君と私とプリムラと
あれから私たちはふたりきりの旅を大いに満喫した。
適当に立ち寄った旅館で一日温泉につかりずっとテレビを見て自堕落に過ごしたり、地元の人しか知らないような食堂で郷土料理を食べたり、かと思えば日の出を求めて山登りなんかもした。金に糸目を付けず思うままに滞在先を決めたので、自然と東京から遠ざかっていったのは仕方ないことだと思う。
私達はよく眠り、遊び、食べ、笑った。こんなにも自身の心が動いていると感じたのはのは本当に久しぶりだった。5日間の休日ということだったけど、そんなことが頭から抜けるほど本当に楽しい旅だったんだ。
……抜けていたせいで、汐音の携帯に高専から連絡が来た。
6日目の朝。美味しいお米がお腹いっぱい食べたいという汐音の希望を叶えるため、米どころである新潟県に向かう新幹線を待つ駅のホームで着信音が鳴り響く。出てみると相手は夜蛾先生で、今どこにいるのかということだった。帰ってこい、心配しているぞと諭すように言われて汐音はそこで初めてこの旅が期限付きだったことを思い出したらしい。慌てて帰る旨を伝えようとする汐音の隣で、私はなんだかそういう気になれなくて。
ひょいと、まるで菓子をつまみ食いするかのような調子で携帯を奪い去った。呆気にとられる彼女を他所に携帯を耳に当てる。
「すみません。もうしばらく戻りませんから。そういうことで」
それだけ言って電源を切った。ぱたんと携帯を折りたたみ、戸惑った表情をしている彼女に渡す。私はちょこっと眉を下げながら、
「ごめんね。もう少しだけ、だから」
彼女は私の顔を見て何か思ったのか、仕方ないなあと笑うだけだった。
そのもう少しはズルズルと長引き、気づけば1ヶ月近くになろうとしていた。気の向くままに、思いつくままに、次から次へと県を移動していく。見つかったら怒られるんじゃないかと最初はハラハラしていた汐音も、ここまで来ると吹っ切れたらしい。「鬼ごっこみたいだねえ」なんて悪戯っぽく笑う彼女に「いっそ国外もいいかもね」なんて私も悪乗りしてみたり。
***
「じゃあこれお会計してくるねー」
「うん。いってらっしゃい」
レジに向かう彼女を見送って、私は先ほど手に入れた観光ガイドに目を落とす。さて、次はどこへ向かおうか。現在地は岐阜。今までは比較的北上することが多かったから、今度は南に行ってみようか。ベタに京都大阪、もしくは九州で温泉巡りもいい。そういえば彼女は修学旅行に行けていないんだったっけ。ならそのリベンジというのもいいかもしれないな。戻って来たら意見を貰おう。
そんなことを思っていると、不意に私の左腕を誰かが掴む感触がした。突然のことで、私は思わず身を固くする。
そいつは私よりも大きな背丈を俯くように折り曲げ、ぜえはあと大きく肩で息をしていた。視界の端で、特徴的な白い髪がわずかに上下する。見なくても、誰かくらいすぐにわかった。……なんだ、もう見つかってしまったか。
「おや悟。久しぶりだね」
「お、おま、えら、どこ……、ほっつき歩いて、っんだよ!」
人目もはばからぬような大声で悟は言う。その額には大粒の汗が浮いていた。彼がこんなに必死になっているのは随分と久しぶりで、それも相まってかなり滑稽に見えた。
「あれ!? さとるー偶然だねえ!」
レジから帰って来た汐音が驚いたような表情で言う。任務だったばー?なんて聞いているところからして、状況が全くわかっていないらしい。悟は気が抜けたように大きくため息をつくと私達の腕を両手でしっかりとつかんだ。その握力に決して逃がさないという意志の強さが現れている。
「……とにかく高専帰るぞ」
言っとくけど夜蛾センも硝子も怒ってたからな。そう静かに付け加えた。
高専に戻ると、仁王立ちで般若の夜蛾先生が出迎えてくれた。背後に怒りのオーラを見てしまった汐音が短く悲鳴を上げてそっと私の後ろに隠れる。そのままふたりそろって説教を受けた。まあ、ほとんど無断で1ヶ月帰らなかったのだ。怒られても仕方ない。それを汐音もわかっていたのだろう、特に言い逃れも反論もせず黙って説教を受け入れていた。しっかりたっぷり1時間ほど叱られたのちに、夜蛾先生は「夏油」と私の名を呼んだ。
「しっかり休めたのか」
その一言は先ほどまでの怒りに満ちたものとは違っていた。思わず顔を上げて、改めて夜蛾先生の顔を正面から見る。まるで息子を心配する父親のような表情に、私は一瞬息がつまった。故郷の父の姿が頭に過る。
「……はい」
私の返事を聞いて、夜蛾先生は表情をわずかに緩めると「それならいい」と返した。そのまま寮に帰されそうになったところで、私から話を切り出す。
