一輪のスミレを君に
「……で、方言を隠すのをやめたと」
「そういうこと」
私が説明を終えると、隣に座った汐音が照れくさそうに笑った。それは今までの遠慮がちの笑みではなく心からの笑顔で、なんだかこちらまで嬉しくなってくる。
任務を終え高専に戻ってきた私達は、ほとんど同じタイミングで帰宅した同期と共に夕食を食堂でとっていた。それで彼女の話をしたのである。ふたりとも彼女の言動や仕草に違和感を持っていたのだろう。初めは驚いていたようだったけど、本来の振る舞いをする彼女を見てなんだか納得していた。夕飯の生姜焼きを口に運びながら硝子が言った。
「へぇ、本当はこんな感じなんだ」
「秘密にしててごめんねぇ」
「ま、3日でバレるってことは時間の問題だったんじゃねえの」
悟はそう言いながら白米を頬張る。ちょっと棘のある物言いだったから私はそれとなく窘めようとしたが、彼女は「そうかもしれないねぇ」なんて笑うだけだった。私達から肯定的な意見を貰えて彼女も安心したらしく、今までのこちらを窺うようなおどおどとした態度はすっかり無くなっている。
すると彼女は「改めて自己紹介しようねぇ」と言って箸を置いた。
「沖縄から来ました、當間汐音です! これからどうぞ、ゆたしくうにげーさびら」
「ゆ、ユタ?」
ぺこりと頭を下げた汐音。対する私たちは聞き慣れない言葉に戸惑いを隠せない。
「今のはどういう意味なの?」
「えっとね、『よろしくお願いします』って感じかなー」
「わっかんねーなマジで」
「同じ日本語なのに面白いね」
感心したように私は相槌を打つ。京都や大阪をはじめとした関西地方の方言は比較的テレビなどで聞き馴染みがあったが、沖縄となると本当に未知の言語という感じがした。現に先ほどの彼女の言葉は全くわからなかったし。
「東京は初めてなの?」
「初めてだよー 東京だけじゃなくて、沖縄から出ること自体が初めてだわけさー」
本当は中学の修学旅行で関西に行く予定だったが、当日に体調を崩して行けなかったらしい。なので正真正銘これが初めての県外なんだとか。そりゃ飛行機ではしゃぐはずだと、任務での彼女の言動を思い出して頬が緩んでしまう。
「高専に来るときも大変だったわけよー 電車どうやって乗るのかわからんくてさー」
「そこから?」
「電車も走ってねえとかクソ田舎じゃん……」
悟が馬鹿にしたように鼻で笑うと、「違う違う!」と汐音が否定する。
「沖縄ってそもそも電車無いわけよー 戦争での不発弾がまだいっぱい残ってるから、簡単に電車走らせられないんだってー」
「……マジで?」
「うん、らしいよー」
あ、と思い出したように補足した。
「モノレールなら一応あるよー でも那覇から首里までだから乗ったことないばーよ」
「じゃあ移動はバスとか?」
「うん。大体がバスだねー だけど渋滞すごくて絶対時間通りに来ないばーよな」
「ウケる。絶対来ないんだ」
「時間通りに来てる方が珍しいさー」
あっけらかんと笑う彼女。時間通りに来ないバスなんて不便以外の何物でもなさそうだけど、それを笑い飛ばせるということは本当に日常的な事なのだろう。
「それにしても、本当に東京広いねー せっかくだから色々観光したいけど、見てるだけで目ぇぐるぐるーしそうさー」
「いきなり東京に来たら誰だってそうなるよ」
笑って彼女の言葉を肯定していると、脳裏にある提案がひらめいた。そうだ、と私は彼女にその内容を伝える。
「それなら今度の週末にでもみんなで観光に行こうか」
「え!? 行きたいー!」
途端に目を輝かせる汐音。余程興奮しているのか、ぐいっとこちらに身を乗り出して顔を近づけてくる。硝子は「おーいいね」とわりかし乗り気だったが、悟は違ったようだ。眉間に皺を寄せながら、明らかにめんどくさそうなオーラを醸し出している。
「なんでわざわざ全員で行くんだよ」
「いいじゃないか。折角同期になったんだし、親睦会ってことで」
「俺はパス。めんどくせーし」
副菜のポテトサラダを口に放り込みながら適当に言う。まあ悟ならそう言うだろうとなんとなく思っていたけどね。私や硝子ならその時点で誘うのを辞めているところだが、汐音はそうもいかないようだった。
「え、さとるー行かんのー?」
悟の返答に、汐音は残念そうに言う。ちょっと寂しそうに眉は下がっており、先ほどよりも明らかにしゅんとしていた。
「しおん、さとるーともっと仲良くなりたいのにな……」
