつを。
――『ハル』
「……クソが」
小さくつぶやきながら軽く頭を振った。そうして考えを振り払おうとしても、逆に強く思い浮かべてしまう。だめだ、違う。何も考えるな。アイツは違う。アイツは、アキじゃない。あいつは。
『そうだ苦しめ、門叶ハル』
「!!」
そんな俺を嘲笑うかのように、脳内で未来の悪魔の声が響く。ぴたりと動きを止めた俺を他所に、悪魔は続けて言った。
『そういえばまだ伝えていなかったな。お前の今世での未来はこうだ! ”無二の親友をこの手で殺し、そして自らも死ぬ"!』
これは決まりきったことだ。そう言いながら悪魔は笑う。本当に趣味が悪い。噎せ返るような暑さのせいで、その声も歪んで聞こえた気がした。
『言っただろう。お前は未来を変えられないし、逃げられないと』
教室で言われた言葉を改めて言われる。今世も来世も一緒くたになって頭の中で記憶が渦巻いていた。変えられない。俺は、ただの傍観者で、無能で、持たざるもので。だから未来を変えられない。姫野さんも、空井も、アキも。誰も助けられない。誰も。
『お前がどうあがこうが、ここがお前の死に場所なんだよ。門叶ハル』
「黙れ!!」
気付けば叫んでいた。肩が軽く上下するほど感情が高ぶったのは初めてかもしれない。頭に回る記憶と悪魔の声を振り払おうと、俺は喉が痛むのも構わずに声を荒げる。
「いちいちうるせえんだよ!!! わかってるさ俺が無能だって!! 俺には何も出来ないって!! そんなの誰よりも俺が一番わかってんだよ!! お前に……お前なんかに! 言われる筋合いはッ――」
――ずがん!!
けたたましい音がして、俺は思い切り投げ出されるように正面から地面に転がった。もみくちゃになり、口に土が入りそうになる。至近距離で受けるその衝撃波は凄まじいもので、周囲の木々も悲鳴を上げていた。
数メートルほど無様にごろごろと転がったところで俺は唾を吐きながら素早く視線を上げた。先ほどまで背を付けていた木がくっきりと半円に抉り取られていたその先で、左腕の銃から煙をなびかせるあいつと目が合う。つい感情に身を任せて声を出してしまったせいで見つかったのだ。クソ、本当にこの悪魔はことごとく邪魔しかしねえな。
ゆっくりとこちらに近づいてくるあいつに反撃すべく、なんとか起き上がった。そこで、気が付く。
いつの間にか俺の右腕は、肩から綺麗さっぱり千切れて無くなっていた。
「……う、そだ、ろ」
認識した途端、耐えがたい激痛が遅れてやってくる。折角起き上がったのに、また地面に逆戻りすることになった。喉が裂けそうな苦痛の声が周囲に響く。額に脂汗を浮かべながら俺はみっともなくその場でのたうちまわる事しか出来ない。土ぼこりで汚れた制服にじわじわと赤黒い染みが広がっていく。ぎり、と歯を食いしばった。
「クソ、クソ、クソぉ!!!」
……どうして。
どうして俺が、こんな目に合わなくちゃいけないんだ。
答えなんて出るわけがないのに、思ってしまう。そして考えれば考えるほど深みにはまっていくような気がした。頬に幾筋も伝っているのは、きっと汗や血だけじゃない。
「俺が、何したってんだよ……」
ぽつりとつぶやく。もはや完全に打つ手はないだろう。立ち上がる気力も失くしてしまった俺は、ぐったりと地面に寝そべる。右側を上にして横になっているため、辛うじてあいつの動向は見て取れた。あいつはこちらにゆっくり近づいてくる。一歩一歩、確実に。
俺の命ももうじき終わるのか。そう思うとなんだかますます力が抜けてしまう気分だった。段々視界もぼんやりしてくる。あーあ。なんだったんだろう、俺の人生。
「(……でも、やっとアキに会える)」
転生を繰り返した俺が死んだら一体どこへ行くのかはさっぱりわからんけど。でも可能性はゼロじゃない。それだけで十分だ。
諦めを選んだ途端、急激に力が抜けてくる。
あの世への微かな希望を胸に、俺は静かに瞼を下ろした。
……のだが。
――ゴシャ!!