「先生に、お話したいことがあって。……できれば悟や硝子にも聞いてほしいんですが」
そこから再び長い長い話し合いが始まった。非術師を守りたいと思えない事をはじめとした、私の考えていたことをすべて話して意見を交換する。この話し合いで分かったのは、意外とみんなの非術師に対する考え方が違っていたことだ。無条件に守るべきという人もいれば、そう思いつつも内心抵抗感が拭いきれなかったり。非術師にも色々いるように、術師の中にもいろいろな思想を持った人がいるんだと気付くことが出来た。最初から思っていた通りやはり完全な答えは出なかったけど、すごく貴重な時間だったように思う。前半は。……そう、前半は。
この長い話し合いの後半はほとんど私と悟の罵り合いというか、大喧嘩になってしまったのだ。きっかけは本当に些細なことだったけど、今となっては覚えていない。話しているうちに互いにヒートアップして、ふたり揃って教室を出て直接やり合った。悟と術式込みで戦ったのは本当に久しぶりで、私達は何もかもを忘れて戦い続けた。
結果、この話し合いは5時間で終結した。校舎半壊というオプション付きで。ちょうど任務から帰った後輩に「先輩たち派手にやりましたね!」「流石にやりすぎでは」と言われたのは想像に容易いだろう。
その後、当たり前だが私と悟には揃って謹慎処分が下された。悟が1ヶ月で私が3ヶ月だったのは恐らく無断外出の件も含めてだろうと思っている。
謹慎中という身分のため任務もなく、もちろん授業にも出られず、暇を持て余した私の部屋にクラスメイトはよく遊びに来た。単純にたまり場にされているだけの可能性もあったが、今は考えないでおこう。悟の謹慎が明けてからは汐音が特によく遊びに来ていた。今日会ったことを色々と語って聞かせてくれるその時間が、私の唯一の楽しみだった。
そんなある日。いつものように私の部屋を訪ねてきた彼女はこう言ってきた。
「勉強を教えてほしいんだけど……」
その手にはセンター試験対策用の問題集を持っている。大学受験対策? なんのために? もしや卒業後は呪術師を辞めるつもりなのか? そういえばこの間夜蛾先生と話しているところを見かけたような……。様々な考えが一瞬にして脳裏を駆け巡る。だがそれを表情には出さなかった。
「何かあったの?」
そう問いかけると汐音は優しく微笑みながらローテーブルを挟んだ私の向かい側――彼女のこの部屋での定位置だ――に腰かける。とん、と参考書がローテーブルに置かれた。
「実はね、やりたいことができたわけよー」
「やりたいこと?」
「今の高専ってさ、身体のケアはできても心のケアまでは出来んさーね。だから、それをしおんがやろうと思って」
その勉強と資格を取得するために卒業後は呪術師を続けながら大学に進学したいんだと。彼女はそう言った。
「すぐるーの時は友達だから気づけたけど、もし気づかんかったらって思うとでーじ怖いさー? だから少しでも、そういう人の助けになりたいなって思ったわけよー」
……それを聞いて、若干胸がざわつくのを感じた。
そんな私の内心には気づくことなく、私のそばで早速勉強を始める彼女。その顔を見ながら、先ほどの違和感について考えるけど自分ではよくわからなかった。ふと顔を上げた彼女と目が合う。
「どうかした?」
「別に? なんでもないよ」
「もしかしてもう
慌て始める彼女に私は静かに微笑んだ。さっきのは気のせいだ。きっと。
……その日の夜だった。灰原が任務中に死んだと知らせが入ったのは。
夜蛾先生からの報せを受けて医務室に駆け付けると、既にそこには後輩が目を閉じて横たわっている。その身体に温もりがないであろうことは直接触れなくても分かった。汐音は私よりも先に到着していたようで、壁にもたれかかる様に脱力している七海の傍に立っている。私の姿を見るなり、彼女の表情がくしゃりと歪む。
「すぐるー、」
「わかってるよ。……状況は?」
私は静かに尋ねる。七海から先に聞いていたのだろう。知らされていた階級とは違う任務だったのだと汐音が端的に教えてくれた。……よくあることではあるが、それを今ここで言えるほど私は薄情じゃない。とりあえず現在任務中の悟に後を引き継ごうと電話を取り出した時、思わず私は携帯を取り落としそうになった。
彼女が黙って七海を抱きしめていたのが目に入ったのだ。
七海にとっても突然のことだったようで、一瞬の静寂の後に戸惑ったように汐音に問いかける。
「……何のつもりですか」