汐音の一言にうぐ、と言葉を詰まらせる悟。これはどこからどう見ても動揺している。こんな悟を見るのが初めてだった私は硝子と目線で合図し、追い打ちをかけるように便乗した。
「まあ、行きたくないって言ってる人にわざわざ無理強いするのも悪いからね」
「私達だけで行こうか。汐音はどこ行きたい?」
そう言ってさり気なく悟を蚊帳の外に追いやる硝子。だがその仕打ちに流石の悟も黙っていられなかったようだ。しばらく自身の胸の内と葛藤していたかと思ったら、バツが悪そうに頭を掻きながら「まあ、なんだ」と口を開く。
「お前らがどーしてもって言うなら、その、……行ってやらん、ことも、ない」
「ほんと!?」
ぱっと汐音の顔が明るくなる。目は口程に物を言うとはこのことかと思うほど、その目は歓喜に満ちていた。
「じゃあ一緒に行こう! さとるーも一緒の方が絶対楽しーさーね!」
「ったく、しゃーねーな……」
しぶしぶ、といった風だが、表情はまんざらでもなさそうだ。面白いなあ、悟がいいようにやられるなんて。ちらりと悟と目が合ったので微笑んだら、ふんと逸らされてしまった。悟の新たな一面を垣間見た気持ちになりながら私は汐音に話しかける。
「改めてだけど、どこか行きたいところはあるかい?」
「えっとねー、浅草でしょー、東京タワーでしょー、上野動物園もみたいねぇ」
あれもこれもと指折り数えながら場所を挙げていく。余程行きたいところが多いらしく、指が10本あっても足りない様だった。一通り挙げたところで、「でもやっぱり」と大本命を口にする。
「一番はTDLかなー! しに楽しいって友達が言ってたから、しおんも行きたいって思ってたばーよ!」
彼女が言った瞬間、その場に沈黙が落ちる。そして誰からともなく笑い始めた。ひとりだけ状況を飲み込めていない汐音は目をぱちくりさせている。
「なんで笑うわけー?」
「おまっ、お前、マジで言ってんのかよ!」
ぶわはは!と絵に描いたような大爆笑をする悟にムッとした表情を浮かべる。仕方ない、理由もわからず笑われれば誰だってああいう顔になるだろう。私は苦笑しながら彼女に残酷な真実を告げた。
「汐音。TDLはね、東京じゃなくて千葉県にあるんだよ」
またしても数秒の沈黙が落ちる。手からすり抜けた箸がカランと音を立ててテーブルに落ちたところで、ようやく情報を処理し終わったらしい彼女が大声を上げた。
「ええーーー!?」
あまりに衝撃的な事実だったのだろう。ほとんどパニックといっても差し支えない程彼女はうろたえていた。その様子がまた面白くて、私達は腹筋が引きちぎれそうになるくらい笑ってしまった。
「だ、だ、だって! 名前に『東京』ってついてるやっしー! さとるーもすぐるーもしおんのこと騙そうとしてるでしょー!!」
「言っとくけど本当だよ」
ほら、と硝子が携帯で住所を表示させた。画面をまじまじと見ながら「ほんとーだ……」とつぶやく汐音。目尻に涙を浮かべた悟がひーひーと笑いながら言った。
「いやーまだそんなこと思ってる奴いたんだな」
小学生かよ、と率直な感想を述べる。今時小学生でもこのくらいの事実は知っていそうなものだが、彼女はそうではなかったようだ。
「えー 知らんかったさー……」
しみじみとつぶやきながら、はっと思いついたように「それなら」と疑問をぶつけてくる。
「横浜中華街は? 横浜は東京でしょー?」
「それは神奈川県だよ。東京じゃない」
「違うわけー!?」
愕然とした彼女はふたたび大声を上げた。両手で頭をぐしゃりと掴むほどのオーバーリアクションに悟は再び爆笑し、硝子も肩を震わせている。何も信じられないとばかりに目を回している彼女はすっかり混乱しているようだ。
「神奈川は東京の仲間?」
「仲間? 仲間……まあ、関東という区切りなら」
「知らんかった……さとるーもすぐるーも物知りだねー」
「いやそれはお前が知らないだk……い゛っ!」
途端に悟の声が途切れた。流石にこれ以上はいけないと思い、私が無理矢理足を踏みつけたのだ。じろりと睨んでくる悟をスルーして汐音に視線を向けると、「そっかー東京じゃないのかー」と言いながら白米を頬張っている。今まで常識だと思っていたことが打ち砕かれたせいか、先ほどよりもしゅんとしょぼくれていて……まるでよく見る顔文字みたいだ。そんな姿がなんだか可愛らしくて私は思わず笑ってしまう。
「(目が離せないなあ)」
コロコロ変わる表情が面白くて。本来の彼女はこうも朗らかで愉快だったのかと、早めに彼女の本質に気付けてよかったと改めて思った。