何かがぶつかるような激しい音がして、俺は閉じていた瞼をうっすら持ち上げる。
するとどうだろう。さっきまでこちらに向かっていたあいつの姿が消えていた。何が起きたのかと視線を巡らせると、どこからかやってきた呪霊のようなものに体当たりされ数十メートル先にそいつもろとも吹っ飛ばされてしまったらしい。
「(呪霊……?)」
なんでこんなタイミングよく。衝突した木がメキメキと音をたてて倒れるのが見える。すると、この場では聞こえないはずの声が俺の耳に届いた。
「意外と吹っ飛んだな」
「あれは手持ちの中でも特攻に特化してるからね」
「へえ、便利じゃん」
視線を動かせば、白い頭がひとつと黒い頭がふたつ。それはどこからどう見ても、先ほど別れたはずの3人だった。
なんでお前らがここにに、と信じられない気持ちで目を見張る。するとこちらに気付いた家入がさっと顔色を変えてこちらに駆け寄ってきた。服が汚れるのにも構わずその場に膝をつく。
「門叶、大丈夫か? って……大丈夫なわけないか」
「な、んで」
「なんで? あれだけ盛大にドンパチやっておいてよく言うよ」
俺の傷の様子を確認している家入はふっと息を吐くように笑う。だがその眉根は苦しそうに寄せられていた。
「あの呪霊にやられたのかい?」
頭上から投げかけられる夏油の問いかけに俺は素直に頷く。そうか、とつぶやいた声は重い。すると続いて五条が実に不機嫌そうに「おい」とこちらに話しかけてきた。
「どう考えても特級だろ、あれ。なんでお前ひとりで戦おうと思った」
その声も視線も鋭く、どこからどう考えても俺に怒っているのがわかる。仕方ないだろ。あいつとの戦闘に、お前たちを巻きこみたくなかったんだよ。だってこれは俺とあいつの問題なんだから。
そんな俺の内心を知らない五条は追い打ちをかけるように言った。
「お前弱いんだから、こうなるのはわかってたはずだろ。なんで呼ばなかったんだよ」
「悟。怪我人にその言い方は……」
「だって傑もそう思うだろ? わざわざひとりになってあんなやつと戦って……俺ら来なかったら死んでたぜ? つか今も死にそうだし。さっさと呼べばこんなことには――」
「いい加減にしろ」
五条の言葉を遮ったのは意外にも家入だった。彼女は無表情で五条を静かに見つめている。その声は地を這うように低く、どこか苛立ちを孕んでいるようにも感じられた。
「今はそんなことどうでもいいんだよ。喋ってる暇があったら、さっさとあいつ祓って来いクズども」
吐き捨てるように言った家入に鼻白んだ様子の五条は、ぶすっとした顔のままこちらに背を向けた。丁度そこであいつがこちらに向かってくるのが確認できたため、そちらに意識を向ける。夏油もどこか申し訳なさそうにこちらへ一度視線を寄こしたかと思うと、五条の後を追った。ふたりを見送った家入は再び治療に専念し始める。
「安心しろ、死なせはしない。……右腕は諦めてもらうしかないけど」
そう言って俺の傷口に両手をかざす。傷口に触れていないのにふわりと温もりが伝わり、徐々に身体が楽になってきた。本当にこいつの反転術式はすごい。少しずつだけど、さっきよりも確実に体力が回復して傷が癒えているのがわかる。少なくともこの短時間で出血は収まったようだ。
ひとり静かに感動している俺を他所に「まったく」と家入はため息をついた。視界の端にうつったその表情にはわずかに疲れが浮かんでいる。
「いつもいつも怪我ばっかりだな、お前は。治療するこっちの身にもなってくれ」
「……悪い」
「そう思うんだったら、次からはこんなことやめろ」
次からは、という言葉に胸が痛む。うん、と微かに返事をした。
治療を受けている最中も戦いは続いていた。あいつと五条と夏油、3人の戦いだ。こちらに多少気をつかっているのか、少し離れたところで戦ってくれている。五条の無限は銃弾も勿論効かないらしく、明らかにあいつが戸惑っているのがちょっと面白かった。夏油も夏油で呪霊を盾にしつつ、攻撃を繰り出している。今まであまりふたりの本気の戦闘というものを拝む機会が無かった俺は、流石最強を自称するだけはあるなと素直に思った。
だが、どこか違和感があった。
一見互角に見えるが、明らかにおかしい。
