それからこれも、と言って今度は家の鍵らしきものを私に手渡した。小さな金属製のそれはひやりとしていて、大人しく私の手のひらの上に乗せられている。一体何を考えているんだと思っていると昴さんが説明してくれた。
「まず君が先に降りて玄関のドアの前まで向かってください。手前の門には鍵がかかってませんから押せば開きます。それからこの鍵を扉についている鍵穴に差し込んで回せば扉が開きますので開けておいてください。開けたら傘を閉じて、僕が来るまで濡れないように入り口付近で待機。僕は車を車庫に入れた後に荷物を持って向かいますから」
窓の外の玄関を指さしながら昴さんは出来ますか?と問いかけた。私は小さく頷き、早速言われたとおりにしようとすれば昴さんが軽く付け加える。
「ドアを開けたらすぐに傘を開いて、なるべく濡れないように気を付けてくださいね」
「わかった」
言われたとおりに車のドアを開けてすぐに傘を開く。すとんと地面に足をつけて車から降り、指示通りに玄関に向かった。鍵のかかっていない門を難なく突破し、敷地内に侵入する。未だにざあざあと降り続く雨はコンクリートの地面を必要以上に濡らして水たまりを作っていた。
『なるべく濡れないように』との指示通りに水たまりを避けつつ進めば無事に玄関に到着した。渡されたカギを鍵穴に差し込んで回せば、何かが噛み合う感触。試しにドアを引いてみれば難なく開いたようである。
傘を閉じている間に、昴さんが玄関まで到着したようだ。右手に傘、左手に購入した荷物を持っている。すると昴さんは私の手に購入した荷物を持たせた。そのついでに私が持っていた傘をするりと奪う。
「これをひとまず家の中に入れてください。入ってすぐに一段高くなっているところがありますから、そこに置いて」
そう言って彼は扉をぐいと大きく開いた。どうぞと促されるままに中へ入る。がさりとレジ袋を言われたとおりの場所に置けば、傘を閉じた昴さんが玄関の中に入ってカシャンと内側から玄関の鍵をかけた。そしてすぐに靴を脱いで置かれたレジ袋を持ち、家の中へ入る。
「色さんもついてきてください。案内しますよ」
靴はちゃんと脱いでくださいねとの指示の元、きちんと靴を脱いでから、昴さんに案内されるまま室内を歩く。
外観からしてすごく立派な建物だと思っていたが、内装も負けてはいなかったようだ。あちこちにお洒落な装飾が施された内部は家主の細かいこだわりを反映しているようである。きょろきょろと視線を動かしていると、前を歩く昴さんがちらりとこちらを振り返って口元だけで小さく笑った。
しばらく歩いているとリビングに到着したようである。大きなテレビと寝そべってもまだまだ余裕がありそうな広いソファが部屋に鎮座していた。
「少し座って待っていてください。荷物を置いてきます」
昴さんはそう言って部屋を出ていった。私は言われたとおりにソファにちょんと腰かける。ふかふかとしたクッションを持つソファが私の体重分変形し、身体がずぐりと沈み込む。ママの家にあったものとはまた違った感触だ。
ソファに座ったまま視線を巡らせていると窓を発見した。カーテンは開いており、外の様子が容易にうかがえる。雨はまだ降り続いていて弱まる気配は微塵も感じられない。これはもうしばらく昴さんの家に雨宿りさせてもらうことになりそうだ。
「ココアをいれたんですが、飲みますか?」
いつの間にか戻ってきていた昴さんがテーブルの上にことりとカップを置いた。私は小さく礼を言って、カップを手に取る。何もためらうことなくカップに口をつけて、中身を口に含み、飲み下す。とろりとした液体は私の舌を甘く濡らした後、へばりつくように喉奥に消えていった。
「お口に合いますか?」
斜め前のソファに腰かける昴さんが柔らかい笑みで聞いてきた。私が頷くとそれはよかったと安心したように昴さんは言って、自身のカップに口をつける。私もつられてもう一口含んだ。
そうしているうちに、だんだん意識がぼんやりしてくる。
雨音が心なしか遠のいている、ような……――
***
ずるずると長引いた会議からようやく解放され、俺は数時間ぶりに自分のデスクに戻ってきていた。時計はもう夕方に近い時刻を指しており、どれだけ会議が長引いたか痛感する。
窓の外を見ると会議が始まる前には振っていなかった雨がざあざあと降っていた。遠くの空も真っ黒であるからこれはしばらく止みそうにないな。下手したら雷雨になるかも。一応車に傘を積んでおいてよかった。
そういえば色はどうしているだろう。どんなにかかっても買い物に2時間以上かかるとは思えないから、流石に家に帰っているだろうか。雨に降られていなきゃいいけど。そう思いながらPCを起動し、流れるような手つきで色の携帯のGPSを確認するページを開く。数秒間読み込み画面が表示され、画面中央に赤く点滅する光が現れる。続いてその周りの地図が徐々に表示されていく。
さあて色はいまどこに、そう思って地図を詳しく見始めた俺自身の顔から徐々に表情が消え失せていくのを感じた。
赤い光が点滅している場所が、紛れもなく工藤邸だったのである。