「傑、何ニヤニヤ笑ってんだよ」
「いや? 別に何も?」
そんな私の緩み切った顔を見て硝子は眉根を寄せながら「キショ」と呟く。辛辣だな。
それから私たちは約束通り週末に観光へ行った。それをきっかけに任務の帰りや休みを利用して遊びに行くことが3人の時よりも増えたように感じる。というか実際に増えた。
任務の関係上いつでも4人というわけではないけど、汐音が観光に出向く際には必ず誰かと一緒に行くらしい。理由は『迷子になるから』。初めは土地勘が無いだけかと思ったけれど、彼女はどうやら重度の方向音痴だというのが発覚したのだ。悟と出掛けた際、ふと目を離した隙に逆方向の電車に乗ってしまったという話を聞いた時は笑ったのと同時にとても心配になった。
「もうみんな無しで外歩けんさー……」
「そうしてくれるとありがたいね」
「探すこっちの身にもなれ馬鹿」
「探してたんだ。五条にしては優しいじゃん」
「なんだよ俺にしてはって」
笑い合いながらも月日は確実に流れていく。
私達は同じ時間を過ごす中で、少しずつ仲を深めていったんだ。
「すぐるー、しょうこー知らん?」
「硝子なら喫煙所だって言ってたよ」
「わかった、ありがとうねー」
「……汐音、喫煙所は逆だよ」
「あれ?」
「仕方ない。私も一緒に行こうか」
「すぐるー! しょうこー! 見てた!? さとるーに初めてゲームで勝てたさー!」
「見てたよ。流石だったね」
「へえ、やるじゃん。あんなに苦手だったのに」
「マグレだろ、マグレ! 次はぜってー負けねえからな……!」
「すぐるー ここどうやって解くばー?」
「いいよ。どれどれ見せてごらん、……ああ、これはここの公式を使うんだよ」
「んー……んん、お! できた! さすがすぐるー!」
「手助けになったようで何よりだよ」
「いやーでーじ助かったさー 全然わからなくていみくじピーマンだったよー」
「い……?」
「すぐるー、さとるー、やっぱ本土はすごいねえ……」
「うん? 何かあった?」
「テレビのチャンネルがN〇K以外に4つもある!」
「……そこそんなに驚くところ?」
「テレビはどこも同じじゃねえのかよ」
「違うよー! 沖縄って日〇レ映らんばーよ。だから平日の昼とかにやってるわけさー」
「へー じゃあ金ローとか見たこと無いの?」
「きんろー? それなんねー?しょうこー 勤労感謝の日?」
「……マジかよ」
「あれ? すぐるーさとるー、今帰って来たばー?」
「うん。ついさっきね」
「ったく、人遣いが荒いんだよなー クソ疲れた」
「あいやーな、でーじ疲れてるねー 大丈夫ー? 痛いところとかないねー?」
「問題ないよ。私達最強だからね」
「そ、平気平気」
「そっか、ならいいさー」
「汐音も早めに休むんだよ」
「うん」
「すぐるー」
「はいはい、ちょっと待ってね」
「すぐるー?」
「うん? どうかした?」
「すぐるー!」
「こら、急に飛びついたら危ないよ」
***
「ハア……」
悟とふたりきりの朝の教室で、私は深々とため息をついた。携帯をいじっていた悟が物珍しそうにこちらに視線を寄越す。
「んだよ、珍しいじゃねえかため息なんて」
「私だってこういう時くらいあるよ」
「……なんか悩みでもあるなら聞くぞ」
「悟に言うくらいなら野良猫にでも話した方がマシだよ」
「喧嘩売ってんなら買うぞオラ」
人が折角気遣ってやってんのにと怒りを露わにする悟。そんな姿を横目に、「でもまあ、話してみるのもアリかな」という気持ちになってきた。……別段命にかかわるような深刻な事でも無いし、言ってしまってもいいか。
「悩み、というか」
「おう」
「……最近、汐音のことをつい目で追ってしまうんだ」
例えば、誰かと楽しそうに話している後ろ姿だとか。例えば、真剣に任務に取り組むときの横顔だとか。例えば、座学中によだれを垂らす無防備な寝落ち姿だとか。そういう些細な、飾らない姿を見るだけで心が安らぐのだとここ最近気付いたのだ。長期任務でしばらく会えないとなんだか落ち着かないし、どこか空虚な気持ちになる。
だがその任務が終わった後、こちらに気付いた途端にぱっと顔を明るくして名前を呼びながらこちらに駆け寄ってくるその姿なんかは別格だ。視界の下端にこげ茶色の頭がちらついているだけでなんだか胸の中心がくすぐったいような、そんな感覚でいっぱいになる。……というのが、最近の悩みだ。