それに俺が薄々気付き始めたところで、五条と夏油が偶然近くにやってきた。ふたりはほとんど無傷ではあったのだが、若干息が上がっている。
「なあ、傑。俺たち強いよな?」
「そうだね……弱くはないと思うけど」
「じゃあさ」
五条は苦々しい顔であいつを睨む。
「……なんであいつ、傷ひとつ食らわねえんだよ」
ふたりも違和感の正体に気付いたらしい。五条と夏油の繰り出した攻撃はなぜか、あいつに一切通用しないのだ。確かに命中しているはずなのに、傷ひとつ付けられない。こんなことはふたりも初めてだったようで、ただただ体力ばかり消耗されていく現状にもどかしさを感じているようだ。夏油も苦笑しながらあいつに視線を向けた。
「おかしいなぁ。怪我自体はしているみたいだから、祓えない訳じゃないんだろうけど」
言われてみれば確かに、あいつは怪我をしていた。スーツの端々は焦げ付いて、そこから覗く腕や顔に刻まれた火傷の傷が痛々しい。
そこでふと、思い出した。
あの怪我は。
……あの、火傷は。
「……はは」
なんとなく察してしまった俺は、思わず笑ってしまった。なんだよ、そんなの。……そんなことってあるかよ。ひひひ、とひきつるように続けて笑う。
急に笑い出した俺に家入は怪訝そうな顔をしていた。どうした、大丈夫か、とこちらに声まで掛ける始末だ。家入だけじゃない、五条や夏油もこちらを見ていた。特に五条は馬鹿にされたとでも思ったのか、思い切り不機嫌さを露わにしている。
「んだよ。怪我人はすっこんでろ」
「すっこんでもいられねえだろ、だって」
家入の静止も聞かずに、俺は立ち上がる。多少ふらついたが、支えなしで2本足で地面を踏みしめられるなら上出来だ。
何をするんだと3人が見守る中、俺は言った。
「あいつは俺にしか殺せないんだから」
それを聞いた途端、五条は形のいい眉を寄せた。
「は? どういう意味だよ」
「あいつの、火傷。アレつけたの俺なんだよ」
「!」
五条の目が静かに見開かれる。どうやら俺の言いたいことがわかったようだ。その顔がなんだか間抜けで、それでまた俺は笑ってしまった。
あーあ。やってられるかよ、こんなの。俺は脱力感に襲われながら天を仰ぐ。
「ほんと、俺の人生ってクソだな……」
……この際、もうどうでもいいか。
段々ヤケになってきた俺は、今まで隠してきたのが嘘だったかのように大きな独り言を次々と口にする。
「つか考えてみればそうだよなぁ。アイツは呪霊じゃねえんだし、お前らが祓えなくても仕方ねえか」
「……呪霊じゃない?」
俺の言葉を聞いた夏油が眉をひそめる。
「でもあれはどう見ても呪霊――」
「おいお前」
夏油が混乱したようにつぶやくのを無視して、五条が単刀直入に切り込んだ。
「あいつについて何か知ってるんなら今すぐ吐け。全部だ」
「教えてやりたいのは山々だけど、そんな余裕もなさそうだぜ」
俺は静かに五条と夏油の間を指さす。ばっと振り返った五条と夏油の目にも、あいつがエネルギー砲の準備をしているのが確認できたようだ。
慌てて夏油が呪霊を出し、俺たち全員を覆い隠す盾になる。そのおかげで周囲が吹き飛ぶだけで済んだ。呪霊が消えた後、冷たい笑みを浮かべているあいつを睨みつけながら五条は言う。
「クソ、容赦ねえな」
「門叶。あいつは何なんだ? 君と何の関係が……」
「
敵だよ。親友のな」
舞い飛ぶ土埃に小さく咳込みながら言う。
「そして、親友本人でもある」
「はぁ?」
わけわからないとばかりに五条は顔をしかめた。これ以上追究されたら長くなりそうだからと、逃げるように隣の家入に話しかける。
「悪い。煙草1本貰っていいか」
「……いいけど」
なんで今?とわかりやすく顔に書いてある。俺がもう一度頼めば渋々煙草の箱を取り出し、1本こちらに差し出した。礼を言ってからそれを口にくわえる。続いて家入がライターを差し出すのを辛く断って、俺はつぶやいた。
「"
炎"」
瞬間、ポッと煙草に火がついた。
驚く3人を他所に、俺はゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。濁ったそれは途端に外気に混じって消えていく。懐かしい、元相棒と同じ匂いの煙を吸い込んだお陰で昂っていた精神が少し落ち着いた気がした。いつだって冷静だったからなぁ、空井は。懐かしさで思わず笑みがこぼれる。
