昨晩は髪を乾かしている最中に色がすやすやと眠ってしまったため、仕方なくベッドで寝かせて俺自身はソファで寝たのだ。閉じられた自室のドアをコンコンとノックする。返事はない。まだ寝てるんだろう。
「入りますよ」
一応声を掛けてから部屋に入る。俺の部屋なのになんだかおかしいなと思ったがこの際どうでもいい。
カーテンが閉め切られた部屋のベッドの中で、色はあどけない顔をしてすやすやと眠っていた。……こうしていると年相応の普通の少女に見えるから不思議だ。本当はもうしばらくその穏やかな寝顔を見ていたかったが、朝食が冷めてしまうだろう。
「色、朝です。ご飯が出来ましたよ」
声を掛けてからきっちり5秒後、色はぱちりと目を開けた。それから2回まばたきして、そろりと黒目を動かして俺を視界に入れる。
「おはようございます」
「……おはよう、ママ」
ナチュラルにママ呼びが定着している。まあ、別に減るもんでもないから構わないが……なんだか慣れないな。
「朝の挨拶は知ってるんですね。ご飯出来ましたから、顔洗ってきてください」
「ん」
小さく返事をして、上半身をもたげる。その際胸の上までかけられていた布団がわずかにずり落ちて、ぶかぶかのスウェットが目に入った。
……そういえばこの子、俺の服貸したまま寝たんだった。
というかよく考えなくても、この子今上の下着つけてないんじゃ……。
色々思い出して途端に目のやり場に困ってしまった俺を見て、色は不思議そうに首をかしげるばかりだった。
***
色が顔を洗っている間、出来上がった朝食をダイニングテーブルに並べる。久しぶりにちゃんとした朝食を作った気がするな。最近多忙で、どうしても食事がおざなりになってしまっていたから。
並べ終わってしばらくするとのろのろと色が姿を現した。朝が弱い子なんだろうか。いつもよりも動作がゆったりしている気がする。なんだか彼女の人間らしい一面を見てしまったような気がして、少しだけ笑みが零れそうになった。なんとかそれに気づかれぬように、俺の向かいの席に座るよう色に言う。彼女は小さく頷いて大人しく座った。
俺が手を合わせ食前の挨拶をすれば、少し遅れて色も真似るように同じ動作をした。箸を手に取り、食事を開始する。会話ひとつ無い、静かな朝食だった。
自分の食事をしながら、色の食事の様子も逐一チェックする。背筋を伸ばして静かに食事をする姿はとても様になっていた。箸の使い方も問題ない。
それと、流石成長期である。昨日の様子からして少食なのだろうと少し少な目に用意した朝食だが、案外ペロッと平らげてしまいそうだ。
「えと。ご、ごちそうさま、でした」
俺の予想通り、色は一足先に食べ終わったようだ。たどたどしく食後の挨拶をする色。よくできたと褒めてやれば少しだけ表情が緩んだ気がした。実際ほとんど表情は動かなかったけれど。気がしたんだ、ほんとに。
「食べ終わった食器はあっちの流しに持って行って、水に浸けておいてください」
「うん」
俺の言葉を聞くと色は軽く了解した。そのまま食器を重ね、とてとてと流しに運ぶ。俺はスクランブルエッグの最後のひとかけらを口に入れた。久しぶりに作ったけど、腕がなまってなくてよかった。ぐび、とみそ汁を口に含み、飲み込む。
ごちそうさまでしたと手を合わせ、食器を流しに持っていくとまだ色はじっとシンクを見ているようだ。そんなに見て面白い物でもないだろうに。というか随分長い間、水を出して――
そこで俺は思わず固まった。
――シンクが並々水で満たされ、その中で食器がまるで泳ぐように漂っている。
「水に、浸けた」
色はきゅっと水を止め、俺を見上げるようにして言ってきた。そうか、言葉足らずだったか……。俺は思わず吹き出しそうになった。何とか堪えたが色は不思議そうにこちらを見上げている。
とりあえずシンクの水を抜き、次からはこの洗い桶に水を溜めてくださいねとやんわり言えば色は素直に頷いた。飲み込みが早いのがせめてもの救いか。ついでに食洗器の使い方も教えておこう。丁寧に手順を教えると色はふんふん頷きながら聞いていた。
一通り教え終わったところで時間を確認すれば午前10時。ちょうどいいだろうか。
「今日は買い物に行きますから、一緒に支度しましょう」
「わかった」
「それと、出かける前にいくつか約束を決めておきましょうか。いざというときのために」
色はこくりと頷いた。俺は指をぴんと立てて事前に考えておいた約束を告げる。
「といっても2つだけですけどね。『誰かに話しかけられても僕がよしというまで話さない事』『目立つようなことをしない事』。それだけです。守れますか?」
「大丈夫だよ、ママ」
「……1つ追加。『一般人がいる時には僕のことをママと呼ばない事』」
「わかった。じゃあ、何て呼べばいい」
「………………透兄さんで」