私のそう言った旨の告白を聞いた悟はといえば、初めは真剣な表情をしていたものの徐々にその顔は下賤なものに変わっていった。
「おいおい傑クン、それってもしかしてもしかしちゃうんじゃねえの?」
ニヤニヤとわかりやすくからかいの笑みを浮かべる。私は早速話したことを後悔し始めていた。
「やっぱり悟に話すんじゃなかったな」
「いいじゃねえか別に! んで?いつ告んだよ」
ずずいとこちらに近づいてきたかと思えば、ここぞとばかりにひそひそと声を落として尋ねる。完全に面白がってるな、これは。
「告らないよ」
「なんでだよ。男なら当たって砕けて来いって」
「なんで私が砕ける前提なのさ。……って、そうじゃなくて」
そこではっきりと悟に断言した。
「私は別に彼女に惚れているわけじゃないよ」
「はあ? だってあいつのこと目で追うって言ってたじゃねえか」
「そうだね」
「じゃあ好きじゃん」
「そういうことじゃないんだよ」
腕を組んで椅子にもたれる。年季の入った椅子がぎし、と軋んだ。
「なんていうか、恋愛感情じゃないんだよなぁ……」
そう。これはどこからどう考えても異性に対して抱いている感情ではないのだ。過去にもまあ、それなりに恋愛経験を踏んできた身ではあるが、そのどれにも該当しない感情なのである。
なんだそれと言う悟を他所に、うーんと唸りながらしっくりくる表現を探す。
「異性に対してというよりも、妹みたいな? いやそれもちょっと違うな……」
もっと小さくて、コロコロしてて、無邪気な、愛嬌のある――
そこでふと思いついたことをそのまま口にした。
「……犬?」
その瞬間、ブッと悟が噴き出す。ひひひと引きつり始めたかと思いきや、最後には腹を抱えて大笑いしていた。
「まさかの犬扱いかよ!」
「いや、別に変な意味じゃなくて……こう、見てると構いたくなるというか、動いてる姿を見てるだけで癒されるというか」
「それ完全にアニマルセラピーじゃねえか」
腹いてえわと悟は目尻に涙を浮かべている。ひとしきり笑って満足したのか「でもまあ、」と話を切り出した。
「それは俺もわかる」
「わかってくれるかい」
「ちょっとだけな」
なんかいじめたくなるっつーか、からかいがいがあるんだよ。と悟が言う。それを聞いて彼女に構いたくなる感情はそう、じゃれてくる犬を撫でるのに似ているのだと気付いた。そうだ、彼女に抱いていた感情の正体はこれだったか。それがわかっただけでも収穫と言えるだろう。まさか悟に同意を得られるとは思わなかったけど。
するとそこでがらりと教室の扉が開く音がする。
「すぐるー、さとるー! 夜蛾先生が呼んでたよー」
「「ぶはっ」」
タイミングよく入って来た彼女に悟とふたりして吹き出してしまった。
机に突っ伏して肩を震わせる私たちを見た彼女は不思議そうな顔をしながら首をかしげている。
【ざっくり! 沖縄語解説】
・ゆたしくうにげーさびら……意味:どうぞよろしくおねがいします。日常的には使わないけどテレビとかでたまに聞く。
・初めての県外……初めて沖縄から出たのが修学旅行って人はそれなりに多いです(中学の修学旅行で飛行機が離陸しただけで周りが拍手喝采した経験あり)。さすが島国県。世間から隔絶されてますね。
・沖縄の電車事情……マジで電車は無い。不発弾うんぬんはどう考えても嘘っぽいけど、今でもちょくちょく不発弾は見つかっていてその度に工事が止まったりしているので割と本当なんじゃないかと思ったりもする。
それにしても、モノレールを美ら海水族館がある沖縄北部まで延線するって話は結局どうなったんですかね??(作中時間軸では首里(那覇)まで。現在はちょっと延線したけど、それでも空港から浦添(本島中部の南あたり)くらいまでしか走っていない)
・沖縄のバス事情……電車が無い→車社会→交通渋滞多発→バスの遅延、というわかりやすいサイクル。絶対に時間通りに来ない。この100円を賭けてもいい。
・日〇レ……沖縄には民放が3つしかなく、その犠牲になったのが日〇レ。『世〇一〇け〇い〇業』も『イ〇テQ』も日曜の昼間に数か月遅れで放送されるし、コナンに至っては日曜の深夜枠&なぜか5年分くらい遅れてる。金ローなんてもってのほかで、ネットがジブリとかで盛り上がってるとなんだか疎外感を覚える。悲しい。
・いみくじピーマン……意味:意味が分からないこと。スラングというか言葉遊びというか。これ沖縄だけだって知ったときは普通にカルチャーショックでした(私が)。「この言い回し全国規模じゃないん!?」って。