20 戸締りはしっかりしてくださいね

 草木も眠る丑三つ時。

 安室とバーボンの家であり、色と共同生活を送るこの家に俺はそろりと音を立てずに帰宅した。今の今まで組織関係の取引の仕事だったのだが、それがようやく終わったのだ。こんなに長引くとは……完全に予想外だった。思わずため息が漏れる。
 そろりと色の部屋を覗いてみると、布団がこんもり膨らんでいる。寝ているようだ。なるべく音を殺してドアを閉める。

 仕事が終わったばかりで正直眠いが、後数時間もしないうちに今度は公安の方に顔を出さねばならなかった。汗を軽く流す程度にさっとシャワーを浴びて、真新しいYシャツに袖を通す。スーツ用スラックスに足を通してタオルを首にかけると、今度はキッチンに向かった。色の朝食を用意しておこうと思ったのだ。自分の分は後でコンビニで簡単に済ませる予定だが、育ち盛りの色はそうはいくまい。なにより普段から栄養バランスの整った食事をしっかりとるようにと口酸っぱく言い聞かせているのだから尚更だ。

 超特急で簡単に作ったおかず数種を皿に乗せ、色専用のトレーの上に乗せてからラップをかぶせる。茶碗が伏せられているのを見れば、色が自分でよそうだろう。前に似たようなことがあったときにしっかり教えたため、大丈夫だと思いたい。……のみ込みが早いのが、あの子のいいところだからな。

 ついでに頭の中で色の今日の予定を思い出す。確か今日何も予定は無いと言っていたはずだが……。その時ふとあることを思い出した。先ほどシャワーに入ったとき、シャンプーがなくなりかけていたのだ。確か詰め替え用も無かったはず。あー後で買い物に行かないと、とげんなりしたところでひとつ考えが思い浮かぶ。

 そうだ、どうせなら色に頼もう。

 買ってもらうのはいくつかの日用品だからそこまで重くないだろうし、それに普段買い物に利用する近所のスーパーは色とも何度か訪れたことがある。ざっと距離を頭の中で測ってみるが、あの子の足でも10分はかからないはずだ。
 そうと決まれば早い。近くにあったメモ用紙をちぎり、買ってきて欲しい物のリストを作る。その近くに商品代金より少し多いくらいのお金を入れた財布を置いておいた。

 それからこの間買っておいたものも。俺は鞄から色のスマートフォンを取り出してテーブルの上に置いた。
 この間それとなく仕事の連絡手段の話になったときに「携帯を持ってたけど仕事で壊した」とあっさり答えたから買っておいたのだ。因みに機種は色が以前使っていたというものと全く同じものである。もう一枚メモ用紙をちぎって、そちらに書き置きを残す。

 『朝食を作っておきました。夜には帰りますから、昼は何か買って食べてください。それと、僕が帰ってくるまでに買い物をお願いします。リストは財布の下に。机の上のスマートフォンはあなたのものなので、出かける時は必ず持っていくこと。あと、戸締りはしっかりしてくださいね。』

 最低限だが、これくらい書けば大丈夫だろう。色をひとりで外出させるのは少し不安だが、(推定)中学生ならお使いくらいはいけるはずだ。流石に。

 そうこうしているうちに、もう家を出なければ行けない時間か。少し名残惜しく思いながらも、俺は身支度を整えて家を後にした。


***


 ああまたこの夢かと、私は思った。

 目の前にいるのは、見ず知らずのうつくしい子供。
 首輪につながれたその子は、一糸纏わぬ姿で、膝を抱えて座っている。性別の判断は出来ない。細く伸びた手足。陶器の様に色を持たない滑らかな肌。揺れる髪は短く、肌とほとんど変わらない色をしている。首輪を繋いだ鎖はどこに繋がっているのかわからない。

 扉も窓も無い立方体の部屋は無音で、どろりとした液体状の空気が天井まで詰まっている。ここの部屋全てが墨のように黒く、淀み、息をするのも重い。

 白い肌をした子供は、何を言うのでもなく、ただ、じいっとこちらを見ている。長い睫毛に縁取られた、ふたつの澄んだ美しい目玉がこちらを見ている。その目の色は様々な色が入り混じっていて明暗だけでは色の判別ができない。

 その子は口を持っているが、声が聞こえたことはまだ無い。はくはくと口を開閉しているのは数度見かけたことがあるが、その声が私の鼓膜を震わせたことはなかった。「君は誰だ」と話しかけても、答えてくれたことはない。

 大概その子は無表情であったが、時々涙を流しているようだった。こちらを見ながら、ただじいっと涙を流していた。あの美しい、澄んだ両目から、透明な涙がはらはらと、音もなく零れ、黒い空気に混じって溶けた。

 そして、夢が終わりそうになるとその子供はきまってゆっくりと目を閉じ、足元からほろほろと崩れて、黒い空気に溶解する。全て溶けて無くなったところで、私は水中から浮かぶように目を覚ますのだ。

 何度も見た夢だ。特に意味もわからず、幼い頃から繰り返し見る夢。

 今日もその子は私の目の前に座っていて、じっとこちらを見ていた。特に何かを伝えるでもなく、ただそのぎょろりとしたガラス玉のような目玉に私の姿を映すだけ。水の中にいるように、柔らかく髪がゆらゆらと揺れている。

 私も慣れたようにその子の目を見つめる。するとその子はうっすらと目を細め、口を動かした。

「ーーーーー」

 何を言ってるのかはわからない。ただ口を動かしているのが見えるだけ。
 そして両目から涙をはらはらと流して、子供はゆっくりと目を閉じる。足先には既にヒビが入っていた。

 夢が終わる。

「……」

 気が付けば私は目を開けていた。目に映るのは、すっかり見慣れたママの家の無機質な天井。カーテンの隙間からはうっすらと光が差し込んで来ている。

「今になって、あの夢を見るなんて」

 私は手のひらを透かしてみるように真っすぐ天井に向かって伸ばしながら、先ほどまで見ていた夢を思い出した。真っ白い子供の夢。幼い頃から繰り返し見る夢だったが、最近は……というかここ5年近くは見ていなかった。なのに、なぜ今になってまた。

 理由はわからないが、今は夢の原因を探るよりも重要なことを優先するべきだろう。
 私は身支度を整えるべく、ゆっくり布団から起き上がって寝室を後にした。