31 思い出せない

 どんよりとした雲が空を覆い、ざあざあと滝のような雨が降り続いている。
 私は壁伝いに、半分身体を引きずるようにしながら人気のない道を歩いていた。

「っは、……」

 今日の任務はとある組織の施設からメモリーカードを入手するというもの。こういった任務は私の扱いに慣れているパパやママと組んで行った方がやりやすいのだが、生憎ふたりとも別の任務についている。そのため仕方なく情報収集を得意とする別の男とふたりで任務にあたっていた。

 いつものように男が別の場所で指示を出し、私がそれを受けて単身乗り込む。任務は成功。メモリーカードは無事に手に入れたのだが、施設から脱出する際に、運悪く敵組織の構成員に見つかってしまったのだ。指示を仰ごうとしたが、イヤホンの先からは狂ったようにノイズが聞こえるのみ。男は先にやられてしまったらしかった。

 私は昔からパパに言い聞かされている『何があっても必ず戻れ』という言いつけを遂行すべく、持っていた武器をフル活用して、追っ手を撒いたり始末したりしながら命からがら脱出した。のだが……正直、まずい状況である。

 追っ手は流石にもう来ないだろうと、壁に背をつけてもたれかかり、腹部を見る。潜入用に着たスーツは白いシャツが血で染まり、押さえている左手を伝って地面に流れ落ちていた。

 戦闘中にうっかりナイフで刺されてしまったのだ。勿論刺してきた相手は秒で倍返しにしてやったが、その怪我でさらに飛んだり跳ねたりしたのが思っていた以上に身体に負担をかけてしまったようだ。以前ならこれくらいどうってことなかったんだが……年かな。
 
 雨で服が水を吸ったせいもあり、肌に張り付いて動きにくいし、身体が重い。煩わしくて、上に羽織っていたジャケットを脱いで地面に落とした。

 とりあえず、パパにメモリーカードを入手したことをパートナーが死んだことも含めて報告すると、パパは今野暮用で東都に居らず、2日後にメモリーカードを受け取りに来るらしい。通話を切り、履歴を消して、携帯をポケットにしまう。

 さて……これからどうするか。この出血を放っておくわけにはいかないが私の立場上、普通の病院に行くことは難しい。これまでだと組織でも仲がいい凄腕の闇医者に頼んでいたのだが、確か彼女は今珍しく任務をしていると聞いている。

 ふとママの顔が浮かんだため連絡しようと携帯を取り出してみるが、電源が入らなかった。何度試みても同じである。壊れてしまったみたいだ。仕方なく携帯をまたポケットにしまう。連絡できないならママにも頼れそうにないな。

 どうしたものか……と思いながら道を進んでいると、住宅街に出た。しかも目の前にあるのは見覚えのある……昴さんの家だ。雨が降っているため外に出ている人は誰もいないが、万が一昴さんや、他の誰かに見られでもしたら困る。引き返して別の道を探そう。

 そう思い後ろを振り返ろうとした瞬間、くらりと立ちくらみを起こした。

 思わず膝から崩れ落ち、どしゃりと倒れる。自分が思った以上に失血が酷いみたいだ。
 なんとか力を振り絞って地面に手をつき、上体を起こして壁にもたれるようにして座る。だが、立ち上がれそうに無い。しかも、長い間雨に打たれていたせいか、身体の震えが止まらなくなってきている。雨は一向に止む気配はなく、息をするのもやっとの強さで容赦なく私の身体を叩く。

 ……これは。

「ちょっとあなた、大丈夫!?」

 ふと、頭上から声が聞こえた。
 ぐっと首を持ち上げて声のした方を向くと、小学生くらいの少女がこちらを覗き込んでいる。少女は黒よりも明るい髪色をしていて、肩の上でぱつりと切り揃えられていた。激しい雨のせいか、視界がぼんやり暗くて顔はよく見えないが、声の調子からしておそらく心配そうな表情をしているだろう。

「だい、じょうぶ」
「何言ってるの! その怪我、腹部を刺されたようね。雨に打たれたせいで身体もかなり冷えてるみたいだし……あなたこのままだと、大量失血と低体温症で死ぬわよ」
「……」

 冷静に現実を突きつけられる。そんなことは自分が一番わかっているつもりだし、何よりここで死ぬわけにはいかない。それは分かっているのだが、思ったように身体が動かない。少女はその間に携帯を取り出した。

「とりあえず、救急車を……」

 私は反射的に、携帯を持った少女の手首を掴んだ。少女も急な出来事に驚いたようにこちらを見る。

 そこで私は初めて少女の顔をきちんと見ることができた。それと同時に酷い既視感に襲われる。
 この子、何処かであったような気がするのだが、思い出せない。……気になるが仕方ない、今は後回しだ。私は彼女の携帯をゆっくりと手に取り、電源を切る。

「だめ」
「……何か理由でもあるの?」
「……」
「……」

 少女は黙ったままの私に怪しいものを見るかのような視線を向ける。仕方がないのだ。こんな少女に何もかも話すわけにはいかないのだし。

 どうしたものかと思案していると、ふっとまた身体の力が抜けた。本格的に血が足りないらしい。少女の焦ったような声がぼんやりと耳に届くのを感じながら、私はそのまま意識を手放す。

 結局少女を見た時の既視感の正体はわからずじまいとなってしまった。