相変わらず血が足りなくてフラフラするし、身体中痛みは酷いが、やれる。俺は、
銃の魔人を、殺せる。
静かに決意を固めた俺は、一歩前へ踏み出した。
「五条、夏油、家入。お前らは離れてろ」
「……おい、何するつもりだ」
「決まってんだろ? 殺すんだよ、あいつを」
そう答えれば夏油は戸惑いがちに反論する。
「でも君、そんな状態で……」
「傷には慣れてるし、家入が治してくれたお陰で多少は動ける」
「だけどお前、呪具は」
「武器ならまだあるさ」
口々に言う3人の言葉を切って、俺は口の端をくっとあげるように笑った。
「一か八かのとっておきがな」
できればこれは使いたくなかったけど、仕方ない。
数十メートル先にいるあいつは、俺が何をするのか観察しているようだ。左腕をまっすぐ正面に伸ばし、手を開く。
「――炎の悪魔よ」
呼びかけた途端、わずかに周囲の温度が上昇したのを肌で感じる。背後で3人が固唾を飲んで見守っているのが分かった。俺は構わず詠唱を続ける。
「俺の身体の、どこでも好きなところを持って行って構わない。……だから、その代わりに」
俺は静かに正面のあいつを見据えて、言った。
「あいつを殺せる、炎の武器をくれ」
途端、俺を中心にぶわりと風が巻き起こり、周囲の温度が更に上がる。それもそうだ。
――俺の伸ばした手の中に、注文通りの炎の武器が出現したのだから。
春雷と似たような形をしているが、その実色も材質も全く違う。墨を垂らしたように黒かった春雷の刀身に対し、目の前のこれは眩しいほど白く、端の方でパチパチと火花が躍っている。柄は燃え滾る炎の赤だ。何の装飾もなく、シンプルなつくりをしている。
俺は指を折り曲げてぐっと握りしめた。武器の重さを感じた途端に刃の炎の勢いが増す。呼吸に合わせて炎が脈打ち、周囲の熱が更に上昇していく。
それと同時に、身体に猛烈な痛みが走る。
なんとなくわかる。どうやら今回は内臓のいくつかを持って行ったようだ。
ぐらりと身体が揺れる。崩れ落ちそうになるのはなんとか耐えられたが、せり上がるものは堪えきれなかった。背中を丸めて地面に液体を吐き出す。それは咥えていた煙草と共に地面に落ち、赤い水溜りを作った。あーもったいない。まだ火つけたばっかだったのに。そんなどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。この現実逃避が、俺の命の短さを物語っているかのようだった。
吐血した俺を見かねてか、家入が焦ったように俺の名前を呼ぶ。それを無視して、俺は振り返ることなく言った。
「そういや夏油、昨日言ってたよな。『呪霊とどんな"縛り"を結んでるんだ』って」
突然の呼びかけに、戸惑ったように夏油が肯定した。それを背中で聞きながら俺は自嘲気味に笑う。
「いいもんじゃねえよ、何一つ。契約であちこち持ってかれるし。こいつら基本的に人の不幸大好きだから、隙あらばメンタル揺さぶってくるしさ。厄介でしかねえ」
今までの出来事が脳内を駆け巡る。そして気づけば、つぶやいていた。
「……俺に、もっと力があったらよかったのに」
手の中でメラメラと揺れる炎の輝きに目を細める。目の前のあいつは今の状況に圧倒されているようだ。そういえば、前世では腕を貰ったんだったっけ。残りの寿命すべてを引き換えに生やした炎の腕で、あいつを羽交い絞めにしたのが、遠い昔に感じる。実際15年も前の事なんだけどさ。
すると背後から問いかける声が聞こえた。
「お前、何者だ」
驚きと恐れと警戒と、ほんの少しの好奇心。そんな調子の五条の問いかけに、呼吸を整えて俺はちらりと背後を振り返った。おいおい、未来の最強様が何て顔してんだよ。自然と口角が上がるのがわかる。
「東京都公安対魔特異4課所属、門叶ハル。……そう言えば満足か?」
今までずっと隠してきたことを告白したのにも関わらず、俺の声は思ったよりも落ち着いていた。命の終わりが近いからかもしれない。
そんな俺の返答にすっかり言葉を失った五条を置き去りにして、改めて正面に向き直った。背後の3人に向けて、言う。
「呪霊狩りは呪術師に。悪魔狩りは……デビルハンターに任せな」