「けんとーがしんどそうだと思ったら身体が勝手に、ね」
汐音は七海よりも背が低いけれど、七海が座っているから今は汐音の方が頭一つぶん視線が高い。そんな彼女の肩口に七海の顔を軽く押し付けるように汐音は七海のことを抱きしめていた。そっと、背中と後頭部に手までまわして。
「けんとーが帰って来てくれただけでしおんはうれしいさー」
「でも」
「でもも何も無いよ、けんとーは気にするかもしれんけど」
七海の言葉は傍から見てもぶっきらぼうで、弱っているのがよく分かる。そんな彼を落ち着けるように汐音は穏やかな声で言った。
「命どぅ宝どー、けんとー」
「なんですか、それ」
「沖縄の方言でね、命が何よりも大切って意味の言葉さー」
「たい、せつ」
七海の琴線に触れたのか、その声がわずかに震える。
「……でも、そんなの」
ぶらりと下ろされていた指先に力が入る。
「失ってしまった後には何の意味もないでしょう」
七海がぐっと唇を噛んだのがわかった。こちらからは聞こえないような音量で、七海は彼女に話をしている。いや、七海としては会話をしている意識もないのかもしれない。ほとんど一方的なただの独白を、彼女は時々相槌を打ちながらも静かに聞いていた。いてもたってもいられなくなって、私は黙って部屋を出る。
そこで、じくりと自身の胸が痛むのがわかった。
「……なんだこれ」
***
「知るかよ」
悟はバッサリと言い捨てた。その顔には至極めんどくさそうな表情が浮かんでいる。
夕暮れ時。男子寮と女子寮の間の渡り廊下。そこにあるちょっとしたスペースで私達は話していた。謹慎が開け任務帰りの悟は制服、私は普段着なのが若干違和感を感じる。初めはたわいない話だったのだが、流れで数週間前に感じたこの違和感を悟に話したところ冒頭の言葉を投げつけられたのだ。私はわざとらしくちょこっと眉を下げながら、
「ひどいな。これでも悩んでるんだよ」
だが悟は特に聞いちゃいない。ベンチにどっかりもたれかかり長い脚を目いっぱいはみ出しながら「じゃああれだ」と適当に思いついたように言う。
「飼い犬が他の奴に尻尾振ってるのが許せない飼い主の嫉妬って感じか?」
「……いや、それは違うと思う」
それならもっと前、灰原と仲良くしているところを見て思ってもおかしくない。ならばなぜ今なのか。そう考えた時に真っ先に脳裏に過るのは、彼女が七海を抱きしめている光景だった。どうしてこの光景が浮かぶのかも、よくわからない。
「何の話してんの」
不意に混じる第三者の声に、私達はぱっとそちらを見た。硝子だ。ちょうど任務が終わったところらしく、その服装は見慣れた制服に白衣をまとったものだった。煙草をくわえる彼女に、かくかくしかじかでと簡単に話の流れを説明する。そういえば硝子には汐音のことを犬っぽいと思った話をしていなかったったような気がする。けれどもう話し始めたところだったので止めるわけにもいかず、いい塩梅にそのことを盛り込みながら話した。
すべて聞き終わった硝子は煙草の煙を吐き出しながらきっぱりと言う。
「それ惚れてるんじゃないの? 汐音に」
「……え?」
「いや、だってそれ、好きな子が他の男といちゃついててムカつくって話に聞こえるんだけど」
違った?と硝子が小首を傾げる。きょとんとしたまま言葉を失う私に代わって悟が反論した。
「ちげーってそれ、前傑が言ってたし」
「そうなの? 話を聞いてる限りではそんな感じにしか聞こえなかったけど」
悟と硝子の会話がどんどん遠くなっていく。私が、あの子に、惚れてる? 確かに大切だとは思うけど、この感情がそうなのか? でもこれが恋だというのなら、一体今まで経験してきたものはなんだったんだ。
「……私は、」
そこで唐突に硝子の携帯が鳴った。はい、はい、と慣れたように応答してたけど、不意に顔を上げてこちらに問いかける。
「ふたりとも、汐音から何か連絡来た?」
「いや」
「来てねーけど」
「来てないそうです」
そして何度か応答した後、電話を切った。
「何の電話?」
「夜蛾セン。なんか任務に行ってから汐音と連絡が取れないって」
「マジ?」
「うん。もう終わっててもおかしくない時間なのにってぼやいてたよ」
硝子の言葉に胸がざわつく。彼女と連絡が取れない? ……まさか、何かあったのか?
「汐音の任務って確か、××県の○○辺りだったよね」
「確かそうだったと思うけど」
それを聞いた途端、私は悟の静止も聞かずにその場から走り出していた。
【ざっくり! 沖縄語解説】
・命どぅ宝……命こそ何事にも代えられない宝物という意味。