18 My fair Ladyに

 バイトの最中、急に着信があったもんだから誰からかと思えばベルモットだった。曰く、今仕事を終えたところで、ホテルまで送って欲しいんだと。やっぱり彼女、俺のこと足としか思っていないんじゃないかと眉間にくっきりとしたしわを寄せたが、実際に俺の口から飛び出したのは了解の旨を伝える言葉だった。

 彼女は現在地を告げ、じゃあお願いねと言って一方的に電話を切る。
 ため息が零れたところを梓さんに見つかってしまった。何でもない風を装って取り繕い、急な用事が出来たから早退させてほしいことを告げる。彼女は仕方ないですねと困ったように笑って了承してくれた。彼女には本当に頭が上がらない。今度何か差し入れと称してお詫びの品でも渡そうか。

 ポアロを出て車を走らせる。ベルモットが告げた場所に向かえば、居た。金髪ブロンドを風に靡かせ、壁にもたれて退屈そうに煙草をふかしている。目の前に付ければ煙草の火を消して無言で乗り込んできた。俺も何も言わずに発進する。

 彼女と二人になる時の車内は大抵2パターンある。饒舌な場合とそうでない場合だ。今日はどうやら後者であるらしい。
 だが不機嫌というわけでもないようだ。彼女はこちらに構うことなく窓の外を見ながら懐かしい歌を小さく口遊んでいる。London Bridge is falling down, Falling down, Falling down.滑らかな発音である。流石外国人。

「そういえばバーボン、あの件はどうなってるの?」
「順調ですよ。このまま予定通りに進められるかと」
「ならいいわ」

 俺の言葉に満足げに返答すると彼女はまた口遊み始めて、すっかり自分の世界に入ってしまった。俺は彼女に気付かれないように小さくため息をつき、そっちがそうならと頭の中で今後のスケジュールを整理し始めた。

 彼女が告げたホテルはここから割と近かったし、彼女を送り届けたら一度自分のデスクに寄ろうか。書類も提出したいし……って車に乗せてないんだった。参ったな。まあ急ぐものでもないし明日でも別に大丈夫だろう。
 あ、そういえば冷蔵庫の中が大分寂しくなってたな……ふたり分作ると流石に減るのが早い。後でスーパーに寄ろう。今日の夕飯は何にしようか。色は今日仕事で出ているが夜には帰ると言っていたから夕食は二人分必要だろう。
 そういえば色、今日は初めての相手と仕事だって言ってたな。うまくやれているだろうか。あの子のことだから心配ないとは思うけれども……。

 共同生活をするようになってから暫く経つが、生活は想定していた以上に順調である。

 相変わらず言われたことだけならなんでも完璧にこなす"人形"の彼女であったが、少しずつ信頼は得られているようだ。ママ呼びが何よりの証拠だろう。一時的な同居人と母を重ねるなど、普通はしない。なのにあの子は俺のことをママと呼んだのである。そういうことだ。
 最初呼ばれた時は流石に驚いたが、もうすっかり慣れてしまっている。自分の順応スピードには驚かされてばかりだ。

 車は交差点の赤信号で停止した。ふと視線をずらすとファミリーレストランが目に入る。色と外食した経験は皆無だなとか、そんなことをぼんやり考えた。今度休みが奇跡的に被ったら連れて行ってやろうかな。どんな反応をするだろう。ふふ、と自然に笑みが漏れる。

「随分楽しそうね、"ママ"」

 はっと我に帰る。咄嗟にその言葉を発した張本人を見れば、まるで悪戯が成功したのを嬉しがるように碧眼を細め、妖艶な笑みを浮かべていた。

「間抜けな顔。かなり手を焼いてるのかしら……"My fair Lady(可愛いお嬢さん)"に」

 クスリと声が漏れた。
 それを聞いて作った仮面が剥がれていたのをようやく自覚した俺は、まるで何事も無かったかのように作った笑みを張り付けて曖昧な返答をする。信号は青に変わり、車は再び動き出した。

「彼女との生活はどう? うまくいってる?」
「ええ、滞りなく毎日を過ごしていますよ。なんならずっと一緒に暮らしていたいくらいだ」
「あら、ああいうのが好みなのね」

 意外だわ。愉快そうにつぶやくベルモットの形のいい唇が弧を描いた。

「好み……というか、目が離せないんですよね。危なっかしいので」
「尽くすタイプなのね」
「……そうかもしれませんね」

 目線は真っすぐ正面を向いたまま適当に返答する。目線なんかやらなくても、彼女の表情は大体想像がついていた。

「そうそう、分かってると思うけど、あの子は組織の大切な"人形"……。あなたは一時的に預かってるだけよ。独り占めしようなんて考えない事ね」
「肝に銘じてますよ」
「どうだか」

 彼女はそう言って唐突に「ここでいいわ、降ろして」と声を掛ける。言われたとおりに近くの路肩に停めれば俺の言葉を待つことなくドアを開けて、するりと外へ出た。
 そうそう……と思い出したかのように彼女は付け加えた。

「妹をよろしく頼んだわよ、バーボン」

 bye.そう軽やかに言って、彼女はカツコツ靴音を響かせながら去っていった。

「妹……だと」

 ――一瞬にして脳内大混乱に陥ってしまった俺を置き去りにして。