くるりと炎の刀を逆手に握り、俺は素早く地面を蹴った。……これが、最期の戦いになると思いながら。
焦ったように銃撃を再開したあいつの弾を左目を駆使して避け続ける。殺す覚悟が決まったからか、先ほどよりもずっと素早く動けていた。頭から雑念が消えて、すっきりと冴えわたっている。あいつの一挙手一投足が、すべて、
理解る。気づけばいつからか、身体の痛みも感じなくなっていた。とうとう痛覚も麻痺してしまったようだ。
息をつく暇もない連射の合間。俺はついに間合いに潜り込むことに成功する。
あいつは一瞬驚いたような顔をしてこちらを見る。
俺は躊躇うことなく、刃を振るう。
斬り下ろし、斬り上げ、払い、斬り抜き。
俺の振るう刃が確実にあいつの身体に傷を増やしていく。
刀を振りかざすたびに血が飛び、刃の後を追うように炎が尾を引いた。周囲の木々に燃え移っているが、構っている余裕はない。
俺しかできないのだ。
俺にしか、こいつを殺せないのだ。
そう自分に言い聞かせる。
俺の猛攻に、流石のあいつも押されている。こちらの攻撃を左腕の銃で受け流すので精いっぱいのようだ。
徐々に後ずさりしている現状を打破するためか、左腕の銃を振り下ろすようにこちらに攻撃を仕掛けてきた。それが最大の失敗だと気付かずに。
俺はその瞬間、低く腰を落として素早く半歩ほど後ろに下がった。
まさか引くとは思ってもいなかったらしいあいつの重心が前に崩れる。
――今だ。
タイミングを見計らい、俺は大きく一歩踏み込む。
あいつの、腕の内側。完璧に俺の間合いゼロ距離だ。
左手に握った刀を下方から左肩めがけて振りかざせば、炎の刃は真っすぐにあいつの左腕の付け根付近に食い込んだ。
認識される前に、渾身の力を込めて刃を動かす。
コンマ数秒で刃は容易にあいつの身体を突き抜け、完全に左腕を切り離した。
切断された腕が宙を舞う。
まるでスローモーションのようだった。
あいつの意識がゆっくりと腕の方へ向く。
完全にこちらへ意識が向いていない、このタイミングを待っていた。
俺はくるりと刀を回して逆手に持ち――
――正面から倒れ込むように、あいつの心臓めがけて刀を突き立てた。
そのまま俺たちはもつれるようににして地面に倒れ込む。
俺が覆いかぶさるような形だったため、その勢いで更に深く刃は突き刺さった。あいつの内臓を突き破る感触が刃越しに伝わってくる。ぐり、と追い打ちをかけるように俺も力を籠める。それに呼応するように炎が勢いを増した。人体が焼ける臭いが鼻をつく。
あいつは一瞬苦しそうに呻いたかと思うと、そのまま動かなくなった。それを見届け、俺は静かに息を吐く。
「(やっと、終わった)」
役目を終えた炎の刀が煙のように消える。
全身の力が抜けるのが分かった。背中を丸め、ごぼ、と咽るように血を吐く。終わった、全部終わったんだ。これでもう、殺さなくて済む。そう思ったその時。
――ぱん
乾いた音と共に、俺の身体に衝撃が伝わる。胸の辺りからだ。
そっと、視線を下げる。
あいつの右手の人差し指が、まっすぐこちらの心臓付近を指していた。じわり、俺の胸の中心に赤い染みが広がる。
それを見た途端、思わず苦笑した。
「(……ったく、駄目押しかよ)」
こんなことしなくても、俺はまたお前と心中してやるってのに。
口から大量の血を吐き出しながら、あいつに覆いかぶさるように倒れ込む。
そうして俺は、あっさりと意識を手放した。
倒れる転生者お兄さん
→ハルは めのまえが まっくらに なった!
展開についていけない最強の片割れ@
→弱いくせにいっちょ前にひとりで特級に挑んだのにムカついていた。親友の敵? 呪霊じゃない? 公安? デビルハンター? と思っている間にとんでもない戦闘能力を見せつけられた挙句に本人が死んだので完全に宇宙猫状態。可哀想。
展開についていけない最強の片割れA
→ハルの戦闘にいち早く気付く&危ないところを助けた本人。昨日の契約の話を持ち出したかと思ったらいきなり激しい戦闘が始まり、その上相討ちのような形で倒れたのを見て感情の整理がつかない。
珍しく感情を露わにした紅一点
→腕を失くしたハルを見て本当に焦った。この中で一番ハルのことを心配していたのは彼女。流石医者志望なだけある。……治療したのは、お前をまた戦わせるためじゃなかったのに。