小学2年の春、出会いは突然やってきた。
桜が降る季節。学校は丁度春休みである。夕方頃、俺が外で施設外の友達と遊んで帰ってくると共同スペースになんだか人だかりができていた。なんでも、施設に新しい子がやってきたのだという。
3つ年下の幼稚園生の女の子。名前は十六夜色というらしい。
別に興味もなかったのだが、その人だかりを通るのが自室への近道であったため人混みをかき分けるように進んでいく。すると誰かに押し出されるような形で人だかりの中心付近に出てしまった。その結果、偶然その新入り少女と対面を果たすことになったのだ。
まず第一に、寒そうな子だと思った。
季節は春だがこの時期はまだ風が冷たく、ほとんどみんな長袖を着ていた。なのにその子はあろうことか半袖短パン裸足。明らかに季節感を間違えている。その上丈の短い洋服から見える木の枝のように細く白い手足は包帯まみれだった。事故にでもあったのだろうか。人形のような大きな黒目と小さな口。肩より上で短く切りそろえられた髪。
「おい」
この時何故俺は声を掛けたのだろう。そのまま立ち去れば良かっただろうに。今となってはよくわからない。
俺が思った以上に大きな声を出したためか、周りのざわめきが多少収まった。俺の声を聞いてこちらを振り向いた幼い少女――色の髪が揺れる。その大きな黒いガラス玉が、俺の姿を捕らえた。わずかに目が見開かれる。
「俺は降谷零。零でいいよ」
よろしく。ぶっきらぼうに、一方的に名乗って右手を差し出す。周りはそんな俺たちの様子を見守っているようである。対する色はといえば、先ほどよりも目を大きく見開いて固まってしまっていた。名乗った後にそんな反応をされたのは初めてだ。
どうしたのだろうと少し覗き込むように色との距離を詰める。
すると、人形のように大きな瞳から何の前触れもなく、ぼろりと透明なしずくが零れ落ちた。
「え」
まさか泣かれるとは思ってなくて、思わずぎょっとして差し出した右手を引っ込めた。
「あー! 零が女の子泣かせたー!!」
すかさず周りがはやし立て始める。違う! 俺は何もしてねえって! そう弁解するが周りの男子は面白そうにげらげら大声を出して騒ぎ、女子は俺のことを最低な奴だとでも言いたげな目で見て泣き出した少女の周りを囲む。色はいまだにぽろぽろと零れるしずくで頬を濡らして俺のことを黙って見つめている。
結局そのあとすぐに先生がやってきて騒ぎは収まり、俺は別室に呼び出されてこっぴどく注意された。
***
「納得がいかねえ」
ぶつくさ言いながら俺は夜の施設をひとり歩いていた。
別にやましいことをするわけではない。ただトイレに行って自分の部屋までの帰り道を歩いているだけだ。
月明かりだけが唯一の光源である夜の施設はなんだか不気味で俺は少し早足になりながら自室へ急ぐ。
それにしても夕方のあれは一体何だったんだ。俺はただあの女の子に声を掛けて挨拶をしただけなのに。……まあ、多少ぶっきらぼうな言い方になってしまったが。それでも決して酷いことを言ったわけではない。それなのに、どうしてあの子は泣いたんだ?
うんうん考えながら歩いていると、ふと風の流れを感じた。俺はぴたりと足を止める。それでもなお風は俺の正面の方から流れてきていた。
当然ながら、寝る前に施設の出入り口や窓は全て施錠される。なのに風の流れを感じるとはどういうことだろう。
「まさか、泥棒?」
1つの可能性にたどり着いた俺は自分で言って身を固くする。先生はみんな寝てしまっているだろうし、起きているのは俺だけだ。
これを確かめられるのは俺しかいないのではないか?
人一倍の正義感だけはあった俺はその真偽を確かめることにした。
ひたひたと足音を消して歩き、風の流れの出元を探る。もし本当に泥棒だった場合に先生の部屋まで知らせに走るルートは頭の中に描かれていた。作戦は我ながら完璧である。
しばらくじっと歩みを進めると、どうやら出元は小学生以下の子たちが暮らす棟の辺りらしかった。
この施設は小学生以下、小学生、中学生で生活する建物が別れており、その建物達は上から見るとコの字を90°右に回転したような形に配置されている。その内左の縦線にあたるのが小学生以下、右の縦線にあたるのが中学生、下の横線にあたるのが小学生の建物だ。
ちなみにコの字の空いた真ん中のあたりに建物が1つあり、それがみんなが使える共同スペースである。共同スペースはどの建物からも同じ距離にあり、放射状に屋根付きの渡り廊下が伸びていてすべての建物と繋がっていた。
俺が今いるのは小学生棟の左端。この角を曲がれば小学生以下の棟だ。相変わらず風は向こうから流れ込んでくる。
俺は壁にぴたりと背を付け、いちにのさん!で角を曲がった。雰囲気づくりに、意味もなく指で作った拳銃を構える。
廊下には誰も居ないようだった。だが、なんとなく人の気配を感じて俺はそのまま歩みを進めることにする。
ゆっくり進むと、思った通り窓が1つ空いているようだった。あの窓は確か外に小さなバルコニーがあったはず。指拳銃を構えながら壁に背を付け、自らの肩越しに窓の外を見る。
するとそこには、拍子抜けするくらい小さな背中がちょこんと座っていた。